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第一章 青き誓い
5、従騎士、ふたり(11)
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いつの間にか強まった日差しに、気づけば少し汗ばんでいた。
フェネトも同じだったのだろう。
彼は真っ直ぐなブロンズの前髪を丁寧に耳にかけ直していた。
ともすれば女性らしいこの仕草は、彼の手癖だった。二枚目だから様になる。
「わかった」
セルゲイは友の車椅子に手をかけると、再び押しはじめた。
「せっかくだし、もう一発殴っておこうかな」
「止めろって。明日が刀礼なんだぞ」
二人はくすくす笑いあうと、どちらともなく空を仰いだ。
木々の緑葉が青空を額縁のように囲っている。
デ・リキア家の三段仕掛けの噴水の前に着くころには、セルゲイのわだかまっていた気持ちも幾分落ち着きはじめていた。許しを与えてくれた寛大なフェネトには感謝しかない。
薔薇の蔓が巻き付くベンチに車椅子を寄せて、セルゲイも座る。
風に散らされた噴水のかけらが顔に涼しくて心地よい。
「いよいよか」
と、フェネトが低く言ったのに、セルゲイは頷いた。
「ああ。お前は?」
「僕も参列を許された。お前の方は? 今日は一人か?」
「いや、殿下も。連れてけって命令された。マルティータ様によっぽど会いたかったんだな」
「そうか、珍しいな。籠もりがちのあの方が」
「殿下はあの方を心底愛してる。猫背ともしょもしょ声が直るのは、あの方の前でだけだ」
セルゲイは苦々しく親友の横顔をじっと見つめたが、フェネトはそれを知ってか知らずか、噴水を残された左目で愛でている。
「俺さ、やっぱり、気の毒だと思う」
気づけばセルゲイは、本音を零していた。
「ああいうの、血気盛んな陛下の思いつきそうなことだ。でも、デ・リキア卿まで賛成するなんて――」
「父上にもお考えがあるのだろう。僕は一仕掛け人として明日の刀礼と婚儀を見届けるだけだ。お前だってそうだろう」
ドーガス子爵の庇護下でともに騎士の十戒――騎士道のなんたるかを学んだ男にそう言われると、セルゲイも返す言葉を持たなかった。
騎士は、神や正義ではなく、まず主君とその家柄の名の下に頭を垂れて剣と盾、騎士の称号を得る。つまり家臣たる彼らが主君の命を背くことはすなわち、騎士を辞するのに等しかった。
刹那、天空で微笑んでいた太陽が雲に隠れた。
正義ってなんだろう。セルゲイは吹き付ける風の痛さに目をしばたたかせた。正しさとは。
敵対する相手に勝ったとしても、失う物がある。いや。セルゲイは頬の裏を噛んだ。
失う物のほうが圧倒的に多い。勝利に輝くのは栄光ではない。
しかも、主君の考えに反対意見を持っている。
俺、騎士に向いていないのかも。
思わず吐きそうになった弱音を、フェネトの手前、ぐっと飲み込んだ。
「俺、納得できない。これまでも。きっと、これからも」
そして、膝の上で拳を握り直した。
「でもこんなことでもなけりゃペローラ諸島になんか行けないからな。俺にも何かできるかもしれない。ま、期待せず待っててくれよ」
フェネトは、はっとしてセルゲイを見つめてきた。
「お前、どうしてメイアのことを……!」
「マリ・メイア嬢。なんで妹がいるって教えてくれなかったんだよ。水臭い。デ・リキア卿から聞いたぜ。ペローラ諸島でのクルージングの最中に行方不明になったきりなんだってな。しかも生きていたら俺と同じ十八歳。俺、お前の代わりになんてなれないけどさ、探してくる。青い目にブロンズの髪、お前に似た娘なら俺にはすぐわかるって」
これは任務ではない。けれど、騎士団長デ・リキアがこっそりと伝えてくれたところをみるに、一縷の望みを託してくれたに違いない。彼が肌身離さず付けているロケットの中、マリ嬢の幼い日の肖像画も目に焼き付けた。役に立てるのなら働きたい。
「お前の正義感にはお手上げだ、セルゲイ」
「奥様に似て、いいカラダに間違いないだろうし」
へへっと笑顔を絞り出したセルゲイの肩を、親友が小突いた。
フェネトも同じだったのだろう。
彼は真っ直ぐなブロンズの前髪を丁寧に耳にかけ直していた。
ともすれば女性らしいこの仕草は、彼の手癖だった。二枚目だから様になる。
「わかった」
セルゲイは友の車椅子に手をかけると、再び押しはじめた。
「せっかくだし、もう一発殴っておこうかな」
「止めろって。明日が刀礼なんだぞ」
二人はくすくす笑いあうと、どちらともなく空を仰いだ。
木々の緑葉が青空を額縁のように囲っている。
デ・リキア家の三段仕掛けの噴水の前に着くころには、セルゲイのわだかまっていた気持ちも幾分落ち着きはじめていた。許しを与えてくれた寛大なフェネトには感謝しかない。
薔薇の蔓が巻き付くベンチに車椅子を寄せて、セルゲイも座る。
風に散らされた噴水のかけらが顔に涼しくて心地よい。
「いよいよか」
と、フェネトが低く言ったのに、セルゲイは頷いた。
「ああ。お前は?」
「僕も参列を許された。お前の方は? 今日は一人か?」
「いや、殿下も。連れてけって命令された。マルティータ様によっぽど会いたかったんだな」
「そうか、珍しいな。籠もりがちのあの方が」
「殿下はあの方を心底愛してる。猫背ともしょもしょ声が直るのは、あの方の前でだけだ」
セルゲイは苦々しく親友の横顔をじっと見つめたが、フェネトはそれを知ってか知らずか、噴水を残された左目で愛でている。
「俺さ、やっぱり、気の毒だと思う」
気づけばセルゲイは、本音を零していた。
「ああいうの、血気盛んな陛下の思いつきそうなことだ。でも、デ・リキア卿まで賛成するなんて――」
「父上にもお考えがあるのだろう。僕は一仕掛け人として明日の刀礼と婚儀を見届けるだけだ。お前だってそうだろう」
ドーガス子爵の庇護下でともに騎士の十戒――騎士道のなんたるかを学んだ男にそう言われると、セルゲイも返す言葉を持たなかった。
騎士は、神や正義ではなく、まず主君とその家柄の名の下に頭を垂れて剣と盾、騎士の称号を得る。つまり家臣たる彼らが主君の命を背くことはすなわち、騎士を辞するのに等しかった。
刹那、天空で微笑んでいた太陽が雲に隠れた。
正義ってなんだろう。セルゲイは吹き付ける風の痛さに目をしばたたかせた。正しさとは。
敵対する相手に勝ったとしても、失う物がある。いや。セルゲイは頬の裏を噛んだ。
失う物のほうが圧倒的に多い。勝利に輝くのは栄光ではない。
しかも、主君の考えに反対意見を持っている。
俺、騎士に向いていないのかも。
思わず吐きそうになった弱音を、フェネトの手前、ぐっと飲み込んだ。
「俺、納得できない。これまでも。きっと、これからも」
そして、膝の上で拳を握り直した。
「でもこんなことでもなけりゃペローラ諸島になんか行けないからな。俺にも何かできるかもしれない。ま、期待せず待っててくれよ」
フェネトは、はっとしてセルゲイを見つめてきた。
「お前、どうしてメイアのことを……!」
「マリ・メイア嬢。なんで妹がいるって教えてくれなかったんだよ。水臭い。デ・リキア卿から聞いたぜ。ペローラ諸島でのクルージングの最中に行方不明になったきりなんだってな。しかも生きていたら俺と同じ十八歳。俺、お前の代わりになんてなれないけどさ、探してくる。青い目にブロンズの髪、お前に似た娘なら俺にはすぐわかるって」
これは任務ではない。けれど、騎士団長デ・リキアがこっそりと伝えてくれたところをみるに、一縷の望みを託してくれたに違いない。彼が肌身離さず付けているロケットの中、マリ嬢の幼い日の肖像画も目に焼き付けた。役に立てるのなら働きたい。
「お前の正義感にはお手上げだ、セルゲイ」
「奥様に似て、いいカラダに間違いないだろうし」
へへっと笑顔を絞り出したセルゲイの肩を、親友が小突いた。
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