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そこにある闇の先 2/5
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一同は回廊へと移った。円形の回廊にはいくつかの大階段に繋がっており、それを上って観客席に出る。幽々とした回廊から一転して、観客席には眩い日光が降り注いでいた。
「わぁ」
広大な剣闘場。ひとときは異臭を忘れて、シルキィは感嘆の声を漏らした。
「紛れもなく、レイヴンが戦っていた場所です。初めて剣闘に出場した時。集団戦で最後の一人になった時。不敗のシャラタナと死闘を繰り広げた時。邪悪なコーリー夫人に謀られた時の処刑場も、ここだった」
有力者の不興を買ったレイヴンは、ぼろ布の腰巻だけを身に着けて、完全装備をした十人の処刑人と丸腰で戦わされた。往々にして、規律を犯した奴隷剣闘士の末路であった。
イライザは、砂敷きの闘技場をじっと見つめている。
そんなイライザが、ティアには不思議でならなかった。
「まるで、実際に見てきたように仰るのですね」
「私の家に古い日記が並んでいるのを見ましたか? あれには、当時のレイヴンの活躍が全部書かれているんです」
シルキィは彼女の書斎にある本棚を思い出した。並んだ古い背表紙。もしかしたらあれがそうなのかもしれない。読ませてはもらえないだろう。あの日記を紐解くのは、イライザだけの特権に思えた。それと同時に、シルキィには一つの憶測が生まれた。そんな日記が家にあるということは。
「ねぇイライザ。もしかしてあなたって、レイヴンの子孫なの?」
その問いに答えはない。彼女はただじっと、シルキィと目を合わすばかりである。
イライザが口を開きかけた時、建物の外から心地よい鐘の旋律が聞こえてきた。開場を知らせる響きである。すぐにでも観客席は満員になるだろう。
「行きましょう」
答えを口にすることなく、イライザは回廊へと踵を返す。
「あ……」
シルキィは少し残念な思いをしたが、あえて聞き直すほどの勇気は出ない。
イライザに導かれて、シルキィはさらに闘技場の奥へと進む。そこに松明はなく、常備されたカンテラに火を点けて進むしかなかった。
「けっこう暗いわね」
「お嬢様、足下にお気を付けください」
暗闇を進んだ先の、とある壁の一角に、小さな鉄の扉がぽつりと現れた。壁の劣化具合に比して真新しい扉である。最近になって造られたもののようだ。
「この先は地下になっています」
イライザは懐からカギを取り出しながら、
「分かりますか?」
鍵穴を回して、シルキィとティアを見た。
主幹闘技場の地下。質問の答えには心当たりがあった。
「もしかして、新刊の最後でレイヴンが通ったところ?」
首肯するイライザ。
「理不尽な処刑の場で、レイヴンは十人の処刑人を真っ向から打ち倒した。激昂した夫人が差し向けた私兵から逃れるために、レイヴンが実際に使った脱出路」
耳障りな軋みを鳴らして、扉は開かれる。
「それがここ、というわけですか。レイヴンを地下通路に導いたのは、エリーゼでしたね」
普段淡々としているティアも、今ばかりは興味をそそられているようだ。
先日発刊されたばかりの新刊のクライマックスが、ここを通っての脱出劇である。今後この場所が、ファンの中では名所中の名所となることは想像に難くない。
シルキィの瞳には、忽然と期待の光が灯った。今まさに物語の最先端を辿っているのだ。彼女の中で、物語の展開と眼前の光景が重なっていく。
扉の先には下り階段が続いていた。地下通路は大人二人すれ違うのがやっとの幅で、天井には手が届く。小説の通りだ。
最初こそ物珍しく石の壁や天井を眺めていたシルキィであったが、行けども行けども景色は変わらず、今どこにいるのかもわからなくなっていた。
「ここってどれくらいの長さなの? 小説の通りなら、街の外に繋がってるのよね?」
「そう。徒歩なら大体一時間。レイヴンは十分余りで走り抜けました」
「描写の通り健脚なのですね。常人ではとても真似できません」
ティアが感心するように言った。
シルキィにはいまいちその凄さが理解できない。それより彼女にとって問題なのは自身の体力の方である。後ろを振り返れば、暗闇しか見えない。進む先も同様である。頼りないカンテラだけが周囲のごく小さな範囲を照らしていた。
「お嬢様、剣をお持ちしましょうか?」
お守りの剣を重そうに背負い直したシルキィを見かねて、ティアが言う。
「ありがとうティア。けど大丈夫。これは、私が持ってなくちゃ」
姉のように慕うティアにも安易には預けない。彼女はこの剣にそれほどの思い入れを抱いていた。
「この際だから、出口まで行っちゃいましょうか」
気合を入れて、シルキィは力強く歩みを進めるのであった。
しかし、その歩みも次第に緩慢になってくる。しばらくは会話もなく歩き詰めだ。それも仕方ないと言える。
「わぁ」
広大な剣闘場。ひとときは異臭を忘れて、シルキィは感嘆の声を漏らした。
「紛れもなく、レイヴンが戦っていた場所です。初めて剣闘に出場した時。集団戦で最後の一人になった時。不敗のシャラタナと死闘を繰り広げた時。邪悪なコーリー夫人に謀られた時の処刑場も、ここだった」
有力者の不興を買ったレイヴンは、ぼろ布の腰巻だけを身に着けて、完全装備をした十人の処刑人と丸腰で戦わされた。往々にして、規律を犯した奴隷剣闘士の末路であった。
イライザは、砂敷きの闘技場をじっと見つめている。
そんなイライザが、ティアには不思議でならなかった。
「まるで、実際に見てきたように仰るのですね」
「私の家に古い日記が並んでいるのを見ましたか? あれには、当時のレイヴンの活躍が全部書かれているんです」
シルキィは彼女の書斎にある本棚を思い出した。並んだ古い背表紙。もしかしたらあれがそうなのかもしれない。読ませてはもらえないだろう。あの日記を紐解くのは、イライザだけの特権に思えた。それと同時に、シルキィには一つの憶測が生まれた。そんな日記が家にあるということは。
「ねぇイライザ。もしかしてあなたって、レイヴンの子孫なの?」
その問いに答えはない。彼女はただじっと、シルキィと目を合わすばかりである。
イライザが口を開きかけた時、建物の外から心地よい鐘の旋律が聞こえてきた。開場を知らせる響きである。すぐにでも観客席は満員になるだろう。
「行きましょう」
答えを口にすることなく、イライザは回廊へと踵を返す。
「あ……」
シルキィは少し残念な思いをしたが、あえて聞き直すほどの勇気は出ない。
イライザに導かれて、シルキィはさらに闘技場の奥へと進む。そこに松明はなく、常備されたカンテラに火を点けて進むしかなかった。
「けっこう暗いわね」
「お嬢様、足下にお気を付けください」
暗闇を進んだ先の、とある壁の一角に、小さな鉄の扉がぽつりと現れた。壁の劣化具合に比して真新しい扉である。最近になって造られたもののようだ。
「この先は地下になっています」
イライザは懐からカギを取り出しながら、
「分かりますか?」
鍵穴を回して、シルキィとティアを見た。
主幹闘技場の地下。質問の答えには心当たりがあった。
「もしかして、新刊の最後でレイヴンが通ったところ?」
首肯するイライザ。
「理不尽な処刑の場で、レイヴンは十人の処刑人を真っ向から打ち倒した。激昂した夫人が差し向けた私兵から逃れるために、レイヴンが実際に使った脱出路」
耳障りな軋みを鳴らして、扉は開かれる。
「それがここ、というわけですか。レイヴンを地下通路に導いたのは、エリーゼでしたね」
普段淡々としているティアも、今ばかりは興味をそそられているようだ。
先日発刊されたばかりの新刊のクライマックスが、ここを通っての脱出劇である。今後この場所が、ファンの中では名所中の名所となることは想像に難くない。
シルキィの瞳には、忽然と期待の光が灯った。今まさに物語の最先端を辿っているのだ。彼女の中で、物語の展開と眼前の光景が重なっていく。
扉の先には下り階段が続いていた。地下通路は大人二人すれ違うのがやっとの幅で、天井には手が届く。小説の通りだ。
最初こそ物珍しく石の壁や天井を眺めていたシルキィであったが、行けども行けども景色は変わらず、今どこにいるのかもわからなくなっていた。
「ここってどれくらいの長さなの? 小説の通りなら、街の外に繋がってるのよね?」
「そう。徒歩なら大体一時間。レイヴンは十分余りで走り抜けました」
「描写の通り健脚なのですね。常人ではとても真似できません」
ティアが感心するように言った。
シルキィにはいまいちその凄さが理解できない。それより彼女にとって問題なのは自身の体力の方である。後ろを振り返れば、暗闇しか見えない。進む先も同様である。頼りないカンテラだけが周囲のごく小さな範囲を照らしていた。
「お嬢様、剣をお持ちしましょうか?」
お守りの剣を重そうに背負い直したシルキィを見かねて、ティアが言う。
「ありがとうティア。けど大丈夫。これは、私が持ってなくちゃ」
姉のように慕うティアにも安易には預けない。彼女はこの剣にそれほどの思い入れを抱いていた。
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