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第一章~秋恋讃歌~

第三話~惚れられるな危険

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 朝のホームルームの前に、明はクラスの女子の中から怪しそうな女を探していた。告白する女子の覚悟は明も理解しているのだ。しかし、その告白を断る明王おとこの心も分かっていただきたいと切に想った。女子目線の蘭からは、勘違いさせるようなことをしている可能性があると言われてしまった。一哉はともかく、光はそれを断ることによる心の傷みを察してくれた。この一年半ほどで確かに七人くらいに告白された覚えがある。なかにはこのクラスの女子もいる。しかし、対応は丁寧にしていたし、その女子に納得がいくように断っているはずなのだ。


 「うぅ~ん・・・龍くん、恋のトラブルとかない?」

 「あるぞ。これはついこの間の話だ」

 「この間?」

 「千年ほど前なのだが」

 「この間と言わなかったかね?」


 数万年もこの世界を見守っていると、もはや千年など昨日のことのように一瞬だ。一哉にとっての千年と龍王光の千年、そして明王と菩薩の千年の時の流れの感じ方はまるで違う。


 「あれは、雨降らしの巫女に出逢った日のことだ」


 雨乞いをする少女に一目惚れしたのだ。干害によって作物の育たない日々が続く中、人々は雨乞いに縋ったのだ。そんな人々の声に応えたのが難陀だった。難陀は、飢えで泣く者たちがあまりにも不憫になり、雨を降らした。その日の雲は、龍のような形をしていたらしく、それから龍は水神として、農民たちに崇められている。その辺に龍の印が多い理由は、絶大なる龍の力が人々を救ったためだったのだ。晴れの日が続き、雨はまたしても降らなくなった。民は、若い女を生贄として雨乞いをさせようとしたのだ。


 「そのときの女性が、光さんが一目惚れした方と?というかあなた、頭九つありますよね?」


 難陀竜王は、竜王などと謳いながら、人々が描く龍ではなく、頭に九つの蛇がいるというのが難陀竜王の姿だ。こどもが憧れる龍とは程遠い。しかし、真言宗で重視される千手観世音菩薩センジュカンゼオンボサツの眷属のうちの二大竜王の一人だ。もう一人は、彼の弟跋難陀竜王バツナンダリュウオウだ。


 「む?光は弟がいたのかね?」

 「ではなくだがな」

 
 光の本名は難陀だが、サンスクリット語ではナンダナーガ。つまりは蛇、または蛇神である。別名歓喜竜王。八大竜王の筆頭だ。龍とは、蛇を神格化したものであり、ブッダが誕生した際に灌水かんすいした存在も龍であると言われている。


 「ブッダよりも長生きなのかね?」

 「龍も、神と同じ頃に生まれたとされていますからね。人類史上に生まれたブッダさまよりも遥かに歳上ですよ。」


 人類史が始まるよりも前に、彼らは既に天上にいたのだ。誰もいない、陸もないような寂しい世界に次々と生命が生まれる様子は、神や龍の目を釘付けにした。そんな太古からいる龍が、たった一人の少女に恋をしたのだ。


 「会いたい会いたいと思い、考えた結果この姿になってこの地上に降りた。優しい女子おなごであった」


 「人々のためになるのであれば、わたしは喜んでこの身を差し上げます」と少女は言った。光が思っていた通りの少女だった。しかし少女は、光と出会って数年後に十九歳という若さで亡くなった。雨乞いの儀式で、確実に雨を降らすことができるようになってしまった彼女を、彼女の両親が蔵に隔離した。娘を守るための唯一の行動ではあった。しかし、太陽に当たることも出来ず、衰弱した少女は若くして亡くなった。光はその少女の枕元にいて、彼女の昇天に立ち会った。


 「実は、その少女を極楽へ行かせて欲しくて縋ったのが、大日如来ダイニチニョライの化身である不動明王だったのだ」

 「おやまぁ」

 「あの子、初恋の相手だったんだ」


 不思議な縁で繋がり、光は不動明王に対して頭が上がらない。つまりは、明を尊敬の対象として見ているのだ。不動明王は、慈悲深い存在であり、厳しくも優しい性格なのだ。


 「縁とは面白いものだな。そこで繋がっていたとは思いもしなかった」


 慈が感心したように言った。ただ、明は恋のトラブルについて聞いたのだが、光の話は悲恋だった。


 「蘭ちゃんは?」

 「恋のトラブルですよね?あぁ、人とございましたよ」

 「あったの?」

 「えぇ、彼は二十代後半の詩人でした」

 
 一哉は、光にせよ、蘭にせよ、ろくな職に就いている相手がいないなと思った。ある日
男の存在など知らなかった蘭は、美しい声で歌っていた。その歌声に誘われた詩人と、地上に天女の姿で水浴びをしながら歌っていたキンナリー、蘭は巡り会った。


 「しばらくして、わたしは彼と付き合うことになったのです。彼は詩人ですが、あの頃の詩人というのは儲からない仕事だったようなのです」

 「そうだと思うよ」


 今なら作家として売れれば儲かるが、当時など詩が受けるとは思えない。


 「そこで、わたしが働いて、彼の生活費を養っていたのです」


 ヒモ男のために、蘭は生活費にしても何にしても、好きな彼に貢いだのだ。


 「八百万円。自分ながらよく働きました」

 「え、そのお金どうした、の?」

 「わたしは騙されていたのです」


 こんな可憐な美女をよく騙せたなと思う。懸命に自分に貢いでくれる彼女。詩人と言いながらただ法螺ホラを吹いていたのではないのか、と。


 「わたしが彼に払ったお金は、全て彼の妻子に渡っていたのです」

 「えぇっ!?ただの詐欺じゃん!」

 「傷心してたのではなかったということなのか」


 好きな彼のために働いて稼いだお金を、彼氏を演じる詐欺師に貢ぎ、そして貢いだお金は、詐欺師の家族に使われたのだ。つまり、彼は家族を養うだけのお金がなかったのだ。その結果、懸命に貢いでくれる蘭を利用し、妻子にはあたかも自分が苦労して稼いだかのように見せた。その男は、蘭も妻子も騙していたのだ。しかも付き合っている時点で浮気。蘭は知らないうちに愛人となっていたのだ。


 「酷い話なのだよ」

 「その奥さんと揉め事になってしまい、何も知らなかったわたしですから、その事実を受け止め、彼とは別れました」

 「賢明な判断だと思うよ」


 騙され、傷ついた蘭の傍にいてくれるようになったのは、天部の一人帝釈天インドラだった。


 「えっと・・・」


 帝釈天を知らない一哉以外は、嫌な予感しかしなかった。帝釈天という神は、女好きと知られており、阿修羅の妻を横取りしたと言われている。帝釈天による被害件数は一体幾つになるか。


 「女と付き合えないように縛ってやろうかな」


 明はボソリと言い放った。シヴァ神を縛ったように、帝釈天を縛ろうかと。そう思うほどには、蘭をどうする気だったのか、と疑うしかない。
 

 「まぁ、蘭ちゃんを騙した男は、人を騙せないように閻魔くんが何とかしてくれてるでしょ」

 「舌を切られたことだろう」

 
 閻魔くんと、地獄の番人のような彼をくん付けで呼ぶ明に違和感しかないが、明は天上でもかなり上の存在だ。


 「いや、閻魔は地蔵菩薩の化身だぞよ?」

 「不動明王が大日如来の化身だからな」

 「なるほど、如来の方が立場が上ということなのだね」

 「そういうことだ」


 大日如来の化身という立場は、かなり絶大な権力を握っている。化身と謳われる存在は意外にも多くいる。


 「というかオレ、女の子に聞いても意味ないじゃん。なんでダメ男の話聞いてんのかなぁ」

 
 明は、またしても盛大な溜息を吐いた。ラブレターは嬉しいのだが、執着されているというのは困る。「ずっと慕っていました」のずっととはいつからなのか。

 そして、ついに昼休みになってしまった。いつもは楽しい昼休みが、明にとっては憂鬱でしかなく、時自体を不動明王金縛りにしてやりたいとさえ思った。


 「気をつけることだ明。その女は、何かあるとわたしは思う」

 「これ以上脅さないでよ・・・」


 明は、後戻りはできないと悟り、戦場へ向かった。
 一哉たちは、流石に明のことが心配になり、千里眼を持つ慈の力で明を監視した。


 「えぇーと、まだ来てないのかな」


 屋上に来たものの、それらしき人物は見当たらない。


 「明さまですか?」

 「うん、そうだよ。オレで間違いないかな?」

 「はい」


 あれだけ憂鬱だと言っていた明だが、いざ前にしてみればいつもの調子を取り戻した。
 そして明の前に現れた少女は、よくそこまで伸ばしたな、と思うような長い黒髪をローツインテールしていた。黒髪でもここまで違うのかと若干失礼なことを思ってしまった。科学部に所属していたと思われる竹林亜矢だ。ほとんど話したこともない相手だった。
 ・・・喋ってたらゴメンね


 「えっと、こんなところじゃなくて、別の所で話さない?それとも・・・ここじゃなきゃ話せない?」

 「いいんですか?」

 「いいんじゃない?話すくらいならいくらでも」


 よく知らない相手から執着されるというのは、さすがの不動明王でも堪える。口が裂けてもそんなことは言わないが。しかし、執着されているならば、状況が悪化する前に自分から仕掛けるしかない。それが明の第一の作戦であった。下手なことをすれば、煩悩が爆発して大罪を犯しかねないのだから。これを冷静に考えることが出来た自分を褒めてやりたいと思うが、これも経験によるものだ。


 「放課後でいいかな?」

 「あ、はい」


 亜矢は納得したのか、若干不気味な笑みを浮かべながら屋上を後にした。その微笑を千里眼で見ていた慈たちは、屋上の柵に凭れている明に半分だけ同情した。もう半分は、その場を切り抜けたいという想いで自分から話しをする時間を設けたという行動に呆れたのだ。あれだけ警戒していた相手を簡単に誘えるあたり、一体どれだけの女を無自覚にたぶらかして来たのか。


 「よく誘えたものです」

 「あの女はこれまでの女と同じように扱っていい相手とは思えない」

 「慣れとは恐ろしいものです。これまでの経験が災いしたと捉えることが賢明でしょう」


 一哉と光の反応は男目線で、同情してあげられるが、慈も蘭もあくまで女目線での評価だ。両方の眼で見てくれると思っていた慈でさえ、亜矢が異常だと判断しれしまえば、明の行動を評価してあげられないのだ。

 明が教室に戻ってくると、一哉たちは既に自分の席に座っていた。明の隣である慈と、明の後ろに座っている光は気になって仕方がなかった。しかし、心配されているとは想っていないのか、明は何事もなかったかのように教科書を読み始めた。


 「意外と大丈夫そうだな」

 「どうだか」

 「慈ちゃんにはバレテたかな」


 明は内心非常に焦っていたのだ。焦りは煩悩。どうやって煩悩を払ってやろうかと思った結果、教科書を読んで違うことに集中しようという作戦だった。 


 「場所はどこにしたのだ?」

 「カフェかなぁ」

 「またそんな女に受けそうな場所を選んで」


 蘭が聴いていたらお咎めを喰らうようなことを選択しようとしていたのだ。しかし、夕方は逢う魔が時という危険な時間帯であり、煩悩に飲み込まれようとしている今の亜矢は格好の餌。その心に入り込もうとする者は間違いなく現れる。自分がいることで抑止力になる可能性もあるのだ。そうなれば、もうその選択しかなかった。慈は、その選択に至った明の心を読み取っていた。


 「其方は、良くも悪くも優しいからな」

 「優しい?」

 「自分に執着しようとしている存在など、普通の人間ならば関わろうともしないだろう。まぁ、其方が想うように通せばいい。わたしは、評価はしないが反対もしない」

 
 やめておけと言われるとは想ったのだ。一哉たちのグループのなかで、誰よりも地位が上の慈が反対しないと言ったなら、光や蘭も反対しないだろう。もしくは、二人も明らしいと言って受け入れるか。どちらかと言えば、付き合ってきたなかでの明の勘であれば後者だ。


 「うん、ありがとう、慈ちゃん」

 「わたしは何も。どこに居ようと気をつけることだ。こちらも監視はさせてもらうがな」

 「まぁね。何かあってもダメだしね」


 そして、放課後になり、明は校門の前で待っていた。


 「明先輩」

 「結衣ちゃん。その感じだとこれから習い事かな?」

 「はい」

 「頑張って」


 明は、自分を慕ってくれている後輩の女子結衣に対し、好意的に接し、最後は手を振って軽くエールを送った。その親しみやすささえも罪に見えて来た蘭である。そのあとも、立っているだけで彼は絵になってしまうらしく、次々と女子から声を掛けられていた。なかには黄色い悲鳴を上げる女子もいたが。


 「あの男・・・そろそろ締めてあげましょうか」

 「落ち着け、蘭」

 「しかし、あれだけだと考えものなのだよ」

 「まぁ、否定はせぬな。あれは、女子でなくても呆れるのぉ」


 一哉たちは、女子であろうと男子であろうと声をかけられては応える明に対し、呆れて溜息を吐いた。一哉たち特に蘭は、いっそのこと明が亜矢に執着されて少しは懲りたほうがいいとさえ思った。


 「あの」

 「亜矢ちゃん、やっと来た」

 「声を掛けづらくて」


 人畜無害そうな顔をしている明だが、シヴァとその妻を踏み潰して一撃で倒すような男だ。優しさなど一瞬で消しされる。しかし、相手が人間なら別だ。仏は、人間に害を与えない。外を与える鬼のような存在を裁くだけだ。だが、人の姿をしている明の場合、声を掛けづらい理由は一つ。周りに人がいるからだ。ラブレターで話をしたいと告げるような少女が、群がる人の輪に入ることなど、地獄の鬼が極楽に行くくらいのハードルの高さだろう。


 「行こうか」

 「はい。あの・・・」

 「ん?」

 「慈さんとは・・・どういうご関係ですか?」


 お茶を飲んでいれば間違いなく吹いていただろう。まさかここで慈の名が挙がるとは思わなかった。慈が一番困惑していた。いつも顔色一つ変えないような美貌が、今は困惑が滲んでいた。


 「友達で、仲間で・・・オレにとって大切な人だよ」

 
 ・・・おい
 一哉たちは一斉に突っ込んだ。その言葉が亜矢を煽っているとは思わないのか。慈の名を出したということは、慈に対してジェラシーを感じているということに外ならない、と蘭は断言した。女が二人きりのときに別の女の名前を挙げるときは、嫉妬心が表に出てきてしまっているということだろう。


 「そうですか」

 「慈ちゃんには手を出さないことだ」

 「え?」

 「オレと同じ想いの人は、一杯いるってことだよ。あの子を敵に回しちゃいけないよ、亜矢ちゃん」


 慈の周りにいるのは、不動明王や竜王、音楽神だけではない。如来や菩薩や観音も含まれている。最も、未来仏という存在がどれだけ大きなものか、人間で分かる者はほとんどいないだろうが。


 「ここで話そうか」

 「男の人とカフェなんて初めてです」

 「そうなんだ」


 明は、扉を開けると「お先にどうぞ」と言って亜矢を先に入らせた。エスコートを当たり前のようにする。無自覚なのか、意識しているのか、どちらにせよ問題だ。
 一方で寺で監視中の一哉たちは


 「光かカズくん」

 「いかがした?慈さま」

 「僕にも何かあるのかね?」


 慈に何か考えがあるのか、ふと考え出した。しかし、一哉たちは嫌な予感がしていた。考えによっては、事故に巻き込まれるかもしれないのだ。


 「どちらか、わたしの彼氏ということにしてカフェに行こう」

 「は?なぜそうなるのかね?」

 「それは良い考えですね」


 慈の提案に蘭が賛同した。男としては、作戦に利用されるというのは、少し悲しい。しかも、相手は人間離れした美女。一哉と光は、じゃんけんで決めることにした。作戦に利用されるとはいえ、彼氏になれるというのは色恋に興味のない一哉も、恋することは知っている竜王であっても魅力的なのか、すぐに受け入れたのだった。
 彼氏役は、一哉になってしまった。


 「よかったですね、初めての彼女が慈さまだなんて」

 「無益なことはするなよ、一哉」

 「わ、分かっているのだよ・・・プレッシャーなのだよ」

 「わたしは着替える。その間の監視は頼むぞ、光、蘭」

 「心得た」

 「承知しました」


 慈は、二人に告げると一哉も連れて行った。
 数分ほどすると、慈と一哉は、慈が選びオシャレにコーディネートした服に身を包んで出て来た。ただし、一哉は顔を真っ赤にして登場した。
 慈は、ボルドーのミニワンピースだ。ウエストをベルトでマークすることで抜群のスタイルを際立たせた。見た目からしてラグジュアリーなワンピースで、確かにデートらしいコーディネートだ。足元は黒のハイカットブーツだ。そして一哉は、白のワイシャツに、紺のジャケットを着せ、ブラックのスーツ地パンツを穿いている。優等生の雰囲気を残したコーディネートになっていた。


 「こんなのどこで覚えたんですか?」

 「いや・・・ちょっと最近雑誌を読み始めて・・・それで・・・」


 いつの間に女らしいファッションを覚えたのかと思えば、一哉たちが知らないところで雑誌で勉強していたのだ。少し人間らしい何かを身に付けようとした結果、人間のファッションだったのだ。
 ・・・なんと可愛い菩薩さま
 

 「で、一哉はなぜ顔が赤いのだ」

 「目の前で脱がれたら嫌でもこうなるのだよ」


 光と蘭は同時に絶句した。いつかどこかで仕出かすとは思っていたが、ここでするとは思わなかった。年頃の男子の前で脱ぐという貞操観念が低すぎる行動を取った菩薩に、二人は苦笑を隠すことはしなかった。勉強と仏像意外に興味はないと豪語する一哉さえ、さすがに動揺を隠すことはできなかった。


 「いってらっしゃいませ」

 「あぁ」


 何をするかわからないが、光と蘭は温かい目で見守ることにしたのだった。最も二人が懸念していたのは、二人がカフェに辿り着けるかなのだが。その関門は一哉がリードし、何事もなく突破した。二人は初めて一哉を頼もしく感じた。そして、第二の懸念は誰よりも目立つことだった。


 「あの子どこのモデル?」

 「めちゃくちゃキレイな人・・・」


 などなど、慈の容姿なのか持ち前のオーラなのか、目立って仕方がなかった。しかし、これが慈の狙いであった。目立つ目立たないは別として、一哉と慈がデートをしているように明と亜矢に分からせることで、明とはそういった関係ではないと理解してもらう作戦だった。


 「慈さん、付き合ってたんですね」

 「・・・ん?」


 ・・・えっと
 明は、付き合っている風に装っている二人に気づいた。序に、慈の作戦の内容も把握した。明が慈に対して、この状況で好意を寄せることはない。ならば、亜矢が慈にジェラシーを滾らせることはない。


 「気になりますか?」

 「そりゃ、友達二人が付き合ってるなら気になるでしょ」

 「好きだからですか?」

 「違うよ。嬉しいでしょ、仲良くしてる二人が上手くいってるなら」


 作戦の意図を察した明は、その作戦に乗ることにした。慈がこのような行動を取るとは思わなかったが、これで慈を巻き込むことはないだろうと明はホッとした。


 「亜矢ちゃんはさ、趣味とかあるの?」

 「趣味ですか?そうですね・・・お寺巡りですかね」

 「おぉ・・・好きな仏像とかあるの?」

 「不動明王さまです」


 即答され、明は動揺してしまいそうになった。今目の前にいる相手が不動明王だなど、口が裂けても言えない。というか、言わない。スマホの画像ファイルに各地の不動明王を見せられた時は、何故かゾッとした。不動明王が置かれている寺は全て訪れているという。された覚えはないが、ストーキングされている気分になった。事実、仏像となっている慈たちも、亜矢の行動は狂気だと感じてしまう。仏像が好きなのではなく、不動明王という仏像が好きなのだから。疑似デートなどはしていないと想いたい。


 「あ、もう五時半じゃん。オレのとこ門限があってさ、六時には帰らなきゃいけなくて」

 「そうなんですか?今日はありがとうございました」


 明は、この状況から切り抜けるため、門限があると嘯いた。切り抜ける代わりに、「家まで送るよ」と言って、亜矢を家の近くまで送り届けた。当然、近くに悪鬼がいないことを確認してからだ。流石に、夕方であろうと人気のある団地ならば、なかなか悪鬼は現れない。一応のため、霊体化した状態で屋根から亜矢が家に入るまで見送った。

 そして、明と亜矢を見守っていた一哉は、役目は終わったとばかりに溜息を吐いた。しかし、慈の表情は芳しくなかった。カフェには、光と蘭も合流した。


 「どうかしたのかね?」

 「いや・・・あの女の煩悩が目覚めようとしている」

 「と、いいますと?」

 「蘭、風は何と言っている?」


 蘭は気を集中させると、風の声を聞く。その表情は一瞬で強張る。抑止されていると想っていたが、逆に進んでいた可能性があったのだ。


 「嫉妬と・・・愛が執着に変わっていく・・・」

 「あの女を止めるなら、優しさは逆効果ということだ。明は優しい。しかし、今の状況ではそれはあだになるだけ」

 「確かにそうですね」

 「オレも想うよ」


 カフェに先ほどまで霊体化していた明が現れ、一言目にそう言った。優しいかはさておき、親切心は今の亜矢に逆効果だと、自覚していたのだ。強すぎる愛は、執着心となり、人を暴走させる。それがストーカーという形になり、最後は自分のものにならないと想えば、人は最大の罪を犯すこともある。人間の弱さは、仏が想っている以上に深刻だ。少しでも自分の想いに気づけば、人は何かを失っても欲に溺れて行く。煩悩は、確かに全ての生き物が持つ特別なものだ。しかし、人間はそれを細い理性の糸で繋ぎ止める。その糸が切れれば、人は止まることができなくなる。その強すぎる欲望に悪鬼は入り込めば、間違いなく嫉妬する相手を襲いに掛かる。もしくは、執着する相手を自分のものにしようと殺しにかかる。


 「しかし、相手にされなくなったらなったで、ストーカーになってしまいませんか?」

 「あの感じだとなりそうなのだよ。僕でもわかるのだよ」

 「どうしたらいいのかなぁ。もう」

 
 不動明王まで好きだと言われてしまえば、どうしようもない。いっそのこと、今のうちに煩悩が暴走しないように封印するべきではないのか。煩悩は消滅してしまうとそれは人間ではなく、空虚な器でしかなくなる。そうならないように浄化させる慈がいるのだ。一度黒になってしまったものは、完全に白にはなれない。限りなく白にできる方法はそれしかない。しかし、今亜矢を唯一人として留めておける術を持つ存在は、嫉妬の対象だ。状況は最悪である。


 「話したこともない相手にどうやって惚れられるんですか?」


 話した覚えが本人になくても、彼女にとっては一目惚れの瞬間だった可能性もある。蘭はそう思ったのだが、だとしても、その亜矢の存在を自分たちが見たことがないというのは少しおかしいとも感じた。


 「・・・逆にわたしが彼女に近づくという作戦はどうだろうか。もしくは、わざと巻き込まれるか」

 「そういうわけにはいかぬぞよ、慈さま」

 「そうだよ。君が囮は危険過ぎる」


 慈と蘭は、戦えないことはないのだが、戦闘力に特化した明と光と比べれば断然劣る。目覚めかけている煩悩に自ら近づくのは、菩薩がすることとしては賢明とは言えない。


 「誰がわたし自身が囮になると言った?わたしの思念体を近づかせるのだ。目覚めた場合は、彼女をその思念体で包めばいい」


 思念体は、本体の浄化力よりは若干弱くなるが、そこらの霊媒師や陰陽師と比べれば十分効果的だ。煩悩の属性が影や闇だとすれば、慈の属性は完全な光だ。弱体化してもその光の力に勝てる闇など、悪鬼本体か悪神くらいだ。釈迦如来の後継者となる如来に目覚めつつある菩薩の力は絶大なもの。彼女の姿を見た瞬間に膨れ上がっていたのは、慈本人も監視していた光と蘭も気づいていた。霊感がある一哉も少しだけその煩悩の姿に少しは気づくことが出来ていた。


 「女の子って怖いね」

 「煩悩って、具現化するのかね?」

 「よっぽど強ければな。獣になれば、無関係な人間にも危害を加える場合もある。そのための思念体だ。包み浄化することもできるし、結界代わりにもなる」


 ここに来て思念体の万能説が浮上した。この術は、如来から直接教わった術だ。


 「明日の作戦は・・・いつも通りにすることだ」

 「いつも通り話しているだけで煽れそうですよね、今の彼女」

 「お世話になります」


 明は、こんなにも人間の女性が恐ろしい存在であるとは思わなかった。明は、しばらく憂鬱な生活を送ることになってしまった。



 ――2――


 翌日、明は休むという作戦を取ることにした。この作戦は、慈たちがそうしろと言ったからなのだ。明が亜矢の視界に入らないようにすることで、少しは落ち着くのではないかという確信もない考えだが、可能性があれば試してみるべきだということになったのだ。不動明王である明を、蘭が上空から突き落とそうが、光の龍の尾で叩きつけようが、丈夫すぎて効果がなかったため、ただの仮病だ。


 「前沢先生、明くんが風邪で休むそうです」

 「珍しいな。風邪をひく体ではないのに」

 「え?」


 一度も風邪をひいていないからそう思っているのだろうと一哉は判断した。人間のなかでは、自分以外に彼らの正体を知っているものはいないのだから。そして、朝のホームルーム前に、教室の前に亜矢がいないかを一哉が確かめ、教室に入った。


 「亜矢はいたか?」

 「いたのだよ」

 「いたんですか?昨日の疑似デートで付き合った気にでもなったのでしょうか」


 明はただ話し相手になっただけで、デートのつもりは全くなかった。そこで、慈と蘭は情報収集をすることにした。明がいないうちに亜矢のことについての何かを聞こうと想ったのだ。星谷高校随一の情報通天宮優姫と有野光里に聴いた。どこから手に入れるのかと思うような貴重な情報を多く持っていることを知っているからだ。


 「優姫、光里」

 「あら慈、どうしたの?」


 優姫は、ブラウンの長髪を巻いており、必ず生活指導の教師に指摘される美少女だ。光里も同じで、明るい茶髪をポニーテールにした少女で、慈とは少し違う男っぽい口調が特徴だ。優姫は、劇の際に明演じる沙悟浄の愛人凛を演じている。


 「竹林亜矢について知らないか?」

 「竹林?あぁ~あの女って死んだんじゃなかったかしら」

 「・・・死んだ?」


 慈と蘭は同時に顔を見合わせた。


 「そうよ、確か・・・屋上から飛び降りたって噂よ」

 「そうそう。不動さまに逢いに行きますっていう遺書遺して飛び降りたらしいぜ」


 慈と蘭は頭痛がするような気がした。とんでもないことになっていた。昨日明が話していた相手が霊だったかもしれないのだ。しかし、あの少女は明かに実体だった。今度は、新たな可能性が浮上した。明に逢うために無関係の女に取り憑いた可能性だ。そして、取り憑かれた少女も明に想いを寄せていたとしたら、その心を利用したことになる。竹林亜矢という存在自体が、この世に未練ぼんのうを残した悪霊かもしれないのだ。


 「ということは・・・明さんの正体に気付いていたってことですか?」

 「まあ、亡霊だったなら、その可能性もあるかもしれぬが」


 霊だとすれば、取り憑かれた少女から引き剥がし、成仏させるか調伏しなくてはならない。調伏とは力づくで捩じ伏せ、外道に進もうとする魂を捕えるものだ。しかし、問題は取り憑いて巻き込んだという罪を犯している可能性があることだ。


 「でも、最近その霊を見た人がいるらしいわ」

 「え?それは誰ですか?」

 「野苗沙希。彼女は、その霊を見てから豹変したらしいわ」


 優姫が言うには、彼女は亜矢の霊を見た日から、ふと意識を飛ばしたと想えば彷徨さまようように屋上に行くことが増えたというのだ。彼女の親も悪癖に辟易へきえきしており、壁一面に不動明王の絵を貼り始め、さらには勝手に借金までして仏像を入手するという狂気ぶりだという。思っていた以上に最悪の状況だった。


 「・・・慈さま」

 「ああ、作戦は放課後に決行する」

 「わたしは・・・」

 「其方は、別の角度から亜矢の監視を頼む」


 蘭は渋々頷いた。本当は慈を護りたいのだ。しかし、その慈に言われた以上蘭には何も言えない。慈は、そんな蘭の想いを汲み取ったように優しく微笑み頭を撫でた。不安そうな妹を慰める姉のように。


 「わたしはだいじょうぶ。何かあったら、助けに来てくれるか?」

 「はい、よろこんですっ飛んで行きます。ですから、絶対に錫杖は離さぬように」

 「離したときは、私がわかる。問題ない、蘭」

 「そうですね」


 慈が錫杖を離すということは、GPSの機能を果たせなくなるということを意味し、迷子になったときに探すことができなくなるのだ。錫杖の位置の把握は光が可能だ。あとは、蘭が風の声を聞いて探し出す。光と蘭は、少女のことの前に、慈が迷子になったときの対策を立て始めたのだった。

 一方、仮病を使って休暇中の明は、霊体化させた状態で高校の様子を見ていた。その理由は、慈から亜矢の亡霊説を聞いたからだ。


 「まさか霊かもしれないとは・・・」

 「仮病で休んだというのに、何をされているのですか?」


 背後から子どもの声が聞こえて来た。そこにいたのは、自分の眷属である矜羯羅コンガラ童子がいた。この子どもに、明の見張りを頼んでいたのだ。案の定明は単独行動をしていた。明の動向を随時報告するようにと慈から告げられていた。菩薩筆頭に言われてしまえば、明王の眷属に断る権利はない。


 「帰りますよ」

 「はーい」


 明は、街に下りると実体化し、帰路を歩き始めた。帰らなければ矜羯羅童子に報告チクられる。まさか眷属に脅されるとは思わなかった。


 「おい」

 「うっ・・・この声は・・・」


 聞き覚えのある声に、明はゆっくり振り向いた。そこにいたのは学校にいるはずの慈だった。


 「な、何やってるのかな?」

 「それはこちらの台詞なのだが」

 「ちょっと気になっちゃってねぇ。暇だったしさ」


 慈は、街中を子どもと歩く明が目につき、思念体を飛ばしてきたのだ。亜矢に仮病だとバレるのは、現状を考えても賢明ではない。動かと書いて不動明王である明が、暇だと言って街に出て来たのだ。これでは、慈たちが考えた作戦が台無しになってしまう。


 「えっと、キミはどうしてここに?」

 「これは思念体だ。本体は授業中」

 「なるほど。すごいね、ほとんど実体だよ」


 これから如来になろうという菩薩のジョーティ光の力と明王のジョーティではかなりの格差がある。尤も、十二天に属すスーリヤの光は力というよりも太陽そのものなので、力の強さとは別だ。


 「今日、アムリタ霊魂浄化を実行しようと想う」

 「了解。オレは大人しくしてるよ」

 「それが賢明だな。矜羯羅頼んだぞ」

 「はい!」


 矜羯羅童子は、慈の温かく花が綻ぶかのような微笑に、顔を赤らめながら元気に頷いた。見た目は普通の愛らしい子どもだが、寺や絵画では不動三尊として不動明王の隣で、怖い顔をしてヴァジュラ金剛杵ー棍棒のようなものーを持った十五歳くらいの子どもの姿で堂々と立っている。


 「慈ちゃん、気をつけてね」

 「あぁ、わかっている」


 思念体を飛ばしているとき、慈はジョーティの三分の一を消耗してしまう。敵に気付かれないように出来るだけ息を潜める必要があるのだ。しかし、人間である一哉はまだしも、明王や天部が付き添っては逆に存在を知らせてしまうことになる。目的は、慈が亜矢に近づき、浄化することだ。しかし、万が一彼女の姿を見た亜矢が暴走した場合に捩じ伏せる存在がいる。それは今回光の役目だ。これは、単純な属性の問題だ。属性のなかには五行が存在する。陰陽道のイメージが強いが、ジョーティの属性のなかにもそれは存在する。五行は火、水、木、土、金のことである。属性のなかには、五行に属さない天という究極の属性が存在し、光、影、闇の三つである。
 明は、火を属性としている。今回捩じ伏せる役目を遂行する光は水。蘭は木(風)である。慈は、究極属性の光。光属性を持つ存在は、過去仏と未来仏だ。そして、亜矢の魂の属性は限りなく闇に近い水。相性は微妙なところだが、明を繰り出すよりは、光のほうが確実だという判断である。


 「付き添いはいるの?」

 「カズくんのことか?カズくんには、一応護身用の数珠を渡してある。しかし、付き添ってもらうつもりはない」

 「蘭ちゃんは?」

 「監視だ」


 アムリタを成功させるためには、危険を冒さなければならない時もある。亜矢は悪霊となった少女の魂で、その未練が別の少女に取り憑いている。慈は、それを救おうとしているのだ。自分に対して嫉妬心を向けられ、さらには巻き込まれている状況であろうと、将来ブッダとなることを許された彼女は、目の前にある堕ちそうな魂を救う。


 「キミの選択にオレは付いて行く。これは、元々オレが起こした問題だ。その問題を解決してくれようとするキミたちに、オレが異論を唱えることはないよ」

 「良い判断だ」

 「うん、もし何かあれば、踏み潰してでも魂を止めるから。それは覚悟していてね。あ、でも嫌いにはならないでほしいな」

 
 力で捩じ伏せることを、慈は良しとしない。不動明王は救い難い衆生であろうと救うためならば捩じ伏せることも厭わない。


 「よろしくね」

 「任せておけ。両者ともに救ってみせる」


 慈は、その場を後にしようとした。しかし、そこで異変が起こる。


 「どうしたの?」

 「・・・本体が亜矢と接触した」

 
 慈は顔を青褪めさせ、明は酷く動揺した。放課後にもなっていないのに、一哉も光も蘭もいない最悪のタイミングで亜矢と偶然遭遇したのだ。


 「わたしは戻る」

 
 慈は、かなり動揺した様子で本体に帰って行った。そして、残された明と矜羯羅童子は、想像以上の最悪な事態に絶句していた。


 「最悪・・・のようですね」

 「うん。悪鬼が慈ちゃん本人に接触して来ないことを願うよ」


 ・・・頼んだよ、龍くん、蘭ちゃん
 明は、曇天の空を見上げて心の中で呟くことしかできなかった。



 



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