処刑された王女の帰還Ⅱ ―戦火に揺れる王国―

遊鷹太

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第11章『裏切りの烽火』

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 王都を出発して五日目、セリーヌ率いる本隊は東部国境に到着した。ここはザクセン公国との境界線で、険しい山岳地帯が続いている。
 野営地では、兵士たちがテントを設営し、食事の準備をしていた。焚き火の周りで、疲れた顔の兵士たちが腰を下ろしている。
「陛下、東部軍との合流が完了しました」
 レオンが報告に来る。
「総兵力は八千。ザクセン軍の動きは」
「国境の向こうで待機しています。兵力は推定一万」
「数で劣るか」
 セリーヌが地図を広げる。
「だが、この地形なら守りやすい。峠を押さえれば、敵の侵攻を食い止められる」
「ただし、陛下」
 東部軍の指揮官、オットー将軍が進み出た。五十代の歴戦の軍人で、顔には深い皺が刻まれている。
「この地域の領主、ヴェルナー男爵が不穏な動きをしています」
「ヴェルナー?」
 セリーヌが眉をひそめる。
「彼はデュランの後任として、北部から東部に転封された男だ。何か問題があるのか」
「補給物資の搬入が遅れています」
 オットーが説明する。
「それに、彼の領兵の士気が低い。まるで、戦う気がないように見えます」
「疑わしいな」
 レオンが言う。
「もしかすると、ヴェルナーも……」
「裏切り者の可能性か」
 セリーヌが考え込む。
「サイラスに調査させよう。だが今は、目の前の敵に集中する」
 その夜、セリーヌは司令部のテントで作戦会議を開いた。
「明朝、ザクセン軍が動く可能性が高い」
 オットーが地図を指す。
「彼らは三つの峠から同時に攻めてくるでしょう。我が軍は、それぞれの峠に部隊を配置して防衛します」
「中央の峠には、私が陣取る」
 セリーヌが言う。
「最も重要な地点だ。ここを突破されれば、王都への道が開かれる」
「陛下が最前線に?」
 オットーが心配そうに言う。
「危険すぎます」
「兵士たちの士気を高めるには、女王が先頭に立つしかない」
 セリーヌがきっぱりと言う。
「それに、私は戦える。復讐の旅で、それは証明した」
「……わかりました」
 オットーが頭を下げる。
 会議が終わり、各将校がテントを出ていく。セリーヌは一人、地図を見つめていた。
 その時、テントの入口が開いた。
「失礼します」
 ヴェルナー男爵が入ってくる。細身の体に派手な衣装を着た、三十代の貴族だ。
「ヴェルナー男爵、どうした」
「陛下に、直接お話ししたいことがあります」
 ヴェルナーの声は緊張していた。
「何だ」
「私は……私は、陛下に忠誠を誓います」
 ヴェルナーが突然、膝をついた。
「どんな噂があろうとも、私は決して裏切りません」
「噂?」
 セリーヌが問う。
「私が裏切り者だという噂です」
 ヴェルナーが苦しそうに言う。
「デュランの後任だからでしょう。皆が私を疑っています。ですが、私は違います」
「ならば、明日の戦いで証明してみせろ」
 セリーヌが言う。
「言葉ではなく、行動で示せ」
「……はい」
 ヴェルナーが立ち上がり、退出していった。
 だがセリーヌは、彼の背中を見送りながら、違和感を覚えていた。あの緊張は、本当に忠誠心からくるものなのか。それとも……
 夜が明けると、ザクセン軍が動き出した。角笛の音が山々に響き渡り、三つの峠に向かって兵士たちが進軍してくる。
「来たぞ」
 セリーヌが剣を抜く。
 中央の峠には、リオネール軍三千が陣取っていた。狭い山道を利用して、少数で多数を食い止める作戦だ。
「弓兵、準備!」
 セリーヌが命じる。
 ザクセン軍の先頭部隊が射程に入った。
「放て!」
 矢が一斉に放たれる。空を覆う矢の雨が、敵兵に降り注いだ。悲鳴が上がり、兵士たちが倒れる。
 だが、ザクセン軍は怯まない。盾を構えて前進を続ける。
「第二射!」
 再び矢が放たれる。それでも、敵は止まらない。
 ついに、両軍が激突した。剣と剣がぶつかり合い、血が飛び散る。セリーヌは最前線で剣を振るい、次々と敵を斬り倒していく。
「女王陛下が戦っているぞ!」
「我々も続け!」
 兵士たちが奮起し、必死に敵を押し返す。
 戦いは熾烈を極めた。だが、地の利を活かしたリオネール軍が優勢だった。狭い峠では、敵の数的優位が活かせない。
「よし、このまま押し切る」
 セリーヌが叫ぶ。
 その時、背後から叫び声が聞こえた。
「陛下、大変です!」
 伝令兵が血相を変えて駆け寄ってくる。
「北の峠が突破されました!」
「何?」
 セリーヌの顔色が変わる。
「オットー将軍の部隊はどうした」
「それが……ヴェルナー男爵の領兵が、突然寝返りました」
「まさか」
 セリーヌの予感が的中した。ヴェルナーは、やはり裏切り者だった。
「ヴェルナーの兵が味方を攻撃し、防衛線が崩壊しました。ザクセン軍が、我が軍の背後に回り込もうとしています」
「くそ」
 セリーヌが歯噛みする。
「レオン、近衛騎士団を率いて北の峠に向かえ。敵の侵入を食い止めろ」
「了解しました。ですが、陛下は」
「私はここを守る。早く行け」
 レオンが五十騎を率いて駆け出していく。
 セリーヌは再び前を向いた。ザクセン軍は、背後の混乱を察知したのか、攻撃を激化させている。
「踏ん張れ」
 セリーヌが兵士たちを鼓舞する。
「一歩も引くな」
 だが、状況は悪化していく一方だった。北の峠から流れてきたザクセン兵が、セリーヌの部隊を側面から攻撃し始めた。
「挟み撃ちだ」
「陛下、撤退を」
 オットーが叫ぶ。
「このままでは全滅します」
 セリーヌは決断を迫られた。ここで踏みとどまれば、全軍が壊滅する。だが、撤退すれば東部防衛線が崩壊し、王都への道が開かれる。
「……撤退する」
 セリーヌが苦渋の決断を下す。
「全軍、戦線を後退させろ。秩序を保って撤退せよ」
 角笛が撤退の合図を告げる。兵士たちが後方へと下がり始めた。
 だが、ザクセン軍は追撃してくる。撤退戦は、最も危険な戦闘だ。
「殿軍を組め」
 セリーヌが叫ぶ。
「私が殿を務める」
「陛下、それは」
「命令だ」
 セリーヌは百名の兵士と共に、峠に留まった。追撃してくるザクセン兵を迎え撃つためだ。
 敵が殺到してくる。セリーヌの剣が閃き、一人、また一人と敵を斬り倒す。だが、敵の数は多かった。
「陛下、もう限界です」
 兵士の一人が叫ぶ。
「撤退を」
「あと少しだ」
 セリーヌが答える。
「本隊が安全な距離まで下がるまで、ここを守る」
 その時、背後から蹄の音が聞こえた。レオンが戻ってきたのだ。
「陛下、お待たせしました」
 レオンが血まみれになって駆け寄る。
「北の峠は」
「何とか食い止めました。ヴェルナーは逃亡しましたが」
「よくやった」
 セリーヌが微笑む。
「では、撤退するぞ」
 二人は残存兵を率いて、峠を後にした。追撃してくるザクセン兵を、近衛騎士たちが必死に食い止める。
 ようやく安全な地点に到着した時、セリーヌの部隊は半数以下になっていた。
「損害報告を」
 セリーヌが息を切らせながら言う。
「戦死八百、負傷千二百、行方不明三百」
 オットーが報告する。
「ヴェルナーの裏切りで、二千五百の兵を失いました」
「二千五百……」
 セリーヌが呆然とする。
「私の判断が遅かった。ヴェルナーを信じすぎた」
「陛下の責任ではありません」
 レオンが言う。
「裏切り者が悪いのです」
「だが、結果として多くの兵が死んだ」
 セリーヌが拳を握りしめる。
「この責任は、私にある」
 野営地では、負傷兵のうめき声が響いていた。医療班が必死に治療しているが、薬も包帯も足りていない。
 セリーヌは一人一人の負傷兵を見舞った。手を握り、労いの言葉をかける。
「済まない」
 セリーヌが若い兵士に言う。
「私の判断ミスで、お前たちを危険に晒した」
「いえ、陛下」
 兵士が苦しそうに微笑む。
「陛下は、最後まで我々と共に戦ってくれました。それだけで、十分です」
 その言葉が、セリーヌの胸に突き刺さる。
 その夜、司令部のテントで緊急会議が開かれた。
「東部防衛線は崩壊しました」
 オットーが地図を示す。
「ザクセン軍は、既に国境を越えて我が国に侵入しています」
「北部と西部の状況は」
「北部はエドガー将軍が持ちこたえています。西部は……」
 オットーが言葉を濁す。
「西部からも悪い報せが届きました。ブルグント軍が大規模な攻勢を仕掛けています」
「四面楚歌だな」
 セリーヌが呟く。
「ノルディア軍とアルカディア傭兵の到着は」
「ノルディア軍はあと三日。アルカディア傭兵は港に到着しましたが、契約金の追加支払いを要求しています」
「追加だと?」
「戦況が予想以上に厳しいため、危険手当が必要だと」
 セリーヌは頭を抱えた。金がない。王国の財政は既に限界に達している。
「どうすれば……」
 その時、テントの外から騒ぎが聞こえた。
「何事だ」
 レオンが外に出て、すぐに戻ってきた。
「陛下、王都から緊急の伝令が」
「何だ」
「帝国軍の本隊三万が、北部に向かって進軍を開始しました」
 会議室が凍りついた。
「三万だと……」
 オットーが青ざめる。
「エドガー将軍の部隊だけでは、到底持ちこたえられません」
「王都が落ちる」
 誰かが呟く。
 セリーヌは立ち上がった。
「本隊を王都に戻す」
「ですが、陛下。ここを放棄すれば、東部全域が敵の手に」
「王都が落ちれば、全てが終わる」
 セリーヌがきっぱりと言う。
「まず王都を守る。それから反撃だ」
「了解しました」
 全員が頭を下げる。
 セリーヌは
テントを出て、夜空を見上げた。満天の星が輝いているが、その光も今の彼女には虚しく感じられる。
「陛下」
 レオンが傍に来る。
「大丈夫ですか」
「大丈夫なわけがない」
 セリーヌが正直に答える。
「全てが崩れ去っていく。私の判断ミスで、多くの兵が死んだ。そして今、王国そのものが滅亡の危機に瀕している」
「陛下は、最善を尽くしています」
「最善では足りない」
 セリーヌが拳を握りしめる。
「私には、もっと力が必要だ。もっと知恵が、もっと運が」
「陛下」
 レオンがセリーヌの肩に手を置く。
「俺たちは、陛下を信じています。どんな困難があろうとも、陛下についていきます」
「……ありがとう」
 セリーヌが小さく微笑む。
 翌朝、残存兵を率いて王都へ向かう準備が整った。六千の兵士が、疲弊しながらも隊列を組んでいる。
「出発する」
 セリーヌが馬に跨る。
 軍が動き出す中、遠くから黒煙が上がっているのが見えた。村が焼かれているのだ。ザクセン軍による略奪が始まっている。
 セリーヌは歯を食いしばり、前を見据えた。必ず戻ってくる。そして、奪われた土地を取り戻す。
 それまで、王都を守り抜く。
 軍は街道を急いだ。時間との戦いだった。
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