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蒸し暑さが残る夏の夜、営業目標達成の打ち上げ飲み会が開かれた。
「かんぱーい!」
店内には、グラスを合わせる音が何度も響き、日頃の緊張から解き放たれた同僚たちの笑い声が溢れていた。
盛り上がりが最高潮に達した頃、部長がパンと手を叩き、周囲の視線を集めた。
「じゃあ、今夜も一つ、謎かけいってみようか」
待ってましたと言わんばかりに、場が静まる。
「“営業の壁とかけまして、山の頂上と解きます”」
お決まりの流れに、杏南は自然と口を開いた。
「……その心は?」
皆の視線が部長に集まる。
「登りきれば、素晴らしい景色が待っています」
一拍おいて、拍手と歓声が湧き上がった。
「さすが部長!」と、誰かが冗談めかして声を上げると、部長は照れ笑いを浮かべた。
「いやいや、でも本当に。みんなのおかげで目標を達成することができた。ありがとう」
杏南はその言葉に、小さく胸を突かれた。
部長が言う“みんな”の中に、自分は含まれているのだろうか――
居酒屋を出る頃には、夜もすっかり深まり、街は静けさに包まれていた。タクシーに乗り込む同僚たちを見送った後、数人が「もう一軒だけ!」と笑いながら路地に消えていく。
駅までの道を歩くのは、杏南と部長、ふたりきりだった。
「今日は楽しかったな。営業の仕事も楽しんでるか?」
部長の唐突な問いかけに、杏南は一瞬言葉を探した。
「はい。最初は正直、すごく不安だったんです。でも……部長がいるから、なんとかやってこれてます」
それは社交辞令ではなく、杏南の本心だった。誰よりも冷静で、時に厳しく、けれどその裏にある優しさを杏南は知っている。
「ははは、おだてると調子に乗るぞ」
部長の笑い声が、夜の静けさに柔らかく響いた。
「いえ、本当です。部長がいてくれるおかげで、安心して仕事ができるんです」
杏南はふと、ずっと聞いてみたかったことを口にした。
「部長は、どうしてこの会社に入ったんですか?」
少し間を置いて、部長がぽつりと答えた。
「俺さ、小さい頃、おもちゃをほとんど買ってもらえなかったんだ。家が貧しくてさ」
予想外の言葉に、杏南は返す言葉に詰まった。豊富な知識や経験、気配りの心もユーモアも、部長は全てを持っていた。人の心を軽くする言葉や仕草を、いつだって自然にできる人だった。人を楽しませることを、心から楽しんでいるように見えた。そんな部長の、意外な過去。
「でも、心まで貧しかったわけじゃない。親はいつも笑ってて、愛情だけはたっぷり受けて育った」
信号待ち。部長は小さく笑った。
「ある日、母親がさ、近所の古本屋で買ってくれたんだ。謎かけの本。それが俺のおもちゃだった」
「ああ……」
思わず声が出た。
——だから、謎かけ。
点と点がつながる音が、杏南の胸の奥で鳴った。
「面白くてさ、家でも学校でも、四六時中考えてた。気付いたら、学校で人気者になってたよ」
そう語る部長の横顔は、少年のように無邪気だった。
「おもちゃはなかったけど、“言葉”で遊べた。それが俺の原点だ。でさ、いつか“誰かの心を動かすおもちゃ”を作る仕事がしたいって思ったんだ」
強くて、優しくて、どこか子どもみたいにピュアなその姿に、心が引き寄せられていく。
杏南の部長への思いが、ただのファンから、恋心へと変わった瞬間でもあった。けれど、相手は部長。上司という立場に加え、歳も一回りほど離れている。そんな思いは、胸の奥にそっとしまい込んだ。
「かんぱーい!」
店内には、グラスを合わせる音が何度も響き、日頃の緊張から解き放たれた同僚たちの笑い声が溢れていた。
盛り上がりが最高潮に達した頃、部長がパンと手を叩き、周囲の視線を集めた。
「じゃあ、今夜も一つ、謎かけいってみようか」
待ってましたと言わんばかりに、場が静まる。
「“営業の壁とかけまして、山の頂上と解きます”」
お決まりの流れに、杏南は自然と口を開いた。
「……その心は?」
皆の視線が部長に集まる。
「登りきれば、素晴らしい景色が待っています」
一拍おいて、拍手と歓声が湧き上がった。
「さすが部長!」と、誰かが冗談めかして声を上げると、部長は照れ笑いを浮かべた。
「いやいや、でも本当に。みんなのおかげで目標を達成することができた。ありがとう」
杏南はその言葉に、小さく胸を突かれた。
部長が言う“みんな”の中に、自分は含まれているのだろうか――
居酒屋を出る頃には、夜もすっかり深まり、街は静けさに包まれていた。タクシーに乗り込む同僚たちを見送った後、数人が「もう一軒だけ!」と笑いながら路地に消えていく。
駅までの道を歩くのは、杏南と部長、ふたりきりだった。
「今日は楽しかったな。営業の仕事も楽しんでるか?」
部長の唐突な問いかけに、杏南は一瞬言葉を探した。
「はい。最初は正直、すごく不安だったんです。でも……部長がいるから、なんとかやってこれてます」
それは社交辞令ではなく、杏南の本心だった。誰よりも冷静で、時に厳しく、けれどその裏にある優しさを杏南は知っている。
「ははは、おだてると調子に乗るぞ」
部長の笑い声が、夜の静けさに柔らかく響いた。
「いえ、本当です。部長がいてくれるおかげで、安心して仕事ができるんです」
杏南はふと、ずっと聞いてみたかったことを口にした。
「部長は、どうしてこの会社に入ったんですか?」
少し間を置いて、部長がぽつりと答えた。
「俺さ、小さい頃、おもちゃをほとんど買ってもらえなかったんだ。家が貧しくてさ」
予想外の言葉に、杏南は返す言葉に詰まった。豊富な知識や経験、気配りの心もユーモアも、部長は全てを持っていた。人の心を軽くする言葉や仕草を、いつだって自然にできる人だった。人を楽しませることを、心から楽しんでいるように見えた。そんな部長の、意外な過去。
「でも、心まで貧しかったわけじゃない。親はいつも笑ってて、愛情だけはたっぷり受けて育った」
信号待ち。部長は小さく笑った。
「ある日、母親がさ、近所の古本屋で買ってくれたんだ。謎かけの本。それが俺のおもちゃだった」
「ああ……」
思わず声が出た。
——だから、謎かけ。
点と点がつながる音が、杏南の胸の奥で鳴った。
「面白くてさ、家でも学校でも、四六時中考えてた。気付いたら、学校で人気者になってたよ」
そう語る部長の横顔は、少年のように無邪気だった。
「おもちゃはなかったけど、“言葉”で遊べた。それが俺の原点だ。でさ、いつか“誰かの心を動かすおもちゃ”を作る仕事がしたいって思ったんだ」
強くて、優しくて、どこか子どもみたいにピュアなその姿に、心が引き寄せられていく。
杏南の部長への思いが、ただのファンから、恋心へと変わった瞬間でもあった。けれど、相手は部長。上司という立場に加え、歳も一回りほど離れている。そんな思いは、胸の奥にそっとしまい込んだ。
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