王子と半分こ

瀬月 ゆな

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「リリーナ・ディアモント」という名の令嬢

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 婚約発表をするはずだった夜会の日から、十日が過ぎた。

 リリーナはあれ以降も大事を取って王城の一室に滞在させている。そして今日もレイノルドとアンドリューに託してキースは一人、部屋を出た。

 いつからいたのだろうか。
 背中を壁にもたせかけ、エドガーがそこに立っていた。

「君と話をしたいんだけど、少しいいかな」

 幼い頃から不思議と気が合わずにいた同い年の従兄弟は、リリーナが階段から落ちたと知っているだろうに凪いだ表情で笑う。キースは内心歯噛みしながらも手近な客室の扉を開け、灯りをつけるとエドガーに入るよう促した。

「ずいぶん、厳しい措置をしたようだね」

 タイミング的に、エマへの処罰についての話をしているのだろう。表沙汰にはしていないことをどこから聞いたのかは分からないが、耳が早いものだ。そして同時に、ひどくな何者かがエドガーと通じているらしいことに舌打ちをしたくなって来る。

「未来の王妃にあんな真似をした処罰としては軽すぎると思うが」

 まだ正式な発表すらされていないとは言え、リリーナは王太子であるキースの婚約者だ。その実家が政治的に強い力のない伯爵家だからと、見くびって危害をくわえてもいい相手ではない。彼女への行動は王家を相手取った振る舞いも同然のことだ。

 だが、人目を避けて早い時間に移動させたことが完全に裏目に出ていた。
 リリーナがエマの手で突き落とされたと、客観的に証明出来る第三者がいない。
 そして正式な婚約の発表を済ませる前だったこともまずかった。だから本来なら王太子妃の暗殺未遂としてより重い処罰を与えられた案件であっても、エマが「リリーナ・ディアモント伯爵家令嬢が目の前で足を踏み外した」と言い逃れ出来る余地が生まれた。

 もちろん事実はそうでないことは、一部始終を後ろから見ていたアンドリューの証言で簡単に覆せる。何よりエマ自身が「いい気味」だとリリーナを嘲り、自らの罪を簡単に認めた。その結果、当事者の身分を剥奪したうえで修道院に送るという程度で済まされたのだ。
 これを"厳しい措置"だとエドガーに言われる覚えは、少なくともキースにはない。

「今回の件は体の良い見せしめと言うことかい」
「そう思いたいならそう思えばいい」

 エマが実行に移すに至った理由に実家のファゴット伯爵家は一切関与していなかった。あくまでもエマの個人的な理由による凶行だったが、キースは連帯責任として一部の責をファゴット伯爵にも課した。伯爵は貴族院における地位を一つ落とされ、その分の発言権も失った。

 もっとも、それはキースの独断で行ったことではない。リリーナが意識を失ってすぐ、然るべき手段を用いて国王の許可は取った。
 とは言え王家としては、今回に限れば国の繁栄を約束する紋章を持つリリーナを重要視するだろう。そこを見越しての行動だったことは否定しない。リリーナがキースと婚約の予定にあったと後出しし、傷つけられた婚約者を守るという名目で、民を守る役目を放棄したことも事実である。

 また、セイラ・ハミルトンはわざとレイノルドに後ろからぶつかるよう、エマに頼まれただけらしい。彼女に関しては、本人の反省もあり三か月の減給処分となった。

「王家の決定に不服があるなら、正当な手段を以って意義を申し立てれば良かった話だ。それをせず、あまつさえリリーナに直接力で訴えた以上、王家に対する反逆と取られても仕方ない」
「本当に手厳しいね。たかが女の子の嫉妬じゃないか」
「たかが?」

 キースはエドガーを睨みつけた。

 今回の件に関して、いくら事前に調べても何も出なかった。それもそのはずだ。リリーナが危険に曝されたのは、キースの婚約者に選ばれたからではない。エドガーがリリーナに好意的な態度を示していたことが、彼に好意を抱いていたエマの嫉妬を煽っての行動だった。

 ――確かに、エドガーの言うように「たかが」ではあるのだろう。
 しかし、そんなくだらない理由だけでリリーナは階段から突き落とされた。

 本当に自分は何をやっていたのだろうと思う。
 あんな子供騙しで単純な手口で、最も効率良く彼女を命の危険に曝してしまった。
 夜会での婚約発表の席を台無しにしたことを謝罪をするべきはキースであり、リリーナじゃない。

「君がリリーナちゃんに心を動かすとは少し意外だったな」

 キースの反感を買っても、エドガーは穏やかな姿勢を崩さなかった。

「君とリリーナちゃんの繋がりは、あくまでも"この国の繁栄の為の繋がり"でしかないからね。最善のビジネスパートナーだと言えばいいのかな」

 あくまでも柔らかい口ぶりで何を言い出すのか。意図を計り切れずに訝しげな眼を向けると、エドガーは初めて不快感を顕わにしてみせた。

「でも、あのとても綺麗な魂は俺が先に見つけたんだけどね」
「――どういう意味だ」

 キースの心がにわかにざわめきはじめる。

「俺の見つけた魂を君が勝手に横取りした挙句、さも最初から自分のもののように勝手に余計な印をつけて所有しようとしたってことだよ」
「何の話をしているか分からないな」
「そんなことはないと思うよ、――」

 エドガーの口にした名に、キースの肩がわずかに強張った。

 初めて会った日、馬車の中で眠ってしまったリリーナが寝ぼけた様子で呼んだ名と同じだ。
 それは、キースのかつての名に他ならない。

 何故エドガーが知っているのか問い質すより先に、触れられたくない部分に他人から容赦なく触れられたことへ意識が行っていた。
 この場面でこそ冷静に対処すべきだと、何度も自分に言い聞かせる。

「やっぱり君は覚えているんだろう? 彼女を見殺しにしたことも、全部」
「見殺しにしてなんかない!」

 めずらしく声を荒げたキースに、けれどエドガーは何の反応も見せずにただ眉をひそませた。

「本当に彼女のことを愛しく思っていたのなら、君も一緒に眠ってあげれば良かったんだ。でも君は、王として国を選んだからそうしなかった。――それもとても立派な選択だと俺も思うよ。彼女自身も君がそう選ぶのを願っていた。だけど"王妃"としての責任を果たそうとしただけで本心は違ったんじゃないかな。一人で永遠の眠りにつく時の彼女は、どんな気持ちだっただろうね?」

 とても不安で、怖くて、寂しかっただろうね。

 そんなことはエドガーに言われずとも分かっている。
 たとえ全てを投げ捨ててでも、最後まで傍にいてやりたかった。彼女を失ってからの日々や世界には何の色もなくて、一秒でも早く、彼女の待つ場所に行けたらいい。それだけを願っていた。

「リリーナは俺が守り抜く。たとえ、お前が言うように彼女との繋がりが国の繁栄を前提にしたものだとしてもだ」

 ――でも私は運命の相手ではなかったとしても、キース様をお慕いしています。

 記憶がなくてもキースを選んでくれた。
 あの時の凛としたリリーナの美しい表情にキースもまた決めたのだ。
 過去のことなんかどうでもいい。キースは、自らが「リリーナ・ディアモント」であることに誇りを持っている令嬢と生きて行きたいと強く思った。

 だが、リリーナが全ての記憶を取り戻したらエドガーのように、キースは見殺しにしたのだと思うかもしれない。
 そして今度はリリーナが過去に囚われてしまったのなら、その時は彼女がしてくれたようにキースが未来から真っすぐ手を伸ばして助ける。

 キースがリリーナと二人で生きて行くということは、そういうことだ。

「……君がそこまで言うとはね」

 エドガーはつまらなさそうに言いながら立ち上がり、扉へと向かう。途中で足を止め、肩越しにキースを見やった。

「それなら俺は"彼女と本当に結ばれるべき運命の相手"として、本気を出させてもらうよ。君の手に委ねても彼女は幸せになれない」
「リリーナを危険な目に遭わせておいて、お前がそれを言うのか」
「俺は何もしていないからね。ああでも、リリーナちゃんに告げ口したいのなら好きにしたらいいよ。その程度のことは、結びつく運命の前では些細な問題にしか過ぎないのだからね」

 音も立てずに閉ざされた扉を見つめ、キースはそのまま動けないでいた。

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