東洋の人魚姫は恋を知らない

蝶野ともえ

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6話「人魚姫とシロイルカ」

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     6話「人魚姫とシロイルカ」




  2人が待ち合わせ場所は水族館の最寄駅だったので、すぐに館内に入る事が出来た。
 平日だが、人はやや多めでこの水族館が人気だという事がよくわかった。七星が働いている水族館より大分大きめであるし、何より新しい。人の多さは全くもって違った。七星の水族館も大きく知名度もある方だが、今日おとずれた場所とは比べものにならないほどであった。
  七星と夕影は前々から決めていたコースを順番に見てまわった。水槽に映る2人の姿は手を繋いで仲良く寄り添っている、どっから見ても恋人同士といえる存在に見えて、気恥ずかして仕方がなかったが、嬉しさの方が優っていた。それぐらいに、七星にとって彼の存在は大きくなっていたのだ。


「あ、ペンギンもいますね。沢山の種類がいる」
「確か、この周辺では1番多くの種類を飼育している水族館だったはずですよ」
「そうなんですね。七星さん、さすがに詳しいですね。あ、七星さんが好きなシロイルカの水槽ももう少しですよ」
「………気になっていたんだけど。どうして私がシロイルカが1番好きだって知ってるの?」


  そう。七星が話す前から、夕影はシロイルカが好きだと知っている様子だったのだ。デートで選んだ水族館もシロイルカがいる場所であったし、何よりプレゼントしてくれたぬいぐるみもシロイルカだ。前から知っていたとしか思えない。気になって聞いてみると、夕影は当然というように教えてくれた。

「東洋の人魚姫って呼ばれていた当時、テレビのインタビューでシロイルカが好きって言ってましたよね。昔、触れて嬉しかったって」
「そんな事も覚えていたの?」
「大事な事ですよ」
「……そうなんですか?」

  かなり昔の話のなのに、彼は鮮明に覚えてくれているのだから夕影にとっては大事な事なんだろう。当時のインタビューを大切に覚えているのは恥ずかしい。それに自分の事をそこまで覚えているとは、本当に大切にしている事がわかり、つい「本当に憧れの人なんだね」と、他人事のように聞きたくなってしまう。


「でも、覚えてくれていたのは嬉しいです。大切な思い出ですし。あのぬいぐるみ、自分で買おうか迷っていたぐらい欲しかったものだったので。大事にします」
「それはよかったです。飾ってるんですか?」
「えっと、一緒に寝てます」
「……………ずるい」
「え?今、何て」
「何でもありません。シロイルカ、見に行きましょう」


  そういうと、何故か先ほどより七星の手を強く握りしめた夕影は、足早に目的地へ向かっていく。彼が何と言ったのか気になったが、大好きなシロイルカに会えると思うと、七星の足取りも自然と早くなったのだった。









「じゃあ、あんこちゃん。お客様にお腹をプニプニしてもらいましょう」
「さ、触っていいんですか?………嬉しい。や、柔らかい」


  シロイルカは何と水面に触れるほどのプールの中にいた。丁度、触れ合いの時間が始まっており、沢山の人が集まっていた。その集団に2人も入り、順番にシロイルカに触れる事が出来きたのだ。

「冷たいおもち、白玉みたい」
「確かにそうですね。だから、あんこって名前なんですかね」
「ふふふ。そうかもしれないね」


  七星の職場の水族館はシロイルカに触れる事が出来ないのだ。
  昔に触れた事があるシロイルカの感触に、七星は感動し、少しだけ切なくなった。この水族館に来ればシロイルカに触る事が出来るのは七星も知っていた。けれど、一人で来るのが少しだけ怖かったのだ。
  それは懐かしすぎる温かい記憶を思い出して悲しくなるからだ。

「七星さん?」
「……………」
「七星さん、大丈夫ですか?」

  シロイルカを触りながら呆然としてしまったんだろう。
  夕影が心配そうな表情を見せながら顔を覗き込んできた。そこでハッとした七星は、名残惜しいが最後に手であるヒレに触れた後、触れ合いコーナーから離れた。

「ごめんなさい。少しぼーっとしたみたいで」
「………シロイルカ、好きなんですよね?」
「……うん。好きなんだけど、ちょっと怖いこともあるの」


  シロイルカのプールが見える少し離れた場所にあるベンチに座った七星は、ゆっくりと口を開いた。
  夕影は、きっと七星がシロイルカを見つめる表情が、好き動物を見つめる時とは全く違ったものだった事に違和感を覚えたのだろう。それに気づいた七星は重たい口を開いた。
  夕影とのデート。シロイルカに触れられる時間。それは、とても楽しみだった。けれど、一つだけ不安な事が実はあったのだ。

「………夕影さんは知ってるよね。私が事故に遭ったのは」
「………はい。ニュースでしりました」
「そうだよね。昔のことをよく知ってる夕影さんだから、知ってるんだろうなって思ってました。私が水泳を出来なくなった理由になった事故。そして、両親を失った事故」
「…………」


  七星が高校生の時の頃。
  家族との旅行に行く時に事故にあった。七星が競泳の大会が終わる夏の終わり頃。1年間頑張ったご褒美として旅行に行くのが恒例となっていたのだ。その年も無事に大会で優勝し、日本一になった七星は両親と水族館を満喫する旅行へと向かっていた。父親が運転する車の中で、シロイルカと触れ合い体験が出来るのを心待ちにしていた七星は、一緒に泳ぎたい、背中に乗るの楽しみだな。写真もいっぱい撮ってもらおうなどと期待で胸を膨らませていた。
けれど、その車が水族館に着く事はなかった。

 もう少しで水族館に到着するという頃、母親の悲鳴と父親の「危ないっ!」という声、そして強い衝撃を全身に受けた七星の意識はそこで途切れた。
 目覚めた時には、七星は病院のベットで横になり、足に強い痛みを感じた。そして、見舞いに来ていた親戚に伝えられた現実によって、七星は地獄へ落とされたのだ。


「………お父さんとお母さんが死んだ?」


 前方から飲酒運転をした運転をしていた暴走した車が、七星たち家族が乗る車に衝突。
 両親は即死だったらしい。
 優しくいつも七星を応援して来れた大好きな両親。反抗期などもなく、大切で離れたくないと思ってしまうほど溺愛していた両親が死んだ。天涯孤独になってしまた。その事実だけでも七星に大きな悲しみを与えたのに、悪いことは重なる。重すぎる現実。

「………競泳は、もう、……出来ない?」
「生きていたことが不思議なぐらいの大事故でした。けれど、車体に強く挟まれてしまった右足は筋をやられてしまいました。リハビリをすれば生活に支障がないぐらいには歩けるようになります」
「だったら水泳だって……」
「趣味で泳ぐぐらいならば可能でしょう。ですが、プロとなり足を酷使するトレーニングや泳ぎには耐えられないでしょう。酷使すれば、歩けなくなる可能性もある。競泳は辞めるべきです」
「もう泳げないの………?」


 医者からの無惨に告げられた宣告。
 それは、七星にとって死を意味するような言葉であった。

 競泳でプロになり世界一になるのが夢だった。
 沢山泳いで、水の中で生活しているといえるほどに練習を重ねてきた。苦しことも悔しいこともあったけれど、水泳が好きだから、夢を叶えることだけを考えてきたから乗り越えられた。
 それなのに、あの一瞬で全て失ったのだ。

 残ったのは、ボロボロになった自分の体と思い出が残った家だけだった。





「子どもの頃から家族とシロイルカに会いに行っていたんです。だから、大好きだったシロイルカを見ると、家族との思い出も自然に蘇ってきて。それが少しだけ、違うかな。とっても怖かった。だけどね、家族との思い出だってとても楽しものばかりだし、シロイルカだって大好きだから。この水族館でシロイルカに触れてみたいと思ってたんです。でも、……一人きりだと怖くて。だから、夕影さんと一緒に来れて安心して触れられたんです。黙っててごめんなさい。楽しい話しでもないし、………平気だったら話さない方がいいって思ってたんです」
「………七星さん」
「利用したみたいでごめんなさい。嫌な思いさせてしまって」


 デートを楽しみにしていたのは本当の事。
 けれど、シロイルカに会いたかったけれど、家族を思い出したかったけれど怖くて来れなかった。その場所に夕影が誘ってくれた。夕影とならあの事故を思い出しても怖くない。そう思えたのだ。
 だが、それは純粋に水族館を楽しんでほしいという夕影の気持ちを裏切ることになる。それに、七星は後ろめたさがあった。


「シロイルカ、嫌いにならなくてよかったですね」
「……え」
「ご両親の事も教えてくださって、ありがとうございました。そして、辛かったですね」
「そう、………ですね」


 デートを切り上げられるほど怒られるかもしれない、そんなつもりで来てたなんて、と幻滅されるかもしれない。夕影はそんな事を言わないと思っていたけれど、優しい言葉をかけられると、一気に苦しさが辛さが込み上げてきてしまう。


「もう昔の事なのに、ずっと引きずってて……」
「それぐらいに大切な思い出って事ですから。しばらく、シロイルカ見てましょうか」
「……ありがとうございます」


 涙が瞳を覆うが、それと同時に両親の笑顔が浮かんでくる。
 きっと一人だったら、楽しい思い出だけではない悲しい部分に耐えられなくなり、その場から逃げてしまっていただろう。
 けれど、隣には夕影がいてくれる。そして、右手から温かいぬくもりを感じられる。
 それだけで、七星は安心できるのだ。それだけが、今は必要なのだ。


「ありがとう、シロイルカちゃん」
「また、見にきましょうね」


 これから楽しい記憶を重ねていけばいいのだ。
 それに悲しむ時間だって時には必要だということもわかった。両親を思い出して涙を流す。そんな時だって七星にも、そして亡くなった両親にも大切なはずだから。


 だからこれからは、楽しみ合い、そして泣くためにここに来よう。
 今はまだ一人きりは耐えられないから、彼と一緒に。

 隣に座る夕影は長い時間ずっと寄り添ってくれた。
 そんな彼とまた来ようと、心に決めたのだった。







   
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