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第一章 神の王国
第1話 夜明けの刻
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暗い空に朝日が差し込み、夜が明けていく。
その時は、明けの明星が空の上で最も輝きを見せる瞬間だ。
街にはたくさんの人々が行き交い、皆それぞれ、自分の向かうべき場所へと向かう。
俺も、そのうちの一人だ――。
高校に通う為に、電車の駅の中を急いで歩き、プラットホームを目指す。その際、エスカレーターに乗るが、たくさんの通行人で満たされており、その狭い空間がとても窮屈に感じた。
(はぁ、やっぱり都会は慣れないな……)
まだ学校に着いていないのに、俺は疲れてため息をついてしまう。
エスカレーターの時もそうだったが、周りの人達はどこか機械のようで、心に余裕がないように感じた。
他人に笑顔を見せず、無表情の仮面を被った、心の中に孤独を抱えた旅人。それが彼らに抱いた印象であり、感情を押し殺して生きていた頃の幼い自分を彷彿とさせた。
こんなことなら、都会に移り住むべきではなかった。
でも、ばあちゃんの頼みだから仕方がない。
あの時、彼女が俺のことを救ってくれなかったら、きっと今の俺はいなかった。だからこそ、彼女の頼みを無下にはできない。
ただ、疲れるものは、やはり疲れることに変わりはない。
(ばあちゃん、元気にしてるかな?)
俺は電車が来るまでの間、気分を紛らわす為に、少し前まで暮らしていた田舎での生活や、ばあちゃんとの幸せだった思い出を振り返った――。
~~~~~~~~~~~~~~~
俺は小さい頃から、他の子供と違って変わっていた。
何が変わっているのかというと、他の人には見えないものが見えるのだ。
別の言い方をすれば、「霊感が強い」ということなのだろう。
小さな動物の霊から悪霊、さらには妖怪など――見えないはずのものが、俺の目には映っていた。
最初は、それが当たり前で、他の人にも同じものが見えると思っていた。
だから両親にも、そのことを打ち明けた。
しかし、両親はそれを聞くと、特に俺の母親は激しく動揺し、息を荒くしながら悲鳴を上げた。
『どうして……もうあの女から離れたのに……なんでよ、どうしてなのよぉぉぉぉ!!』
『お母さん、どうしたの? 大丈夫……?』
『っ、近寄らないで! 化け物!!』
顔色が悪い母親を心配して声を掛けたが、気付くと、バシッと頬を叩かれていた。
いつもなら優しいはずの母親が、なぜ俺を睨みつけ、おそれていたのか分からなかった。
『お母さん……なんで……? 痛゛いよ……』
『私をお母さんと呼ぶなッ!! あんたなんか……あんたなんか私の子供じゃない!』
母親は俺を拒絶した。
助けを求めて父親の方を見たが、返ってきたのはゴミを見るような冷たい目だった。
二人の氷のような冷ややかな反応に、俺は何が起きたのか全く理解できず、ただただ泣くことしかできなかった。
――それからというもの、両親は俺を避けるようになり、扱いも雑になった。
話を掛ければ、無視されるか、殴られるかのどちらかだ。部屋からも出してもらえず、与えられる食事も残飯のみだった。
そして、周りからの風評が下がるのを恐れた両親は、外では俺が難病を患っていることにし、あたかも自分達が子供思いの親であるかのように振舞い続けた。
二人が俺にしたことは、虐待そのもの。何もない暗い部屋に一人閉じ込められ、できることと言えば、たまに部屋に現れる小さな妖怪達に独りでに語り掛けるだけだった。
けれど、俺が音を立てれば両親は怒り、暴力を振るった。それを避ける為、いつしか喋るのをやめた。
それでも俺は、健気に二人の機嫌を取る為に、必死で良い子を演じ続けた。
いつかまた、俺のことを愛してくれると、心のどこかで信じたていたからだ。
でも、俺の頑張りは結局、無駄に終わった。
まともな食事が与えてもらえず、風呂も入らせてもらえない。もうこのまま、一生誰からも愛されずに、ここで腐り死ぬんだろうと思った。
だが、そんな俺の運命を変える出来事が起きた――ばあちゃんとの出会いだ。
ある日の静かな夕暮れ時。いつもなら、ただ天井に付いたシミの数を数えているだけだった。
しかし、家の外からとてつもない存在感を本能的に感じ取った俺は、床から勢いよく起き上がり、扉の隙間から玄関を覗き込んだ。
すると、玄関の扉が開いた先には一人の妙齢の女性がいた。
彼女は髪の色こそ白かったが、実年齢より若く見え、凛とした佇まいで立っていた。
俺の母親はそんな彼女を見た瞬間、俺に初めて手を上げた時と同じくらい、驚きに満ちた表情を浮かべた。
『母さんッ!? なんでここにいるの……!?』
『会って早々、最初の言葉がそれですか? 情けない……あなたは私が何者かも忘れてしまったのですか?』
『っ、また怪しい術を使ったのね!? どうして、あんたはいつも――いつも私の幸せを奪おうとするの! お願いだから、今すぐ帰って!』
『黙りなさい、この馬鹿娘! あなたは自分がどれだけ愚かなことをしているのか分かっているのですか!』
ばあちゃんの気迫に押され、俺の母親は恐怖で後ずさる。
老年ながらもその力強い声に、俺は目が離せなかった。
『こ、ここは俺達の家だぞ! 部外者のあんたは早く出て行け! け、警察を呼ぶぞ!』
俺の父親は、俺の母親を庇うように前へ出て、ばあちゃんに反論した。しかし、よほど怖かったのか、その声は裏返っていた。
『用があるのは、あなた達ではありません! そこを退きなさい!』
『ひッ!?』
ばあちゃんは眼力だけで両親を黙らせる。すると、二人はまるで蛇に睨まれた蛙のように、その場で腰を抜かした。
そんな子供のように怯える二人を尻目に、ばあちゃんは何事もなかったかのように玄関から上がり、鍵が掛かった俺の部屋の前まで来た。
『ここがそうですね……』
金属の軋む音と共に扉は開き、俺と彼女はようやく対面した。
正直、彼女に何かを期待する一方で、また両親の時のように酷いことをされるのではないかと心配だった。
けれど、いざ話してみると、その不安は次第に薄れていった。
『初めまして、私は櫛名田千代。あなたのおばあちゃんです』
ばあちゃんはしゃがむと、俺の目線に合わせ笑顔を見せた。
誰かに笑顔で接してもらえたのは、本当に久しぶりだった。
両親のせいで人を信じるのが怖かったはずなのに、不思議と彼女が信頼できる人物だと感じた。
『おばあ、ちゃん?』
『ええ、そうです。あなたのお名前は?』
『斎藤、景明……です』
『景明……光と希望をもたらす者……良いお名前ですね。もっとお顔をよく見ても?』
俺は小さく頷き、自分の顔を相手によく見えるようにした。
『……似ている……兄さんの面影がある……それに霊力も……! あぁ……良かった……本当に、良かった!』
そう言うと、ばあちゃんは俺を優しく抱きしめた。
『今までよく耐えましたね。もう大丈夫です』
『っ!? う゛ん!』
気付くと、俺は泣いていた。
彼女からの優しい言葉が嬉しかった。
誰から愛してもらえず、愛情に飢えていた俺を、彼女は愛してくれた。それがたったの「大丈夫」の一言だけでも、俺の心は温まった。まるで長い間、凍っていた心の氷が溶けた、そんな気分だった。
けれど、そんな俺とばあちゃんのやり取りを妬む存在――俺の母親が憎しみを込めた目で見つめていた。
『……何よ、何で二人して和んでいるのよ!!』
『早苗……』
『全部、母さんのせいよ! 小さい頃から宿命だと言って、私に家業を無理やり押し付けて……私は除霊師なんか嫌いだった! あんたのことが、大っ嫌いだったッ!!』
母親は顔を酷く歪め、充血した目をぎらつかせながら、ばあちゃんに向かって今までの鬱憤を全て吐き出した。
それは俺が知る母親の顔の中で、最も醜いものだった。
『家を出てやっと好きな人と結婚して、新しい生活も手に入れた! そして子供も生まれた! でも、生まれた子供はあんたと同じで、頭のおかしい呪われた――』
母親が暴言を言い終わる前に、パチンという音がリビングに響いた。
ばあちゃんの手が母親の頬を強く叩く音だった。
『……私のことを恨むのならまだしも、自分がお腹を痛めて生んだ子供を侮辱するのはやめなさい!』
『っ、うるさい! あんたもそいつも、みんな化け物よ! 櫛名田家なんて、さっさと消えてしまえばいいんだわ!』
『……もう一度、言ってみなさい。これ以上、ご先祖様を貶すようなマネをすれば、たとえ実の娘であるあなたでも、容赦はしません……』
ばあちゃんは低い声で、暴言を吐き散らす母親に殺気を放った。
すると、その瞬間、部屋の電気が点滅し始め、物がガタガタと激しく音を立て始めた。
『あ゛がっ……あ゛ぁぁっ……!?』
母親は突然苦しみ出し、床に膝をついた。
いつもなら親の立場を利用して俺を責める母親。しかし、ばあちゃんの前では、彼女はまるで無力な存在のように感じられた。
俺にはその姿が、とても小さく見えた。
『……そうでした。今はあなたに構っている場合ではありませんでした……』
ばあちゃんが殺気を抑えると、周りの空気が一変し、先ほどまでの揺れも収まった。そして、殺気から解放された母親は床に崩れ落ち、過呼吸を繰り返していた。
俺はそんな母親のことを哀れに思いつつも、ばあちゃんと再び向き合った。
『景明。今日私がここに来たのは、あなたをここから救い出す為です』
『救い出す……?』
『ええ、あなたは特別な力を持っています。何か心当たりはあるんじゃないのですか?』
『特別な力……お化けが見えること?』
『それもそうですが、あなたの力はそれだけではありません。あなたには霊力があり、人々を守り、妖魔を退ける力が宿っています。私のように……』
ばあちゃんは指先から小さな光を放ち、それを優しく俺に向けた。すると、その光は虐待で傷ついた俺の体を癒し、幸せな気持ちにさせてくれた。
『痛くない!? ありがとう!』
『ふふ、どういたしまして』
『でも……どうして僕を助けてくれるの?』
『目の前に救いを求める人がいれば、それを助けるのは当然です。それに、あなたは私の大切な家族ですから』
迷いのない答え、真剣な眼差し、そして信念。それこそが、人が人であるべき姿なのだと俺は悟った。
『景明、ここにいてはあなたの人生が不幸に終わるでしょう。私としては、あなたに私の跡を継いでほしいと思っています。ですが、退魔の道は人の世を捨てることを意味しています。それが嫌なら、信頼できる者の家にあなたを預け、今より幸せな生活を送れることも約束いたします。あなたはどうしたいのですか……?』
ばあちゃんは静かに俺の答えを待つ。
俺は少し考えた後、その問いに答えた――。
『僕は、おばあちゃんと一緒にいたい! おばあちゃんが僕を助けてくれたように、今度は僕も他の人を助けられるようになりたい!』
『……あなたが優しい心の持ち主で良かったです……決まりですね!』
ばあちゃんから手が差し伸べられる。
その手を握ろうとした途端、俺はふと自分の母親のことが気になった。
彼女の方を見ると、気力を失い、床にへたり込んでいた。
曲がりなりにも、彼女は俺を育ててくれた母親だ。決別の意を込めて、彼女に別れの挨拶をすることにした。
『何……? 今さら私のことを笑いにでも来たの?』
彼女は相変わらず嫌味を垂らしている。
けれど、俺は構わずに続けた。
『……お母さん、お父さん、今まで育ててくれてありがとう。さようなら……』
『……』
母親は終始無言だった。
彼女が何を思っていたのかは分からないが、恐らくもう会うことはないだろう。
『用事は済みましたか?』
『うん!』
玄関で待っていてくれたばあちゃんの手を握り、俺は新たな一歩を踏み出したのだった。
その時は、明けの明星が空の上で最も輝きを見せる瞬間だ。
街にはたくさんの人々が行き交い、皆それぞれ、自分の向かうべき場所へと向かう。
俺も、そのうちの一人だ――。
高校に通う為に、電車の駅の中を急いで歩き、プラットホームを目指す。その際、エスカレーターに乗るが、たくさんの通行人で満たされており、その狭い空間がとても窮屈に感じた。
(はぁ、やっぱり都会は慣れないな……)
まだ学校に着いていないのに、俺は疲れてため息をついてしまう。
エスカレーターの時もそうだったが、周りの人達はどこか機械のようで、心に余裕がないように感じた。
他人に笑顔を見せず、無表情の仮面を被った、心の中に孤独を抱えた旅人。それが彼らに抱いた印象であり、感情を押し殺して生きていた頃の幼い自分を彷彿とさせた。
こんなことなら、都会に移り住むべきではなかった。
でも、ばあちゃんの頼みだから仕方がない。
あの時、彼女が俺のことを救ってくれなかったら、きっと今の俺はいなかった。だからこそ、彼女の頼みを無下にはできない。
ただ、疲れるものは、やはり疲れることに変わりはない。
(ばあちゃん、元気にしてるかな?)
俺は電車が来るまでの間、気分を紛らわす為に、少し前まで暮らしていた田舎での生活や、ばあちゃんとの幸せだった思い出を振り返った――。
~~~~~~~~~~~~~~~
俺は小さい頃から、他の子供と違って変わっていた。
何が変わっているのかというと、他の人には見えないものが見えるのだ。
別の言い方をすれば、「霊感が強い」ということなのだろう。
小さな動物の霊から悪霊、さらには妖怪など――見えないはずのものが、俺の目には映っていた。
最初は、それが当たり前で、他の人にも同じものが見えると思っていた。
だから両親にも、そのことを打ち明けた。
しかし、両親はそれを聞くと、特に俺の母親は激しく動揺し、息を荒くしながら悲鳴を上げた。
『どうして……もうあの女から離れたのに……なんでよ、どうしてなのよぉぉぉぉ!!』
『お母さん、どうしたの? 大丈夫……?』
『っ、近寄らないで! 化け物!!』
顔色が悪い母親を心配して声を掛けたが、気付くと、バシッと頬を叩かれていた。
いつもなら優しいはずの母親が、なぜ俺を睨みつけ、おそれていたのか分からなかった。
『お母さん……なんで……? 痛゛いよ……』
『私をお母さんと呼ぶなッ!! あんたなんか……あんたなんか私の子供じゃない!』
母親は俺を拒絶した。
助けを求めて父親の方を見たが、返ってきたのはゴミを見るような冷たい目だった。
二人の氷のような冷ややかな反応に、俺は何が起きたのか全く理解できず、ただただ泣くことしかできなかった。
――それからというもの、両親は俺を避けるようになり、扱いも雑になった。
話を掛ければ、無視されるか、殴られるかのどちらかだ。部屋からも出してもらえず、与えられる食事も残飯のみだった。
そして、周りからの風評が下がるのを恐れた両親は、外では俺が難病を患っていることにし、あたかも自分達が子供思いの親であるかのように振舞い続けた。
二人が俺にしたことは、虐待そのもの。何もない暗い部屋に一人閉じ込められ、できることと言えば、たまに部屋に現れる小さな妖怪達に独りでに語り掛けるだけだった。
けれど、俺が音を立てれば両親は怒り、暴力を振るった。それを避ける為、いつしか喋るのをやめた。
それでも俺は、健気に二人の機嫌を取る為に、必死で良い子を演じ続けた。
いつかまた、俺のことを愛してくれると、心のどこかで信じたていたからだ。
でも、俺の頑張りは結局、無駄に終わった。
まともな食事が与えてもらえず、風呂も入らせてもらえない。もうこのまま、一生誰からも愛されずに、ここで腐り死ぬんだろうと思った。
だが、そんな俺の運命を変える出来事が起きた――ばあちゃんとの出会いだ。
ある日の静かな夕暮れ時。いつもなら、ただ天井に付いたシミの数を数えているだけだった。
しかし、家の外からとてつもない存在感を本能的に感じ取った俺は、床から勢いよく起き上がり、扉の隙間から玄関を覗き込んだ。
すると、玄関の扉が開いた先には一人の妙齢の女性がいた。
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俺の母親はそんな彼女を見た瞬間、俺に初めて手を上げた時と同じくらい、驚きに満ちた表情を浮かべた。
『母さんッ!? なんでここにいるの……!?』
『会って早々、最初の言葉がそれですか? 情けない……あなたは私が何者かも忘れてしまったのですか?』
『っ、また怪しい術を使ったのね!? どうして、あんたはいつも――いつも私の幸せを奪おうとするの! お願いだから、今すぐ帰って!』
『黙りなさい、この馬鹿娘! あなたは自分がどれだけ愚かなことをしているのか分かっているのですか!』
ばあちゃんの気迫に押され、俺の母親は恐怖で後ずさる。
老年ながらもその力強い声に、俺は目が離せなかった。
『こ、ここは俺達の家だぞ! 部外者のあんたは早く出て行け! け、警察を呼ぶぞ!』
俺の父親は、俺の母親を庇うように前へ出て、ばあちゃんに反論した。しかし、よほど怖かったのか、その声は裏返っていた。
『用があるのは、あなた達ではありません! そこを退きなさい!』
『ひッ!?』
ばあちゃんは眼力だけで両親を黙らせる。すると、二人はまるで蛇に睨まれた蛙のように、その場で腰を抜かした。
そんな子供のように怯える二人を尻目に、ばあちゃんは何事もなかったかのように玄関から上がり、鍵が掛かった俺の部屋の前まで来た。
『ここがそうですね……』
金属の軋む音と共に扉は開き、俺と彼女はようやく対面した。
正直、彼女に何かを期待する一方で、また両親の時のように酷いことをされるのではないかと心配だった。
けれど、いざ話してみると、その不安は次第に薄れていった。
『初めまして、私は櫛名田千代。あなたのおばあちゃんです』
ばあちゃんはしゃがむと、俺の目線に合わせ笑顔を見せた。
誰かに笑顔で接してもらえたのは、本当に久しぶりだった。
両親のせいで人を信じるのが怖かったはずなのに、不思議と彼女が信頼できる人物だと感じた。
『おばあ、ちゃん?』
『ええ、そうです。あなたのお名前は?』
『斎藤、景明……です』
『景明……光と希望をもたらす者……良いお名前ですね。もっとお顔をよく見ても?』
俺は小さく頷き、自分の顔を相手によく見えるようにした。
『……似ている……兄さんの面影がある……それに霊力も……! あぁ……良かった……本当に、良かった!』
そう言うと、ばあちゃんは俺を優しく抱きしめた。
『今までよく耐えましたね。もう大丈夫です』
『っ!? う゛ん!』
気付くと、俺は泣いていた。
彼女からの優しい言葉が嬉しかった。
誰から愛してもらえず、愛情に飢えていた俺を、彼女は愛してくれた。それがたったの「大丈夫」の一言だけでも、俺の心は温まった。まるで長い間、凍っていた心の氷が溶けた、そんな気分だった。
けれど、そんな俺とばあちゃんのやり取りを妬む存在――俺の母親が憎しみを込めた目で見つめていた。
『……何よ、何で二人して和んでいるのよ!!』
『早苗……』
『全部、母さんのせいよ! 小さい頃から宿命だと言って、私に家業を無理やり押し付けて……私は除霊師なんか嫌いだった! あんたのことが、大っ嫌いだったッ!!』
母親は顔を酷く歪め、充血した目をぎらつかせながら、ばあちゃんに向かって今までの鬱憤を全て吐き出した。
それは俺が知る母親の顔の中で、最も醜いものだった。
『家を出てやっと好きな人と結婚して、新しい生活も手に入れた! そして子供も生まれた! でも、生まれた子供はあんたと同じで、頭のおかしい呪われた――』
母親が暴言を言い終わる前に、パチンという音がリビングに響いた。
ばあちゃんの手が母親の頬を強く叩く音だった。
『……私のことを恨むのならまだしも、自分がお腹を痛めて生んだ子供を侮辱するのはやめなさい!』
『っ、うるさい! あんたもそいつも、みんな化け物よ! 櫛名田家なんて、さっさと消えてしまえばいいんだわ!』
『……もう一度、言ってみなさい。これ以上、ご先祖様を貶すようなマネをすれば、たとえ実の娘であるあなたでも、容赦はしません……』
ばあちゃんは低い声で、暴言を吐き散らす母親に殺気を放った。
すると、その瞬間、部屋の電気が点滅し始め、物がガタガタと激しく音を立て始めた。
『あ゛がっ……あ゛ぁぁっ……!?』
母親は突然苦しみ出し、床に膝をついた。
いつもなら親の立場を利用して俺を責める母親。しかし、ばあちゃんの前では、彼女はまるで無力な存在のように感じられた。
俺にはその姿が、とても小さく見えた。
『……そうでした。今はあなたに構っている場合ではありませんでした……』
ばあちゃんが殺気を抑えると、周りの空気が一変し、先ほどまでの揺れも収まった。そして、殺気から解放された母親は床に崩れ落ち、過呼吸を繰り返していた。
俺はそんな母親のことを哀れに思いつつも、ばあちゃんと再び向き合った。
『景明。今日私がここに来たのは、あなたをここから救い出す為です』
『救い出す……?』
『ええ、あなたは特別な力を持っています。何か心当たりはあるんじゃないのですか?』
『特別な力……お化けが見えること?』
『それもそうですが、あなたの力はそれだけではありません。あなたには霊力があり、人々を守り、妖魔を退ける力が宿っています。私のように……』
ばあちゃんは指先から小さな光を放ち、それを優しく俺に向けた。すると、その光は虐待で傷ついた俺の体を癒し、幸せな気持ちにさせてくれた。
『痛くない!? ありがとう!』
『ふふ、どういたしまして』
『でも……どうして僕を助けてくれるの?』
『目の前に救いを求める人がいれば、それを助けるのは当然です。それに、あなたは私の大切な家族ですから』
迷いのない答え、真剣な眼差し、そして信念。それこそが、人が人であるべき姿なのだと俺は悟った。
『景明、ここにいてはあなたの人生が不幸に終わるでしょう。私としては、あなたに私の跡を継いでほしいと思っています。ですが、退魔の道は人の世を捨てることを意味しています。それが嫌なら、信頼できる者の家にあなたを預け、今より幸せな生活を送れることも約束いたします。あなたはどうしたいのですか……?』
ばあちゃんは静かに俺の答えを待つ。
俺は少し考えた後、その問いに答えた――。
『僕は、おばあちゃんと一緒にいたい! おばあちゃんが僕を助けてくれたように、今度は僕も他の人を助けられるようになりたい!』
『……あなたが優しい心の持ち主で良かったです……決まりですね!』
ばあちゃんから手が差し伸べられる。
その手を握ろうとした途端、俺はふと自分の母親のことが気になった。
彼女の方を見ると、気力を失い、床にへたり込んでいた。
曲がりなりにも、彼女は俺を育ててくれた母親だ。決別の意を込めて、彼女に別れの挨拶をすることにした。
『何……? 今さら私のことを笑いにでも来たの?』
彼女は相変わらず嫌味を垂らしている。
けれど、俺は構わずに続けた。
『……お母さん、お父さん、今まで育ててくれてありがとう。さようなら……』
『……』
母親は終始無言だった。
彼女が何を思っていたのかは分からないが、恐らくもう会うことはないだろう。
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