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終幕
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「――もう、行かなくちゃ」
許されるのなら、このままずっとアルフォンスの腕の中にいたい。
だけど許されはしないから、メルディアナはなおも残る余韻を断ち切るように身を起こした。
できるだけ綺麗にドレスを着直し、髪も結ぶ。それから、似合わないとアルフォンスに外された髪飾りを拾い上げて髪に差した。
リチャードはどうせ、どんな風に結っていたのかなんて覚えてはいない。でもドレスと合わせて髪飾りを贈ったことを忘れていたりはしないだろう。
異性に対する情はなくても、幼い頃から一緒にいたことへの情はある。その情さえも失った今、贈られた髪飾りを失くしてしまったふりをしても良かった。けれど、メルディアナはそこまで非情にもなれずにいた。
「やっぱり君は、まだ婚約者のものなんだなって嫉妬が抑えられない」
「殿下……」
「外には誰もいないようだから、今のうちに部屋を出よう」
薄く開けたドアから外の様子を窺うアルフォンスに促されて一緒に部屋を出る。
ドアが閉まる音で夢から覚める。
肌を重ねている時は夢じゃなかった。
でも結局は、そうであって欲しかった夢の話だ。
何か話せば泣いてしまう気がして無言で歩く。
サロンに戻りたくない。
アルフォンスの袖を掴んで引き留めれば、あるいは。ここに来て躊躇っていると、いちばん会いたくなかった相手が向こうから姿を見せた。
「メルディアナ! 一体どこに……」
顔を見るなり怒鳴って来たリチャードは、メルディアナの横にいるアルフォンスに気がついて驚きに目を見開く。
「で、殿下。何故僕の婚約者と……」
「一人で庭園に行こうとしていたからね。さすがに危ないからサロンまで送ろうとしていたところだ」
リチャードは鋭く息を呑んだ。
庭園で自分がしていたことがことなだけに、メルディアナとアルフォンスに見られてはいないか危惧しているのだろう。
残念ながらメルディアナは見たくもなかったのに見てしまった。けれど、ここで事実を正直に伝えてもアルフォンスの手前、素直に認めないのは分かっている。だから何も言わなかった。
「リチャード・ガレウス。僕は君の主として命を二つ、君に下す。一つは今宵限りで僕の護衛騎士の任から外すこと。もう一つは――」
「お、お待ち下さい! 私は殿下をお護りすると他の騎士同様に固く誓っております。それが、何故」
アルフォンスの言葉にリチャードは慌てた様子で口を挟む。
本来ならあってはならない不敬な態度だ。
しかし王太子の護衛騎士は貴族の子息でも特に文武に秀でた者しか就けないことから、誰もが羨む地位だった。それだけで周囲から得られるものはたくさんある。
故に説明もなく突然、騎士の任を解かれるとなれば慌てるのも無理はなかった。
「僕を護るのと同じくらい、君には護らなければならない存在がいるはずだ。何故、傍を離れていた?」
メルディアナのことを指していると気がついたリチャードは余裕を取り戻し、強張らせていた表情を和らげた。
その反応こそメルディアナを日頃から軽んじているという証拠だ。けれどその考えには至ることなく言葉を続ける。
「お言葉ですが、私にも男同士の付き合いというものがあるのです。彼らとの交友を深めることはメルディアナも承知の上。いかに殿下とて、介入はいかがなものかと存じます」
「――エルゼマ男爵家令嬢ロレッタ」
アルフォンスが静かに名前を挙げた。
(どなたのことかしら……?)
メルディアナは交流がない相手だ。
記憶の中にある誰の顔とも一致せず、内心首を傾げているとリチャードは顔色を変えた。
分かりやすい反応に、さすがにメルディアナもそういうことなのだと察する。
「君の今夜の恋人は彼女だったね」
「で、殿下ともあろうお方が、下品にものぞき見をなさっていたのですか」
アルフォンスの顔に失望の色が浮かぶ。
彼としてはしらを切り通して欲しかった部分もあるのかもしれない。王太子の護衛騎士がこの程度のことで動揺し、口を滑らせる様は確かに無様だと言えた。
「王家が管理する庭で、夜会に乗じて婚約者でもない令嬢と睦み合っていたのは下品な行いではないとでも?」
「殿下がお考えになられているような行為は一切致してはおりません」
「では婚約者がいる令息の腰に両足で縋りつくロレッタ嬢だけが下品だと言いたいのかな」
その言葉でアルフォンスもリチャードの不貞を見ていたのは確定的となった。
リチャードが冷静さを取り戻したところで、一度してしまった失言は取り返せない。疑惑ではなく決定的な場面を掴まれていてはなおさらだ。
「別に君とロレッタ嬢がどんな関係だろうと僕は構わないよ。ただ僕は王家が管理する美しい庭園を穢すような行為を働く者がいたことに強い不快感を覚えている。その事実だけは忘れないことだ」
リチャードは何も言い返さず唇を噛みしめた。
それが賢明な判断であるように思う。
全て、今さらではあるけれど。
「リチャード、君の婚約者のアイルウェル侯爵家令嬢はこちらで屋敷までお送りしよう。一人になって、自分のして来たことをゆっくり考えるといい」
メルディアナの髪型が変わっていることに、リチャードは最後まで言及しなかった。
髪型の変化に気がついているうえで、言わなかったのか。
その可能性はないだろう。
来た時と髪型の変わった婚約者が他の男といる。それは本当は何もなかったとしても不貞を疑われても仕方のない行動で、相手はましてや王太子だ。リチャードに不利な状況を覆す絶好の機会でもあったのに、そうしなかった。
おそらくは取り繕うことに必死で何も気がついてはいなかったに違いない。
メルディアナにとってはありがたくもあり――同時に、何の関心も持たれてはいないのだと、ほんの少しだけ胸を軋ませた。
数日後、リチャードの生家であるガレウス公爵家から婚約解消の申し出と謝罪の書かれた書状が届いた。
リチャードが諸事情により王太子の護衛騎士の任を解かれ、公爵家からも除籍となったことが解消に至る原因だった。非は完全にリチャードにあり、婚約が反故となることへの慰謝料も支払うとのことだ。
ただし、護衛騎士を辞めた理由は体調不良ということにして欲しい。
公爵の手紙にはそう記されてもいた。
二人が婚約を解消したことは社交界で一時の話題にはなった。
婚約の期間の長さを考えると、多少の噂になるのは致し方ないだろう。それが大きな醜聞には至らなかったのはガレウス公爵家の力だけでなく、アルフォンスも関与しているのではないかと思う。
あの夜にリチャードの相手をしていたというロレッタも男爵家を出たとのことだ。
行方は男爵家の人物以外には分からないし、メルディアナも知りたくはない。
だけどもし、一夜の遊びなどではなく本当にリチャードと愛し合っていたのであれば。それを打ち明けてくれていたなら。もっと穏便に婚約解消ができていたのではないだろうか。
もう、全てが終わった話ではあるけれど。
「今回の打診もだめそうかい?」
「ごめんなさい、お父様。良い方だとは思うのですが――」
「残念ではあるけれど、お前の心を蔑ろにしてまで進めたい話でもないからね。気にしなくていい」
一か月も経つ頃にはメルディアナの元に新たな婚約の打診が届くようになった。
でも、どれも受ける気にはなれずに断っている。
子供の頃から定められた婚約が解消された傷が癒えていないからだ――。
そう気遣ってくれる優しい両親を騙していることが逆に胸を痛めたけれど、アルフォンスとの夜を忘れる為の時間はまだ必要だった。
そうして三か月ほど経過した頃。
メルディアナはアルフォンスの子を身籠ってはいなかった。
最初から分かっていたことだ。
月のさわりの巡りからして、あの夜の交わりで身籠る可能性はほぼない。だからメルディアナも大胆になれた。
今にしてみたら、身籠っていて欲しかった。
周囲に迷惑をかける結果にしかならないと分かっている。
(それでも――)
庭園を散歩しながらあの夜を想う。
未だ色褪せない記憶は、アルフォンスの息遣いの一つまで鮮明に覚えていた。
ずっと、忘れることなどないだろう。
「静かに」
背後に人の気配を感じた瞬間、口を塞がれて抱き込まれた。
声に聞き覚えがある。
メルディアナは身動きができなかった。
心臓が早鐘を打つ。
甘やかな低い声。
涼やかな匂い。
「君は逃げられたと思っていたかもしれないけど、僕の手に落ちて来た以上は逃がさない。僕はそう言ったよね?」
後ろにいるのは、アルフォンスだ。
「ほとぼりも冷めたし、君を妃に迎える準備も全て終わった。だから奪いに来たよ。僕の可愛いハニー」
涙が潤む。
口を塞ぐ手が離れ、輪郭をなぞるように頬を滑った。
自らアルフォンスに向き直ってその背中に両手を回せば、強く抱き締められる。
「愛している。メルディアナ」
「私、も――殿下が、好きです」
その言葉を言ってはだめだとは、もう言われなかった。
-END-
お付き合い下さりありがとうございました!
許されるのなら、このままずっとアルフォンスの腕の中にいたい。
だけど許されはしないから、メルディアナはなおも残る余韻を断ち切るように身を起こした。
できるだけ綺麗にドレスを着直し、髪も結ぶ。それから、似合わないとアルフォンスに外された髪飾りを拾い上げて髪に差した。
リチャードはどうせ、どんな風に結っていたのかなんて覚えてはいない。でもドレスと合わせて髪飾りを贈ったことを忘れていたりはしないだろう。
異性に対する情はなくても、幼い頃から一緒にいたことへの情はある。その情さえも失った今、贈られた髪飾りを失くしてしまったふりをしても良かった。けれど、メルディアナはそこまで非情にもなれずにいた。
「やっぱり君は、まだ婚約者のものなんだなって嫉妬が抑えられない」
「殿下……」
「外には誰もいないようだから、今のうちに部屋を出よう」
薄く開けたドアから外の様子を窺うアルフォンスに促されて一緒に部屋を出る。
ドアが閉まる音で夢から覚める。
肌を重ねている時は夢じゃなかった。
でも結局は、そうであって欲しかった夢の話だ。
何か話せば泣いてしまう気がして無言で歩く。
サロンに戻りたくない。
アルフォンスの袖を掴んで引き留めれば、あるいは。ここに来て躊躇っていると、いちばん会いたくなかった相手が向こうから姿を見せた。
「メルディアナ! 一体どこに……」
顔を見るなり怒鳴って来たリチャードは、メルディアナの横にいるアルフォンスに気がついて驚きに目を見開く。
「で、殿下。何故僕の婚約者と……」
「一人で庭園に行こうとしていたからね。さすがに危ないからサロンまで送ろうとしていたところだ」
リチャードは鋭く息を呑んだ。
庭園で自分がしていたことがことなだけに、メルディアナとアルフォンスに見られてはいないか危惧しているのだろう。
残念ながらメルディアナは見たくもなかったのに見てしまった。けれど、ここで事実を正直に伝えてもアルフォンスの手前、素直に認めないのは分かっている。だから何も言わなかった。
「リチャード・ガレウス。僕は君の主として命を二つ、君に下す。一つは今宵限りで僕の護衛騎士の任から外すこと。もう一つは――」
「お、お待ち下さい! 私は殿下をお護りすると他の騎士同様に固く誓っております。それが、何故」
アルフォンスの言葉にリチャードは慌てた様子で口を挟む。
本来ならあってはならない不敬な態度だ。
しかし王太子の護衛騎士は貴族の子息でも特に文武に秀でた者しか就けないことから、誰もが羨む地位だった。それだけで周囲から得られるものはたくさんある。
故に説明もなく突然、騎士の任を解かれるとなれば慌てるのも無理はなかった。
「僕を護るのと同じくらい、君には護らなければならない存在がいるはずだ。何故、傍を離れていた?」
メルディアナのことを指していると気がついたリチャードは余裕を取り戻し、強張らせていた表情を和らげた。
その反応こそメルディアナを日頃から軽んじているという証拠だ。けれどその考えには至ることなく言葉を続ける。
「お言葉ですが、私にも男同士の付き合いというものがあるのです。彼らとの交友を深めることはメルディアナも承知の上。いかに殿下とて、介入はいかがなものかと存じます」
「――エルゼマ男爵家令嬢ロレッタ」
アルフォンスが静かに名前を挙げた。
(どなたのことかしら……?)
メルディアナは交流がない相手だ。
記憶の中にある誰の顔とも一致せず、内心首を傾げているとリチャードは顔色を変えた。
分かりやすい反応に、さすがにメルディアナもそういうことなのだと察する。
「君の今夜の恋人は彼女だったね」
「で、殿下ともあろうお方が、下品にものぞき見をなさっていたのですか」
アルフォンスの顔に失望の色が浮かぶ。
彼としてはしらを切り通して欲しかった部分もあるのかもしれない。王太子の護衛騎士がこの程度のことで動揺し、口を滑らせる様は確かに無様だと言えた。
「王家が管理する庭で、夜会に乗じて婚約者でもない令嬢と睦み合っていたのは下品な行いではないとでも?」
「殿下がお考えになられているような行為は一切致してはおりません」
「では婚約者がいる令息の腰に両足で縋りつくロレッタ嬢だけが下品だと言いたいのかな」
その言葉でアルフォンスもリチャードの不貞を見ていたのは確定的となった。
リチャードが冷静さを取り戻したところで、一度してしまった失言は取り返せない。疑惑ではなく決定的な場面を掴まれていてはなおさらだ。
「別に君とロレッタ嬢がどんな関係だろうと僕は構わないよ。ただ僕は王家が管理する美しい庭園を穢すような行為を働く者がいたことに強い不快感を覚えている。その事実だけは忘れないことだ」
リチャードは何も言い返さず唇を噛みしめた。
それが賢明な判断であるように思う。
全て、今さらではあるけれど。
「リチャード、君の婚約者のアイルウェル侯爵家令嬢はこちらで屋敷までお送りしよう。一人になって、自分のして来たことをゆっくり考えるといい」
メルディアナの髪型が変わっていることに、リチャードは最後まで言及しなかった。
髪型の変化に気がついているうえで、言わなかったのか。
その可能性はないだろう。
来た時と髪型の変わった婚約者が他の男といる。それは本当は何もなかったとしても不貞を疑われても仕方のない行動で、相手はましてや王太子だ。リチャードに不利な状況を覆す絶好の機会でもあったのに、そうしなかった。
おそらくは取り繕うことに必死で何も気がついてはいなかったに違いない。
メルディアナにとってはありがたくもあり――同時に、何の関心も持たれてはいないのだと、ほんの少しだけ胸を軋ませた。
数日後、リチャードの生家であるガレウス公爵家から婚約解消の申し出と謝罪の書かれた書状が届いた。
リチャードが諸事情により王太子の護衛騎士の任を解かれ、公爵家からも除籍となったことが解消に至る原因だった。非は完全にリチャードにあり、婚約が反故となることへの慰謝料も支払うとのことだ。
ただし、護衛騎士を辞めた理由は体調不良ということにして欲しい。
公爵の手紙にはそう記されてもいた。
二人が婚約を解消したことは社交界で一時の話題にはなった。
婚約の期間の長さを考えると、多少の噂になるのは致し方ないだろう。それが大きな醜聞には至らなかったのはガレウス公爵家の力だけでなく、アルフォンスも関与しているのではないかと思う。
あの夜にリチャードの相手をしていたというロレッタも男爵家を出たとのことだ。
行方は男爵家の人物以外には分からないし、メルディアナも知りたくはない。
だけどもし、一夜の遊びなどではなく本当にリチャードと愛し合っていたのであれば。それを打ち明けてくれていたなら。もっと穏便に婚約解消ができていたのではないだろうか。
もう、全てが終わった話ではあるけれど。
「今回の打診もだめそうかい?」
「ごめんなさい、お父様。良い方だとは思うのですが――」
「残念ではあるけれど、お前の心を蔑ろにしてまで進めたい話でもないからね。気にしなくていい」
一か月も経つ頃にはメルディアナの元に新たな婚約の打診が届くようになった。
でも、どれも受ける気にはなれずに断っている。
子供の頃から定められた婚約が解消された傷が癒えていないからだ――。
そう気遣ってくれる優しい両親を騙していることが逆に胸を痛めたけれど、アルフォンスとの夜を忘れる為の時間はまだ必要だった。
そうして三か月ほど経過した頃。
メルディアナはアルフォンスの子を身籠ってはいなかった。
最初から分かっていたことだ。
月のさわりの巡りからして、あの夜の交わりで身籠る可能性はほぼない。だからメルディアナも大胆になれた。
今にしてみたら、身籠っていて欲しかった。
周囲に迷惑をかける結果にしかならないと分かっている。
(それでも――)
庭園を散歩しながらあの夜を想う。
未だ色褪せない記憶は、アルフォンスの息遣いの一つまで鮮明に覚えていた。
ずっと、忘れることなどないだろう。
「静かに」
背後に人の気配を感じた瞬間、口を塞がれて抱き込まれた。
声に聞き覚えがある。
メルディアナは身動きができなかった。
心臓が早鐘を打つ。
甘やかな低い声。
涼やかな匂い。
「君は逃げられたと思っていたかもしれないけど、僕の手に落ちて来た以上は逃がさない。僕はそう言ったよね?」
後ろにいるのは、アルフォンスだ。
「ほとぼりも冷めたし、君を妃に迎える準備も全て終わった。だから奪いに来たよ。僕の可愛いハニー」
涙が潤む。
口を塞ぐ手が離れ、輪郭をなぞるように頬を滑った。
自らアルフォンスに向き直ってその背中に両手を回せば、強く抱き締められる。
「愛している。メルディアナ」
「私、も――殿下が、好きです」
その言葉を言ってはだめだとは、もう言われなかった。
-END-
お付き合い下さりありがとうございました!
応援ありがとうございます!
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