邪教団の教祖になろう!

うどんり

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一章

4 ミナナゴ

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 飛び出してから、後悔した。

 だがもう遅い。

 走る少女が通り過ぎ、フレイバグが真横に来た瞬間、俺はフレイバグへ向けて体をぶつけていた。

 フレイバグと俺は絡まり合いながら地面を転がる。

 よし。

 フレイバグは図体が小さい。俺の体重でもタックルが効いた。

「あ……」

 少女が気づいて足を止め、振り返った。

 長めの赤い前髪が汗だくの顔に張り付いていた。
 ゲッカレイメイを握る手に、少し力がこもったのが見てとれた。

「逃げろ! それは捨てて逃げるんだ! 今ならこの個体しかきみのことを見ていない! どうにかごまかせるかもしれない!」

 言っているうちに、フレイバグは俺の腕に噛みついた。

「うぐっ!」

 鋭くとがった牙が俺の腕に食い込む。
 が、好都合。俺を捕まえていれば、少女が逃げる隙ができる。

「早く逃げろ!」

 叫びながら、持っていたナイフをフレイバグの喉元に突っ込んだ。
 けど、硬い。
 ナイフは少しも刺さっていかない。

「で、でも……」

「さっさとしろ! でないと俺がかばったのが無駄になるだろ!」

「…………!」

 逡巡しながら走り去る少女。

 同時に――ナイフが宙を舞った。
 俺の腕ごと、だ。

 フレイバグの腕には、さっきまで格納されていた黒塗りのブレードが飛び出していた。
 それが俺の腕を切り飛ばしたのだ。

 もう片方の腕を噛みちぎって、こんどは俺の喉元へ牙を走らせる。

 喉が首の骨と一緒に砕かれる音がする。体中が、血に濡れていた。

 激痛を感じる暇もなく血液が失われていく。

 心臓が脈打つごとに首筋から噴き出した血が、フレイバグの金属質の体にかかっている。

 視界がかすんでおぼろげになってくるなかで、俺は過去の出来事を夢想していた。

 白い花――ゲッカレイメイを両手に抱えて無邪気に笑う、昔友達だった銀髪の幼い少女を脳裏に見る。
 昔を思い出してつい飛び出してしまったが、馬鹿なことをした。
 本当に馬鹿なことをしてしまった。

 レーニャ、俺は――これでよかったんだよな?

 意識がもうろうとしてきた。

 死ぬのか。俺は。

 ――死ぬのう。このままでは。

 ありえない。

 俺の思考に、誰かが答えた。

 聞いたこともない声だ。

「ようやく神木の近くに来たと思うたらもう息絶える寸前とは……おぬしも運がないな」

 はっきりとそう聞こえて――次の瞬間には、見たこともない景色の場所にいた。

 森の中だが、枯れて痩せ細った植物が周囲を埋める。
 暗雲が立ち込め、遠くで黒い雷が鳴っている。

 目の前にいたのは、黒いドレスを身に纏った少女だった。

 まだ幼く、見たところ十歳前後といったところだろうか。
 いびつな形の岩の上に腰を下ろしている。

 黒く長いまっすぐな髪を縛りも飾りもせずに足元ほどまで伸ばしている。

 少し釣り目がちな赤い瞳とよくできた人形のような顔つきがどことなく妖艶さを醸し出していた。
 黒いドレスは露出が多く、ところどころ白い肌が恥ずかしげもなく覗いている。

 人間じゃない。
 額から突き出た小さな突起――角のようなものがあったし、どうも幼い少女が放つには不似合いな、剣呑な雰囲気があった。

「ほっとけ。運がないのは生まれてからずっとだ」

 吐き出すように答えた。

 どうやら天国とか地獄とかいう場所があって、俺には地獄のお迎えが来たらしい。

 そうとしか思えない光景だった。

 目の前の少女は、大人の女性がそうするような誘惑するような表情で妖しく微笑んだ。

「安心せい。まだ死んでおらんぞ」

「お迎えが来たんじゃないのか」

「そんなもの信じておるのか?」

「いや、そういうわけじゃないが……」

「簡単にいうなら白昼夢を見ているんじゃな」

「悪魔がお迎えに来たとしか思えない」

 言うと、目の前の少女は腹を抱えて笑った。

「まあ、たしかにおぬしらの国じゃわらわは悪魔扱いされておるようじゃがなぁ」

 どうにも現実味がないし、話が見えない。

「わらわはミナナゴ・ミュール」

 混乱しているうちに、目の前の少女は自己紹介をする。

「簡単にいうと神じゃ」

 それは簡単に言っていいことじゃないと思うが、目の前の少女は堂々としている。胡散臭すぎる。

「神って、一星宗が信仰している唯一神アケアロスじゃないよな」

「あんなのと一緒にするな」

 ミナナゴ・ミュールと名乗った自称神の少女は、眉をひそめた。

 どうみても悪魔にしか見えん。
 角あるし。

 というかほかに神がいたらアケアロスは唯一神ではなくなるよな。
 目の前の少女は、神というか邪神という感じだが。

「で、その神がなんの用だ。たぶん俺は今絶体絶命で、早く現実に戻らないと死ぬんだが」

「現実に戻っても死ぬじゃろあの出血なら」

 まあ、そうなんだが。

「わらわはおぬしと取引しに来たのじゃ」

 言われると、さらに混乱してきた。
 なんで今?
 取引ってなんだ。商談のことじゃないよな。

「つまりどういう?」

「条件付きではあるが、願いを一つかなえてやる」

「願い……」

「あるのであろう? 切実な願いが」

 なんか本当に悪魔と取引しているような気がしてきた。
 いや、これが夢なら、迷うことなんてない。

 願いなんて、こんなの、一つしかない。

「生きたい」
 
 俺は目の前の悪魔のような少女に向かって言い放った。

「どうしても死にたくないんだ。だから、俺の命を助けてくれ」

 ミナナゴは邪悪に笑った。

「その願いなら叶えられる。じゃが、その代わりわらわの眷属になってもらうぞ」

「どういう意味だ?」

「わらわの命令に、これから一生従ってもらう」

 ミナナゴは手のひらを差し出す。
 黒い靄のようなものが集まって、みるみるうちに果実のような形になった。

 見たこともない果実だった。
 暗い色で、あまりうまそうじゃない。

 ただ、さっきの木と同じで、いい匂いがする。

「ま、承諾してもらえるならなんでもよかったんじゃがな。果実はイメージじゃ。これを食えば、生きながらえられる代わりに、眷属としてわらわに仕えてもらう。これはその契約であり、おぬしの決意を試す儀式でもある」

「お前みたいに角生えるのか?」

「それはわからんが――人間ではなくなる。そういう認識でいるのじゃ」

 俺はミナナゴから果実を受け取った。

 なんでもいい。

 はじめから選択肢なんてない。

 これを拒めば、どの道フレイバグに食い殺されるんだから。

 生きるには、人をやめて悪魔の眷属になる道しかない。

 俺はためらいなく、果実にかぶりついた。
 うまくはない。酸味の混じった芳醇な香りが口いっぱいに広がる。

「ふはは……そうこなくてはのう!」

 顔が悦楽に染まるミナナゴ。

 一気に果実を飲み込む。

 瞬間、黒い靄のようなものが俺を食いつくさんばかりの勢いで覆っていく。

 視界さえ黒く染まる直前、ミナナゴは靄に食われる俺に近づき、体を密着させて、つま先立ちでその足りない背を補いながら、

「覚悟を決めよ。生きる覚悟を」

 俺の耳元でささやいた。

 生きる覚悟――それならとうの昔にできている。

 ミナナゴの背中から黒い翼が生えてきて、俺を覆うようにした。
 やはり姿がどうにも悪魔然としているが、彼女が言うには神らしい。
 ならばその姿は邪神と表現するにふさわしい様相だ。

「その願いが魂の願いならば、それをかなえるための力が授けられるであろうよ。あと、寝るときは香木をそばに置いて眠るがよい」

 なんだ最後のそれは。
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