35 / 51
第一章 青き誓い
7、警告と叙任(2)
しおりを挟む
乾いたアルトを潤すためか、ミゼリア・ミュデリアは再びカップを口へ運ぶ。
「……だから、俺を御前試合に推薦してくだすったのですか?」
セルゲイの問いは、ほとんど確信めいていた。
御前試合を最後まで勝ち抜いたセルゲイだったが、当初は参加を辞退していた。
しかし、他でもない神子姫がそれを引き止めた。
彼女がわざわざ口を出す珍事に、国王や騎士団は驚きつつも了承した。
結果、呪わしい事件を招いてしまい、後悔と懺悔の日々を過ごす羽目になった。
今もそうだ。図らずも勝利の一打となった重たい手応えごと、夢に現れる。
倒れた親友の血の臭いと呻きでさえも、ありありと。
「あれは、決まっていたことなんですか? 俺がフェネトを傷つけることがあらかじめ決まっていて、その結果グレイズの〈盾仲間〉に選ばれる、そういう未来を導くために俺を?」
神子姫はゆるりと首を振った。
「運命を選んだのはフェネトのほう。自分を責めないこと。お前はよく頑張りました。わたくしはグラスタンが求めるに足る人選をしたまで」
ミゼリア・ミュデリアはおもむろに寝椅子から両脚を下ろし、自ら身を屈めてポットを手にして、茶をくんだ。
「グラスタン、自分の殻に閉じこもっている気の毒な子。嵐の人生、自由は本の中ばかり。わたくしがしてあげられることはあれぐらい。ああ。マルティータのこともあったかしら」
カップの中に顔を映していた彼女は、緑の瞳をついと少年に向けた。
「けれど、人を見る目はある。そうでしょう?」
どきりとした。
確かにグレイズは、どこか人とは違う観点を持っていた。
乗馬が苦手だというのは優しさの裏返しで、金属製の拍車で馬の腹を蹴る行為に罪悪感があるからだと見てすぐにわかった。降りられないのも同じ理由だ。
ピュハルタ市街では、行き交う人々の顔や家並み、あるもの全てをまるで今生の別れに記憶へ刻まんとするがごとく、一つ一つ注視し愛でていた。本人ではないのでわからないけれど、樹や花の根や、飛ぶ虫の翅の付け根、人の心根までもを見抜こうとする情熱、あるいは執念に似た何かを感じるのだ。おそらく、本人にも自覚はないだろう。
不幸なことに彼はこれまで自分を的確に表現する術を両親たちからことごとく奪われてきた。
この一年、彼の側仕えとして窮屈な生活をともにしてわかった。
用心を重ねるうちに、沈黙を守りながら、注意深く観察をする力が身についたに違いない。
「単純に、お前たちはいい友だちになれると思うのだけれど」
「どうでしょう」
セルゲイは顔を背けた。かつて親友フェネトを体もろとも傷つけた過去のある自分である。
これから二度と、親友――ひいては友と呼べる存在を持てはしないだろう。
友だちになりたいとわざわざ言ってくれたグレイズには、こんなことは言えないけれど。
「ゆっくりでいいわ。でもお前の優しさが必要なの。グラスタンのことを頼みます。それから、最後に……」
ミゼリア・ミュデリアは、もうひとつのカップにお茶を注ぎ、セルゲイへ差し出した。
「片足の男に気をつけよ」
***
叙任される従騎士は、前日に身体を清めて一晩中祭壇へ祈りを捧げねばならない。
ケーキを一切れいただいたあと、セルゲイもその例に漏れずおこなった。
しかも礼拝堂ではなく聖地〈水の祭壇〉で祈祷できるという、先輩騎士も羨む好待遇だ。
明日、時を同じくして王国の騎士として叙任されるグレイズ――たった二人の〈盾仲間〉は、〈水の祭壇〉をセルゲイに譲ってくれた。気を遣うなと言ったが、王子は小さく笑った。
「君にこそこの場がふさわしい。それに私は開けた場所は苦手だから」
今この時、別の場所で、グレイズもこの世のマナとスィエルへ祈りを捧げているに違いない。
「片脚の男に気をつけよ」
それにしても、神子姫ミゼリア・ミュデリアから最後に授けられたのが警告とは。
満開のウィスティリアの花が揺れる常春の庭でただ一人、セルゲイはぼうっと瞑想をした。
あまり集中できなかったけれども、つとめて。
「……だから、俺を御前試合に推薦してくだすったのですか?」
セルゲイの問いは、ほとんど確信めいていた。
御前試合を最後まで勝ち抜いたセルゲイだったが、当初は参加を辞退していた。
しかし、他でもない神子姫がそれを引き止めた。
彼女がわざわざ口を出す珍事に、国王や騎士団は驚きつつも了承した。
結果、呪わしい事件を招いてしまい、後悔と懺悔の日々を過ごす羽目になった。
今もそうだ。図らずも勝利の一打となった重たい手応えごと、夢に現れる。
倒れた親友の血の臭いと呻きでさえも、ありありと。
「あれは、決まっていたことなんですか? 俺がフェネトを傷つけることがあらかじめ決まっていて、その結果グレイズの〈盾仲間〉に選ばれる、そういう未来を導くために俺を?」
神子姫はゆるりと首を振った。
「運命を選んだのはフェネトのほう。自分を責めないこと。お前はよく頑張りました。わたくしはグラスタンが求めるに足る人選をしたまで」
ミゼリア・ミュデリアはおもむろに寝椅子から両脚を下ろし、自ら身を屈めてポットを手にして、茶をくんだ。
「グラスタン、自分の殻に閉じこもっている気の毒な子。嵐の人生、自由は本の中ばかり。わたくしがしてあげられることはあれぐらい。ああ。マルティータのこともあったかしら」
カップの中に顔を映していた彼女は、緑の瞳をついと少年に向けた。
「けれど、人を見る目はある。そうでしょう?」
どきりとした。
確かにグレイズは、どこか人とは違う観点を持っていた。
乗馬が苦手だというのは優しさの裏返しで、金属製の拍車で馬の腹を蹴る行為に罪悪感があるからだと見てすぐにわかった。降りられないのも同じ理由だ。
ピュハルタ市街では、行き交う人々の顔や家並み、あるもの全てをまるで今生の別れに記憶へ刻まんとするがごとく、一つ一つ注視し愛でていた。本人ではないのでわからないけれど、樹や花の根や、飛ぶ虫の翅の付け根、人の心根までもを見抜こうとする情熱、あるいは執念に似た何かを感じるのだ。おそらく、本人にも自覚はないだろう。
不幸なことに彼はこれまで自分を的確に表現する術を両親たちからことごとく奪われてきた。
この一年、彼の側仕えとして窮屈な生活をともにしてわかった。
用心を重ねるうちに、沈黙を守りながら、注意深く観察をする力が身についたに違いない。
「単純に、お前たちはいい友だちになれると思うのだけれど」
「どうでしょう」
セルゲイは顔を背けた。かつて親友フェネトを体もろとも傷つけた過去のある自分である。
これから二度と、親友――ひいては友と呼べる存在を持てはしないだろう。
友だちになりたいとわざわざ言ってくれたグレイズには、こんなことは言えないけれど。
「ゆっくりでいいわ。でもお前の優しさが必要なの。グラスタンのことを頼みます。それから、最後に……」
ミゼリア・ミュデリアは、もうひとつのカップにお茶を注ぎ、セルゲイへ差し出した。
「片足の男に気をつけよ」
***
叙任される従騎士は、前日に身体を清めて一晩中祭壇へ祈りを捧げねばならない。
ケーキを一切れいただいたあと、セルゲイもその例に漏れずおこなった。
しかも礼拝堂ではなく聖地〈水の祭壇〉で祈祷できるという、先輩騎士も羨む好待遇だ。
明日、時を同じくして王国の騎士として叙任されるグレイズ――たった二人の〈盾仲間〉は、〈水の祭壇〉をセルゲイに譲ってくれた。気を遣うなと言ったが、王子は小さく笑った。
「君にこそこの場がふさわしい。それに私は開けた場所は苦手だから」
今この時、別の場所で、グレイズもこの世のマナとスィエルへ祈りを捧げているに違いない。
「片脚の男に気をつけよ」
それにしても、神子姫ミゼリア・ミュデリアから最後に授けられたのが警告とは。
満開のウィスティリアの花が揺れる常春の庭でただ一人、セルゲイはぼうっと瞑想をした。
あまり集中できなかったけれども、つとめて。
1
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる