恋、しません?

rain

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男友達の家政婦致します

桜咲く日に

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 桜舞う、晴れ晴れとした真昼の春の日差しを浴びながら、菊子は雨の描いた地図を頼りに目黒邸を目指していた。
 今日から菊子は雨の家で家政婦として働く。
「それにしても、凄いわ、ここ」
 辺りを見渡し、菊子は呟く。
 横を向いても縦を向いても豪邸ばかりで菊子からはため息が漏れていた。
 雨が住んでいるのは高級住宅地だった。
 菊子は、そう言えばテレビの芸能人のお宅拝見でこの住宅地が映っていたことがあったな、と思い出す。

 嫌味な所に住んじゃって。

 菊子は雨の姿を思い浮かべながら憎らし気に物凄く上手に描けている地図を眺めた。
「うーん、この辺のはずよね。えーと、目黒、目黒っと」
 菊子が表札を睨みながら雨の家を探していると、目黒と書かれた白い大理石の表札が菊子の目に飛び込んだ。
「ここ?」
 住所を確認してみると合っている。
 黒い鉄製の門に囲まれた白くて四角い、大きな二階建ての家。
 門からは庭にある桜の木が見えていた。
「超、豪邸じゃないの」
 菊子は思わず口笛を吹いた。
 息を呑んで、インターフォンに指を近づけた菊子は、不意に雨との約束を思い出す。

 お互い、絶対に恋愛感情だけは抱かないこと。

 ふんっ、と菊子は鼻で笑った。

 そんなの楽勝よ。
 誰が、目黒さん何かに恋するものですか。

 菊子は、ガッツポーズを取ると、インターフォンを力強く押した。



「はい」
 インターフォンから雨の声がした。
「目黒さん、野宮です」
 菊子はインターフォンに顔を近づけた。
 すると、雨が「菊子、顔が近いよ。モニターでアップで見えてるから」と笑い声交じりに言った。
 菊子は顔を赤くして慌ててインターフォンから顔を遠ざける。
 インターフォンから雨の、くくくっ、と言う笑い声が漏れて来て、悔しい気持ちになる菊子。
「もうっ! 笑わないでもらえます?」
「ははっ、鍵は開いてるから入って来な」
「分かりました」
 菊子は、ふくれっ面で門を開けると、家まで伸びる短いコンクリートの道を大股で歩き、玄関まで向かう。
 玄関扉は大きな木製の引き戸の扉だった。
 縦長にはめ込まれた白い磨りガラスが扉の中心にはめ込まれている。
 菊子は鉄製の黒いドアノブに手を掛け、扉を引いた。
 扉は気持ちよく、すっと開いた。
「いらっしゃい、菊子」
 家の中では車椅子に乗った雨が菊子を待ち構えていた。
 しかし、菊子の目に、雨は映らない。
 菊子は家の中を、きょろきょろと見回していた。
「な、何だか凄い家ですね」
 菊子から、今日何度目かの、ため息が漏れた。
 天井まで届く大きな窓のある広々とした玄関のロビーの先には広くて長い廊下が真っすぐ続いている。
 その廊下の先には、やはり天井まで届く大きな窓があり、そこからは緑色の葉を付けた木が植わっている小さな庭が見えた。  
「大した家じゃないさ。それにしても菊子、荷物はそれだけか」
 雨はスーツケース一つと大き目の肩掛け鞄を持っただけの菊子を不思議そうに眺めて言った。
 雨に、じっと見られて菊子は、肩をすくめる。
「ええ、これだけ。何か悪いかしら?」
「別に悪くないさ。菊子らしいよ。さあ、上がれよ。お前の靴は、そこの靴箱に入れておいてくれ。それと、スーツケースはとりあえず、そこの脇に」
 言われて菊子は、スーツケースを玄関の隅の観葉植物の横に置いてから、天井まで届くシューズボックスに目をやる。
 どんだけ靴があるのよ、と菊子は心の中で毒づいた。
 菊子はシューズボックスを開ける。
 中には色とりどりの靴がみっちりと並べてあった。
 どれも値段の張る良い靴であることは明白。
 菊子は眉間に皺をよせながらシューズボックスの下段の隙間に自分のお安いスニーカーをねじ込んだ。
 そして、段差のない玄関のたたきをまたいで「失礼します」と揃えられているスリッパに履いても良いものかと悩みながら足を滑り込ます。
 スリッパの柔らかい感触に菊子は少しばかり感動する。
 スリッパに視線を下ろすとブランドのロゴが見えて驚愕の菊子だった。
 菊子が玄関から家に上がると雨は車椅子をくるりと回して菊子に背を向ける。
「これから、応接間に案内するから。会わせたい奴がいるんだ」
 そう言って、雨は車椅子を廊下の方へ動かした。
「ちょっと待って」
 菊子が慌てて雨の後に続く。
 会わせたい奴と聞いて菊子はピンと来ていた。
 雨には、同居している弟がいるらしいのだ。
 多分、会わせたいのはその弟だろう、と菊子は予測した。



 応接間は廊下に入って直ぐの部屋だった。
 応接間への扉は引き戸になっている。
 それを、雨が開ける。
 雨はするりと車椅子を応接間の中へ滑り込ませると、菊子に入って来るように言った。
「お、お邪魔します」
 菊子が応接間に入ると男が一人、立ったまま腕を組んで白いソファーの横にいた。
 菊子は彼の姿をじっくりと見た。
 茶色い猫っ毛の髪。
 目は鳶色。
 背は高かった。
 着ている服は、上は黒のパーカーに下はジーンズ。
 彼の表情はムスッとしていた。
「菊子、紹介するよ。俺の弟の日向(ひなた)だ。日向は二十六歳だから菊子より二つ上だな。ほら、日向、今日から住み込みの家政婦として働いてもらう野宮菊子だ。挨拶しろ」
 雨に言われて、日向は菊子に「木沙(きさ)日向です」と言って、むすっとした顔のまま小さくお辞儀をした。
「野宮菊子です。よろしくお願い致します」
 菊子は深々と頭を下げてお辞儀をする。
 雨と日向は苗字が違っている。
 雨は目黒で、日向は木沙。
 そのことを菊子は疑問に思ったが、口には出さなかった。
「日向は、俺の身の回りの世話をしてくれているんだ。こんな体だから日向がいてくれてとても助かってる」
 雨がそう言うと、日向は照れくさそうな顔をした。

 さっきから、むすっとしちゃってたけど、可愛い所もあるじゃないの。

 そう思って、菊子は、にんまりとする。
「何、笑ってるんだ」
 日向が菊子を睨みながら言う。
「別に、何でもありません」
 内心、舌を出していたが、すました顔で菊子は答えた。
「日向、菊子に噛みつくなよ。この女はよく笑うんだ、気にするな」
 そう言う雨も、良く笑う。
 日向はまた、むすっとした顔をして、それから下を向いてしまった。
 そんな日向を見て、雨は、ふうっとため息を漏らす。
「これから三人で暮らすんだ。仲良くいこう」
 雨の台詞に日向は、ふくれっ面で頷き、菊子はすました顔で頷いた。
 雨はそんな二人を見て、またため息を漏らした。
 菊子は雨に座る様にと促され、心地の良いソファーの真ん中に座った。
 テーブルを挟んで菊子の対面に雨と日向が座っている。
 雨は車椅子のまま。
 日向は一人掛けのソファーに身を固くして座っている。
 ソファーの感触に酔いしれている菊子に向かって雨が咳払いする。
 菊子は「失礼」と両手を膝の上に揃えて乗せた。
 雨が改まった様子で話し出す。
「菊子、お前には、朝昼晩の料理と洗濯、掃除、買い出しなんかの家事全般をしてもらう。後、頼まれたことをやってくれたらいい。後のことは日向がしてくれてるから」
「了解です」
 菊子が答えた後に、あ、と雨の声が漏れた。
「そう言えば菊子、今更だが、お前、家事は出来るのか?」
 雨の台詞に菊子は口を、ぱくぱくさせる。
「な、何を失礼な! 出来なきゃ、引き受けません!」
 怒っている菊子に対して雨はにこやかだった。
 何をそんなに笑っているのか、と菊子は雨を睨みを効かせて見る。
 その睨みに雨は怯まない。
「はははっ、確かにそうだな。でも、家事をしてる菊子の姿が目に浮かばなくってさ」
「それは、目黒さんの目が節穴だからです。人並には出来るつもりですからご安心下さい」
「つもりじゃ、困るよ」
 呆れた顔の雨に、菊子は得意の極上の笑みを浮かべて、「それは、精進致します」と返した。
 やれやれ、と首を横に振る雨。
 日向は怪訝な目を菊子に向けていた。
 ふと、風が窓を強く叩く音がした。
 応接間の窓から見える庭の桜の木から落ちた花びらが、ひらりひらりと舞っている。
 僅かに開いた窓の隙間から強い風と共に桜の花びらが、ひとひら応接間の中に入って来て、それが三人の目の前でさらりと揺れた。
 花びらは、菊子の赤い唇に落ちる。
 雨と日向の視線が菊子の唇に向かう。
 菊子は白い指先で花びらを摘まむと、ふうっと息を吹きかけて花びらを飛ばした。
 それは再び宙を舞い、そして雨の膝の上に落ちた。
 雨は自分の膝の上に乗る桜の花びらに視線を移してから菊子を見る。
 菊子は雨と目を合わせて、さっきと違う微笑みを白い顔に浮かべる。
「精一杯努めます。よろしくお願いいたします」
 そう言って菊子深々と頭を下げた。
 雨は黙って、そっと頷いた。



 桜舞う日。
 菊子は雨の家政婦になった。





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