真夏に咲いた恋の花

朝食ダンゴ

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生徒会室は食堂じゃない

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 二限目の授業が終わったところで、隣席の友人が俺の肩を叩いた。

「誠、お客さんが来てますが」

 友人が指す廊下を見ると、腕を組んで仁王立ちする派手な髪形の女子が一人。生徒会書記の綾小路だった。

「あいよ、サンキュ」

 礼を言いつつ、俺の表情は勃然としている。たった十分しかない貴重な休み時間に何の用だ。秒にすれば六百しかないんだぞ。廊下に出ると、同級生の書記は大仰な所作で長い金髪を掻きあげる。

「何の用だ」

「随分な挨拶ですわね」

「俺なりの労いだよ」

 綾小路は肩をすくめる。

「まあ……よろしいですわ」

「そうか、じゃあな」

 教室に戻ろうとした俺の襟首が掴まれた。

「離せ」

「まだ用件を申していません」

「なら早く申せよ」

 クラスメイト達の笑い声が聞こえる。俺達に向けられたものであるのは間違いない。嘲笑ならまだいい。が、微笑ましいものを見るような笑いであることには釈然としない。

「本日の昼休みに校内のパトロールを行いたいのですが、許可を出して頂けますこと?」

「おいお前、そんな用のために俺を呼び出したのか」

「そうですが」

 襟を掴んだままさらりと言う綾小路。

「勝手にやってろ。俺の許可なんか必要ないだろ」

「そう仰るのであれば、そうさせて頂きます。それでは、ごめんあそばせ」

 手を離して去っていく綾小路。なーにがごめんあそばせだ。

「好かれていますね、生徒会長」

 いつの間にか教室の扉に背を預ける友人がそう言った。

「どこをどう見ればそう見えるのか」

「どこをどう見ても、そう見えますよ」

「そいつは議論の余地がありそうだな」

 眼鏡のブリッジを押さえる友人の含み笑いを聞きつつ、俺は綾小路の背中を一瞥した。輝くような金髪がよく映える。感想はそれだけだ。




 生徒会室の扉を開くと、逆さになった明日香の微笑みがあった。

「ふふ、おかえり」

 思わず仰け反った俺に満足したのか、明日香は口を押さえて嬉しそうに笑う。

「びっくりした?」

 時計の針のようにくるりと反回転する明日香。
 肯定するのは癪だな。
 俺は生徒会室に入り、施錠する。他意は無い。

「なんだ、ようやく幽霊としての自覚が出来てきたのか?」

「べっつにぃ」

 明日香は部屋の中をくるくると飛び回ると、パソコンの隣に位置取った。執筆作業の始まりである。
 いつものように明日香の言葉を文章にしていく。毎回思うのは、スラスラと言葉を口する明日香への賞賛である。今考えているにしても、以前考えたもの記憶しているにしても、並の頭では出来ないことだと思う。もし記憶しているのだとしたら、いつ考えているのだろうか。
 十分ほど経った頃、俺の腹が悲鳴をあげた。デスクに置いたままの弁当箱が気になる。

「休憩、する?」

「ああ」

 原稿の保存を忘れずに。俺は席を移動して弁当箱を開く。母の作った手抜き弁当だが、作ってくれるだけありがたいと思わなくもない。

「おいしい?」

 明日香がじっと見つめてくる。食事しているところを凝視されるのは、なかなかどうして居心地の悪いものだ。

「ふつうだ」

「へぇ」

 そういえば明日香の小説の中で、女の子が好きな男に弁当を作ってくるという状況があった。創作物ではありがちなシチュエーションだが、現実では目にしたことがない。もっとも、校内恋愛禁止の我が校でそんな事をする肝の据わった奴はいないだろうが。

「誠ってさぁ、いつも思うけど、随分と小食なんだねぇ」

 俺の小さな弁当箱を見た明日香の言葉である。必要ないかもしれないが一つ申し開きしておこう。

「弁当箱がこれしかないからな」

 小鳥のように首を傾げる明日香。

「新調してねぇってこと。小学生の頃からこの弁当箱なんだよ」

「小学生の頃って……給食じゃないの?」

「俺の通ったところは違ったんだ」

 それが理由というわけでもないが、ほんの少し給食というものに憧れがあったりする。

「つーわけで、いつもは購買でパン買って腹の足しにしてるんだよ」

「そっかー。私が生きてたらお弁当作ってきてあげるのにー」

「死人が何言っても無駄だな」

「ちぇ」

 ものの数分で完食し、俺は弁当箱を片づける。
 ちょうどそのタイミングで、ノックの音が響いた。俺は明日香と顔を見合わせる。
 昼休みにここを訪れる酔狂な人間は俺くらいのものだと思っていただけに、珍しい来客にこころなしか緊張する。

「誰だ?」

「私ですわ、会長」

 扉の向こうから聞こえてきたのは綾小路の声だった。なるほど、こいつなら昼休みに生徒会室を訪れてもなんらおかしいことはない。しかし、パトロールじゃなかったのか。
 明日香は笑みながら頷く。入れてもいいってことかい。
 鍵を開け、綾小路を招き入れた。彼女の相棒である会計が見えないことに、俺はこころなしか違和感を覚える。

「一人か?」

「ええ。怜なら教室に帰りました」

「パトロールはどうなった?」

「あら」

 綾小路は皮肉っぽい表情で目を細め、

「意外ですわね。今朝の様子からして、あまり興味を持たれてなさそうでしたのに」

「役員達の職務を把握しておくのは会長の責務だろ。不本意ながら」

「仰る通りですわ」

 言ってから、思い出したように額を押さえて溜息を吐く綾小路。何かあったか?

「一つだけ言わせて頂きますと」

 睨みつけるように俺を見据え、

「会長のご友人が、またもや校内で不埒な行為を働いておられましたが、これは一体どういうことでしょうか」

「不埒とな」

「はい。それはもう」

 俺は会長席に腰を落とす。

「ねぇ誠。具体的な内容を聞いてよ」

 隣で何か言う明日香はもちろん無視する。
 聞かなくとも、おおよその予想はつくしな。

「これは前にも言ったし、あいつからも言われた事だと思うが。あいつらは別に付き合っているわけじゃあねぇぞ」

「しかし、それはそれで問題では」

「何が問題なもんか。お前の言う不埒な行為ってのも、どうせ肩を寄せ合ってたとかそんなんだろ? これっぽっちの色気もねぇよ」

「色気の有無を問題にしているのではありませんわ」

 綾小路は語気を強めて言う。

「だとしても、他の生徒に影響を与えていないのならそこまで固執するのもどうかと思うね。あいつらも一応は弁えているだろうよ。たぶん」

 綾小路は難しい顔のまま、書記の席に腰を落ち着ける。ぴんと背筋の伸びた姿勢は、隠しきれない品を感じさせる。大人びた美貌とスタイルは我が校屈指である。もう少し性格が丸ければ、男子からの人気もあっただろうに。今でもあるのか? そういう噂は聞かないが。

「解りましたわ。会長がそう仰るのなら……なんですの? じろじろと」

「おっぱいを見てたんだよ」

 と、明日香が答えた。どうせ聞こえてないぞ。
 天井を背中で擦るように移動する明日香。まことに幽霊っぽい動きである。そのまま綾小路の背後に回り、その白い首に腕を回す。
 肩に微笑む幽霊を載せながら、憮然として俺を見る綾小路。滑稽な眺めだ。

「そういえば、他にもあるんだっけか?」

「ええ。資料をお持ちしますか?」

「いや、口頭でいい」

 立ち上がりかけた綾小路が再び腰を落とす。その際に綾小路のボディを貫通した明日香に特に感慨は無い。
 一年生の女子に二人ほど不穏な分子がいるとかいう話を耳に入れつつ、俺は適当に相槌を打つ。休日に尾行してまでしているという話を聞いた時には流石にどうかと思ったが。まあ、生徒会の職務に熱心なのはいいことだ。俺も常々助けられている。しかし、生徒も人間である以上、度の過ぎた行為はどうかとも思う。綾小路の話を一通り聞き終えた後、俺はなんとはなしに思ったことを口にした。

「お前さぁ、どうしてそう厳しいんだ?」

 僅かに眉を寄せる綾小路。

「と、仰いますと?」

「校内恋愛の取り締まりだよ。職務に熱心なのは感心するが、お前の場合一周回って狂気すら感じるぜ」

「これは異なことを。私が規律を重んじる性分なのは、既にご存じかと思っておりましたが」

「ああご存じだよ」

 俺はついていた頬杖を外す。

「だからかな。なおさら校内恋愛に対して特段に厳しいんじゃないかと感じるんだよ」

 綾小路はすっと目を逸らした。その様子を至近距離から眺める明日香が、小さく一笑する。何の笑いだ。
 しばらく視線を彷徨わせた後、吐息と共に腕を組む綾小路。

「これは私見ですが」

 凛とした碧眼を俺に向け、

「同じ学び舎に恋人がいては、勉学への大きな妨げになりますわ。手の届く距離に親密な関係の異性がいるのです。風紀の乱れにも直結するでしょう」

 まあ、そうかもしれん。

「なーんか、割と大胆な発言してるよねぇ」

 明日香が俺の心を代弁してくれた。

「お前の言わんとすることは、まぁ解らんでもない。だが思春期真っ只中の高校生に対して、過度に恋愛を抑圧することは逆に悪影響がある、とも思わないか?」

「私もうら若き乙女ですので、そのお考えは理解できます」

 予想外の答えが返ってきた。こいつのことだから、俺の意見など一蹴してしまうと思っていたのに。
 綾小路のことを高飛車でお堅いお嬢様だと思っているのはきっと俺だけではないだろう。やたら目立つ容姿と、教師よりも厳しい取り締まりのせいで――生徒会長の俺を差し置いて――我が校一番の有名人である。そんなコイツが、まさか自分をうら若き乙女と表現するとは。
 何年存在してるか解らない女子高生幽霊も、この発言にはびっくりしているようだった。

「ですから過度な抑圧はしていないでしょう。取り締まりはちゃんと校内に限っておりますわ」

 見解の相違かな。俺には過度だと思えるが。
 綾小路は何を思ったか、鞄から弁当箱を取り出した。高そうな赤い巾着に比べて、弁当箱はえらくシンプルなものだった。

「なんだ、まだ食ってなかったのか」

「ええ。会長は?」

「もう食ったよ」

「いつもの小さなお弁当ですか?」

「そうだが」

「いい加減、買い替えられたらいかがです?」

「ほっとけ」

 箸に手をつける綾小路。俺はテーブルマナーには詳しくないが、こいつの食べ方は礼儀に則っているのだろう。小口でしっかり咀嚼する。時間のかかる食べ方だな。

「ねぇ誠」

 明日香がデスクから頭を突き出した。生首のオブジェにしか見えない。初めてこれをされた時、俺は柄にもなく叫んじまった。今では見慣れたものである。

「綾小路ちゃんの恋愛遍歴について知りたいんだけど」

 ああそうかい。勝手に調べてろ。

「聞いてほしいな」

 やだよ。変な勘ぐりされそうだろうが。

「おねがい。取材だと思って。このとーり」

 生首の横から白い腕が生えてきて、両手を合わせた。グロテスクにも程がある。
 まったくもって気が乗らない。どうして俺が綾小路の恋愛遍歴を尋ねないとならないんだ。そもそも教えてくれるはずもない。俺だって自分の恋愛遍歴を他人に教えるのには抵抗がある。

「大丈夫だいじょーぶ、いけるって。さっきの話の延長線上ってことにすればいいじゃない」

 綾小路は背筋をぴんと伸ばしたまま箸と口を動かしている。
 仕方ない。死人に何を言っても無駄だ。溜息を吐いておく。しぶしぶ聞いてやる、ということは強調しておかなければならない。
 咳払いを一つ。

「あー……綾小路よ。さっきの話の続きになるんだが」

 俺を見て、ひとしきり咀嚼した後にお茶と共にゆっくりと飲み込んで、

「なんですか?」

 俺が前置きしてから二十秒後くらい経ってからそう言った。
 俺は右側の書記席に座る綾小路を直視できず。

「お前自身は、その、どうなんだ。恋愛に関して」

 ああ、言いにくい。視界の端で、長い金髪が揺れた。
 何か言ってくれよ。間が持たない。

「どうして、そのようなことを?」

「いや、まあ別に。ただの世間話だ」

 そう言う俺はそっぽを向いている。ああくそ、どうして俺がこんな思いをしなけりゃ。生首のままいやらしい笑みを浮かべる明日香が無性に腹立たしい。

「答える義理はございませんわ」

 つんと言い放つ。そりゃそうだ。
 教えてくれないならそれでいい。この話題は早く終わって、こいつからは聞き出せないと言うことにしてしまいたい。そうなれば、明日香もこれ以上粘らないだろう。
 と思った矢先、

「か、会長がどうしてもと仰るのなら、教えて差し上げてもよろしくてよ?」

 綾小路が震える声でそう言った。

「へ?」

 その一文字には多くの想いが込められている。いや無理して教えてくれなくてもいいよ。なぜわざわざ話を引き延ばそうとする。要らんこと言うな。つーか早く昼休み終わってくれ。
 思わず視線を向けた俺が見たのは、紅潮した綾小路の顔だった。整った唇を真一文字に結んで、目線は斜め下。

「ちゃーっんす! こいつは逃せないチャンスだぁっ」

 生首うるせぇ。

「ほら、教えてくれるってさ。さっさと聞くべき! そうすべき!」

 はいはい、解ったよ。

「じゃあ、教えてくれ」

 綾小路が恥ずかしがっているのが解れば、こちらも余裕が出てくる。いつもとは違う下がった眉。窺うようにちらりと俺を見ては、目が合った途端また視線を外す。そんなことが何度かあって、綾小路はやっと口を開いた。

「私は――」

 と、また言葉が途切れる。ああ、こういう綾小路も新鮮である。こいつのこういう表情を見ていると、確かにお堅いお嬢様には見えない。うら若き乙女だと言うことも、なるほど、確かに納得できる。
 何か言いだそうと口を開いては、閉じる。開いて、閉じる。
 いや、そこまで無理して言う必要はないぞ。誰だって自分の恋愛遍歴を披露するのは恥ずかしいだろう。俺がそうフォローを入れようとすると。
 綾小路は深呼吸をして、意を決したかのように俺を見る。

「やっぱり言いたくありませんわ」

「っておい!」

 明日香がツっコんだ。

「なんでなんで! いまの完全に言う流れだったのにぃ」

 言いたくないものは仕方がないのさ。
 気の抜けた溜息を漏らす綾小路。疲れたみたいだ。

「なんだか食欲がなくなりました」

 そいつは申し訳ないことをした。謝らないけどな。
 しかし、まだ半分以上も残っている弁当を残すとは。実にもったいない。

「そのような物欲しそうな顔をして、どうなされたのです?」

「なぬ?」

 失礼な。人を物乞いみたいに言うんじゃない。
 本音を言えば、おすそ分けして頂きたいが。いや、人の食べ残しに口をつけるなんて卑しい真似はよそう。俺にも人としての尊厳があるのだ。
 弁当箱の蓋を閉めようとする姿勢のまま、綾小路は思案するように固まっている。やがて巾着の中に消える弁当箱。

「失礼いたしますわ」

 立ち上がる綾小路。鞄を手に生徒会室を去ろうとして、扉の前で立ち止まった。

「会長」

「なんだ?」

 振り返る綾小路は、何か考え込むように難しい顔を作る。

「あたたかな手、というものを、ご存じですか?」

「んっ」

 息が喉に詰まった。

「会長?」

 向けられた怪訝な面持ちに、俺は慌てて上皮を取り繕う。

「あ、ああ。いや、知らないな」

「そうですか」

 ふむ、と綾小路。なんだなんだ。一体どうしたってんだ。

「では、失礼しますわ」

 言い残して、今度こそ綾小路は退室した。

「行っちゃった」

 明日香がうそぶく。

「じゃあ、続き書いてくれる?」

「そんな気になれるかバカ」

「むぅ」

 ふくれっ面の明日香は放っておくとして。どうして綾小路がそれを知ってるんだ。というより、どうして俺にそれを尋ねた?
 いや、深読みはよそう。『あたたかな手』はすでに有名作品らしい。話題に出るのはおかしいことじゃない。
 だが、断じて隠さなければならない。実際の作者は明日香でも、現実に筆をとっているのは俺だということだけは。

「ヒヤヒヤもんだな……」

 そういえば。綾小路の奴は何をしに生徒会室に来たのだろう。
 よもや昼食をとりにきただけ、なんてことはないだろうが。 
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