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第一章~秋恋讃歌~

第二話~仏たちの文化祭

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 一哉は、明たちと休日に遊びに出かけた。一哉にとっては、ほぼ初めてのことだ。休日というのは、あくまで予習の期間であり、遊ぶためにあるのではない。にも関わらず、明たちはやたらと一哉を連れ回す。


 「ねぇねぇ、明日から文化祭の話するんでしょ?劇らしいじゃん」

 「ということは、人前で?」

 「そういうことですね」
 
 「わたしは人前が苦手なのだ」


 一哉たちは一瞬固まった。そのあと、慈の言葉を反芻した。


 「えぇっ!?」

 「みんなに見られてるじゃんか、いつも」


 仏像を通して見られているため、いつもは恥ずかしくないのだが、直接というのはあまり慣れない。


 「劇ってどういうのがメジャーなの?」

 「何って・・・西遊記とかじゃないのかね?」

 「西遊記というと・・・三蔵法師がブッダ様に会いに行く話ですよね?ここに既にいますからね。天竺など行くまでもありません」


 劇というものをよく分かっていない仏たちである。光と蘭を仏と数えていいのかは定かではないが。


 「劇といえば、歌って踊ると聞き及んでおります」

 「それはミュージカルなのだよ。学生のクオリティではとてもじゃないが無理なのだよ」


 この世界に来たばかりの仏たちは、学生としての知識をほとんど持ち合わせていないらしい。去年の文化祭は、何故か四人は来ていなかったのだ。その理由は、文化祭の間煩悩が学校で溢れていたからだ。思い出作りと楽しそうにしていた四人が、当日になって責務に駆り出されていたのだ。さすがの一哉も不憫に思ってしまった。


 「文化祭のあとは修学旅行なんだよね。イベント一杯で楽しいね」

 
 彼らは、進路をどうするかということについて悩んではいない。進路を決める頃に彼らがいるのか分からないのだ。そう思うと、途端に寂しくなってしまった。


 「カズ」

 「弥寺くん」

 「わたしたちは、いなくなる存在ではないんだ。人類がいる限り、この世界がある限り、我々は生き続ける」


 彼らと会える可能性など皆無。生きているうちでは、ただ仏像としてしか対面することがない。すべての人類がそうだ。そこに神がいるといいながら、岩や、木や、山や、滝、神殿、神社を作って拝む。信じないなどと言いながら、信じている存在は絶対的な神秘に包まれた状態で、いつも一哉たち人間の傍にいたのだ。


 「やはり、ブッダさまを劇にする他ありませんよ」

 「誰がブッダさまやるのさ。今のブッダ女の子だよ?」

 「ブッダの恋です」


 恋欲。完全に、煩悩である。頭のなかがもはやお花畑の蘭は、何を想像しているのか、悶えていた。


 「慈さま、出るべきです!」

 「え、いきなりなんだ?」

 「恋を知らない仏様が、初めての恋に戸惑うお姿。想像しただけでわたしも胸がときめいてしまいます」


 蘭の妄想が止まらなくなってしまった。蘭は時々よく分からない妄想を始め、かと思えば顔を真っ赤にして乙女らしく萌えることがあるのだ。


 「その相手誰なの?」

 「明さんに決まってます!」

 「決まってんの?オレがぶっ殺されるよ、いろんな仏に」


 殺生しない仏たちが、ブッダと恋路に走った不動明王をボコボコにする姿は想像できない。


 「実らぬ恋と知っていながらも、二人の心は近づいていく。なんと愛らしいのでしょうか」


 蘭の頭のなかの明と慈が暴走しているようだ。


 「恋とはいいですね」

 「蘭ちゃんは好きな人でもいるの?」

 「交際ならば何度かしております。同じキンナラですが」


 交際したことがあるという時点で明たちは凍りついた。同じキンナラと知ってようやく安堵したくらいだ。好きな人がいたということになる。天上にいたわりには、意外にも女の子らしい暮らしをしているのかと一哉は、興味深げに頷いた。このなかでは一番人間らしいのかもしれない。


 「明さんは?」

 「あると思う?」

 「不動明王ほどになれば、子など交合うことなくできよう」

 
 好き勝手なことをいう龍王に、明は思わず睨んでしまった。本気ではないが。眷属は確かに子どもとして数えてもいいのだが。


 「クラスの方々に聞いちゃいましょう。きっと了承してくださると思うのです」

 「この時期の人間は色恋に燃えると言うからの」

 
 光の言葉に「どこの情報だ」と一哉は心のなかで突っ込んだ。恋の話に花を咲かせ、人の恋愛に首を突っ込むなど、確かに盛んではある。


 「蘭でいいじゃないか」

 「ダメです!恋などしたこともなさそうなあなただからこそ、リアルになるのです!」

 「結構失礼な事言ったよ、蘭ちゃん」


 恋などしたことがない、などという確証はないのに、蘭は勝手に言い切ってしまった。言われた張本人である慈は全く気にしていない。

 
 「オレさえしたことがないように思われてる気がするんだけど」

 「何を言いますか、天下の不動明王さま。おモテになるあなたですから、恋はした事がなくとも、向けられたご経験はあるでしょう?」


 蘭は、明に対し、恋の話になると途端に厳しい口調になった。明は、訳もなく「ごめんね」としか言えなかった。


 「まだクラスで何も決まっておらぬぞ。ここで決めてどうする?」
 
 「だってさ、蘭ちゃん」

 「明日提案させていただきます」


 明と慈の恋愛劇が蘭によって創造されようとしていた。その様子を見た一哉は、八部衆は意外にも俗っぽいということを知った。人の恋愛に興味があるのだ。悟って人に恋をしない仏と比べればよっぽど人間だ。


 「ん?不動さん、何をしている?」

 「この声は夜叉?」


 五大明王のうち二人がご対面した。不動明王と金剛夜叉明王だ。金剛夜叉明王は、五大明王のうち中心的な役割を担う存在だ。元々は魔神だったのだが、大日如来によって善に目覚めたとされている。その大日如来の化身とされているのが、不動明王である。五大明王のなかでも不動明王の力は別格だという。一哉は、そんな不動明王の正体は明だということが未だに信じられない。


 「人間の姿で顕現した姿がこれってだけで別にオレの本来の姿がこれってわけじゃないんだよ」


 仏教信者が知っている彼は、非常に恐ろしい顔をしている。夜叉明王に関して言えば、顔は三つある上に、正面の目は五つあると言われている。しかし、ここにいる夜叉の目の数は普通に二つで、ミルクティーのような髪の色をしており、目は青色だ。怖い顔をした仏であろうと、人の姿には少し憧れるのかもしれない。それにしては造形が整いすぎているが。


 「不動さんの周りの方々は誰だ」

 「オレの隣が龍王、難陀。で、小柄な女の子は、キンナリーの一人。そして何とですねこちらの美女がですね」

 「どうしたんだ」

 「弥勒菩薩なんだ」


 菩薩部以外が発狂するレベルの発言だった。夜叉明王も、慈から発される膨大な神聖で、柔らかく、優しい光の力に何者かと疑ったが、そう聞いて納得した。これだけの力はブッダ以来かもしれない。真にブッダの名を継ぐに相応しい、と夜叉明王は笑った。何故かニヒルな笑みになるのだが。


 「ん?早くないか?」

 「それだけ異常だってことでしょ。阿弥陀様には、矜羯羅童子コンガラドウシを通じて伝えてある」


 矜羯羅童子は、不動八大童子の一人で、確実に不動明王の隣にいる。主に仏像として置かれていたり、絵画で描かれる時は、不動明王を挟んで制多迦童子セイタカドウシがいる。これが、仏教では目にしない人はいないと思われる不動三尊である。
 一哉は、ますます自分が何故このメンバーといられるのか不思議で仕方がなかった。リアリティは皆無なのに、これがリアルなのだから。


 「君はなにしてるの?」

 「地蔵菩薩から御遣いを頼まれたんだよ」

 「なんでお地蔵さん?」


 仏の次の位にある地蔵菩薩。地蔵菩薩は、子どもの守り神として崇められている。因みに、弥勒菩薩である慈が何故か錫杖を持っている理由は、錫杖は音が鳴るため、迷子になった時に不動たちが迎えに行けるようにするためだ。現代でいえばGPSのような役割を果たしている。


 「慈さまの方向音痴は菩薩部でも有名なのですね」

 「重症だからの、慈さまの方向音痴は」

 「数珠を持っていけって言われたのだ。どうぞ、弥勒菩薩さま」

 「そんな過保護な・・・」


 GPS機能を搭載されたかのような錫杖と、数珠を渡されたのだ。地蔵菩薩は、慈を娘のように扱う。愛されるというのは、いいとは思うのだが、地蔵菩薩は度が過ぎている。子どもの守り神とは言われているが、弥勒菩薩は子どもではないのだ。

 
 「周知の事実だからしょうがないよ」

 「で、不動さん、その人間はなんだ?」

 「これについても阿弥陀さまは許してるから、文句なしだよ。霊力があるみたいだから仲間にしたんだ」


 一哉に霊力があることを見抜いたのは、慈だった。霊感というものも霊力のひとつであり、幼い頃からそれを発達させていた一哉はその力が意外にも強力だった。

 
 「ただの人間を仲間に?」

 「霊力を覚醒させてる時点で人間としては超越してると思うよ」

 「不動さんたちが動いてくれなければ、人類史はとっくに終わっていただろう。こちらも協力する」

 「君の役目は北を守ることだ。北は任せたよ」

 「了解した」


 夜叉明王は、明と慈に小さく会釈して天上へ帰って行った。一哉たちもその場を後にして、ショッピングへ向かった。ただ、欲望という欲望を悟りとともに置いて来てしまった仏二人は、ただ見るだけで買うことはなかった。
 ただし、光と蘭は例外で、着もしないであろうに買い占めた。


 ――2――


 翌日、蘭の提案はすんなりと受け入れられ、明と慈の恋愛劇が繰り広げられることとなった。助監督と脚本は蘭が担当することになり、キャストには光と聖も登場する。仏と人の恋愛というのは、あまりにリアリティに欠けると言われてしまい、そこは却下された。


 「蘭ちゃんもよくそれが通ると思ったよね」

 「面白いじゃないですか。ありがちなシンデレラストーリーなんて、お呼びではないでしょう」

 「まぁね~」


 蘭は、あっさりと断られたことを受け止め、別の内容で勝負に出ることにした。それは、釈迦から見た西遊記という脚本を作り上げたのだった。

 劇の練習期間はたったの十日。キャストは、主人公の釈迦役に光。釈迦の弟子阿難陀役に初登場来斗。三蔵法師役に慈。悟空役に聖。沙悟浄役に不良と思われてしまっている明。猪八戒役に、初登場聖の友人である灯李。どうしても恋愛に走りたい蘭は、沙悟浄の愛人オリジナルキャラクターの凛役に、こちらも初登場でいつの間にか慈と蘭の友人となっていた優姫である。監督はやる気になり、最近少しだけ見直された一哉だ。


 文化祭当日。
 舞台袖は、意外にも和やかなムードだった。人前が苦手だと言った慈も何とか緊張を解した。


 「慈さん、大丈夫そうですね」

 「かぼちゃと思えばいいのだろう」

 「いつも裸で見られてるんだし、いまさら恥ずかしがる必要ないよ」


 十分後、彼らの舞台が始まった。

 劇は釈迦の登場から始まる。緞帳が上がり、現れたのはソファに寝転がる光が演じる釈迦である。


 釈迦「阿弥陀から玄奘が来ると言われて一体何日経っているというのか・・・暇だ・・・見ていたドラマは終わるし・・・誰も遊びに来てくれないし・・・」

 阿難「あの・・・釈迦さま」

 釈迦「あなんだ~玄奘はどこにいるのだ」

 阿難「玄奘三蔵は現在、モンゴルにいらっしゃいます。どうやら、迷子のようです」

 
 この玄奘の設定はオリジナル設定だ。天竺に全くたどり着く気配のない理由は、ここにあるのです、と蘭が勝手に設定した。


 釈迦「すぐに阿弥陀に電話するのだ、阿難。このままでは玄奘はたどり着けぬ」

 阿難「えぇ、ですから彼女にお供の妖怪がお付きに」

 釈迦「誰だ」

 阿難「阿弥陀さまが言うには、生意気な猿と、エロがっぱと、大食いの豚です」

 釈迦「どんな組み合わせなのだ」

 阿難「しかし、さすがは玄奘ですね。カリスマ性なのか、妖怪たちを手懐けているそうですよ」

 釈迦「お、進んだようじゃないか」

 阿難「沙悟浄と接触した模様ですね。おや、さすがエロガッパと言われるだけありますね。愛人まで作っているようで」
 
 釈迦「こんな河童に、私の玄奘を任せておけぬわっ!」


 釈迦の怒りの声が響き、一場面は終わり暗転した。
 そして、続いて玄奘たちと沙悟浄との出会いのシーンにあった。孫悟空と猪八戒のナビにより、玄奘はようやく中国に戻ってくることができた。


 八戒「こんなとこに人なんているんすかね、玄奘」

 玄奘「勘だがな・・・」

 悟空「三蔵の勘ほどあてにならねぇものはねぇよな」

 玄奘「黙っていろ、猿。誰か来る」


 玄奘が吐き捨て、気配を察知し物陰に隠れた。現れたのは当然あの男だ


 悟浄「ねぇ、凛ちゃんそろそろ別れない?」

 凛「どうして?一生愛するって言ったのはあなたよね?」

 悟浄「人の愛情なんて移ろうものだよ」

 凛「よくわからないわ」

 悟浄「もう愛せないんだよ。オレの正体、見ちゃったんだよね?知っちゃったんでしょ、妖怪だって。なら関わらないほうがいいよ。そのほうが・・・いっそのこと幸せだと思うから」

 凛「でもね、悟浄」

 悟浄「妖怪の姿のオレは、愛するものさえ殺すよ。死にたくなければオレから消えな。そして・・・オレのことは忘れな」


 悟浄は、「じゃあね」と言うと、凛の背中を押した。振り向かずに走れと言って。


 悟浄「好きだったよ・・・凛」


 悟空「おい、この雰囲気でどうやって入れと?」

 八戒「絶対出ないほうがいいって・・・というか、エロガッパってきいてたんだが」

 玄奘「ふむ・・・十人目の愛人だと聞いたのだが」

 悟空「前言撤回」

 八戒「あのぉ~沙悟浄さんでしょうか」

 悟浄「なに?キャッチセールスは受け付けてないんだ。わりぃな」


 なぜか一瞬で人が変わってしまった沙悟浄だった。


 玄奘「これから天竺に行きたいのだが・・・」

 悟浄「これはっ!なんと美しい。廃れ、穢れた私の心を洗い流してくれるように現れた天女なのかい、君は」

 玄奘「天女?わたしは玄奘」

 悟浄「げ、玄奘・・・あの、玄奘?三蔵法師の?」

 玄奘「そうだ」

 悟浄「失礼なことをしたよ。ごめんねぇ。つい、雑草のなかに咲く大輪の花だと思ってしまったよ」


 さらりと歯が浮くようなセリフを呟く。


 八戒「さっきまでの沈んだ空気はなんだったんだよ」

 悟浄「好きだったのは本当だもん。玄奘さん、オレとお茶しませんか?」

 玄奘「そんな暇はない。お釈迦さまに会いにいかねばならぬ。ありがたい経典をいただきにな」

 悟浄「えっと天竺まで徒歩で行くの?」

 玄奘「そうだ」

 悟浄「うぅ~んとね、オレ運転するから飛行機で行かない?飛行機なら二時間くらいで着くよ」

 悟空「え、マジっ!?」

 八戒「それでは修行にならない」

 悟浄「搭乗スキルを磨くってことにしたらいいよ。いまどき外国に徒歩で行くなんて無茶だ。せっかく科学が発達したというのに」


 悟浄に上手く乗せられてしまい、玄奘たちはジェット機で行くことになってしまった。
 一方、その様子を見ていた釈迦たちは


 釈迦「ジェット機ってなんだっ!?」

 阿難「さすがは、女を口説いてきただけありますよ。世間知らずな玄奘など一発です」

 釈迦「悪い男と付き合ったことがないのだろうな、玄奘は」

 阿難「可哀そうに、玄奘たち。詐欺がっぱに騙されているとも知らずに」


 ――ピーンポーン
 釈迦の家のインターフォンが鳴った。


 悟浄『宅配便でーす』

 釈迦「宅配など頼んでいないぞ」
 
 阿難「すみませんが、宅配・・・ってあなたたちはっ!?」

 玄奘「ここが釈迦さまのお宅でしょうか」


 目を輝かせる玄奘と、そのお供。悪戯っぽい笑みを浮かべる悟浄。


 釈迦「玄奘、初めてのおつかいご苦労であった」

 阿難「モンゴルにいると知ったときはどうなることかと」

 玄奘「彼らのおかげです。わたしはこの旅で助け合うことの大切さと、愛する者を守るための優しさを教えていただきました。さらに悟浄からは愛というものを教えていただいたのです」

 八戒「騙されてんぞ、玄奘」

 悟空「純粋な愛なんてこいつにはねぇよ」

 悟浄「ひどいなぁ。オレ騙したことはないんだけどなぁ」

 玄奘「わたしはこれから悟浄のような男と添い遂げようか」

 釈迦「やめておけ、泣くことになる!」

 阿難「えぇ。この手の男は信頼しないに限ります」

 悟浄「オレ君たちに何かしたかな?まぁいいけどさ」

 八戒「お前、運転できるっていいながら免許なかったよな?」

 悟浄「誰も免許持ってるって言ってないよ。事故ってないしいいじゃん」

 玄奘「悟浄は頼りになるぞ」

 悟空「騙されてるって」

 釈迦「そろそろ経典を持って帰ってくれないか?さきほどから阿弥陀からのラインが半端ではないのだ。娘を返せと」

 玄奘「長居して申し訳ございません。お暇させていただきます」

 
 玄奘が経典を抱きしめ、踵を返した。それに妖怪三体が付いていく。


 釈迦「無事に辿り着いたことを祝福してやるとしよう」

 阿難「そうですね」

 釈迦「未来のことは、あの者たちに任せよう。きっと良くしてくれるだろう」


 釈迦は、未来を生きる玄奘たちを亡くなる日まで見守り続けたのだった。

 25分間、明たちは初めての文化祭で、初めての演劇をやり遂げた。仏である明たちから見た西遊記とは違うとはいえ、劇中に笑いも起きた。それだけでも、やって良かったと思える。


 「ねぇ、楽しかったね、慈ちゃん」

 「一番熱が入っていたのは蘭だったがな」

 「どうだった?」

 「あんなに笑われるとは思いませんでしたが、とても良かったです。明さん、名演技でしたね」

 「ほとんど素ではないのかね?」


 一哉に言い切られた明は、苦笑を浮かべた。厳格だと思われている不動明王のこのような素顔を見たなら、シヴァ神などはどう思うのだろう。


 「このあと打ち上げしない?人間がするっていう打ち上げってやつをちょっとしてみたいな」

 「飲み交わそうではないか」

 「負けた人のおごりですからね」


 一哉は、やはり少しだけ人間くさい仏たちに苦笑を浮かべつつ肩を竦めた。

 一哉たちは、鰻の料亭に来た。明たち天上の存在はいい匂いだね、と言って入ってしまったのだ。学生が行くにはあまりに高過ぎる店だった。結果的には、教師からお咎めを食らって店から出ることになった。


 「うちのお寺で打ち上げというのは如何でしょう」

 「それいいな!」

 「明の料理はなかなかに美味なのだぞ」


 明と慈は食欲など吹き飛ばすが、光や蘭は普通に食べなければエネルギーが蓄えられない。寺に置かれたテレビで作り方を見て練習をし、それから料理が楽しくなったという経緯があり、光と蘭が食いっぱぐれることはなくなった。


 「明日模擬店があるんだって、一緒に行こうよ」

 「そうだな」


 仏たちは、初めての文化祭を堪能した。ずっと天上で見守っていたが、楽しさというものを知るのは初めてかもしれない。特に、目覚めたばかりの慈など尚更だ。


 文化祭が終わり、一週間ほど経った日、その事件は起こる。これは、その予兆である。
 一哉が学校に来ると、珍しく真面目な顔をしている明たちがいた。


 「どうしたのかね?」

 「一哉くん、おはよう。朝来たらね、靴箱に手紙が入ってたんだ」

 「明の?」

 「どうやらラブレターのようなのです」
 

 そのラブレターと思わしき手紙の内容は


 『親愛なる不動明さま

 初めてあった時から、あなたのことを慕っておりました
 一度二人きりでお話してみたいのです。昼休み屋上でお待ちしております』


 とこれだけ書いておきながら、名前は書いていないのだ。匿名からのご指名。


 「こういう手紙、これが初めてなのか?」

 「いやぁ、あなたのことが好きです的なやつ何回か来てたような気がするけど・・・屋上に行ってみれば分かるでしょ」


 蘭は、キンナリーのなかにも明を好いている者がいることを知っている。シヴァ神を金縛りで縛り付け、調伏したという伝説は、天上にも知れ渡っているため、怒らせてはいけない人物であることは、天上ではもはや常識だった。しかし、それでも孤高にそびえる強さに憧れる者は多いのだ。しかし、本人にその自覚が全くない。


 「女は怖いですからね、気をつけた方がいいと思います」

 「女子が言うのだから間違いないの」

 「確かに、この手紙からは執着を感じるな」


 慈の容赦ない言葉に、明は心当たりのある女子を想い浮かべた。丁重に断った女子は数人いた気がするが、直接告白してくるなら、このようなラブレターを書く必要はない。煩悩の気に敏感な慈だからなのか、蘭の看破なしに解決することが時々あるが、その煩悩を向けられている存在が自分かも知れないという疑惑に、罪悪感が湧いた。


 「今日・・・とりあえず逢いに行ってくるよ」

 「それがいいのだよ。大事になる前に解決しておくに越したことはないのだよ」

 「だよねぇ~」


 明は、まだ見ぬ女子の姿に身震いがした。羅刹あたりならば、金縛りで頭を冷やさせるか、最悪調伏するが、相手が普通の人間かもしれないのだ。


 「お腹痛くなってきた」

 「惚れさせたお前が悪い」

 「う、うん」


 明は、とうとう盛大な溜息を吐いたのだった。



 
 

 



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