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チキンのトマト煮は仲間の証

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 キッチンへ向かうとそこには誰もいなかった。
 先程怒ったように見せて照れ隠しからホールを逃げた彼の姿はなく、あたりを見渡してみる。

(勝手口、開いてる)

 きっと探している彼はそこにいるだろうと導かれるように扉の方へ向かった。
 
 勝手口の外は小さな中庭があり、木製の長椅子が一つ置かれている。
 きっと彼が仕事中休憩するためのスペースなのだろう。

 そしてウィルはそこに座っていた。
 長椅子に腰掛け、何をするでもなくただ夜空を見上げている。
 私も扉から外に出ると、ウィルに声を掛けた。

「隣、いい?」

 まさか私が此処に来ると思っていなかったのか、飛び跳ねそうなほど身体を強ばらせ驚くウィルを見て我慢できず笑ってしまった。
 そのまま許可を貰う前に、私は彼の隣に腰をかける。
 
 きっと先程二人に教えてもらった彼の性格からすると、返事をせずこの場から逃げてしまいそうだったから。

「何しに来たんだよ……」
「ウィルがなかなか戻ってこないから、何してるのかなって思って見に来たの」
「別に……そんな心配しなくてもここで涼んでただけだ」
 
 お互い緊張しているからだろうか、思うように会話が続かない。
 二人しかいないこの空間がとても気まずくて、素直に伝えたいことが上手く言葉にできなくて、もどかしく感じてしまう。

 流れ続ける重い空気に耐えきれず、私は視線を彼へ向けてみた。
 
 この中庭には明かりはない。
 住宅街の道なりを照らす街灯の光が、中庭まで伸びている位だ。
 とても薄暗いのに、何故だろう……隣に座るウィルが輝いて見えた。
 金色の髪は暗闇の中でも光るように映えて、大きな瞳もそんな金色に負けない位に綺麗な赤色を主張していた。
 こうして改めて観察するととても整った顔の造形をしていて、まるで物語に出てくる王子様のように見えた。
 
(じっくり見ること無かったけどウィルってかっこいいな。……外人のモデルみたい)

 気付かぬうちに眺めすぎたのか、ウィルが一つ咳払いをこぼす。

「お前な、俺のことジロジロ見すぎ」

 照れながら指摘されたその言葉に見過ぎていたと気付き、思わず恥ずかしさから顔が熱くなる。
 無言で自分のことを見てくる私に、不信感を感じたに違いない。
(ただ、私は彼に伝えたいことがあって追ってきたのに!)
 
 このままではいけないと一つ深呼吸すると、私は勇気を出した。

「あ、あのね……チキンのトマト煮のこと、なんだけど……」
「――ッ!」

 ウィルが息を飲む音が私にまで届く。
 先程まで嫌な程からかわれていた位だ、この場にいる私からもその話題を振られて一段と警戒しているに違いない。
 それでも私は彼に聞いてほしくて言葉にする。

「さっき、エルネストさん達からウィルがあのトマト煮に込めた気持ちを聞いたの。緋色の小鳥亭の……ウィルや皆にとっての大切なメニューで、開店当時からずっと変えなかったのに今回の改装に合わせて変えた、その理由も」
「……あのおしゃべり共め」
「でも私は教えてもらえて嬉しかったよ、だってウィルの気持ちをこうして理解できたんだもの」
 
 きっと彼は素直に言葉にするのが苦手で、こうして料理を通じて自分の想いを紡ぐ人なんだと、私は知ることができた。
 教えて貰わなかったらきっと、ウィルの本心をずっと知らずに過ごすことになってたかもしれない。

「私、今までずっと一人で……一緒に居てくれる人なんていなかった。だからね、ウィルや皆が仲間と認めてくれた事が本当に嬉しいの。緋色の小鳥亭にこれからも居ていいって……思ってくれて……ご飯も、すごく美味しく、て……」
 
 本当は、辛くない訳じゃなかった。
 アートルムで過ごしてきた十七年間。必死に勉強してきたのも、言われるがままに過ごしてきたのも、頑張ってきたのは少しでも自分を認めて欲しいと願ってたからだ。
 
 でもそんな私の想いは誰にも届かなかった。
 一緒に暮らしてきた家族も、結婚を約束した婚約者も……誰一人私を必要としなかったんだもの。

 でも、ウィル達は違った。
 森の中でさまよい倒れた見知らぬ私を介抱してくれて、美味しい食事もくれて……そしてこんなに素敵な居場所まで与えてくれた。
 さりげない事かもしれないけど、私がどれだけ彼らに救われたか、計り知れない。

 隣で静かに私の話を聞いてくれていたウィルの手が伸びて自分の頭におかれたと思えば、勢いよく髪が乱れる程撫でられた。
「きゃぁっ!」
「ったく……。突然来たと思えば言いたいこと言って……泣くなよ」
「えっ……」
 ウィルに指摘されてようやく自分の頬が濡れていることに気付いた。
(さっきは我慢できたのに……泣くつもりなんてなかったのに……)
 ――ただ彼にお礼を伝えたかっただけのに。

「大体お前は、物事を色々深刻に考えすぎだ」

 乱暴に撫でる暖かい手が何故か心地よく感じる。
 まるで子供に言い聞かせるようにウィルは私に語り始めた。

「お前がどれだけ辛い思いをしてきたかなんて、本人であるお前しか分からない。でもな……もうお前は自由なんだ」
「自由……」
「そうだ。何にも縛られることはない。自分のやりたいことが出来る権利を、お前は手にしたんだ。だったら過去を思い出して苦しむよりも、今やりたいこと遠慮なくやって楽しく生きればいい。ここは自由都市なんだからな」
 
 彼に言われて胸につっかえていた物が消えたような気がした。
 そうだ、私はもう侯爵令嬢として生きなくていい。王妃教育だってしなくてもいい。
 何も我慢なんてしなくていい。
 
 ただのマイアとして、生きていいんだから。

「あくまで俺達はきっかけを作っただけだ。これからどうしたいかは全部お前が選ぶんだからな。……これからやってみたいこととか、無いのか?」
「私のやりたいこと……」
 
 ふと頭に浮かんだのは前世の記憶だった。
 明らかに今の方が金銭的にも恵まれていたのに、前世の生活の方が私は幸せだったと実感したからだ。
 二つの人生を比較して一番違った事。

「美味しいものが食べたい」

 自分の欲望と向き合って、自然と言葉が出ていた。
 
「私、食べることが大好きだからこの世界の色々な料理を食べたい。それ以上に美味しいものが食べたい! もう生きるために無理矢理食べ物を飲み込んで終わらせるんじゃなくて、味を噛みしめて……食べて幸せだーって実感したい!」
 人間にとって食事は生きる為に当たり前の事なのに、今までマイアとして生きてきた今の私にとって苦痛でしかなかった。
 でも、今は違う。
 ――私は巡り逢えた。
 この世界の住人に生まれ変わって、初めて美味しい料理を作る素晴らしい人を見つけたから。

「私、もっとウィルの料理食べたいし、他の皆にも食べて貰いたい。だって私、ウィルの作る料理が大好きだから!」

 ふと、私は勢いに任せて力説してしまったことに気付いた。
 きっと困惑させてしまっただろうと謝罪するためにウィルの方を見ると、今度は私が固まってしまった。
 真っ赤な顔をして、口元を手で隠す彼の姿が視界に入ったからだ。
 どうやら私が彼を照れさせてしまったらしく、その赤みは感染するかのように私の顔までも真っ赤に染め上げた。

「え、えっと……あの、ごめ」
「俺の料理でいいのか」

 思わず口にした謝罪の言葉を遮るように彼が問いかける。
 ぶっきらぼうな問いかけだけど、私は何度も首を縦に振り肯定の意を伝えた。
 
「……言っておくが、俺だってまだ自分の料理に満足してる訳じゃないからな。これからもっと腕を磨いて、更に美味い料理を作るんだからな!」
 
 声を荒げて私にコンコンと言い聞かせているようだった。
 素直に私は彼の話を姿勢を正して聞きつつ、何度も頷いていた。

「お前も、手伝うんだからな。――お前も仲間だから……」
「っ、勿論! 喜んで手伝うよ!」 

 さりげなく呟いたその言葉に驚きと、それ以上の嬉しさが込み上げる。
 上手く伝えることが出来なくて料理で示してくれた気持ちを、改めて彼は言葉で伝えてくれて、自然と笑顔が零れた。



「……そ、そろそろ戻るか。遅くなるとあいつらに何言われるか」

 やはり慣れないことをして照れくさいのか、ウィルはそそくさと立ち上がる。
 少し名残惜しいと思ったのは何故だろう。
 きっと今頃エルネストもリコも、ずっと戻ってこない私達を心配して――。

「あっ、私ワイン取ってきてほしいって頼まれてたんだった!」

 ゆっくり選んでおいで、とは言われてたけど流石に待たせすぎている。

「あいつらに飲ませるのなんて安くて適当なものでいいだろう」
「ダメだよ! どんなお客様でもちゃんと料理にあったお酒を提供したいもの。だから料理長、この新人めに当店一押しの看板料理に合うお酒を是非ご教授くださいませ!」

 何事も経験は大事だ。こんな機会だもの、料理を作る彼に大事な看板料理に合うお酒を教えて貰おうと少し演技口調でお願いしてみた。
 一瞬唐突な私の演技に反応出来ず固まっていたウィルも耐えきれなかったのかお腹を押さえて思い切り笑い始めた。

 一頻り笑い終わった後、ウィルは不敵な笑みを浮かべてる。

「厳しく指導するから、覚悟しておけよ新人店員」 
「もちろん、よろしくお願いします店長!」


 長い時間ホールで待たせているけどもう少しだけ二人には待って貰おう。
 すぐに彼と共に、絆の料理にぴったりな最高の酒を手にして笑顔で戻るから――。
 
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