あの子を好きな旦那様

はるきりょう

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お嬢様の執事兼護衛です。

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 ※「あの子を好きな旦那様」のエドの一人称。エドの過去的な。


 あれは5年前の冬だった。子爵であった父はギャンブルに手を出し、大きな負債を抱えていた。母親はそんな家の状態に気づこうともせず、若い男と遊んでいる。俺の家は、そんな家だった。

 与えられる食事はなく、腹いせに殴られる毎日。けれど、ずっと耐えてきた。自分がこの世で生きているのは両親のおかげだ、両親に尽くすのは当たり前のこと。そう子供のころから刷り込むように言い聞かせられたから。

 だけど、あの日。暗い夜闇の中、まぶしい光が漏れてきた部屋の向こうで、父親の声を聞いてしまった。身体は震え、絶望、憎悪、自分でも言葉を付けられない感情を抱いたのを覚えている。

「貴方のご子息は綺麗な顔をしていますね。あれなら男でも高く売れます」

「男でも売れるとわかっていれば、もっと早く売ったのに」

「まあ、人を金で買うのはごく一部。その中で男の子を求めるのは、また限られますから。あ、そうだ。これからご子息は、商品なんですから、殴るのは止めといた方がいい」

「わかりましたよ。それで、いくらになりそうなんだ、うちのエドは」

 そのあとは聞かなかった。すぐに部屋に戻り、薄汚いシャツとズボン、それから外に出るときのための少しだけ高級な服を一枚それだけを鞄に詰めた。

 逃げ出す、なんて考えてもみなかった。けれど、やってみれば簡単だった。お金がなくてメイドすら雇っていないのだから。

 けれど行く当てもなく、頼れる人もいなかった。食料を買うお金もなく、生きていく知恵もない15歳の俺にはどうすることもできなかった。雑草を食べたりもしたが、空腹は我慢の限界を超え、気づけば朦朧とした意識のまま、道路に座り込んいた。

「ねぇ、ここは道路の真ん中よ。ここに座っていたら危ないわ」

 そんな時だ。馬の蹄の音が止まり、すぐにそんな声が耳に入ってきた。頭の中に響き渡るような綺麗な声だった。閉じそうな瞼をこじ開ければ目の前にいたのはかわいい人。

「…」

「お腹がすいてるのね。すっかり衰弱しているわ。…誰か、彼を馬車へ」

「ローラ様、そんな薄汚い子供を拾ってはいけません。旦那様に叱られますよ」

「人を助けるのに汚いも汚くないもないわ」

「そうかもしれませんが…」

「……わかったわ。それでは、今から彼を私の従者にします」

「ローラ様?」

「そうね。執事兼護衛、なんてどうかしら?」

「何をおっしゃっているんですか?」

「ねぇ、いかがかしら?」

 頭上で繰り広げられている言葉についていけなかった俺に、ローラ様と呼ばれたかわいいお嬢様は微笑みを浮かべて問いかけた。

「…何が?」

「これからあなたは私の執事兼護衛になるの」

「…は?」

「執事だから、いろんなものを知っていなくちゃいけないわ。だから、これから色んなことを覚えてもらう。それに護衛でもあるから剣術も習わないと。きっと苦しい訓練よ。苦しくて逃げ出したくなるかもしれない」

「…」

「けれど、あなたの身の安全とあたたかな食事は約束します。それから、私と一緒にいて楽しいと思ってもらえるようにするわ。だから、私の手を取ってくださらない?」

 差し伸べられた腕は透き通った肌をしていた。傷一つつけられたことのないその腕は綺麗すぎて、掴むことは躊躇われた。

「…」

「ロ、ローラ様。そんな勝手なことを!」

 お嬢様の奇行におそらくこの場で一番偉いだろうおばさんが動揺している。そんな中、ローラ様は優雅に笑った。

「私の最後のわがまま、ということにしましょう。彼を従者にしてくれたら、これから先一切わがままは言いません。お父様とお母様が決めた人と決められたとおり結婚するわ。それならきっと、許してくださるでしょう?」

「……」

「あの……、なんで…そこまで…?」

 乾いた喉から掠れた声が出た。けれど、どうしても聞いておきたかった。だって、こんな風にしてもらう理由がない。ただの貧乏子爵の息子。学だってない。夜会に出るとき用に、ある程度の教養やマナーは身に付けたが、高が知れている。なのにどうしてここまでしてくれるのか。

「さぁ、どうしてかしら」

 お嬢様は小さく笑ってそう答えた。そして少し考える様なそぶりを見せる。

「あなたは私を大切にしてくれる、そう感じたの。…それでは、ダメかしら?」

 全く理由になっていないその言葉は、けれど、嘘や偽りがあるようには思えなかった。まっすぐ見つめられる目は透き通っている。きっと、本当にそう思っているのだ。そう思って、名前も知らない俺を従者にしようとしている。

 人と目を合わせたのは、ずっとずっと前だった気がする。綺麗な瞳に自分が映った。薄汚れた自分が。それでも、この瞳に映してもらえるのなら。この瞳の中にいるにふさわしい自分になろうと思った。

 最後の力を振り絞って、片足をつく。

「俺は、エド。どうか、あなたのお傍に」

「エド、ね。私はローラよ。よろしくね」

 俺の言葉に、お嬢様は嬉しそうに笑った。この笑顔を守るためなら、どんな試練にも耐えよう、そう思えた。



 5年前のあの日から俺はお嬢様の傍にいた。専属の家庭教師をつけてもらい、執事に必要なスキルを朝から晩まで詰め込んだ。剣術も武術も習った。筋がよかったようで、師範に及第点をもらうのに1年かからなかった。

 お嬢様には数えられないくらい恩がある。お嬢様を守るためなら、俺は簡単に俺を差し出せた。そんなことを言うとあの人は怒るけど、怒られたって泣かれたって、お嬢様を守る以上に大切なものなど俺の中には存在しない。

 好き、なんて言葉では足りなかった。俺はお嬢様を愛している。抱きしめたいとか、そんな気持ちではない。誰よりも、幸せになってほしい。お嬢様が幸せなら、ただそれだけで十分だった。だから。

「ねぇ、エド。今度、スタッカー公爵家に行くときの服だけど、どれがいいと思う?」

「…ローラ、それは執事に聞く必要があることかな?」

「ライル様。だって、エドのセンスは抜群なんですよ?」

「そうかもしれないけど」

「私が似合う服を一番わかっているのはエドなんですもの」

「…」

 俺を介してじゃれ合う2人に思わず苦笑いが浮かぶ。けれどそれでも幸せそうに笑うお嬢様の姿に胸の中に温かい何かが広がった。本気で何度か殴ってやろうとまで考えていたライル様だったが、今ではお嬢様を溺愛している。そして俺にライバル心を燃やしている。今までの仕返しとばかりに小さなヤキモチを妬かせようとするお嬢様の姿に俺は幸せを感じていた。

 そこまで考えて、ふと気づく。自分の癖を変えなければ。今までは意図的に変えていなかったその癖はもう変えてもいいだろう。そう思い、一つ咳ばらいをする。

「奥様、今日は快晴ですから、この黄色のドレスはいかがでしょうか?」

「……え?」

「どうされました?奥様」

 俺の言葉にお嬢様は目を丸くした。そして、すぐに嬉しそうに目を細める。

「そうね。それがいいわね」

「はい」

「ねぇ、エド?」

「はい、なんでしょう」

「私、幸せよ」

「それは、……何よりです」

 俺たちの会話に一人だけついてきていないライル様が小さく首を傾げている。それを見て、俺とお嬢様は2人で小さく笑った。

 俺に向けられるお嬢様の笑み。それに嫉妬したライル様にお嬢様が連れ去られるのは、あと何秒後だろうか。

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