アルゴノートのおんがえし

朝食ダンゴ

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エピローグ

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 ダプアの大浴場。
 貴人客専用である個室の露天風呂で、セスは澄んだ星空を見上げていた。

 どうしてこうなったのだろう。
 なんとも信じがたいことに、すぐ隣にはシルキィが浴槽を同じくしていた。顔が真っ赤に染まっているのは湯船のせいではないだろう。夜空の下で一糸纏わぬ姿を晒している。
 会話はない。ちらりと横目を向けると、同じく俯き加減にこちらを見ていたシルキィと目が合ってしまう。二人は同時に逆の方向を向いた。

「えっと、お嬢? あの、どうして急に風呂なんか」

 ダプアに戻ってきてから数日間、シルキィは比較的大人しかったように思う。誘拐がトラウマになったのかもしれないと気に懸けたセスは、しきりに彼女に話しかけていたが、如何せん返事は芳しくなかった。だが、以前まで前面に出ていた険は取れたことには素直に喜んでいた。
 とある夜、シルキィは個室での入浴を希望した。
 そしてあろうことか。護衛なのだから一緒に入れとセスに申し付けたのである。開いた口が塞がらなかった。

「だって……こうでもしないと、みんなにどんどん差をつけられちゃうし」

 膝を抱えたシルキィは、細い顎を湯船につけてぼそぼそと小声を発する。
 何の差だろうか。セスにはいまいちピンとこない。

「イライザは昔の恋人でしょう? それに、ティアまで欲しがってるらしいじゃない」

 セスの周りに戸惑いの波紋が広がった。

「いやあれは、言葉の綾というか。そういうやましい意味じゃなくて」

 その否定に、シルキィはゆっくりと首を振る。

「いいの。英雄は好色だって言うし。私だって貴族の娘だもの。力のある男はたくさんの女を囲うってことくらい、ちゃんとわかってるわ」

 こう言われて、ようやくセスも理解する。シルキィは女としての自分をアピールしようとしているのだ。大胆な発想にしては、あまりにも拙い誘惑である。現にシルキィは膝を抱えて縮こまったままこちらを見ようともしない。入浴に誘ったのはいいものの、肝心なところで動けなくなっていた。

「私だって負けたくないもの。は、裸の付き合いだったら、私も素直になってちゃんと話ができると思ったし」

「そんなことしなくても、この旅で少しは分かりあえたと思うけど」

「少しじゃダメなの!」

 シルキィはだしぬけに立ち上がった。飛沫が散り、蒸気の中でシルキィの優麗な白い肢体が露わになる。
 未成熟な曲線美に目を奪われて、セスは口を半開きにしたまま固まってしまう。その無遠慮な視線に気付いて我に返ったシルキィは、

「見るなバカ!」

 セスの間抜けな顔にお湯をぶっかけた。赤くなった顔で湯船に戻ると、また体を丸めて縮こまってしまう。彼女の吐く息が泡となって音を立てた。
 セスは顔を拭う。シルキィの想いを知ると、急に彼女が愛おしく思えてきて、勝手に表情が緩む。その顔を見られたくないセスは、あえてシルキィに背中を向けた。
 その行為は、シルキィに安堵と不満の両方を与える。恥ずかしいから見て欲しくないという気持ちと、自分の裸体に興味を持って欲しいという想いの葛藤であった。

「ほんとにむこう向いちゃうんだ」

 拗ねた小声を後頭部に受けて、セスは苦笑した。もちろんこの目に収めたいのは山々である。そうでなかったら、地にしがみ付いてでもこの混浴を拒否しただろう。お互い、嫁入り前の娘が肌を晒す意味を知らないわけでもあるまい。

「お嬢。俺は命の恩に報いたい一心で生きてきた。君を手籠めにする気も、自分のものにしたいなんて下心もない」

「……私は、ただの恩人なの? やっぱり私には、女としての魅力がない?」

「お嬢はすごく魅力的だよ」

「だったらどうして」

 セスはしばし言葉に詰まった。シルキィから向けられる恋心はこの上なく嬉しい。心は舞い踊っている。けれど。

「俺はきっと、君を不幸にする」

 まず身分が違う。辺境伯令嬢と一介のアルゴノートでは、雲泥の差がある。
 セスの抱える過去は、近い未来において必ず災いの因となろう。
 グランタリアの組合での一件もある。これからアルゴノートを続けられるのかも分からない。帝国に留まれるかどうかの確証も持てないのだ。
 生まれながらに背負った宿命は、怒涛の如くセスを責め立てるに違いない。
 そんな人生に、どうして大切な人を巻き込めようか。

「セス。あなたって」

 控えめな水音が、何度か重なった。

「自分以外にはとっても甘いのね」

 セスの肩に、温まった小さな両手が乗せられた。

「私はティアのようには戦えないし、イライザみたいな勇気もない」

 背中にシルキィの視線を感じる。セスの背中は古傷だらけだ。シルキィの魔法をもってしても、深く刻まれた傷痕は消えなかった。

「でもねセス。もう、決めたの」

 シルキィはその傷跡の一つ一つを、愛おしそうに撫でていく。これは勲章なのだ。襲い来る試練に立ち向かい、その悉くを乗り越えた。いわば勝利の証なのだ。

「何があっても、あなたの隣にいる。あなたにふさわしい女になる」

 それはシルキィの願いであり、誓いであった。
 彼女はセスの信条をよく知っている。何度も何度も読み返したレイヴンズストーリーの中で、彼は幾度となく口にしていた。

「勝利は幸、敗北は不幸」

 シルキィはセスを抱きしめる。細い腕がセスの首を包み、背中に彼女の柔らかさが密着した。

「覚悟しなさい。どんなに頑張っても絶対に不幸にできないくらい、強い女になってやるんだから」

 それは神に捧げる祈りのようにも、恋人に囁く睦言のようにも聞こえた。
 セスはシルキィの手を握る。自分の武骨な手に比べてなんと華奢なことか。この小さな手が、二度もセスの命を救ったのだ。

「どうやらお嬢は、俺の恩返しにまだ満足していないご様子だ」

「とうぜん」

 シルキィは嬉しさを隠そうともせず、率直な心で笑っていた。

「護衛の依頼はただの契約でしょう? そんなの恩返しにはならないわ。私の恩に報いたいのなら、相応のはたらきをしなさい」

 いつか組合で聞いた彼女の声を思い出す。

「あなたの背負っているものの、せめて半分は分けてもらわないとね」

 喜色に富んだ声につられて、セスの顔にも笑みが零れた。

「それでこそお嬢だ」

 容赦なくのしかかるこの重みを分かち合うことが報恩になるのなら、恥を忍んで差し出そう。彼女を心の頼りとしよう。
 セスはほんの少しだけ、背後の小さな少女に体重を預けてみる。
 シルキィは嬉しそうに、セスの体を抱きしめた。
 格好のつかない男だ。

 けれど、それでいい。
 アシュテネのローウェンとしてではなく。
 剣闘士レイヴンとしてでもなく。
 これからはただのセスとして、彼女のために生きていこう。

「あっ。ねぇ見てあれ!」

 夜空に、色とりどりの炎の筋が飛び上がっていた。魔法によって生み出されたいくつもの炎は、整然と並んで威勢よく天まで伸びていく。

「きれい」

 炎が放つ色味豊かな光彩は、あたかも天に架かる虹のようであった。

「そっか、前夜祭。明日はお祭りだもんね」

 二人はしっかりと身を寄せ合ったまま、幾度も放たれる祝いの炎を眺めていた。
 まもなくこの旅は、終わりを迎える。
 そして、新しい物語が始まるのだろう。

「ありがとう。シルキィ」

 ここから紡がれる未来の物語こそ。
 アルゴノートのおんがえしなのだ。
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