処刑された王女の帰還Ⅱ ―戦火に揺れる王国―

遊鷹太

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第1章『平穏の代償』

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 王都リオネールに朝陽が昇る。石畳の街路に光が差し込み、市場では商人たちが威勢のいい声を上げている。パン屋からは焼きたてのパンの香りが漂い、子どもたちが路地を駆け抜けていく。戦乱の傷跡は徐々に癒え、人々の顔には笑顔が戻っていた。
 セリーヌ・ド・リオネールが王位に就いて二年が経つ。かつて冤罪により処刑され、復讐の炎に身を焦がした彼女も、今では「正義の女王」として民に慕われていた。前王政の腐敗を一掃し、新たな法と秩序を築き上げた彼女の功績は、王国全土に知れ渡っている。
 だが、平和の裏側には、常に影が潜んでいる。
 宮廷の謁見の間。高い天井から下がる豪華なシャンデリアが、大理石の床に光の粒を散らしている。赤い絨毯が玉座まで一直線に伸び、その両脇には貴族たちが居並んでいた。彼らの多くは、前王政から続く名家の当主たちだ。セリーヌの改革により特権を削られ、心中穏やかでない者も少なくない。
「本日の議題は、新たな税制改革についてである」
 玉座に座るセリーヌが、凛とした声で告げた。彼女の頭上には黄金の王冠が輝き、深紅のマントが肩から流れ落ちている。整った顔立ちに宿る強い意志の光は、かつての少女の面影を残しながらも、統治者としての威厳に満ちていた。
 彼女の右手には、宰相グレゴールが控えている。白髪を後ろで束ねた老齢の政治家で、セリーヌの父王の代から宮廷に仕えてきた人物だ。深い皺が刻まれた顔には、長年の経験がにじみ出ている。
「女王陛下」
 グレゴールが一歩前に出て、羊皮紙の束を広げた。
「新税制の骨子をご説明申し上げます。これまで貴族領の徴税は各領主に一任されておりましたが、今後は王国直轄とし、統一された基準で徴収いたします。集められた税は、まず民の福祉と教育に充て、次いで国防費に回します」
 謁見の間がざわめいた。貴族たちが顔を見合わせ、小声で囁き合う。その視線の多くは、不快感を隠そうともしていない。
「異議がある者は申し出よ」
 セリーヌが告げると、すぐさま一人の貴族が前に進み出た。北部の大領主、デュラン侯爵である。豪奢な衣装に身を包み、金の装飾品を惜しげもなく身につけた男は、傲慢な笑みを浮かべていた。
「女王陛下、恐れながら申し上げます」
 デュランの声には、明らかな皮肉が含まれている。
「税の徴収権は、古来より各領主の権利として認められてまいりました。それを一方的に剥奪するなど、先王たちの築いた伝統を踏みにじる行為ではございませんか」
「伝統とは、民を苦しめるための道具ではない」
 セリーヌが即座に切り返す。
「各地の領主が恣意的に税を課し、民から搾取する。そのような慣習は、今この瞬間に終わらせる。税は公正に集められ、公正に使われなければならない」
「ほう、公正とは」
 デュランが鼻で笑った。
「陛下のような若輩者に、何がわかるというのです。領地の統治には、代々受け継がれた知恵と経験が必要なのですぞ。民など、強い手綱で引かねば統制できぬものです」
「民は家畜ではない」
 セリーヌの声が、謁見の間に響き渡った。その瞳には、怒りの炎が宿っている。
「民は王国を支える礎であり、我々が守るべき存在だ。その民を蔑ろにする者に、領主たる資格などない」
 デュランの顔が紅潮する。だが彼は言葉を飲み込み、一歩後ろに下がった。他の貴族たちも、セリーヌの気迫に押されて沈黙を保っている。
「本議題は可決する。実施は来月より」
 セリーヌが宣言すると、グレゴールが深く頭を下げた。
「御意」
 謁見が終わると、貴族たちは不満の表情を浮かべたまま退出していった。その背中を見送りながら、セリーヌは小さくため息をついた。
 玉座の間を出ると、彼女は自室へと向かった。廊下には近衛騎士が並び、彼女の姿を見るたびに敬礼する。その中に、見慣れた顔があった。
「レオン」
 セリーヌが声をかけると、黒髪の青年騎士が振り返った。レオン・ヴァルトハイム。かつてセリーヌが復讐の旅をしていた時から共に戦ってきた、最も信頼する仲間の一人である。今では近衛騎士団の副団長を務めている。
「お疲れ様です、陛下」
 レオンが歩み寄り、声を低めた。
「今日も荒れましたね」
「仕方がない。改革には痛みが伴う」
 セリーヌが苦笑する。
「だが、これが正しい道だと信じている」
「俺もそう思います。ただ……」
 レオンが言葉を濁す。
「あまり無理をなさらないでください。陛下は一人で全てを背負い込もうとする。それでは身が持ちません」
「心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫だ」
 そう言いながらも、セリーヌの表情には疲労の色が浮かんでいた。
 執務室に戻ると、彼女は机の引き出しから一冊の古びた日記を取り出した。革の表紙が色褪せ、ページの端が擦り切れている。父王が遺した日記である。
 セリーヌはゆっくりとページをめくった。そこには、父が王として苦悩した日々が綴られている。
『統治とは孤独な戦いだ。民を思い、国を思うほどに、理解されない苦しみが増していく。だが、それでも私は前に進まねばならない。この国を、この民を、守るために』
 父の言葉が、セリーヌの胸に染み入る。彼女もまた、同じ孤独を味わっていた。復讐を果たし、王位に就いた今、彼女が戦うべき相手は外敵だけではない。内なる敵、そして自分自身の弱さとも向き合わなければならない。
 窓の外を見ると、王都の街並みが夕陽に染まり始めていた。人々の営みが続き、子どもたちの笑い声が聞こえてくる。この平和を守るために、彼女は何を犠牲にしてきたのだろうか。そして、これから何を失うのだろうか。
 その時、扉をノックする音が響いた。
「失礼します」
 グレゴールが入室してくる。その手には、一通の封書が握られていた。蝋で封印され、そこには見慣れない紋章が刻まれている。
「これは……」
「ヴァルディア帝国からです」
 グレゴールの声は、いつになく重かった。
 ヴァルディア帝国。リオネール王国の北方に位置する大国である。強大な軍事力を誇り、周辺諸国を次々と併合してきた侵略国家だ。これまで王国との間には不可侵条約が結ばれていたが、その関係は決して安定したものではなかった。
「開けてもよろしいですか」
「ああ」
 セリーヌが頷くと、グレゴールは慎重に封を切った。羊皮紙を広げ、その内容を目で追う。次第に、老宰相の顔色が変わっていく。
「……陛下、これは」
「私に見せて」
 セリーヌが書簡を受け取り、その文面を読み始めた。
『リオネール王国女王陛下へ。我が帝国は、貴国との友好関係を深く望むものである。ついては、両国の絆を強固にするため、帝国皇太子と貴女との婚姻を提案する。これは友好の証であり、互いの繁栄のための――』
 セリーヌの手が震えた。だが、それは恐怖ではなく、怒りによるものだ。
「婚姻だと?」
 彼女の声が低く響く。
「これは友好の申し出ではない。服従を求める最後通牒だ」
「その通りです」
 グレゴールが頷く。
「ヴァルディア帝国は、戦わずして王国を手に入れようとしている。もし陛下がこれを拒めば、それを口実に侵攻してくるでしょう」
 セリーヌは書簡を机に置き、窓の外を見つめた。夕陽が沈み、街に夜の帳が下り始めている。
「返答の期限は?」
「一ヶ月です」
「……時間がない」
 セリーヌは王冠に手をかけた。その重みが、いつも以上に彼女の頭を圧迫している。復讐の旅を終え、平和を築いたはずだった。だが、新たな脅威が、今まさに王国に迫ろうとしていた。
「明日、緊急評議会を招集する。全ての諸侯と軍幹部を集めよ」
「御意」
 グレゴールが退室すると、セリーヌは再び父の日記を手に取った。そのページには、こう記されている。
『平和とは、戦い取るものだ。そして、守り抜くものだ。決して、与えられるものではない』
 彼女は日記を閉じ、立ち上がった。窓から見える王都の灯火が、一つ、また一つと増えていく。民たちが安らかに眠れる夜を守るために、彼女は再び戦わなければならない。
 セリーヌは執務室の扉を開け、廊下に待機していたレオンに声をかけた。
「レオン、明日の朝一番で近衛騎士団を集合させろ。それと、北部国境の警備を二倍に増やせ。今すぐだ」
「了解しました」
 レオンが敬礼し、駆け出していく。その背中を見送りながら、セリーヌは拳を握りしめた。帝国からの書簡は、まだ机の上で不吉な影を落としている。
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