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第一章~秋恋讃歌~
第四話~救われるべき者
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明と慈が会話中、学校にいる慈本体は、休み時間となり教室を出ていた。席の近い天文部所属の滝川奈美に大きな天体望遠鏡があるから見に行かないか、と誘われたのだ。天体観測が好きな慈は二つ返事で誘いに乗った。いつもはほかの所に行く時は、一哉か光か蘭がいるのだが、今回は奈美が天体望遠鏡のある部屋まで案内してくれるということになった。
「せんせーに鍵借りてくるからちょっと待ってて」
「あぁ」
滝川奈美は、黒いセミロングの髪に毛先を茶色っぽい金に染めている。くせっ毛でふわふわとした髪質のため、完璧なストレートである慈の髪がお気に入りらしく、授業中であろうと触ってくる。曰く、髪フェチだという。
慈は、奈美が来る間、外を見ていた。今夜はスーパームーンだという。そのスーパームーンを見ることができる今夜、作戦を決行する。じっくり月見をしていたいものだが、そうも言っていられない。
「晴れてくれればいいがな・・・」
悪鬼にせよ、煩悩が具現化した幽咒にせよ、光に弱い。それが自然の光ならば尚更だ。新月は彼らを凶暴化させてしまう。満月は逆だ。獣のなかには、満月を見ると凶暴化する存在もいるが、月が雲に隠れる日というのは、悪鬼にとって絶好の機会であった。逆に言えば、太陽や星の光で力を蓄える慈たちは、闇に対する防御力が低下してしまう。
その時だった。慈の背後を亜矢に取り憑かれた少女が通ったのだ。亜矢の魂も亜矢に取り憑かれた少女も、慈を知っている。まず、この学校で慈を知らない者はいないと言ってもいい。慈は、とにかく気を潜めた。通り過ぎていくのを待つ。今、明のところに思念体がいる。三分の一のジョーティがそちらに行ってしまっている。
「慈さん」
・・・見逃してはくれなかったか
狂気化したとはいえ、正気を少しは残している沙希ならば見逃してくれたかもしれない。窓に映る沙希の姿は、明らかに異様だ。気味の悪い薄笑いを浮かべ、じっと慈を見ている。
「本当に、明さんに対して何の思いもないの?」
「大切な友人であり、仲間だ。何の思いもないと言い切ることはできない」
これは本心だ。明に対して異性として意識は全くしていないが、友として好意に値する存在であることは否定出来ない。だが、亜矢や沙希のように異性として彼を見ているということはない。
「わたしにとって、彼は大切な人だ。しかし、女の立場で明を見ても、わたしは彼を男として見たことは無い。それは断言しよう」
「・・・明さんは、あなたを大切な人と言った」
亜矢は、大切な人の意味を理解していない。明の中身はどうなのかは知らないが、彼の大切の意味は、慈が一哉たちに対して向ける想いと同じはずだ。
「あの方は、わたしに振り向いてもくれない。あなたに向ける笑顔なんて、昨日お話をしていても向けてくれなかった」
「それは・・・」
それに関しては何とも言えなかった。明が慈を初めとする友人や仲間に向ける笑顔は、確かに亜矢に向けるものとは違った。否定出来なかったのだ。
「そんなに好きだというなら、なぜ其方から明に近づかなかった?引っ込み思案でも勇気を振り絞って明に直接恋文を渡した人もいる。しかし、其方は違うだろう。積極的に近づく勇気もないのに、振り向いてもらいたいと?烏滸がましい考えだ」
「なっ・・・」
ただ見ていただけ。ストーキングしていただけだ。それだけの行動で振り向いてもらおうとしている。それはあまりにも愚かな考えだと、慈は厳しい口調で吐き捨てた。ラブレターは、あれが初めてではなかったことを慈は知っている。しかし全て、明は知らないふりをしてきたのだ。なかには破り捨てたものもあったが。
「傷ついてでも告白する勇気もないのだろう。あの男は、縁を大切にする。例え振ったとしても、彼は他人として接することは無い。見ていたなら知っているだろう、彼がどんな男か」
「・・・」
告白されたことをひとつの縁として受け入れた上で、彼は断る。「友だちならいいよ」が彼の振るときの言い文句だ。
「五月蝿い!誰にでも好かれるあなたには分からない!振り向いてもらえない人間のことなんて」
「何事だ」
教師の声に、沙希は思わず逃げ去ってしまった。
「何があったんだ?」
・・・この教師
前沢とは違う教師。慈は、地理を担当している教師だと認識している。
・・・橋本先生、だったか
しかし、慈は地理を受けていないため、接点はない。
「すこし言い争いになっただけです。大した問題はありません」
「そうか、ならいいが」
「慈ちゃん、行こ・・・って、橋本じゃんか。関わらない方がいいよ」
奈美は、慈の腕を引いた。何となく、知っている温もりを感じる。考えていると、慈の心を読んだのか奈美が口を開いた。
「わたしね、蘭ちゃんの従姉妹なの」
「キンナリー?」
「うん。あとね、優姫も従姉妹」
この学校に天上界の住人が既に二人もいるとは思わなかった。
「二人じゃないよ。来斗くんと灯李くんもだよ」
「すごいな。そこまで気を隠せるとは」
「えへへ、気配遮断が得意だもん」
来斗は仁王金剛力士の一人那羅延金剛。灯李は同じく金剛力士密迹金剛だ。阿吽の呼吸で馴染みがあるだろう。
「慈ちゃんたちの役目は、わたしも優姫も来斗も灯李も知ってるよ」
知っているからこそ、四人は何も言わなかったのだ。奈美と優姫の正体に、従姉妹である蘭は気づいていた。そして、来斗と灯李の正体に気づいていたのは光だった。
「だからね、独りじゃないんだよ」
「え?」
「弥勒菩薩は、あらゆる人々を救うために日々修行する。それは、孤独の戦いだと思うのね」
修行をする際は独り。確かにその通りかも知れない。将来、多くの人々を救うための修行。その役目を背負う重さは、おそらく一哉たちの知るところではない。想像することも出来ない。想像を絶するほどの辛い修行であろうと、弥勒菩薩はブッダの後継者として耐え続ける。この地上界に来ても、それは変わらない。学校が終わり、家に帰ったら、結跏趺坐を組んで悟る瞬間を待つ。悟りとはそう簡単に成し遂げるものではない。ブッダでさえも、永遠とも言えるような年月苦悩し続けた。仏位最高位である五十二の位ブッダに次ぐ、五十一の位である弥勒菩薩も何年も苦悩し続けている。その苦悩の期間は五十四億年とも言われている。あのブッダが悟った時、それを見ていたのは不動明王だった。彼が悟ったあと、説法の際に立ち会ったのは難陀・跋難陀竜王兄弟だった。ブッダの苦しむ姿を見守った明と光は、その苦悩を知っている。だからこそ、悟ることを促したりはしない。誰よりも苦しいのは、悟りを得られない本人なのだから。それでも決して挫折はしない。折れない心の強さも知っている。
「慈さま、人を救うことが出来ないからって、泣かなくていいよ」
「!」
泣き弥勒。広隆寺に置かれている弥勒菩薩半跏思惟像像は、泣き弥勒とも言われている。苦しむ人々の姿に涙している様子であるという説がある。
「わたしたちも協力するよ。慈さまたちに」
すべての存在が、慈にとっては救うべき存在であり、救われるべき存在だ。誰にも不幸だと思ってほしくないのだ。
「ありがとう、奈美。心優しきキンナリーの娘よ」
「うん」
慈は、奈美の想いを知り、心にジワリと沁み渡る温もりを感じた。自分は、孤独ではない。悟りを開く自分を守ってくれる存在がこんなにもいた。自分を挫折させようと襲い来る敵を燃やし尽くす明王がいる。敵を流し尽くす竜王がいる。慰め、常に守ってくれるキンナリーがいる。そして、少し臆病でも隣にいてくれる友がいる。さらに、自分たちを守ろうとしてくれるキンナリーの従姉妹と仁王がいる。
「わたしは・・・確かに亜矢にとっては疎ましいかもしれない」
「え?」
「こんなにも・・・幸せ者だ」
もし人間だったなら、思い知った幸せに泣いていたかもしれない。そんな自分に、愛するものに振り向いてもらえないと、心の底から叫ぶ亜矢の思いを理解することなど出来るとは思えなかった。
「今日は不動くんがいないけど、どうしたの?」
「あぁ、仮病だ。一旦亜矢から離そうと思ってな」
「なるほどね。沙希って子、不動くんのこと好きだもんね。利用されちゃったのかな」
沙希も明のことが好きだったのだ。想像してはいたが、それでも「どれだけモテれば気が済むのかあの男」と心のなかで呟いた。
「亜矢のことどうするの?」
「今日のうちにアムリタを実行する気でいる。異論は?」
「全然ないよ。優姫たちにも報告しとくけど、オーケー?」
「あぁ、どうやら優姫は耳がいいらしいのでな。聞こえている気がするが」
優姫は、情報を一瞬で入手してくる。学校という小規模領域の声ならいくらでも聞くことができるそうだ。悪口や罵倒は聞き流せるという特技も持ち合わせていた。
「今夜、晴れるといいね、とか思ったけど曇天だよ」
「日天あたりに晴らせと頼んでおく。または月天」
「なるほど、十二天に頼むのか。さすが菩薩さま」
如何にインドやヒンドゥーの神であろうと、これから如来になろうという菩薩の言うことならば聞くしかないだろう。無視すると不動明王あたりが動くので、天部に断る余地はない。
「調伏などという自体になっては困るのでな」
「だよねぇ」
今のところ、調伏という事態に陥ったことはない。煩悩がいようものなら、すぐに慈に伝えられるために、明は手を出すことは無い。当然斬って動かないようにするし、羂索で縛ることもある。羂索とは、衆生救済の象徴である。不動明王の倶利伽羅剣に並ぶ三昧耶形の一つでもある。
「今回の主戦力は光って聞いてるけど」
「そうだ。生憎、亜矢が水らしいのでな。土がいるといいのだが」
「土・・・金剛力士じゃない?」
「ふむ・・・行けるか聞いてみるか」
「菩薩に聞かれて行けないとは言わないと思う」と奈美は苦笑を浮かべて言った。
今日は学校が五時間目までで、早めに帰ることができる日であったため、掃除やショートホームルームを抜け出して逢魔が時になる前に作戦会議ができた。それに巻き込まれた一哉の思いは偲ばれるものがある。場所は寺である。奈美たちについて事情を知らない明は、奈美たちがいるという事態に困惑していた。
奈美は、四人を代表して自分たちの正体を明かした。反応は「わぁお」のみだった。ほとんど身内とも言える存在が四人もいたことについて、驚いてはいるが、驚嘆することはない。
「いやぁ、まさか君たちがねぇ。劇の参加者多いね。それはいいんだけど、なんで集まってんの?作戦は?」
「作戦会議のために集まったのだ。其方のせいだからな」
「ごめんなさい」
慈にピシャリと言われ、素直に謝罪した。恐ろしいイメージの不動明王が土下座する姿を見れば、天上界の住人はどう思うのだろう。
「えぇと、なんで俺ら集まってるんすか?慈さま」
「言っただろう、作戦だと。聞けば、其方らは金剛力士と言うじゃないか」
「そうっすね」
「つまり、属性は土だな」
「なるほど、亜矢に対抗するために俺たちってわけですね」
利口な来斗が理解し、灯李も納得した。金剛力士で双子の二人は土属性ということもあり、水に強いのだ。水は土に流されると思うかもしれないが、五行では水は土に濁されるという考えであり、そのため水は土に弱いとされている。属性相性でいえば、五行相生と五行相剋というものであり。木は土に剋ち、土は水に剋ち、水は火に剋ち、火は金に剋ち、金は木に剋つとされている。つまり、相性により土が効果覿面ということだ。
「来斗、灯李は私と来い」
「あぁ、わかった」
龍部の筆頭難陀である光からの指示に、来斗と灯李は見事なシンクロで頷いた。
「奈美と優姫は、蘭とともに悪鬼の影の討伐を頼む」
「承知いたしました。聞きましたね、お二人とも」
蘭の問いかけに、奈美と優姫は強く頷いた。派手な容姿と格好をしている二人だが、実際は真面目で正義感の強い性格だ。一度やると決めたことはやり通す。
「えぇっと、オレは?」
「そうだな、わたしの可愛い家族の世話を頼む」
「え、そう来る?」
慈の可愛い家族というのは、ペットのことだ。馬五頭に、犬四匹に、猫二匹、ウサギ五匹。さらには梟三羽に、クジャク一羽。鷲二羽だ。その動物たち全ての餌やりを頼まれたのだ。普段は不動明王の眷属八大童子がするのだが、それを今回は明にさせる。
「今回のトラブルを起こした本人だ。当然の罰だ」
「そ、そうだよねぇ」
「矜羯羅童子も制多迦童子も手伝わなくていいからな」
「は、はい」
「あ、ついでにわたしのお花さんたちの水やりもお願いしますね」
明王筆頭が利用された。その様子に、いつもの明たちを知らない奈美たちは動揺を隠せなかった。慈はともかく、蘭までもが当然のように利用したのだから。
「ねぇ蘭、不動明王さまにこんなことしていいの?」
「いいんですよ。今回は、悪いのは彼ですから」
「明」
「光も何かあるの?」
「女は怖いな」
同調してくれた光に、明は感激したのだった。
「女子の真骨頂なのだよ」
一哉も明と光に同感だった。あまり女子と絡まない一哉であるため、余計にそう感じてしまう。
「慈さまは任せておけ、明」
「うん、頼んだ」
「一哉くんはどうする?」
「塾なのだよ」
「学業に専念ってことだね、よろしい」
「ストップ」
会議をお開きにしようとしたところを奈美が止めた。奈美が止めた理由は分かる。慈と行動する者がいないからだ。
「慈ちゃんは、思念体で動くみたい」
「本人が動くわけじゃないのか、よかったよ」
「万が一のことがなければだがの」
光の言葉は脅しにも等しい。菩薩を守る存在なしに、菩薩が動こうとする時点で、反対したいくらいだというのに、万が一のことも想像の範疇だというのだから。
「護身術は心得ているし、戦闘系術式を編む程度なら可能だ」
「うーん、わかった。何かあったら、誰でもいいから助けを呼ぶんだよ」
「蘭にも言われた」
慈は、「従姉妹というものは性格が似るものなのだな」と感心した。心配性の一言で片付けられるものではないことは、慈も承知のうえだ。如来や菩薩は不死だ。しかし、攻撃されればダメージを受けるうえ、明王よりも回復が遅い。明王は腕を捥がれようと瞬時に自己回復する。
「作戦は整ったな。では、実行に移ろう」
「了解」
凛々しい応答とともに、一瞬で一哉と明以外がそれぞれの持ち場まで移動した。今まで普通の人間だと想っていた四人が天上の存在であったこと。その四人を早速巻き込んでしまったこと。明は流石に罪悪感に苛まれた。明は、慈からまさかのペナルティを設けられたため、それを遂行するために寺の庭に出た。しかし
「一哉くん、キミは塾じゃないの?」
「そうなのだよ」
いつもなら、いや、これまでの自分なら迷わず塾に行っていた。それどころか、掃除やショートホームルームを抜け出すなど有り得なかった。しかし、断れなかったのだ。今までの自分が変わってきていることに気付き始めていたのだ。慈たちと知り合い、付き合うようになり、友人関係になり、さまざまな影響を受けて、これまでの自分ではなくなっていたのだ。聖と自ら和解しようと話しかけたことも自分の行動とは思えなかった。しかし、和解できた瞬間心の底から安堵した。
「護りたいと想っている僕がいるのだよ」
「え?」
「煩悩を持つ存在ではなく・・・慈くんを」
・・・慈ちゃんを護る?
明は、その子言葉を反芻し、今度はその意味を理解しにかかった。人々を救おうとして、自ら囮になるような無茶をする弥勒菩薩。その地上の姿である慈を、一人間でしかない一哉が護りたいと言ったのだ。
・・・心を鬼にするか
明は、想いを言葉にした一哉の背中を押すために、敢えてこの場面で叱咤することに決め、口を開いた。
「・・・一哉くん」
「なにかね?」
「キミのそれは、ただの妄想だ」
「え?」
いつもこんな厳しい言葉はあまり吐かない明からの、意外な言葉に一哉は思わず目を見開いた。
「思ってるだけじゃ何もできないんだよ」
「・・・それは・・・」
想うだけならば動物にもできる。思っているだけならば、人間であろと仏であろうと明王であろうと何も実現できない。想うだけでは、救えない。それ故に、慈は自ら危険を冒して囮を名乗り出た。救うために、全員が何かしようと動いた。しかし、今の一哉は想っているだけで、動こうとしていない。
「――夢なんて、語っているうちは叶わない・・・実現したいなら、動きなよ・・・自分から」
明の口調に少しだけ穏やかさが混じった。一哉は理解した。明は、自分を突き動かそうしているのだと。ただ、動く勇気がないのは自分だ。
「夢を語るというのは、努力できる人にこそ与えられる資格だよ。夢を想うだけの今のキミに、与えられる資格はない。その資格を得るための術をオレが教えることはない。自分で気づくんだ、一哉くん」
「一度、僕は冷静になって考えるのだよ。結論は、僕が出して見せるのだよ」
「期待してるよ」
一哉は、明の「期待してるよ」を聞いたあと、塾に行くために寺を出て行った。そうしてようやく明は、ペットたちに餌やりを始めたのだった。
一方、慈は思念体を亜矢の元まで送り、物陰に身を潜めていた。自分がここにいると光たちに知らせるように錫杖はしっかりと握られている。
・・・亜矢というかは、悪霊に取り憑かれた沙希か
しかし、思念体を通して亜矢を見ている慈は、その沙希の姿に違和感を覚えた。何かに操られていることは紛れもないのだが、悪霊に操られているようには見えなかったのだ。慈の脳裏に嫌な予感が過ぎる。沙希から亜矢の気配がしない。昼間遭遇した際の沙希は、確かに亜矢に取り憑かれていた。あの瞬間にアムリタをすることも考えたが、学校という環境では慈の正体がバレるリスクが高まる。それは本意ではなかった。しかし、今の沙希から感じる気配は別物。別の何かだ。
・・・影を見てみるか
慈は、正体を突き止めるために沙希の影に思念体を潜ませた。
・・・これは
今の沙希を操っているのは亜矢ではなかった。その正体は、雷属性の悪鬼だった。雷を木とした場合、剋つのは金だ。つまり剣か斧、槍などの武器だ。つまり避雷針となる何かが必要だった。それを持つのは、明か光だ。悪鬼を倒すべく光とともに行動している仁王に対して相性は最悪だった。今度は千里眼で亜矢の動向を探る。亜矢の気配は覚えていたため、すぐにその悪霊は見つかった。その悪霊を操っているのは水属性の悪鬼の影。それでは、その悪鬼はどこにいるのか。
・・・沙希の中の悪鬼は引き摺り出すしかない
水属性の悪鬼は仁王に行かせ、木属性の悪鬼は武器を持つ光に行かせるしかない。蘭が率いるキンナリーは逢う魔が時に蠢く影を討伐している。手が離せない。だからと言って、現在餌やり中の明を呼ぶのは、属性の相性を考慮しても賢明ではない。
・・・わたしが行くか
もとより、亜矢の魂を成仏するための囮だったのだ。ならば、離れている今亜矢と接触したほうがリスクはあるが確実だ。悪鬼のほうは思念体で十分だ。煩悩が成長している亜矢と思念体では分が悪い。慈本体でも分は悪いのだがそんなことを言っている場合ではなかった。
「光、来斗、灯李、聞こえるか」
『聞こえておるぞ』
『同じく』
「光、十時の方角に水属性の悪鬼がいる。討伐を頼む。来斗と灯李は現在わたしの思念体が入り込んでいる影を頼む」
本来の作戦とは違う指示だ。光はその悪鬼の存在を探した。実際には十時ではなく、真逆の四時の方角だった。ここでも慈の方向音痴が炸裂した。来斗と灯李は思念体を探し当てた。
『わかった、その作戦に乗る』
「頼む」
『よくわかんないっすけど、そっちに行きます』
「あぁ。三人とも任せた」
『承知』
分かってくれる三人でよかったと想う。しかし、これで完全に自分を護る存在はいなくなった。
・・・明とカフェに行ったのは、悪鬼のほうか
慈の記憶を辿り出した結論は、先日カフェに行った沙希は沙希を現在操っている悪鬼。そして、亜矢は学校にいるときのみ取り憑く悪霊。
「地縛霊か」
優姫と光里の話しを思い出した。亜矢は、不動さまに逢いに行きますと言って屋上から飛び降り自殺した。ならば、その魂は星谷高校に留まっている可能性がかなり高い。それならば、沙希が学校で亜矢の霊を見つけたということに関して辻褄が合う。移動する霊であるなら、一哉であっても気付く。深夜に学校に行ってしまった沙希のみが存在を見たならば、沙希に取り憑いた理由に納得がいく。
「さて・・・行くか」
慈は、立ち上がると学校に向かった。
「せんせーに鍵借りてくるからちょっと待ってて」
「あぁ」
滝川奈美は、黒いセミロングの髪に毛先を茶色っぽい金に染めている。くせっ毛でふわふわとした髪質のため、完璧なストレートである慈の髪がお気に入りらしく、授業中であろうと触ってくる。曰く、髪フェチだという。
慈は、奈美が来る間、外を見ていた。今夜はスーパームーンだという。そのスーパームーンを見ることができる今夜、作戦を決行する。じっくり月見をしていたいものだが、そうも言っていられない。
「晴れてくれればいいがな・・・」
悪鬼にせよ、煩悩が具現化した幽咒にせよ、光に弱い。それが自然の光ならば尚更だ。新月は彼らを凶暴化させてしまう。満月は逆だ。獣のなかには、満月を見ると凶暴化する存在もいるが、月が雲に隠れる日というのは、悪鬼にとって絶好の機会であった。逆に言えば、太陽や星の光で力を蓄える慈たちは、闇に対する防御力が低下してしまう。
その時だった。慈の背後を亜矢に取り憑かれた少女が通ったのだ。亜矢の魂も亜矢に取り憑かれた少女も、慈を知っている。まず、この学校で慈を知らない者はいないと言ってもいい。慈は、とにかく気を潜めた。通り過ぎていくのを待つ。今、明のところに思念体がいる。三分の一のジョーティがそちらに行ってしまっている。
「慈さん」
・・・見逃してはくれなかったか
狂気化したとはいえ、正気を少しは残している沙希ならば見逃してくれたかもしれない。窓に映る沙希の姿は、明らかに異様だ。気味の悪い薄笑いを浮かべ、じっと慈を見ている。
「本当に、明さんに対して何の思いもないの?」
「大切な友人であり、仲間だ。何の思いもないと言い切ることはできない」
これは本心だ。明に対して異性として意識は全くしていないが、友として好意に値する存在であることは否定出来ない。だが、亜矢や沙希のように異性として彼を見ているということはない。
「わたしにとって、彼は大切な人だ。しかし、女の立場で明を見ても、わたしは彼を男として見たことは無い。それは断言しよう」
「・・・明さんは、あなたを大切な人と言った」
亜矢は、大切な人の意味を理解していない。明の中身はどうなのかは知らないが、彼の大切の意味は、慈が一哉たちに対して向ける想いと同じはずだ。
「あの方は、わたしに振り向いてもくれない。あなたに向ける笑顔なんて、昨日お話をしていても向けてくれなかった」
「それは・・・」
それに関しては何とも言えなかった。明が慈を初めとする友人や仲間に向ける笑顔は、確かに亜矢に向けるものとは違った。否定出来なかったのだ。
「そんなに好きだというなら、なぜ其方から明に近づかなかった?引っ込み思案でも勇気を振り絞って明に直接恋文を渡した人もいる。しかし、其方は違うだろう。積極的に近づく勇気もないのに、振り向いてもらいたいと?烏滸がましい考えだ」
「なっ・・・」
ただ見ていただけ。ストーキングしていただけだ。それだけの行動で振り向いてもらおうとしている。それはあまりにも愚かな考えだと、慈は厳しい口調で吐き捨てた。ラブレターは、あれが初めてではなかったことを慈は知っている。しかし全て、明は知らないふりをしてきたのだ。なかには破り捨てたものもあったが。
「傷ついてでも告白する勇気もないのだろう。あの男は、縁を大切にする。例え振ったとしても、彼は他人として接することは無い。見ていたなら知っているだろう、彼がどんな男か」
「・・・」
告白されたことをひとつの縁として受け入れた上で、彼は断る。「友だちならいいよ」が彼の振るときの言い文句だ。
「五月蝿い!誰にでも好かれるあなたには分からない!振り向いてもらえない人間のことなんて」
「何事だ」
教師の声に、沙希は思わず逃げ去ってしまった。
「何があったんだ?」
・・・この教師
前沢とは違う教師。慈は、地理を担当している教師だと認識している。
・・・橋本先生、だったか
しかし、慈は地理を受けていないため、接点はない。
「すこし言い争いになっただけです。大した問題はありません」
「そうか、ならいいが」
「慈ちゃん、行こ・・・って、橋本じゃんか。関わらない方がいいよ」
奈美は、慈の腕を引いた。何となく、知っている温もりを感じる。考えていると、慈の心を読んだのか奈美が口を開いた。
「わたしね、蘭ちゃんの従姉妹なの」
「キンナリー?」
「うん。あとね、優姫も従姉妹」
この学校に天上界の住人が既に二人もいるとは思わなかった。
「二人じゃないよ。来斗くんと灯李くんもだよ」
「すごいな。そこまで気を隠せるとは」
「えへへ、気配遮断が得意だもん」
来斗は仁王金剛力士の一人那羅延金剛。灯李は同じく金剛力士密迹金剛だ。阿吽の呼吸で馴染みがあるだろう。
「慈ちゃんたちの役目は、わたしも優姫も来斗も灯李も知ってるよ」
知っているからこそ、四人は何も言わなかったのだ。奈美と優姫の正体に、従姉妹である蘭は気づいていた。そして、来斗と灯李の正体に気づいていたのは光だった。
「だからね、独りじゃないんだよ」
「え?」
「弥勒菩薩は、あらゆる人々を救うために日々修行する。それは、孤独の戦いだと思うのね」
修行をする際は独り。確かにその通りかも知れない。将来、多くの人々を救うための修行。その役目を背負う重さは、おそらく一哉たちの知るところではない。想像することも出来ない。想像を絶するほどの辛い修行であろうと、弥勒菩薩はブッダの後継者として耐え続ける。この地上界に来ても、それは変わらない。学校が終わり、家に帰ったら、結跏趺坐を組んで悟る瞬間を待つ。悟りとはそう簡単に成し遂げるものではない。ブッダでさえも、永遠とも言えるような年月苦悩し続けた。仏位最高位である五十二の位ブッダに次ぐ、五十一の位である弥勒菩薩も何年も苦悩し続けている。その苦悩の期間は五十四億年とも言われている。あのブッダが悟った時、それを見ていたのは不動明王だった。彼が悟ったあと、説法の際に立ち会ったのは難陀・跋難陀竜王兄弟だった。ブッダの苦しむ姿を見守った明と光は、その苦悩を知っている。だからこそ、悟ることを促したりはしない。誰よりも苦しいのは、悟りを得られない本人なのだから。それでも決して挫折はしない。折れない心の強さも知っている。
「慈さま、人を救うことが出来ないからって、泣かなくていいよ」
「!」
泣き弥勒。広隆寺に置かれている弥勒菩薩半跏思惟像像は、泣き弥勒とも言われている。苦しむ人々の姿に涙している様子であるという説がある。
「わたしたちも協力するよ。慈さまたちに」
すべての存在が、慈にとっては救うべき存在であり、救われるべき存在だ。誰にも不幸だと思ってほしくないのだ。
「ありがとう、奈美。心優しきキンナリーの娘よ」
「うん」
慈は、奈美の想いを知り、心にジワリと沁み渡る温もりを感じた。自分は、孤独ではない。悟りを開く自分を守ってくれる存在がこんなにもいた。自分を挫折させようと襲い来る敵を燃やし尽くす明王がいる。敵を流し尽くす竜王がいる。慰め、常に守ってくれるキンナリーがいる。そして、少し臆病でも隣にいてくれる友がいる。さらに、自分たちを守ろうとしてくれるキンナリーの従姉妹と仁王がいる。
「わたしは・・・確かに亜矢にとっては疎ましいかもしれない」
「え?」
「こんなにも・・・幸せ者だ」
もし人間だったなら、思い知った幸せに泣いていたかもしれない。そんな自分に、愛するものに振り向いてもらえないと、心の底から叫ぶ亜矢の思いを理解することなど出来るとは思えなかった。
「今日は不動くんがいないけど、どうしたの?」
「あぁ、仮病だ。一旦亜矢から離そうと思ってな」
「なるほどね。沙希って子、不動くんのこと好きだもんね。利用されちゃったのかな」
沙希も明のことが好きだったのだ。想像してはいたが、それでも「どれだけモテれば気が済むのかあの男」と心のなかで呟いた。
「亜矢のことどうするの?」
「今日のうちにアムリタを実行する気でいる。異論は?」
「全然ないよ。優姫たちにも報告しとくけど、オーケー?」
「あぁ、どうやら優姫は耳がいいらしいのでな。聞こえている気がするが」
優姫は、情報を一瞬で入手してくる。学校という小規模領域の声ならいくらでも聞くことができるそうだ。悪口や罵倒は聞き流せるという特技も持ち合わせていた。
「今夜、晴れるといいね、とか思ったけど曇天だよ」
「日天あたりに晴らせと頼んでおく。または月天」
「なるほど、十二天に頼むのか。さすが菩薩さま」
如何にインドやヒンドゥーの神であろうと、これから如来になろうという菩薩の言うことならば聞くしかないだろう。無視すると不動明王あたりが動くので、天部に断る余地はない。
「調伏などという自体になっては困るのでな」
「だよねぇ」
今のところ、調伏という事態に陥ったことはない。煩悩がいようものなら、すぐに慈に伝えられるために、明は手を出すことは無い。当然斬って動かないようにするし、羂索で縛ることもある。羂索とは、衆生救済の象徴である。不動明王の倶利伽羅剣に並ぶ三昧耶形の一つでもある。
「今回の主戦力は光って聞いてるけど」
「そうだ。生憎、亜矢が水らしいのでな。土がいるといいのだが」
「土・・・金剛力士じゃない?」
「ふむ・・・行けるか聞いてみるか」
「菩薩に聞かれて行けないとは言わないと思う」と奈美は苦笑を浮かべて言った。
今日は学校が五時間目までで、早めに帰ることができる日であったため、掃除やショートホームルームを抜け出して逢魔が時になる前に作戦会議ができた。それに巻き込まれた一哉の思いは偲ばれるものがある。場所は寺である。奈美たちについて事情を知らない明は、奈美たちがいるという事態に困惑していた。
奈美は、四人を代表して自分たちの正体を明かした。反応は「わぁお」のみだった。ほとんど身内とも言える存在が四人もいたことについて、驚いてはいるが、驚嘆することはない。
「いやぁ、まさか君たちがねぇ。劇の参加者多いね。それはいいんだけど、なんで集まってんの?作戦は?」
「作戦会議のために集まったのだ。其方のせいだからな」
「ごめんなさい」
慈にピシャリと言われ、素直に謝罪した。恐ろしいイメージの不動明王が土下座する姿を見れば、天上界の住人はどう思うのだろう。
「えぇと、なんで俺ら集まってるんすか?慈さま」
「言っただろう、作戦だと。聞けば、其方らは金剛力士と言うじゃないか」
「そうっすね」
「つまり、属性は土だな」
「なるほど、亜矢に対抗するために俺たちってわけですね」
利口な来斗が理解し、灯李も納得した。金剛力士で双子の二人は土属性ということもあり、水に強いのだ。水は土に流されると思うかもしれないが、五行では水は土に濁されるという考えであり、そのため水は土に弱いとされている。属性相性でいえば、五行相生と五行相剋というものであり。木は土に剋ち、土は水に剋ち、水は火に剋ち、火は金に剋ち、金は木に剋つとされている。つまり、相性により土が効果覿面ということだ。
「来斗、灯李は私と来い」
「あぁ、わかった」
龍部の筆頭難陀である光からの指示に、来斗と灯李は見事なシンクロで頷いた。
「奈美と優姫は、蘭とともに悪鬼の影の討伐を頼む」
「承知いたしました。聞きましたね、お二人とも」
蘭の問いかけに、奈美と優姫は強く頷いた。派手な容姿と格好をしている二人だが、実際は真面目で正義感の強い性格だ。一度やると決めたことはやり通す。
「えぇっと、オレは?」
「そうだな、わたしの可愛い家族の世話を頼む」
「え、そう来る?」
慈の可愛い家族というのは、ペットのことだ。馬五頭に、犬四匹に、猫二匹、ウサギ五匹。さらには梟三羽に、クジャク一羽。鷲二羽だ。その動物たち全ての餌やりを頼まれたのだ。普段は不動明王の眷属八大童子がするのだが、それを今回は明にさせる。
「今回のトラブルを起こした本人だ。当然の罰だ」
「そ、そうだよねぇ」
「矜羯羅童子も制多迦童子も手伝わなくていいからな」
「は、はい」
「あ、ついでにわたしのお花さんたちの水やりもお願いしますね」
明王筆頭が利用された。その様子に、いつもの明たちを知らない奈美たちは動揺を隠せなかった。慈はともかく、蘭までもが当然のように利用したのだから。
「ねぇ蘭、不動明王さまにこんなことしていいの?」
「いいんですよ。今回は、悪いのは彼ですから」
「明」
「光も何かあるの?」
「女は怖いな」
同調してくれた光に、明は感激したのだった。
「女子の真骨頂なのだよ」
一哉も明と光に同感だった。あまり女子と絡まない一哉であるため、余計にそう感じてしまう。
「慈さまは任せておけ、明」
「うん、頼んだ」
「一哉くんはどうする?」
「塾なのだよ」
「学業に専念ってことだね、よろしい」
「ストップ」
会議をお開きにしようとしたところを奈美が止めた。奈美が止めた理由は分かる。慈と行動する者がいないからだ。
「慈ちゃんは、思念体で動くみたい」
「本人が動くわけじゃないのか、よかったよ」
「万が一のことがなければだがの」
光の言葉は脅しにも等しい。菩薩を守る存在なしに、菩薩が動こうとする時点で、反対したいくらいだというのに、万が一のことも想像の範疇だというのだから。
「護身術は心得ているし、戦闘系術式を編む程度なら可能だ」
「うーん、わかった。何かあったら、誰でもいいから助けを呼ぶんだよ」
「蘭にも言われた」
慈は、「従姉妹というものは性格が似るものなのだな」と感心した。心配性の一言で片付けられるものではないことは、慈も承知のうえだ。如来や菩薩は不死だ。しかし、攻撃されればダメージを受けるうえ、明王よりも回復が遅い。明王は腕を捥がれようと瞬時に自己回復する。
「作戦は整ったな。では、実行に移ろう」
「了解」
凛々しい応答とともに、一瞬で一哉と明以外がそれぞれの持ち場まで移動した。今まで普通の人間だと想っていた四人が天上の存在であったこと。その四人を早速巻き込んでしまったこと。明は流石に罪悪感に苛まれた。明は、慈からまさかのペナルティを設けられたため、それを遂行するために寺の庭に出た。しかし
「一哉くん、キミは塾じゃないの?」
「そうなのだよ」
いつもなら、いや、これまでの自分なら迷わず塾に行っていた。それどころか、掃除やショートホームルームを抜け出すなど有り得なかった。しかし、断れなかったのだ。今までの自分が変わってきていることに気付き始めていたのだ。慈たちと知り合い、付き合うようになり、友人関係になり、さまざまな影響を受けて、これまでの自分ではなくなっていたのだ。聖と自ら和解しようと話しかけたことも自分の行動とは思えなかった。しかし、和解できた瞬間心の底から安堵した。
「護りたいと想っている僕がいるのだよ」
「え?」
「煩悩を持つ存在ではなく・・・慈くんを」
・・・慈ちゃんを護る?
明は、その子言葉を反芻し、今度はその意味を理解しにかかった。人々を救おうとして、自ら囮になるような無茶をする弥勒菩薩。その地上の姿である慈を、一人間でしかない一哉が護りたいと言ったのだ。
・・・心を鬼にするか
明は、想いを言葉にした一哉の背中を押すために、敢えてこの場面で叱咤することに決め、口を開いた。
「・・・一哉くん」
「なにかね?」
「キミのそれは、ただの妄想だ」
「え?」
いつもこんな厳しい言葉はあまり吐かない明からの、意外な言葉に一哉は思わず目を見開いた。
「思ってるだけじゃ何もできないんだよ」
「・・・それは・・・」
想うだけならば動物にもできる。思っているだけならば、人間であろと仏であろうと明王であろうと何も実現できない。想うだけでは、救えない。それ故に、慈は自ら危険を冒して囮を名乗り出た。救うために、全員が何かしようと動いた。しかし、今の一哉は想っているだけで、動こうとしていない。
「――夢なんて、語っているうちは叶わない・・・実現したいなら、動きなよ・・・自分から」
明の口調に少しだけ穏やかさが混じった。一哉は理解した。明は、自分を突き動かそうしているのだと。ただ、動く勇気がないのは自分だ。
「夢を語るというのは、努力できる人にこそ与えられる資格だよ。夢を想うだけの今のキミに、与えられる資格はない。その資格を得るための術をオレが教えることはない。自分で気づくんだ、一哉くん」
「一度、僕は冷静になって考えるのだよ。結論は、僕が出して見せるのだよ」
「期待してるよ」
一哉は、明の「期待してるよ」を聞いたあと、塾に行くために寺を出て行った。そうしてようやく明は、ペットたちに餌やりを始めたのだった。
一方、慈は思念体を亜矢の元まで送り、物陰に身を潜めていた。自分がここにいると光たちに知らせるように錫杖はしっかりと握られている。
・・・亜矢というかは、悪霊に取り憑かれた沙希か
しかし、思念体を通して亜矢を見ている慈は、その沙希の姿に違和感を覚えた。何かに操られていることは紛れもないのだが、悪霊に操られているようには見えなかったのだ。慈の脳裏に嫌な予感が過ぎる。沙希から亜矢の気配がしない。昼間遭遇した際の沙希は、確かに亜矢に取り憑かれていた。あの瞬間にアムリタをすることも考えたが、学校という環境では慈の正体がバレるリスクが高まる。それは本意ではなかった。しかし、今の沙希から感じる気配は別物。別の何かだ。
・・・影を見てみるか
慈は、正体を突き止めるために沙希の影に思念体を潜ませた。
・・・これは
今の沙希を操っているのは亜矢ではなかった。その正体は、雷属性の悪鬼だった。雷を木とした場合、剋つのは金だ。つまり剣か斧、槍などの武器だ。つまり避雷針となる何かが必要だった。それを持つのは、明か光だ。悪鬼を倒すべく光とともに行動している仁王に対して相性は最悪だった。今度は千里眼で亜矢の動向を探る。亜矢の気配は覚えていたため、すぐにその悪霊は見つかった。その悪霊を操っているのは水属性の悪鬼の影。それでは、その悪鬼はどこにいるのか。
・・・沙希の中の悪鬼は引き摺り出すしかない
水属性の悪鬼は仁王に行かせ、木属性の悪鬼は武器を持つ光に行かせるしかない。蘭が率いるキンナリーは逢う魔が時に蠢く影を討伐している。手が離せない。だからと言って、現在餌やり中の明を呼ぶのは、属性の相性を考慮しても賢明ではない。
・・・わたしが行くか
もとより、亜矢の魂を成仏するための囮だったのだ。ならば、離れている今亜矢と接触したほうがリスクはあるが確実だ。悪鬼のほうは思念体で十分だ。煩悩が成長している亜矢と思念体では分が悪い。慈本体でも分は悪いのだがそんなことを言っている場合ではなかった。
「光、来斗、灯李、聞こえるか」
『聞こえておるぞ』
『同じく』
「光、十時の方角に水属性の悪鬼がいる。討伐を頼む。来斗と灯李は現在わたしの思念体が入り込んでいる影を頼む」
本来の作戦とは違う指示だ。光はその悪鬼の存在を探した。実際には十時ではなく、真逆の四時の方角だった。ここでも慈の方向音痴が炸裂した。来斗と灯李は思念体を探し当てた。
『わかった、その作戦に乗る』
「頼む」
『よくわかんないっすけど、そっちに行きます』
「あぁ。三人とも任せた」
『承知』
分かってくれる三人でよかったと想う。しかし、これで完全に自分を護る存在はいなくなった。
・・・明とカフェに行ったのは、悪鬼のほうか
慈の記憶を辿り出した結論は、先日カフェに行った沙希は沙希を現在操っている悪鬼。そして、亜矢は学校にいるときのみ取り憑く悪霊。
「地縛霊か」
優姫と光里の話しを思い出した。亜矢は、不動さまに逢いに行きますと言って屋上から飛び降り自殺した。ならば、その魂は星谷高校に留まっている可能性がかなり高い。それならば、沙希が学校で亜矢の霊を見つけたということに関して辻褄が合う。移動する霊であるなら、一哉であっても気付く。深夜に学校に行ってしまった沙希のみが存在を見たならば、沙希に取り憑いた理由に納得がいく。
「さて・・・行くか」
慈は、立ち上がると学校に向かった。
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