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ダーヴィッツ

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3章『革命』

それは、誰もが求めるもの

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意識が覚醒すると、私は病室にいた。仰ぐ天井は見覚えが無い。身体を起こそうとすると、鈍い痛みが胸と腿の辺りから身体中に拡がる。そうだった。私は、レイと……。記憶と現実が結び付くと、あの時の鮮明な光景か蘇る。

ふと、私の左手が誰かに握られていることに気付く。ジン君が私の左手を掴んだまま頭をベッドに預けたまま眠っていた。泣いていたのだろうか、彼の頬に涙が乾いた痕が見える。私は彼に握られている自分の左手で彼の右手を優しく握り返す。組合わされるように交差した私たちの指。絡んで内側にあった私の親指を1本だけほどき、彼の親指に外側から重ねる。ジン君は起きないまま。

外を見ると、窓に雨粒が滴っていた。サーッと雨が大地を濡らす音が聞こえる。曇天。空が暗かった。あの後、どうなったんだろう……。

「よう」

はっとなり、声がする方を見るとそこにはゼロが腕を組みながら壁にもたれかかっていた。ぼーっとしていたから気付かなかった。

「ゼロ……っ、私は……!」
「シー」

私はこれまでの事をとにかく話そうとした。国崩し以来の事、姿を隠していた理由、『核(フレア)』の事、『存在否定(カオス)』の事、オストリアでの事、レイの事。でも、たくさんの言葉を吐き出そうとする私をゼロは口元に指1本立てて遮った。そして、その人差し指をジン君に向ける。

「ジンと居ろ。そいつ、3日も意識が戻らなかったお前の側をずっと離れなかったんだ。今はジンとの再会を喜べよ」
「……でも」
「『国崩し』のあの時、お前はジンを奴隷から解放した。お前はジン幸せにする責任がある。……そのバカはお前を捜すために命懸けで世界中を飛び回って、結果として色々背負っちまった。そんなジンの荷物を半分持ってやるのは、隣に居てやるのはお前の役割だろ」
「……」
「今は、とにかく安心しろよ。俺が見張っててやるから、しばらく誰もここに来ねぇよ。諸々の説明確認はその後で良い。……サナ、ジンから簡単に離れられると思うなよ?そいつ、案外執念深いぞ?」

ゼロは笑いながらそう言うと病室を後にした。知ってますよ……と、か細い私の声は雨音によって掻き消された。

2人きりになっちゃった。ジン君はまだ起きない。右手で彼の頭を撫でる。黒い髪をくしゃくしゃにする。その確かな感触に高揚する。あぁ、夢じゃないんだ。本当に、また、ジン君と一緒にいる。この子が起きたら、何から話そうかな。

彼は怒るだろうか。私が死を偽装したことを。ジン君の側から離れ続けたことを。彼を残して私の命を捨て石にしようとしたことを。独りにしたことを。

彼は笑ってくれるだろうか。
私が生きていたことを。

(……どれも想像出来ちゃうなぁ)

色んな感情が混濁する。ジン君に会えて本当に嬉しい。でも、『存在否定(カオス)』が暴走してジン君を否定してしまうかもしれない。会いたかった。会いたくなかった。会ってしまった。私は『存在否定(カオス)』によって彼の存在が崩れる事を想像すると、身体が震えてきた。

「……ん」
(あ、しまった……)

ジン君を起こしてしまった。思いがけないタイミングで起きたので、私は焦る。まだ、何を言えば良いか決めていなかったのだ。彼は顔こそ起こしたが、まだうつらうつらとしていた。ぼんやり視点が空中を漂った後にようやく私に気付いた。

「あの、ジン君……」

絞り出してようやく私の口から出たのは、彼の名前だった。謝罪でも、感謝でもなく。縋り付くように彼の名前しか出せなかった。私にはそれしか無かった。このループの中で何万回と彼を求めて来たからだ。その過程で犠牲にして来た人、否定して来た人が脳裏に浮かぶ。いたたまれなくなり、彼から目線を外してしまう。それすらも申し訳なく思う。

不意に彼の匂いを感じる。まただ。抱き締められている。ジン君は両手で優しく、私の頭を自分の胸に抱き寄せた。彼の心音が左耳から聞こえる。優しい音がする。

「頑張ったねっ……、サナさんっ……」

ジン君の第一声は私の行為への非難でもなく、独りにしたことへの怒りでもなく、称賛だった。そのまま頭を撫でられる。

『赦された』気がした。

彼の涙声もそうだし、心音も、抱擁も、体温も、その優しい行為すらも。きっかけは幾らでもあった。私『何か』を塞き止めていた物はもう、限界だった。

「……あ、あ、あぁ……、ぁぁぁぁぁ……っ!!」

息苦しかった。
生き苦しかった。

「わ、私……が、頑張ったんっです、……ど、どうにかしたいっ!って!……はぁっ、はぁ、助けたいって!一緒に助かりたいって!でもっ!!で、でも……、っ!上手くいかなかった!出来なかった!助けられ無かった!!何度も何度も!出来ることは全て試したけど、ひぐっ、でも、上手く出来なかった!ど、どうすれば良いか分からなかったんです……!」
「うん」
「はぁ、はぁ、……つ、辛かったっ!痛かった!ひぐっ、とても怖かった!何度も投げ出そうとした!死んでしまおうとした!何度も死んだ!何度も殺された!でも、それでもっ、助けたかったから!ジン君と一緒に居たかったからぁ……、私は頑張ったんですぅ……!」
「うん」
「死にたくなかった!もう、怖い思いをしたくなかった!闘いたく無かった!それでも……っ!」
「うん」
「それでも、ジン君と生きたかったんですっ……!」

ジン君に背中をさすられる。彼が頷く度に私の『何か』は溶けて洗い流されていった。私は大人ぶるのを辞めて、子供のようにとにかく泣き叫んだ。我ながら情けない姿だったと思う。輪廻の果てで私は彼に初めて弱音を吐いてしまったのだ。ジン君を護るのは私の役割なのに。今は彼に護られている。そんなループの最果て。私は新しい『今』を生きている。

「言ったでしょ。もう離さない。だから、サナさんも俺の手を離さないでよ」

あぁ。
もう、
ここが全てのゴールで良い気がする。

「……ひぐっ、……はぁ。……ひぐっ」
「落ち着いた?」
「……ううん。もう、ちょっとだけ……」

だいぶ楽になった。ジン君のおかげで心のつっかえが外れた気がする。誰にも言えなかったこと、理解されなかった自分の辛さを共有してくれたことでこんなに楽になるなんて思わなかった。ここまで、随分遠回りをしたのかもしれない。私はもう少しだけ彼に甘えたかった。

「……それとさ。落ち着いたらでいいんだけど」
「何ですか……?」
「いや、えーと、その」

彼の心拍数が先程より上がるのが聞こえる。私は思わず彼の胸から顔を引き離し、泣き腫れた顔でジン君の顔を見る。赤面している。

「サナさん!俺……!」

私の心拍数も上がってきた。私は察すると、彼の次の言葉を待った。しかし、その言葉はいつまで待っても出てこなかった。ジン君の口は何かを言おうとしているのに、言葉にならなかった。

「や、やっぱりなんでも……」
「……言ってくれないんですか?」

私の手を握ったままの彼の手が震えている。私は彼の手を優しく握り返す。頑張って。私は彼の言葉を待つ。それは、どの女の子も待ち焦がれている言葉。彼が何を言おうとしているかは分かる。でも、彼自身に決めて言って欲しい。私を。私を選んで欲しい。

「……サナさん、が好き、だ」

意を決してジン君は私にその言葉をくれた。それはどこか辿々しかった。彼らしいといえば彼らしかった。でも、私にはどんな言葉よりも嬉しいものだった。あぁ、愛おしい。幸福感が私を満たしていく。私は彼の手を引き寄せる。そして、ジン君とキスをした。

未来から来たとか、カルマとか、『存在否定(カオス)』とか、まだまだ彼に色々話さないといけないなぁ。私達は互いの理解者だから。これからのことを決めないといけない。でも、その前に。

私はキスを止めてジン君の顔をじっと見る。今度はジン君からキスをされた。上の唇を優しく彼の両唇で挟まれる。私が反対側にお返しをする。今までの隙間を埋めるように、しばらく2人で笑い合いながら病室でキスをした。

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