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第8話:女の影
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雨上がりの夜、地方都市の住宅街を抜ける細い路地は、湿った空気と薄暗い街灯に包まれていた。沙織は傘を畳みながら、足元の濡れた舗道に映る自分の影を見つめた。34歳。妻として、母として、毎日を淡々と生きてきたはずなのに、今夜の彼女の心臓は妙に速く鼓動を刻んでいる。駿の部屋へと向かう足取りは、まるで逃避行の途中であるかのような緊張感を帯びていた。
駿の部屋は、街外れの古いアパートの一室だった。ドアを開けた瞬間、アルコールとタバコの匂いが鼻をつく。室内は薄暗く、窓辺のカーテンの隙間から漏れる街灯の光が、床に細い筋を描いていた。沙織は一瞬、躊躇した。だが、駿の声がその迷いを断ち切る。
「入ってください。こんな時間にすみません、沙織さん」
彼の声は低く、少し掠れていた。沙織は小さく頷き、靴を脱いで部屋に足を踏み入れる。ソファの布地が指先にざらつく感触を残し、彼女は無意識に手を握りしめた。駿はキッチンでグラスを取り出し、ウィスキーを注ぐ。グラスが触れ合う音が、沈黙の重みを一層際立たせた。
「夫は今夜も遅いんですか?」駿がグラスを差し出しながら、探るような視線を向ける。
沙織はグラスを受け取り、目を伏せた。「ええ、いつもそう。もう慣れました」
その言葉には、どこか虚ろな響きがあった。夫の冷たい態度、家庭の中での孤独。彼女の心の隙間を、駿の存在が少しずつ埋めていくような感覚があった。だが、それは許されないことだ。母として、妻としての責任が、彼女の胸を締め付ける。
駿はソファに腰を下ろし、沙織を隣に座るよう促した。彼女は一瞬迷ったが、結局その誘いに従った。二人の間に流れる空気は、まるで雨上がりの湿った匂いのように重く、まとわりつくようだった。夜風がカーテンを揺らし、窓の外を走る車の音が遠く聞こえる。沙織はグラスを傾け、アルコールの苦みが喉を焼くのを感じた。
「沙織さん、いつも疲れてそうに見えます」駿が静かに言う。彼の声には、どこか優しさが滲んでいた。「何か、俺にできることないですか?」
その言葉に、沙織の心が揺れた。夫からは決して向けられることのない、純粋な関心。彼女は目を上げ、駿の精悍な顔立ちを見つめた。27歳の彼の瞳には、自信と同時にどこか寂しげな影があった。沙織はふと、自分が「女」として見られていることに気づき、胸が熱くなる。
「駿くんは、優しいのね。でも、私みたいな…ただの主婦に、そんなこと言ってくれなくてもいいのに」彼女の声は震え、言葉の端に自嘲が混じる。
「ただの主婦、なんて言わないでください」駿が少し身を乗り出し、彼女を見つめる視線が強くなる。「俺、沙織さんのこと、ちゃんと見てます。いつも笑ってるけど、目が…悲しそうで。俺、それに気づいてから、ずっと気になってた」
その言葉が、沙織の心に突き刺さった。彼女はグラスを握る手に力を込め、目を逸らした。だが、駿の視線は彼女を逃がさない。部屋の中の空気が一層濃密になり、沈黙が二人を包み込む。沙織の耳には、自分の鼓動がやけに大きく響いていた。
「駿くん…そんなこと、言わないで」彼女の声は小さく、ほとんど囁きに近かった。「私、こんなこと、考えちゃいけないの。家族がいるのに…」
「俺だって、わかってます」駿が苦しげに言う。彼の声には、上司を裏切る罪悪感が滲んでいた。「でも、沙織さんを見てると、どうしても…あなたが欲しいって思ってしまう」
その言葉が、沙織の理性を揺さぶった。彼女の指先が震え、グラスを置く手がわずかに滑る。駿がその手をそっと握った瞬間、彼女の体に熱が走った。指先に残る湿気と、彼の体温が混じり合う。沙織は息を呑み、彼の手を振り払うこともできずにその感触に身を委ねた。
「駿くん…だめよ、こんなの」彼女の声は弱々しく、まるで自分に言い聞かせるようだった。だが、駿は彼女の手を離さず、ゆっくりと近づく。彼の吐息が沙織の頬をくすぐり、彼女の心臓はさらに速く打ち始めた。
「沙織さん、俺、ずっと我慢してた。でも、もう無理だ」彼の声は低く、熱を帯びていた。沙織は目を閉じ、その声に抗う力を失っていく。彼女の理性と欲望が、最後のせめぎ合いを繰り広げていた。だが、駿の視線が、彼女の心の奥に眠る「女」を呼び覚ます。
部屋の中は、薄明かりに照らされた二人の影だけが揺れていた。カーテンの隙間から漏れる光が、沙織の華奢な肩をなぞるように映し出す。駿の手が、彼女の髪に触れる。指先が震えながらも、彼女の輪郭を確かめるように動く。沙織は目を閉じたまま、ただその感触に身を任せた。彼女の中で、何かが決定的に崩れ落ちる音がした。
「私…こんなこと、しちゃいけないのに…」彼女の声はほとんど聞こえないほど小さかった。だが、その言葉とは裏腹に、彼女の体は駿の存在を拒まなかった。彼女の胸の奥で、長い間封じ込めていた「女」が、静かに、しかし確実に目を覚ます。
二人の距離は、もはや戻れないほど近づいていた。部屋の中の空気は熱を帯び、湿った衣服の匂いと夜風に混じる香水が絡み合う。沙織は最後の理性の糸を握りしめながらも、駿の瞳に映る自分を見つめ返した。その瞬間、彼女は自分の中の「女」を認めざるを得なかった。
駿の部屋は、街外れの古いアパートの一室だった。ドアを開けた瞬間、アルコールとタバコの匂いが鼻をつく。室内は薄暗く、窓辺のカーテンの隙間から漏れる街灯の光が、床に細い筋を描いていた。沙織は一瞬、躊躇した。だが、駿の声がその迷いを断ち切る。
「入ってください。こんな時間にすみません、沙織さん」
彼の声は低く、少し掠れていた。沙織は小さく頷き、靴を脱いで部屋に足を踏み入れる。ソファの布地が指先にざらつく感触を残し、彼女は無意識に手を握りしめた。駿はキッチンでグラスを取り出し、ウィスキーを注ぐ。グラスが触れ合う音が、沈黙の重みを一層際立たせた。
「夫は今夜も遅いんですか?」駿がグラスを差し出しながら、探るような視線を向ける。
沙織はグラスを受け取り、目を伏せた。「ええ、いつもそう。もう慣れました」
その言葉には、どこか虚ろな響きがあった。夫の冷たい態度、家庭の中での孤独。彼女の心の隙間を、駿の存在が少しずつ埋めていくような感覚があった。だが、それは許されないことだ。母として、妻としての責任が、彼女の胸を締め付ける。
駿はソファに腰を下ろし、沙織を隣に座るよう促した。彼女は一瞬迷ったが、結局その誘いに従った。二人の間に流れる空気は、まるで雨上がりの湿った匂いのように重く、まとわりつくようだった。夜風がカーテンを揺らし、窓の外を走る車の音が遠く聞こえる。沙織はグラスを傾け、アルコールの苦みが喉を焼くのを感じた。
「沙織さん、いつも疲れてそうに見えます」駿が静かに言う。彼の声には、どこか優しさが滲んでいた。「何か、俺にできることないですか?」
その言葉に、沙織の心が揺れた。夫からは決して向けられることのない、純粋な関心。彼女は目を上げ、駿の精悍な顔立ちを見つめた。27歳の彼の瞳には、自信と同時にどこか寂しげな影があった。沙織はふと、自分が「女」として見られていることに気づき、胸が熱くなる。
「駿くんは、優しいのね。でも、私みたいな…ただの主婦に、そんなこと言ってくれなくてもいいのに」彼女の声は震え、言葉の端に自嘲が混じる。
「ただの主婦、なんて言わないでください」駿が少し身を乗り出し、彼女を見つめる視線が強くなる。「俺、沙織さんのこと、ちゃんと見てます。いつも笑ってるけど、目が…悲しそうで。俺、それに気づいてから、ずっと気になってた」
その言葉が、沙織の心に突き刺さった。彼女はグラスを握る手に力を込め、目を逸らした。だが、駿の視線は彼女を逃がさない。部屋の中の空気が一層濃密になり、沈黙が二人を包み込む。沙織の耳には、自分の鼓動がやけに大きく響いていた。
「駿くん…そんなこと、言わないで」彼女の声は小さく、ほとんど囁きに近かった。「私、こんなこと、考えちゃいけないの。家族がいるのに…」
「俺だって、わかってます」駿が苦しげに言う。彼の声には、上司を裏切る罪悪感が滲んでいた。「でも、沙織さんを見てると、どうしても…あなたが欲しいって思ってしまう」
その言葉が、沙織の理性を揺さぶった。彼女の指先が震え、グラスを置く手がわずかに滑る。駿がその手をそっと握った瞬間、彼女の体に熱が走った。指先に残る湿気と、彼の体温が混じり合う。沙織は息を呑み、彼の手を振り払うこともできずにその感触に身を委ねた。
「駿くん…だめよ、こんなの」彼女の声は弱々しく、まるで自分に言い聞かせるようだった。だが、駿は彼女の手を離さず、ゆっくりと近づく。彼の吐息が沙織の頬をくすぐり、彼女の心臓はさらに速く打ち始めた。
「沙織さん、俺、ずっと我慢してた。でも、もう無理だ」彼の声は低く、熱を帯びていた。沙織は目を閉じ、その声に抗う力を失っていく。彼女の理性と欲望が、最後のせめぎ合いを繰り広げていた。だが、駿の視線が、彼女の心の奥に眠る「女」を呼び覚ます。
部屋の中は、薄明かりに照らされた二人の影だけが揺れていた。カーテンの隙間から漏れる光が、沙織の華奢な肩をなぞるように映し出す。駿の手が、彼女の髪に触れる。指先が震えながらも、彼女の輪郭を確かめるように動く。沙織は目を閉じたまま、ただその感触に身を任せた。彼女の中で、何かが決定的に崩れ落ちる音がした。
「私…こんなこと、しちゃいけないのに…」彼女の声はほとんど聞こえないほど小さかった。だが、その言葉とは裏腹に、彼女の体は駿の存在を拒まなかった。彼女の胸の奥で、長い間封じ込めていた「女」が、静かに、しかし確実に目を覚ます。
二人の距離は、もはや戻れないほど近づいていた。部屋の中の空気は熱を帯び、湿った衣服の匂いと夜風に混じる香水が絡み合う。沙織は最後の理性の糸を握りしめながらも、駿の瞳に映る自分を見つめ返した。その瞬間、彼女は自分の中の「女」を認めざるを得なかった。
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