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『……俺が見えるのか』
そう呟くと、クローディアは目をこぼれんばかりに見開いて何度も頷いた。菫の瞳からはらはらと落ちる涙。薄赤く染まった目元は、普段の彼女の鉄面皮とはかけ離れていて、あれほど疎んでいたのが嘘のように情を感じてしまう。我ながら単純だ、単純で愚かだ。
「はい、……はい、見えますとも、レオンハルト様」
俺の内心の自嘲など知らず、クローディアは縋りつかんばかりに立ち上がって俺の所へとやってきた。口元が綻んでいる。瞳からは涙が流れる。俺が生きていた時には、一度も見たことのない、その表情。
『……そんな顔もできたんだな』
「……そうですわね。殿下にはいつも、無表情ばかりお見せしていました」
『ああ、そのせいで俺は……多分、お前を誤解していた。何故、ああも……俺には笑いかけてくれなかったのだ』
ああ、愚痴めいたことを口にしてしまう。それもこれも、もう死んだという身分故の気楽さか。今ここにいる俺が何を言ったところで、誰も聞く者はいない。クローディア以外は。
「……私は、笑わぬ方が美しいと言われておりました」
『え、』
「ですから……その…………殿下に、美しい娘だと、思われたかったのです……。あなたの心が、欲しかったのです……」
「…………」
我ながら阿呆だと思う。
それでも、抱きしめたい、と思った。
思ったけれど、そっと伸ばしただけの手は彼女の体をすり抜けてしまう。もう触れないのだ。二度と。
そんな風になってから、あんな表情で、こんな言葉を告げるクローディアを見るなんて、何の拷問だろう。どれだけ情が募ったとしても、もう、何も変わらないのに。
『……ずるいぞ、お前は』
「ずるい……ですか……?」
『ああ、ずるい。俺がこんな事になってから、そんな顔をするのはずるい。俺はもうお前と結婚はできない。お前は俺の婚約者ではなくなり、そのうち他の男と結婚するのに、そんな顔をするのは、ずるいだろう。……俺はもう何もできない、ただの幽霊になってしまったのに』
「殿下……」
その時、ことり、と小さな音を耳がーー霊体の耳が捉えた。
泣きたくなるような気分を切り替える。霊体だというのに、喉が軽くかすれた。
『……盗み聞きしている者がいるぞ、クローディア』
「……殿下はお耳が良いですね」
場所を変えましょう、と彼女は言う前に、レオンハルトは一瞬で壁をすり抜けて盗み聞きをしている者のところへ中空を駆けていた。
走り去っていったのは、……何の変哲もない格好をした侍従の少年。ただ、少しだけ走り方に癖があった。
『……クローディア。俺を暗殺したのは……』
呟くと、彼女は手近にあった机に不意に座った。羽ペンを取り、インクを先につけて、さらさらと白い紙に文字を書き出していく。誰か聞いているものがいるかもしれないのなら、筆談を。そう即座に判断するだけの謀略慣れのようなものが、彼女にはあった。表情も冷静だ。
『察しはついていますが、確証はありません。王宮の陰謀劇など、常にそういったものですとも。……それより殿下、この部屋は監視されている可能性があります。やはり、場所を変えた方が良さそうですね』
彼女は涙を拭い直して、ハンカチで少しだけ顔を覆う。しばらくして顔を上げた時、そこにいたのは俺の知っているクローディア姫だった。大神官の娘。魔女のような美姫。いつも冷徹な顔、人形のように整ったその無機質な美貌の女。
『……表情を出してもいいのだぞ』
『いいえ……殿下。あなたには、美しい私を、覚えていてほしいのです。その……涙まみれの、鼻の頭の赤い娘ではなくて。あんな顔は、もう致しません』
『俺が許すと言っているのだ』
『私は私に許すことは致しません』
『頑固者めが……』
小さく呟いた言葉は、クローディアの耳に届いただろうか。
部屋を出た彼女は、見張りの衛兵に軽く何事かを告げてから中庭の方へと歩き出した。
すれ違う侍女や、侍従たちが彼女に頭を下げ、時には跪く。俺には全く気づきもしない。
……よく考えれば、そんなに悪い状況でもないのかもしれない、と考えてみる。クローディアは俺が見えるわけだ。つまり俺は一人ではない。彼女を抱きしめたり、干渉したりはできないが。また、妹のように感じていたアリシアにはもう話しかけてもらえることはないだろうけれど、だが、彼女の行先を見守る事もできるのだ。死んではいるが、俺は無ではない。それは大きなことじゃないだろうか。
そんな事を考えて、気分を少しだけ明るくする。
その間にクローディアと俺は、赤い蔓薔薇の絡む噴水の側までいつの間にか歩んでいた。否、俺に関しては浮遊していた。地面に足をつけても、立つ感覚はないのだから。
改めて場所を変えて、話せる状況になったのに、クローディアは何も言わなかった。幽霊になった俺を見つめて、何か言おうとしては押し黙る。一言話しかければ、水のように滑らかに言葉が帰ってくる娘だと思っていたのに。
『……クローディア』
「はい……殿下」
『その、お前は先程俺が幽霊になっているのを見て泣いていたが……そこまで、悪いことでもないと思わないか』
「悪いことでもない……というのは?」
殿下が死んだのは悲しいことです、と言いたげに潜められた美しい眉を見ながら、俺は必死で明るい声を作る。彼女を泣かせたくない。彼女を泣かせると、胸の奥が苦しく疼くのだ、なぜだかなんて自分にも分からないけれど。
『……クローディア、俺は死んだが、無にはなっていない。お前が幸せになることも、アリシアが幸せになる先も、もしかしたらこの国の未来だって何十年と見続けられるかもしれない。幽霊とは消滅せず、数百年居続けるものだと聞く。それなら、俺だってそうなるのではないか?』
「……殿下」
彼女は、口を開いて、閉じて、また開いた。
菫の瞳が伏せられる。必死で無表情を作ろうとしているのを、何故か感じた。感じ取れてしまった。
「……そうはいかないのです。通常、体を離れた魂が、己という正しい人格を持ってこの世に留まり続けられるのは、七日間だとされています」
『……七日』
俺は呟いた。それは、短すぎる寿命だった。否、もう既に命は尽きているのだけれど、幽霊となって何百年と生きる夢を見たあとでは、それは数秒と同義だった。
「……はい。七日です、殿下。……あなたはあと七日で、幽霊として存在できなくなります。……殿下、その間に……七日の間に、したいことを、全てなさると良いでしょう」
『……では、アリシアの様子を見に行くのと……それが終わったら、』
「はい」
……逢引を。
「逢引……ですか」
『ああ。……お前と、一緒に……街に、降りたいのだ。最後に一度くらい、婚約者らしいことをしても……いいだろう?』
呟いた俺に、クローディアはぱちりと目を瞬かせた。
あどけない少女が驚いたような、本当に純粋な表情だった。ああ、そんな顔を、またする。俺はもういないのに、どんどんと、
ーーーーもう一度好きになる。
そう呟くと、クローディアは目をこぼれんばかりに見開いて何度も頷いた。菫の瞳からはらはらと落ちる涙。薄赤く染まった目元は、普段の彼女の鉄面皮とはかけ離れていて、あれほど疎んでいたのが嘘のように情を感じてしまう。我ながら単純だ、単純で愚かだ。
「はい、……はい、見えますとも、レオンハルト様」
俺の内心の自嘲など知らず、クローディアは縋りつかんばかりに立ち上がって俺の所へとやってきた。口元が綻んでいる。瞳からは涙が流れる。俺が生きていた時には、一度も見たことのない、その表情。
『……そんな顔もできたんだな』
「……そうですわね。殿下にはいつも、無表情ばかりお見せしていました」
『ああ、そのせいで俺は……多分、お前を誤解していた。何故、ああも……俺には笑いかけてくれなかったのだ』
ああ、愚痴めいたことを口にしてしまう。それもこれも、もう死んだという身分故の気楽さか。今ここにいる俺が何を言ったところで、誰も聞く者はいない。クローディア以外は。
「……私は、笑わぬ方が美しいと言われておりました」
『え、』
「ですから……その…………殿下に、美しい娘だと、思われたかったのです……。あなたの心が、欲しかったのです……」
「…………」
我ながら阿呆だと思う。
それでも、抱きしめたい、と思った。
思ったけれど、そっと伸ばしただけの手は彼女の体をすり抜けてしまう。もう触れないのだ。二度と。
そんな風になってから、あんな表情で、こんな言葉を告げるクローディアを見るなんて、何の拷問だろう。どれだけ情が募ったとしても、もう、何も変わらないのに。
『……ずるいぞ、お前は』
「ずるい……ですか……?」
『ああ、ずるい。俺がこんな事になってから、そんな顔をするのはずるい。俺はもうお前と結婚はできない。お前は俺の婚約者ではなくなり、そのうち他の男と結婚するのに、そんな顔をするのは、ずるいだろう。……俺はもう何もできない、ただの幽霊になってしまったのに』
「殿下……」
その時、ことり、と小さな音を耳がーー霊体の耳が捉えた。
泣きたくなるような気分を切り替える。霊体だというのに、喉が軽くかすれた。
『……盗み聞きしている者がいるぞ、クローディア』
「……殿下はお耳が良いですね」
場所を変えましょう、と彼女は言う前に、レオンハルトは一瞬で壁をすり抜けて盗み聞きをしている者のところへ中空を駆けていた。
走り去っていったのは、……何の変哲もない格好をした侍従の少年。ただ、少しだけ走り方に癖があった。
『……クローディア。俺を暗殺したのは……』
呟くと、彼女は手近にあった机に不意に座った。羽ペンを取り、インクを先につけて、さらさらと白い紙に文字を書き出していく。誰か聞いているものがいるかもしれないのなら、筆談を。そう即座に判断するだけの謀略慣れのようなものが、彼女にはあった。表情も冷静だ。
『察しはついていますが、確証はありません。王宮の陰謀劇など、常にそういったものですとも。……それより殿下、この部屋は監視されている可能性があります。やはり、場所を変えた方が良さそうですね』
彼女は涙を拭い直して、ハンカチで少しだけ顔を覆う。しばらくして顔を上げた時、そこにいたのは俺の知っているクローディア姫だった。大神官の娘。魔女のような美姫。いつも冷徹な顔、人形のように整ったその無機質な美貌の女。
『……表情を出してもいいのだぞ』
『いいえ……殿下。あなたには、美しい私を、覚えていてほしいのです。その……涙まみれの、鼻の頭の赤い娘ではなくて。あんな顔は、もう致しません』
『俺が許すと言っているのだ』
『私は私に許すことは致しません』
『頑固者めが……』
小さく呟いた言葉は、クローディアの耳に届いただろうか。
部屋を出た彼女は、見張りの衛兵に軽く何事かを告げてから中庭の方へと歩き出した。
すれ違う侍女や、侍従たちが彼女に頭を下げ、時には跪く。俺には全く気づきもしない。
……よく考えれば、そんなに悪い状況でもないのかもしれない、と考えてみる。クローディアは俺が見えるわけだ。つまり俺は一人ではない。彼女を抱きしめたり、干渉したりはできないが。また、妹のように感じていたアリシアにはもう話しかけてもらえることはないだろうけれど、だが、彼女の行先を見守る事もできるのだ。死んではいるが、俺は無ではない。それは大きなことじゃないだろうか。
そんな事を考えて、気分を少しだけ明るくする。
その間にクローディアと俺は、赤い蔓薔薇の絡む噴水の側までいつの間にか歩んでいた。否、俺に関しては浮遊していた。地面に足をつけても、立つ感覚はないのだから。
改めて場所を変えて、話せる状況になったのに、クローディアは何も言わなかった。幽霊になった俺を見つめて、何か言おうとしては押し黙る。一言話しかければ、水のように滑らかに言葉が帰ってくる娘だと思っていたのに。
『……クローディア』
「はい……殿下」
『その、お前は先程俺が幽霊になっているのを見て泣いていたが……そこまで、悪いことでもないと思わないか』
「悪いことでもない……というのは?」
殿下が死んだのは悲しいことです、と言いたげに潜められた美しい眉を見ながら、俺は必死で明るい声を作る。彼女を泣かせたくない。彼女を泣かせると、胸の奥が苦しく疼くのだ、なぜだかなんて自分にも分からないけれど。
『……クローディア、俺は死んだが、無にはなっていない。お前が幸せになることも、アリシアが幸せになる先も、もしかしたらこの国の未来だって何十年と見続けられるかもしれない。幽霊とは消滅せず、数百年居続けるものだと聞く。それなら、俺だってそうなるのではないか?』
「……殿下」
彼女は、口を開いて、閉じて、また開いた。
菫の瞳が伏せられる。必死で無表情を作ろうとしているのを、何故か感じた。感じ取れてしまった。
「……そうはいかないのです。通常、体を離れた魂が、己という正しい人格を持ってこの世に留まり続けられるのは、七日間だとされています」
『……七日』
俺は呟いた。それは、短すぎる寿命だった。否、もう既に命は尽きているのだけれど、幽霊となって何百年と生きる夢を見たあとでは、それは数秒と同義だった。
「……はい。七日です、殿下。……あなたはあと七日で、幽霊として存在できなくなります。……殿下、その間に……七日の間に、したいことを、全てなさると良いでしょう」
『……では、アリシアの様子を見に行くのと……それが終わったら、』
「はい」
……逢引を。
「逢引……ですか」
『ああ。……お前と、一緒に……街に、降りたいのだ。最後に一度くらい、婚約者らしいことをしても……いいだろう?』
呟いた俺に、クローディアはぱちりと目を瞬かせた。
あどけない少女が驚いたような、本当に純粋な表情だった。ああ、そんな顔を、またする。俺はもういないのに、どんどんと、
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