処刑された王女の帰還Ⅱ ―戦火に揺れる王国―

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第2章『国境の報せ』

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 翌朝、王宮の戦略会議室には、王国の主要な諸侯と軍幹部が集結していた。円卓の中央には、王国全土の地図が広げられている。北部国境付近には、赤い印が幾つも打たれていた。
 セリーヌが入室すると、全員が起立して敬礼した。彼女は静かに頷き、上座に着く。その両脇には、グレゴールとレオンが控えた。
「諸君、集まってくれて感謝する」
 セリーヌが口を開く。
「昨夜、ヴァルディア帝国から書簡が届いた。内容は婚姻の申し入れだが、実質的には服従の要求だ。そして今朝、北部国境から緊急の報告が入った。レオン、説明を」
 レオンが立ち上がり、地図を指し示した。
「北部国境沿いに、帝国軍の大部隊が集結しています。偵察隊の報告によれば、その数は少なくとも一万。重騎兵部隊と攻城兵器も確認されています」
 会議室が静まり返った。一万という数字は、現在の王国軍の北部駐留兵力の三倍に相当する。
「これは明らかな威嚇行動です」
 レオンが続ける。
「帝国は、婚姻の申し入れを断れば即座に侵攻する構えを見せている。おそらく、既に戦の準備は整っているはずです」
「なんと……」
 貴族たちがざわめく。その中で、一人の男が立ち上がった。王国軍総司令官、エドガー・フォン・アイゼンベルク将軍である。五十代の屈強な軍人で、白髪混じりの短髪と鋭い眼光が特徴だ。胸には数々の勲章が輝いている。
「女王陛下、私は即刻、動員令を発するべきだと考えます」
 エドガーの声は力強く、揺るぎない信念に満ちていた。
「帝国が我が国を侮り、このような脅迫を仕掛けてきた。ならば、我々も武力をもって応えるべきです。全軍を北部に展開し、迎撃態勢を整えます」
「待て、エドガー将軍」
 グレゴールが割って入る。
「戦となれば、莫大な犠牲が出る。我が国の国力は、未だ前王政時代の混乱から完全には回復していない。帝国との全面戦争など、避けるべきだ」
「では宰相は、このまま帝国に屈せよとおっしゃるのか」
 エドガーが睨みつける。
「婚姻を受け入れれば、我が国は帝国の属国となる。それこそが最悪の選択だ」
「私は屈服しろとは言っていない」
 グレゴールが冷静に返す。
「外交交渉の余地を探るべきだと申しているのだ。帝国との対話を重ね、戦を回避する方策を見出す。それが賢明な統治者のすることだ」
「対話? 帝国の皇帝が対話などに応じると思うのか」
 エドガーが鼻で笑った。
「あの男は征服欲の権化だ。言葉など通じぬ。通じるのは剣と盾のみ」
「エドガー将軍、言葉が過ぎる」
 別の貴族が諌めようとするが、エドガーは意に介さない。
「私は事実を述べているまでだ。女王陛下、どうか御決断を。我が国の軍は強い。帝国軍といえども、簡単には攻め落とせぬ。戦う準備はできております」
 セリーヌは黙って、彼らのやり取りを聞いていた。彼女の表情からは、何を考えているのか読み取れない。
「陛下」
 今度は、西部の領主、マーカス伯爵が発言した。温厚な性格で知られる中年の貴族だ。
「私はグレゴール宰相の意見に賛同いたします。戦となれば、我々の領地も戦火に巻き込まれる。民の命が失われ、畑は荒れ、家は焼かれる。それを避けるためにも、まずは外交努力を尽くすべきです」
「マーカス伯、貴殿は臆病風に吹かれたか」
 エドガーが侮蔑の眼差しを向ける。
「民を守るとは、敵から守ることだ。帝国の侵略を許せば、民はもっと悲惨な目に遭う。奴隷として連れ去られ、財産は略奪される。それでも戦わぬと言うのか」
「私は臆病なのではない、現実的なのだ」
 マーカスが反論する。
「将軍は軍人だから、戦うことしか考えられぬのだ。だが統治者は、戦以外の選択肢も考えねばならぬ」
 会議室の空気が険悪になっていく。諸侯たちは二つの陣営に分かれ、互いを睨み合った。エドガー率いる強硬派と、マーカスやグレゴールを中心とする穏健派。
 セリーヌは立ち上がり、両手を地図の上に置いた。
「静粛に」
 彼女の声が響くと、全員が口を閉ざした。
「諸君の意見は、どちらも一理ある。エドガー将軍の言う通り、我が国の独立と尊厳は守らねばならない。だがグレゴール宰相の言う通り、無用な戦は避けるべきだ」
 セリーヌは地図上の北部国境を指でなぞった。
「私は、まず帝国との対話を試みる。使節を派遣し、婚姻以外の友好関係の構築を提案する。だが同時に、軍の動員準備も進める。対話が決裂した場合、即座に応戦できる体制を整えよ」
「陛下、それは……」
 エドガーが言いかけたが、セリーヌは手を上げて制した。
「これは命令だ。エドガー将軍、貴官は北部軍の増強を。ただし、挑発的な行動は慎め。グレゴール、貴官は帝国への使節団を編成せよ。一週間以内に出発できるように」
「御意」
 二人が同時に頭を下げる。
「会議はこれで終わりだ。各自、持ち場に戻り任務に当たれ」
 諸侯たちが退出していく中、セリーヌは地図を見つめ続けていた。レオンが彼女の傍に寄る。
「陛下、本当にこれでよろしいのですか」
「わからない」
 セリーヌが正直に答える。
「だが、私は民を無駄に死なせたくない。かといって、国の誇りを捨てることもできない。その狭間で、最善の道を探るしかない」
「俺は陛下を信じています」
 レオンが静かに言った。
「どんな決断をされても、俺は陛下に従います」
「ありがとう、レオン」
 セリーヌが微笑む。だがその笑みは、すぐに消えた。
 その時、扉が勢いよく開いた。伝令兵が息を切らして駆け込んでくる。
「女王陛下、緊急報告です!」
「何事だ」
「北部国境の第三砦から伝令が。帝国軍が国境を越え、我が国の領土内に侵入しました!」
 会議室に緊張が走る。セリーヌの顔色が変わった。
「侵入だと? 戦闘は発生したのか」
「いえ、帝国軍は武器を収めたまま、国境線から五キロの地点で停止しています。我が軍との交戦は避けている模様です」
「何が目的だ……」
 セリーヌが呟く。
 レオンが地図上の位置を確認した。
「陛下、この地点は……国境の村、ノルトハイムの近くです」
「民間人がいる」
 セリーヌの表情が厳しくなる。
「帝国は、村を人質に取るつもりか」
「おそらく。これは明確な挑発行為です」
 グレゴールが苦い顔をした。
「対話の余地を潰しにかかっている。我々が使節を送る前に、既成事実を作ろうとしているのです」
「陛下、出撃の許可を」
 エドガーが勢い込んで言う。
「今すぐ北部軍を動かし、帝国軍を撃退します」
「待て」
 セリーヌが手を上げる。
「性急に動けば、村の民が巻き込まれる。まずは状況を正確に把握する必要がある」
「では、どうなさるおつもりですか」
「私自身が、北部へ向かう」
 その言葉に、全員が驚愕した。
「陛下、それは危険すぎます!」
 レオンが反対する。
「女王陛下が前線に出るなど、前代未聞です」
「だからこそ、意味がある」
 セリーヌがきっぱりと言う。
「私が現地で状況を見極め、直接判断を下す。それが最も確実だ。レオン、近衛騎士団を率いて同行せよ。グレゴール、私の不在中は宮廷を任せる」
「陛下……」
 グレゴールが心配そうな顔をするが、セリーヌの決意は固かった。
「準備を整えよ。一刻を争う」
 セリーヌは会議室を出て、自室へと急いだ。侍女たちが慌てて駆け寄ってくるが、彼女は手で制した。
「旅装を用意して。武装も」
「女王陛下、前線へ?」
「ああ。民が危機に瀕している時、玉座に座っているわけにはいかない」
 セリーヌは鎧を身につけ、腰に剣を帯びた。鏡に映る自分の姿は、かつて復讐の旅をしていた頃の戦士の顔だった。
 中庭では、近衛騎士団が既に集結していた。百名の精鋭騎士たちが、馬上で出発を待っている。レオンが先頭に立ち、セリーヌの馬を引いてきた。
「準備完了です、陛下」
「よし、出発する」
 セリーヌが馬に跨ると、近衛騎士団が一斉に敬礼した。彼女は手綱を握りしめ、正門へと駆け出す。
 宮廷の門が開かれ、騎士団が王都の街路を疾走していく。民たちが驚いて道を開け、女王の姿に手を振る者もいた。
 セリーヌは前を見据えた。北部国境まで、馬で三日の道のりだ。帝国軍が何を企んでいるのか、村の民は無事なのか。疑問は尽きないが、現地に着けば全てが明らかになる。
 彼女の胸には、父の言葉が響いていた。『平和とは、戦い取るものだ』。
 王都の門を抜け、街道へと出る。騎士団の馬蹄が大地を叩き、土煙が舞い上がった。
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