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33話

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   33話





 夜中に病院に戻ると、葵音と累は看護師や医者にこっぴどく怒られた。
 けれど、葵音は苦笑しながらも今日黒葉の故郷に行った事を後悔する事はなかった。

 部屋に戻る前に、黒葉の部屋に行った。
 帰って来たら目覚めていた、なんて小説のような展開にはなっておらず、ただただ黒葉は目を瞑って寝ていた。


 「黒葉……おまえの故郷に行ってきたよ。また、その話は明日にでもな。………おやすみ。」


 葵音は、小さな声でそういうと部屋からそっと離れた。
 黒葉はきっとここにい来るのを待っていてくれた。そう信じて………。







 病み上がりの体は疲れていて、眠いはずなのに寝ることが出来なかった。
 考えることが止められないのだ。

 今日出会った黒葉の家族。
 あそこまで閉塞的な考えを持っているのは、昔から星詠みの力に頼ってきた風習のせいだの思った。それは仕方がない事でもあり、おかしいと思った人を排除しようとする、悲しい決まり事になっていた。
 あの場では、態度に出してしまったのは間違いだったように思ったけれど、葵音はあれでも我慢した方だった。もう少し若かったならば暴言でも吐いてしまっていそうだと思った。

 けれど、第3者から見ておかしな事だと伝えることは決して悪いことではないとも、葵音は思っていた。
 黒葉の両親は、もしかしたら怒っていたかもしれない、もう会うつもりもないかもしれない。
 けれど、何があっても黒葉と血が繋がった家族なのだ。
 今は、黒葉がしたことが間違えだと信じているかもしれない。けれど、自分の娘が幸せそうに暮らしているのを見て、もしかしたら「昔したことは、正しかったのだろうか?」と考えてくれるのではないか。そんな甘い考えを葵音はしてしまうのだ。
 そう願ってしまう。


 それは、きっと祖母の存在かあったからだろう。
 黒葉に似たあの優しい祖母のように、平星家の風習が間違えだったと、黒葉の両親にいつでもいいから気づいて欲しいなと思っしまう。

 そして、遠くない未来で、結婚式に来てくれた2人が少しでもいいから微笑んで欲しい。
 それを見て、黒葉は泣いてしまうだろうか。
 きっと、同じように微笑みながら「幸せになります。」とでも言うのだろう。


 そんなキラキラと光る未来を夢見ては、葵音は少しだけ涙を溢していた。


 今日は、とても細い満月が見えた。
 もう少しで新月だと気づいき、葵音はまた2人であの湖に天体観測をしに行きたいなと思い、そのまま目を瞑る。

 すると、吸い込まれるように意識が夢へと引き込まれて行ったのだった。




















 




 黒葉が眠りについてから、季節が変わり窓から見える木々は、黄色や赤色に色づいていた。そして風が吹くとハラハラと落ちていき、地面を秋色にしていた。



 「やぁ、黒葉。今日は少し肌寒くなったよ。」
 

 仕事を終えて葵音が病室に入る。
 そこには、夏よりも少し髪が伸びた黒葉がいた。
 少しだけ穏やかな表情になったように感じているのは葵音ではなかったようで、看護師からも「なんだか、悪い意味じゃなくて……葵音さんと一緒にいるからか、幸せそうな顔ですね。」と言ってくれた。


 「今日はいいものを持ってきたんだ。………これを使うと部屋でプラネタリウムが出来るんだ。看護師さんの許可も取ったから、今日は夜までここにいるからな。一緒に星を見よう。」


 葵音は買ってきた、おもちゃのプラネタリウムをテーブルに置き、椅子に座った。

 そして、じっとベットに横になる黒葉を見つめた。
 事故から2ヶ月が経ったけれど、黒葉はまだ目を覚まさなかった。


 毎日のように黒葉の部屋に通い、星の本やグッツを買ってきたりして、話をかけていた。
 けれども、彼女から返事はなかった。
 独り言を繰り返し、愛しい彼女がただ目を瞑ったままという現実に、何度も挫けそうになった。
 会いに来るのが怖くなることだってあった。


 医者からは、「もう目覚めてもいい頃のはずだ。」と、言われ続けていた。
 その言葉を信じていたけれど、季節は変わりもう少しで冬になってしまう頃だ。
 

 けれど、少しだけ希望があった。


 今も黒葉の胸でキラキラと輝くもの。
 星をモチーフにしたシルバーのネックレスだ。それは、葵音が身に付け続けている、月のネックレスと同じデザインだった。
 黒葉が初めて葵音に会ったときに、これと同じ物を作って欲しいと頼んだものだった。

 葵音は、仕事とお見舞いの合間を見て、完成させたものだった。
 黒葉と一緒に住んでいる頃から作っていたもの。
 彼女が欲しがっていたものをプレゼントしようと準備していたのだ。それを完成させて、寝ている彼女にそのネックレスを首にかけてあげた。

 すると、ほとんど動かなかった手が、その日ピクッと動いたのだ。手を繋いでいた葵音の手を優しく握りしめるように。

 それを見た時に、寝ていてもきっと現実の事を見ていてくれている。喜んでいてくれているのだとわかり、葵音は勇気が出たのだった。



 「そういえば……おまえに話してなかったな。俺がどうしてこの月のネックレスにこだわっているのかを。……少し長い話になるが聞いてくれるか?」


 葵音は、迷ったけれど昔の話をすることにした。彼女は喜ばないかもしれない。
 けれど、話しておきたいのだ。
 どうして、星のネックレスを作るのを拒み、黒葉を受け入れるに、時間がかかったのかを。



 「実は、数年前にある女性と婚約していたんだ。同じジュエリー作家で、お互いに尊敬出来る存在で……俺は初めて結婚したいと思えた女性だった。真面目で、明るくて………そして、可愛いと思えた。けど、あいつは違ったんだ。」


 話す事でさえ、嫌で思わず彼女の手を強く握ってしまう。
 けれど、じんわりと彼女の体温を、感じると少しずつ落ち着いてくる。

 はーっと息を吐いてから、また話を続ける。


 「結婚が迫ったある日。俺が大切にしていたジュエリーのデザインのものが大手ブランドから発売されたんだ。………それを手掛けたのは、もちろん俺の婚約者だった。………あいつは、俺のデザインに惚れて、盗むことが目的だったんだ。」

 今でも目を瞑れば思い出す。
 新作発表会で見た、自分の自信作のジュエリーが並べられているのを呆気にとられた顔で見ているのを。
 そして、キラキラとした笑顔でインタビューに答え称賛を浴びる婚約者の自信に満ちた顔を。

 「もちろん、帰ってきてから彼女に問い詰めたよ。どうして勝手にデザインを盗んだのだとね。………そしたら、彼女は『結婚したら財産は共通でしょ?そしたら、あなたのデザインを使っても構わないわよね?お金が入るなら、誰が作っても同じでしょ?』と、言われたよ。………頭を思いっきり殴られたような衝撃というのは、こういうのだろうと思ったぐらいに、驚いたし………悲しかった。」


 大きくため息をついて、当時の映像を頭から消そうとする。けれど、それはどうやっても消える事などなかった。
 今でも時々夢に見る、悪夢だった。


 「その後は、もちろん婚約は解消。そして、デザインしたものも俺のものだと証明したよ。友人にも見せていたし、原本を持っていたのも、数年前に他のジュエリー会社に見せていたのもあってね。発表してしまったものはもう取り戻せないけれど、彼女はデザインの窃盗をしたという事で、有名ジュエリー作家として活躍することが出来なくなったよ。……………今考えればそこまでする必要なんてなかったかもしれない。けれど、彼女から与えられた傷はあまりにも大きかったよ。…………そこからだよ。人を信じすぎない、特に女性を好きになろうとは思わなかった。遊びで付き合って、楽しんで、一度きりからだの関係を済ませる。それだけで、いいって思ってた。」


 葵音は、そう吐き出すように言った後。
 目を細めて、黒葉を見つめて優しく頭を撫でた。さらさらとした黒い髪は、事故に遭う前と何も変わっていなかった。

 月のネックレスを毎日していたのは、いつでも思い出して誰かに夢中にならないためだった。そのネックレスは婚約者が盗んだ1つだったのだ。運よくこれはブランド側からダメ出しをされ、商品化しなかったもので、それを葵音が作り直したのだった。
 誰も信じないで自分だけで生きていこう。そう決めた証だった。

 けれど、今は違う。
 これは、黒葉と自分を繋げてくれた大切な宝物なのだ。

 大切な人が自分を見つけてくれるきっかけになった宝物。
 事故にも耐えた大切なものなのだ。


 「けど、黒葉と会って、話をしていくうちに………惹かれていったし、おまえなら信じたい。おまえに俺を信じていて欲しいし、好きでいて欲しい。ずっと手を繋いで行きて生きたい。そう思ったんだよ。おまえと過ごした時間は、何よりも大切で輝いていて…………また、あの家でお前が待っていて欲しいんだ。」


 黒葉の寝ているベットには、イルカの人形や、事故で壊れてしまった黒葉の作ったジュエリーとイルカのチャーム、そして、ジュエリーの本などが置いてあった。
 それらすべてに彼女との思い出がある。
 彼女がいない自宅にだって、彼女がいた記憶が残っている。


 「なぁ………早く目を覚ましてくれよ。その瞳で俺を見てくれないか?………黒葉の声が聞きたいよ。思いっきり抱き締めてやるから。事故の事怒らないから………プラネタリウムにも連れてってやるから。………だから、俺を一人にしないでくれ。」



 思い出話をしたからだろうか。
 今まで我慢していた感情が爆発してしまった。

 黒葉の笑った顔を見たい。
 抱き締めてキスをした時の、恥ずかしそうな顔。
 怒った顔でも、泣いた顔でもいい。

 そして、「葵音さん。」と、優しく名前を呼んで欲しい。


 当たり前だった、あの日々を取り戻したいだけなんだ。
 黒葉が目覚めてくれれば………目を開けてくれればいいだけなんだ。


 そう願って、涙を流しながら彼女の手を包み込むように両手で優しく握りしめる。

 けれど、返ってくるのは彼女の体温と、機械音、そして小さな鼓動だけだった。





 

 その日、部屋でプラネタリウムの光をつけた。天井や白いカーテンに星の光が輝く。
 偽物であっても夜に黒葉が目を覚ましたら喜ぶだろう。
 葵音は、彼女のベットに顔を乗せたまま天井の光の星たちを見つめた。


 星詠みで力を貸してくれた星達は、黒葉を見てくれているのだろうか?
 もし見ているのなら、少しだけでもいいから、力を貸して欲しい。



 彼女が目を覚ます方法を教えて欲しい。



 そう願いを込めて、葵音は目を瞑った。




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