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32話「桜姫と桜門」

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   32話「桜姫と桜門」


 
 その妖しい死人の女は自らを「桜姫」と名乗った。やはり姫様だったのかと海里が言うと、その女はクスクスと笑った。


 「海里よ。何故、その女を助けたい?」
 「………大切だから。俺に優しくしてくれた人間はあいつだけだった。あいつだけが仕事を教えてくれて、人間が温かいのだと教えてくれたんだ。それに、俺は悪いことばっかりしてきたけど、自由に人間の世界を見ることは出来たから……あいつにも自由に歩いて欲しいんだ」
 「人間というか、海里も人間だろうに。おまえは本当に変わっているね」
 「………人間になれたのは最近だよ」


 そう言うと海里は苦笑した。
 人間のような生活をし始めたのも、人間の食べ物を初めて食べたのも、稼ぎ方を知ったのもつい最近だった。それまでは人間は敵だと思っていたし、人間にはなれないと思っていた。
 銀髪のおかげて化け物扱いされてきたので当然の事だ。
 人間にしてくれたのは、初芽のおかげなのだ。


 「おまえがその女が大切なのはわかった。では、身代わり依頼を受けることにしよう」
 「お、お願いします」


 意外にも簡単に引き受けてくれた事に驚きながらも、彼女が助かる事に安堵する。が、続けて出た桜姫の言葉で、また落胆することになる。

 「では、対価として金を貰おうか。そなたの持っている金を全て私に渡してもらおう」
 「…………こ、これが全部だけど………」


 懐に隠していた金が入っていた布袋を取り出して、桜姫の掌に逆さにして金を出した。
 が、その金の量を見て、彼女はため息をついた。

 「全くもって足りんな」
 「…………あとどれぐらい必要なんだ?」
 「これの100倍だなおまえが10年働いても足りないだろうよ」
 「そ、そんな………」


 海里は愕然とした。
 やはりここでも金が必要なのだ。
 せっかく彼女を助けられる可能性が、目の前で潰えてしまう。
 それに焦りを覚えた。だが、海里にそんな大金を準備を出来るはずもないのだ。初芽の父親に頼んだとしても、身代わりで彼女の命を助けるから金を貸してほしいと言われても、到底信じないだろう。それに海里が助けるために命を落としてしまえば、その大金を返すことも出来なくなる。

 どう頑張っても無理だ。
 海里の顔は真っ青に変わっていく。
 自分は初芽を救えない。
 それが悔しくて仕方がない。

 強く手を握りしめて、悔しさを堪えた。
 今は医者の力を信じ、春になるまでに初芽が頑張ってくれる事だけを神に祈るしか海里には出来ない。


 「のう、海里よ。私ともう1つ取引をしないか?」
 「取引?」
 「そうさ。なに、簡単な事だよ。私のこの身代わりの仕事を変わってくれないか?」
 「身代わりの仕事………?」


 突拍子もない事を突然提案された海里は、理解が出来なかった。
 桜姫がやっている身代わり依頼を海里が代わりにする、という事らしいがピンとこない。
 彼女の身代わりの仕事を見たこともないのだから当たり前の話だ。


 「私は死人。身代わり依頼を受ける死人は選ばれしものだ。死んだ後も現世に残り、生きている人からの依頼を受けて過ごしていく。人間との関わりは依頼のみだが、現世の人間を見守る事は出来る」
 「………ぇ………」
 「そうだ。おまえが守った女がどう生きていくのか。身代わりで死んだおまえは見ることができないが、私の仕事を変われば見ることが出来る。その仕事を引き受けてくれるのであれば、お金は必要なしにしよう。……悪い話ではないだろう?」


 彼女が話している事が本当ならば、それはとても魅力的な話だった。
 海里だって死にたくはない。ずっと初芽と一緒に過ごしていきたかった。隣で笑い会いたかった。けれど、それが1人しか生きられない定めならば、彼女に生きて欲しかった。
 彼女が元気になった姿を見てみたい。どんな時に感動して、笑って、悲しんで、幸せを掴んでいくのか。見守っていきたい。
 海里はそんな自分の姿を想像して、それを強く望んでいるのがわかった。

 初芽の命を助けられて、しかも彼女を近くで見守れる。
 海里の答えはすぐに決まっていた。


 「………やる。身代わり依頼の仕事、やる」


 海里が意を決し、強い視線で桜姫を見据える。
 と、彼女はその答えを聞いた瞬間。
 希望に満ちた瞳を見せ、そして恐ろしく綺麗で恐ろしさを隠さずにニヤリと笑った。その瞬間、海里の背中はゾクッと震えた。
 自分はまずい取引を受けたのではないか。そんな恐ろしさを感じた。


 「やはり受けてくれるか!やはりおまえはいい男だ。女も喜ぶだろう」
 「………まって………」
 「死んでもなお見守れる唯一の方法。身代わりの仕事を頼まれるのはそんな唯一の存在。誇りに思え」
 「で、でも……やっぱり俺にそんな仕事が出来るかな………」
 「身代わりの依頼がきたら、おまえがやるかやらないかを決めればいい。身代わりの任に選ばれし者が決めた事が全て現実になり正しいのだから。……私もそうやってきたのだ」



 戸惑う海里をよそに、桜姫はそう教えると、にっこりと笑った。聞く耳などもたないという雰囲気になってしまい、海里はますます不安になる。けれど、その間にも彼女は次々に話をすすめていく。


 「ではまずは、身代わり依頼をこなそう。女の病気を、海里。おまえに移す」


 そう言うと、海里の周りに桜の花びらが集まり、舞い始めた。桜姫の姿が見えなくなるぐらいに花びらに囲まれる。と、同時に体の奥が熱くなった。


 「っっ!?ごほっ……っっごほっ……く……くるし………」


 咳のせいで、呼吸が出来ず、海里は混乱した。そして、同時に胸が焼けるように熱く、ひりついていた。
 これが、初芽を苦しめていた病。
 それを海里が身代わりに引き受けたのだとわかった。
 彼女はこんな苦しさと共に生きていたのだ。それを実感して、海里は涙が溢れた。

 咳が止まらず、その場にうずくまる。体を横にすると少し楽になり、海里は涙を流し、両手で胸を押さえながら、うっすらと目を開けた。

 すると、目の前に桜姫が、笑顔でこちらを見ていた。苦しんでいる海里が近くにいても全く心配するどころか、とても嬉しそうににんまりと笑っているのだ。


 「桜姫…………?」
 「ふふふっっ………はははははっっ!!あーーー、やっと終わるわ!死人の生活から解放されるっ!!」
 「ごほっ……はーはー………え………どういう事………」


 高笑いをした桜姫は真っ白な素足でこちらにゆっくりと近づき、海里の顔を撫でた。それは恐ろしいほどに冷たく、雪のようだった。


 「私はもう300年死人として生きた。生きていた時の家族や友達はみんな死んだ。身代わりの依頼がない時は、一人で孤独に生きて、そしてただ人間の願いを叶えるだけ。お金なんてもらっても意味がないわ」
 「じゃあ………」
 「そうだ!私は身代わり依頼の仕事をやめたかった。でも、やめられなかったわ。ずっと方法を探していたけど、最近気づいたの。代わりを探せばいいんだってね!私があの人から力をもらった時のように」
 「…………あなたはどうなるの?」
 「本当の意味で死ねる。そうすれば、あの人にも会える。この夜は、死んでも生まれ変わって別の人となって生きていくのだから。だから、きっと私はまたこの世界に人間として生まれ変わるのだ」
 「生まれ変わる…………」


 生まれ変わる。
 そんな言葉を海里は初めて聞いた。
 けれど、それならば初芽ともまた会えるのだろうか。死んで生まれ変わるならば、彼女とも会えるのか。
 そう思って、気づく。
 自分は取引で死人のまま身代わりとして過ごしていくと選んだ事を。


 「まっ……俺はどうすれば生まれ変わるの…………?」
 「また、他の人に仕事を任せればいいんじゃないかしら?それか、100回ぐらい身代わりの仕事をこなせば、任も解かれるかもしれないわね」


 クスクスと踊るように上機嫌で話す桜姫。
 もう気分は死人としてこの世から消えることしか考えられないようだった。
 海里は咳き込みながらも、どうにか頭を働かせて、彼女と話そうとした。


 「さぁ。お話はこれでおしまい。あなたは身代わり依頼の死人になるのよ」
 「まって………」
 「名前はそうね……。あなたがいる場所は城の門の近くに居るから「桜門」という死人の名前をあげましょう。桜の木もあるしピッタリね。その桜の木と一緒に体は燃やしてあげる」
 「………桜門………」
 「そうよ。あ、そうだわ!このお金を必要ないし、あなたにあげるわ。何か最後にして欲しいことはある?」


 呼吸が出来ないからだろうか。
 うまく考えられなくなってきた。
 頭の中には、苦しさと死への恐怖、桜門、身代わり、死人………そして、初芽。その事がぐるぐると回っていた。
 そのうちに、もう何も考えたくない。そう思ってしまった。
 苦しさと不安から逃れられるのならば。初芽を助けられるのならば、何でもいい、と。


 「初芽に飴を沢山贈ってあげたいな」


 初芽に飴を贈った時の表情。
 花のように可憐で、触れたいと思うほど綺麗で、守りたいと願うほど愛おしかった。
 初芽がそうやって笑うのならば、何度でも飴を贈りたい。そう思ったのだ。


 そんな海里の願いを聞いた桜姫は、満面の笑みが消え、少し切なげに囁いた。


 「つまらない男ね。………でも、いい男よ。海里。………いいえ、桜門」


 桜姫は、小さな声を落とすと同時に、海里の頬に唇をつけた。

 刹那。
 海里の思考はそこで途切れたのだった。
 

 
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