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32話「小さな背中」

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   32話「小さな背中」




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 虹雫の職場の前に到着する。
 就業時間ギリギリまで2人で過ごし、宮が彼女の職場まで車で送る事にしたのだ。
 それでも、虹雫は離れるのが不安そうだった。それもそうだ、昨夜あんな事があったのだから。また、あの澁澤が来るかもしれない。そう考えているのかもしれない。


 「虹雫、大丈夫だよ」
 「え………、何が?」
 「さっき剣杜に確認したら、あの男は今日1日映画の撮影現場に同行するらしい。だから、虹雫の前に姿を現す事はないよ」
 「そ、そうなんだ………」


 彼女は曖昧な笑みを浮かべた後、「じゃあ、安心だね」と言って助手席のドアを開けた。


 「じゃあ、行ってきます。宮、……絶対に帰ってきてね」
 「もちろんだよ。仕事頑張って」
 「………うん」


 虹雫を安心させようと、宮はにこやかに笑いかけ、ハンドルから手を離して手を振る。虹雫はそれをマネするように手を振った後に助手席のドアをバタンッと閉めた。そして、職場である図書館の入口へと歩いていく。
 彼女の細い背中を見つめながら、宮は「よくやく彼女の気持ちを伝えられたな」と一人感傷の浸ってしまう。よく彼女の背中を追ってみていたなっと、昔の自分を思い出してしまうのだ。
 思いを告げずに彼女の背中を見送っていたいた日々を。



 
 宮は頭が良かった。
 それは自分自身でもわかっていたし、別に自慢で言っていることでもない。
 努力もあっただろうが、ほとんど生まれつきもっていたものだった。一度覚えたものは、すぐに忘れる事はなかったし、本に書いてあることは大体が1回で理解出来た。説明書のように、読んでしまえば答えがわかる勉強や試験は、簡単であるし当たり前に出来てしまう。
 それを普通に出来ないのが「普通の人間」なのだと、宮は小学生になった時に初めてわかった。
 自分は変わり者なのだ、と。

 周りの大人は「天才だ」と宮をちやほやし、大人になった時のためにと何かと親しくなろうと寄ってくる者が多かった。同級生も「かっこいい」「将来はお医者様かな」と、勝手な妄想を膨らませ王子様に迎えに来てもらおうとうする女たちが周りに集まってくるようになり、宮はうんざりしていた。

 けれど、そんな一部分しか見ない周囲とは違い、宮自身を見てくれる特別な存在が、宮の傍に居た。
 それが幼馴染である剣杜と虹雫だった。2人が居たから宮は自分が殻に閉じこもる事もなく、他人に強く当たる事もなかったのだと思っていた。普通に学生生活を送れたのは幼馴染が居てくれてこそだった。


 中学生になると進路や将来について考える事が多くなっていく。
 その頃、宮は大きく躓いていた。
 「将来の夢はなんですか」と、聞かれても全く想像できなかったし、特別やりたい事もなかった。
 皆はゲームやアニメ、部活やアイドルなど好きな趣味もあるようだったが、宮にはなかった。虹雫は小説、剣杜はファッションやアートに興味を持っていた。どうして1つの事に夢中になれるのか。宮は、部活動を必死にこなす学生たちを見つめながら、いつも不思議でしかたがない思いだった。それをどうやって見つけたのか、そしてどうして飽きないのか。理解出来なかった。

 そして、進路指導などを受ければ大人達からは決まって「あなたなら、何でも出来る。選びたい放題だよ」や「選べるものがありすぎて迷っているのだ」と言われる。
 頭が良ければ何でも出来る。確かに選択肢は増えるかもしれない。
 けれど、自分自身にやる気がなければ、何をしても同じではないか。
 同級生でもやりたい事が明確になっている人を見ると、羨ましさと焦りが芽生えてきて、宮は学校に行くのが億劫になった。


 そして、極めつけが希望進路調査のプリントだった。
 どこの高校に行きたいですか?、将来の夢は何ですか?、その字を見るだけで宮は憂鬱になっていた。提出期限が過ぎても、宮はそのプリントが白紙のままで教師に渡せるはずがなかった。



 「宮、どうしたの?ボーっとして」
 「え、……あぁ。何でもないよ。今日は本屋に行くんだっけ?」
 「うん!大好きな作家さんの新刊が発売してるの!お年玉をずっと残しておいたのはこのためなんだから!」


 学校帰り。宮は買い物があるという虹雫と一緒に近くの本屋へ向かっていた。
 相変わらず彼女は本の虫のようで、読んだ本の感想が口から止まらずに出てくる。彼女が勧めてくれた本を何度も読んだことがあるが「面白い」とは思っても、自分から読みたいと思う事はなかった。けれど、虹雫はとても楽しそうに話しをしてくれる。そんな彼女の姿を見ていると、宮は嬉しくなる。自分も夢中になれるものが出来たら、こんな風になれるのか、と想像するととてもワクワクする。けれど、いまだかつてその思いは感じられない。


 「んー………、やっぱり予定変更ッ!」
 「え、どうした?」
 「今日は宮の話を聞きたいと思います」
 「どうしたんだ、急に……」
 「それは私のセリフだよ」


 突然予定の変更を決めた虹雫は、宮の手を掴むとズンズンッと進んでいく。
 何故か少し怒り口調の虹雫に圧倒され、宮は黙って彼女についていく事にした。彼女が案内したのは近くの公園だった。街中にある小さな公園で、遊具は滑り台とブランコしかない。小さな子どもとその母親らしき女性が遊んでいたが、ベンチは空いていたので2人で肩を並べて座った。

 「はい。では、宮さん、お悩みをどうぞ」
 「悩みなんてないよ」
 「嘘つかないの。幼馴染同士、嘘なんかつけないでしょ。最近、ボーっとしている事多いし。心配してたんだけど。それとも、なんか話しにくい事?」
 「いや、そういうわけじゃないけど………」


 次の言葉を渋っている宮を虹雫はジッと笑顔で待っていた。宮が話をしてくれると信じている。そんな表情だ。彼女にそんな風にされては黙っているわけにはいかない。それに心配をかけてしまっていたというのも、申し訳なくなってしまう。自分の悩みを打ち明けるというのはどうも恥ずかしいが、彼女に誤魔化せるわけはないと諦めて、宮は重い口を開けた。
 そして、虹雫に進路希望の紙が提出出来ていない事、自分にはやりたい事がないを相談した。こんな話は誰にもした事がなかったので、どうも話にくく虹雫の方を向かずに視線を地面に向けて話した。さわさわと風に吹かれて雑草が揺れている。穏やかな午後のはずが、何だか先生と面談をしている気分だった。

 虹雫はどんな反応をするのか。
 大人と同じように「どんな事でも可能性があるってことだよ」と言われてしまうだろうか。
 が、彼女はそんな事は言うはずがなかった。そう、彼女は宮の事をよく知る幼馴染なのだから。



 「そうかー。進路って迷うよね。じゃあ、実際にいろんな事やってみればいいんじゃないかな?」
 「え?」
 「少しでも「あ、そういえばこんな職業もあるな」と目についたものを調べたり、実際にやってみたり、話を聞きに行ったりするの。それで、何か気になる事とかある?」
 「急にどうしたんだ?」
 「いいから、教えて」
 「んー、じゃあ、カウンセラーとか研究者とか?」
 「よし!じゃあ、行ってみよう」
 「虹雫、行くってどこに?」
 「いろいろ調べるの」


 そういうと、虹雫はまた宮の手を取って歩き始めた。
 それからその日は、図書館に調べに行ったり学校に戻り保健室に行き先生にカウンセラーに話を聞いたり、研究室にいける方法を教えて貰ったりした。その後も放課後に「次はどんな仕事を調べてみる?」と、虹雫は次々にいろんな職業を調べ始めた。
 積極的に調べる虹雫は「自分の経験にもなって楽しいな」と言ってバイトを申請したり、大学などの教授に話を聞きに行ったりした。

 そこまでしてくれると虹雫に、宮は始めは戸惑いながらも楽しい日々を過ごした。
 そのうちに、いろいろな国の語学を学んだ先生と話しをしていくうちに、沢山の国の人と話せることは自分の経験にも繋がるし、人との縁も深くなる。それに妙に納得し興味を覚えた。英語は、この時にほとんどマスターしたが、他の言語には興味はもてなかったので、全く勉強していなかった。他の国の言葉を学ぶのもいいな、そう思い始めていた。


 「よかったね。やりたい事見つかって。宮ならいろんな国の言葉を覚えられるだろうね。どこがいいかな?韓国語に中国語、ヨーロッパ系もいいよね」
 「そうだな。中国とかは仕事を始めたら必要になりそうだね」
 「うんうん。よかったよかった」


 満足そうに虹雫の笑みが、宮にもうつる。
 彼女といると、とても満たされ気がするのだ
 

 「虹雫、ありがとう」
 「え?何が?」
 「いろいろ俺のために提案してくれて。いろんな事が知れて楽しかったよ」
 「うん。私も楽しかった。海外旅行に行く時は頼りにしているよ」
 「それなら頑張らなくちゃな」


 大人はただ言うだけで何もしてこなかった。何でもなれる知力があるのだから、何でもやればいい。
 そんな考えではない虹雫。やってみて好きな事を見つけて欲しい、そんな気持ちが伝わってきたのが嬉しかった。
 前々から大切にしてきた虹雫だが、その宮はその時から妙に虹雫の事が気になり、好きになっていった。
 
 優しさと彼女の明るさが、とても頼もしく、そんな彼女と幼馴染だけじゃなくてずっと隣にいたいと思った。



 そんな事を思い出していくうちに、一条との待ち合わせ場所に到着した。
 今日で、全ての事を終わらせるべく、宮は車から降り、建物へと向かった。


 もう虹雫の背中を見送るのは終わりして、隣を歩けるように。






 

 
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