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1-2 エウル
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始まりは鮮やかな色を鏤めた荘厳な伽藍だった。
薄明りの伽藍堂。そこにはエウルと名乗る年齢不詳の美しい女性が居た。エウルは無知な私の前に立つと、彫像のように整った顔を綻ばせて不気味に笑った。この時彼女にありとあらゆる質問をするべきだった私は、只々、馬鹿みたいに彼女のことを凝視していた。
私には生前の記憶がある。「生前」と言ってもエウルと対面した時から今まで、生きているのか死んでいるかも定かでない、仮初の現にある私に当て嵌まるかどうかは分からないけど、記憶としては確かにある。今となってはそれすら存在したかどうかも怪しいけれど。
死因はたぶん出血性ショック死。私を含めた複数の医療用ナノマシン拒絶者を狙ったテロリストによって射殺された。一緒にいた兄も私のすぐ前に息絶えた。
ナイフの刺し傷程度であれば大半の人々は体内のナノマシンによって止血程度の自己修復は可能だっただろう。誰もが平等に社会から与えられる恩恵。私はそれを拒んだ少数派だった。
心拍数、脈拍、細胞の状態から精神状態まで逐一医療機関に送られ管理される生活。細胞に憑りついた超小型の人工細胞を使えば医療行為と称して遠隔で死に至らしめることも可能だ。
実際にそうした医療ミスも度々起きていたが、それは患者自身に元々問題があったものとして処理されるのがお約束だった。現に大多数の人々が健康なのだから良いではないかと。
だから私が死んだのも世間から見れば自業自得。素直に恩恵を受けていれば助かっていただろうと誰もが嘲笑う。生まれつき適合しない体質であろうが関係ない。
あの時、テロリストの銃弾によって頽れた体に力は入らず、流れ出る血に浸されながら漠然と死に向かっていることを自覚した。やがて意識は薄れ視界に雑多な人々の足元を映したまま不意に何もなくなった。
こうして私の短い夏は終わった。十七年の人生だった。
「おっと、もう宵の鐘か――。私のことは気軽にエウルと呼んでほしい。不謹慎と思うかもしれないけれど、私は君に会えてとても嬉しいと思っている」
エウルは優しく笑った。ほんの少し前に死に至った呆然自失の状態にある私を前にして、彫像のように整った顔で、不気味に笑った。
少なくとも当初の私の目には彼女がそう映った。今では、これから先終わることのない生――それが生きていると言えるのかは知れないが――の内にある私だからこそ解る。同じく永遠を「生きる」はずだった彼女が、久方振りに会った元人間を前にして、心の底から悦び震え祝福していたことを理解できる。
「私も日本の出身だから、とても親近感が湧くよ。ああ……私は今、本当に嬉しいんだ」
嘘だと思った。
風に戦ぐ麦の穂を想起させるほどに鮮やかな髪色。爽やかな春の草原を映す水晶のような翠眼。非の打ちどころのない顔立ち、容姿、そこから紡がれる難解な言葉の羅列。どれを取っても日本人とは思えないし、控え目に言っても総じて彼女は「神」だった。
いや、神だと思いたかった。
「――神様、じゃないんですか?」
「違う違う。私は君よりずっと前にここにきた只の人間だよ――『人間』でもないのかな――……兎に角、私は元日本国出身の人間だ。君の記憶から見た時代とさほど変わらない世で生きていたんだけどね。ここでの時間は全く当てにならないみたいだよ」
エウルによると、この世界にも「神」はいないのだそうだ。厳密にはそのような存在はあったのかもしれないが、私が元々いた世界の「人が想像した」という意味での神は絶対いないと言い切っている。当然私もそう思っている。
「ええっと。君は『自殺』してここにきたんだね――可哀そうに。とすると、君は単眼族として世に顕現することになるね。何かな、『もっと世の中を見ろ!』ってことなのかな。あ、何のことか解らないよね、うん。私たちはここから出ると他人の中に寄生して――って今はそんなこと置いといて。まぁ、時が経てばじきに慣れるよ」
「はぁ……?」
今思えば、彼女のこの軽い発言も深い意味があったのだ。一見「他殺」と捉えられる事件も、原因を辿れば自業の末の自殺と成り得る。
当初の私は「この人、こんなに軽い人だったの?」程度に聞き流していた。
彼女が「時」を認識することができたのは、彼女の持つ権能である〈風読み〉の力によって世界の延長線上にあるこの「常世」――先代が便宜上名付けた所在不明の場所――から世界の動向を観ていたためだ。
未だに私にも理解できない謎の空間「常世」に突如として現出した彼女は、その頃既に千年もの時を一人で過ごしていた。エウルという名は、当初の私と同様に無知な状態で常世に現れた際に、これまた同様に既に常世に居た先代によって名付けられたそうだ。
どうやらエウルは記憶の大半を失った状態で現出したらしい。その後、先代はエウルに自らの権能を与え、もとい、押し付けて常世を抜け出し、どこかへ去っていった。
エウルはその辺りまで私に話すと、「この世界のことについて知りたければ先代までが残した書物を読むこと」と言い残し、私が疑念を抱くよりも早く、例によって私に無理やり〈風〉の権能を押し付けてどこかに去っていった。その足取りは軽やかで、「ちょっと出かけてくる」くらいのノリで手を振っていた。実に楽し気な笑顔だった。
それから随分後になって、彼女の纏っていたらしい衣服を伽藍の一角に見付けた。
衣服はその下に散った灰を覆うように落ちていた。
始まりは鮮やかな色を鏤めた荘厳な伽藍だった。
薄明りの伽藍堂。そこにはエウルと名乗る年齢不詳の美しい女性が居た。エウルは無知な私の前に立つと、彫像のように整った顔を綻ばせて不気味に笑った。この時彼女にありとあらゆる質問をするべきだった私は、只々、馬鹿みたいに彼女のことを凝視していた。
私には生前の記憶がある。「生前」と言ってもエウルと対面した時から今まで、生きているのか死んでいるかも定かでない、仮初の現にある私に当て嵌まるかどうかは分からないけど、記憶としては確かにある。今となってはそれすら存在したかどうかも怪しいけれど。
死因はたぶん出血性ショック死。私を含めた複数の医療用ナノマシン拒絶者を狙ったテロリストによって射殺された。一緒にいた兄も私のすぐ前に息絶えた。
ナイフの刺し傷程度であれば大半の人々は体内のナノマシンによって止血程度の自己修復は可能だっただろう。誰もが平等に社会から与えられる恩恵。私はそれを拒んだ少数派だった。
心拍数、脈拍、細胞の状態から精神状態まで逐一医療機関に送られ管理される生活。細胞に憑りついた超小型の人工細胞を使えば医療行為と称して遠隔で死に至らしめることも可能だ。
実際にそうした医療ミスも度々起きていたが、それは患者自身に元々問題があったものとして処理されるのがお約束だった。現に大多数の人々が健康なのだから良いではないかと。
だから私が死んだのも世間から見れば自業自得。素直に恩恵を受けていれば助かっていただろうと誰もが嘲笑う。生まれつき適合しない体質であろうが関係ない。
あの時、テロリストの銃弾によって頽れた体に力は入らず、流れ出る血に浸されながら漠然と死に向かっていることを自覚した。やがて意識は薄れ視界に雑多な人々の足元を映したまま不意に何もなくなった。
こうして私の短い夏は終わった。十七年の人生だった。
「おっと、もう宵の鐘か――。私のことは気軽にエウルと呼んでほしい。不謹慎と思うかもしれないけれど、私は君に会えてとても嬉しいと思っている」
エウルは優しく笑った。ほんの少し前に死に至った呆然自失の状態にある私を前にして、彫像のように整った顔で、不気味に笑った。
少なくとも当初の私の目には彼女がそう映った。今では、これから先終わることのない生――それが生きていると言えるのかは知れないが――の内にある私だからこそ解る。同じく永遠を「生きる」はずだった彼女が、久方振りに会った元人間を前にして、心の底から悦び震え祝福していたことを理解できる。
「私も日本の出身だから、とても親近感が湧くよ。ああ……私は今、本当に嬉しいんだ」
嘘だと思った。
風に戦ぐ麦の穂を想起させるほどに鮮やかな髪色。爽やかな春の草原を映す水晶のような翠眼。非の打ちどころのない顔立ち、容姿、そこから紡がれる難解な言葉の羅列。どれを取っても日本人とは思えないし、控え目に言っても総じて彼女は「神」だった。
いや、神だと思いたかった。
「――神様、じゃないんですか?」
「違う違う。私は君よりずっと前にここにきた只の人間だよ――『人間』でもないのかな――……兎に角、私は元日本国出身の人間だ。君の記憶から見た時代とさほど変わらない世で生きていたんだけどね。ここでの時間は全く当てにならないみたいだよ」
エウルによると、この世界にも「神」はいないのだそうだ。厳密にはそのような存在はあったのかもしれないが、私が元々いた世界の「人が想像した」という意味での神は絶対いないと言い切っている。当然私もそう思っている。
「ええっと。君は『自殺』してここにきたんだね――可哀そうに。とすると、君は単眼族として世に顕現することになるね。何かな、『もっと世の中を見ろ!』ってことなのかな。あ、何のことか解らないよね、うん。私たちはここから出ると他人の中に寄生して――って今はそんなこと置いといて。まぁ、時が経てばじきに慣れるよ」
「はぁ……?」
今思えば、彼女のこの軽い発言も深い意味があったのだ。一見「他殺」と捉えられる事件も、原因を辿れば自業の末の自殺と成り得る。
当初の私は「この人、こんなに軽い人だったの?」程度に聞き流していた。
彼女が「時」を認識することができたのは、彼女の持つ権能である〈風読み〉の力によって世界の延長線上にあるこの「常世」――先代が便宜上名付けた所在不明の場所――から世界の動向を観ていたためだ。
未だに私にも理解できない謎の空間「常世」に突如として現出した彼女は、その頃既に千年もの時を一人で過ごしていた。エウルという名は、当初の私と同様に無知な状態で常世に現れた際に、これまた同様に既に常世に居た先代によって名付けられたそうだ。
どうやらエウルは記憶の大半を失った状態で現出したらしい。その後、先代はエウルに自らの権能を与え、もとい、押し付けて常世を抜け出し、どこかへ去っていった。
エウルはその辺りまで私に話すと、「この世界のことについて知りたければ先代までが残した書物を読むこと」と言い残し、私が疑念を抱くよりも早く、例によって私に無理やり〈風〉の権能を押し付けてどこかに去っていった。その足取りは軽やかで、「ちょっと出かけてくる」くらいのノリで手を振っていた。実に楽し気な笑顔だった。
それから随分後になって、彼女の纏っていたらしい衣服を伽藍の一角に見付けた。
衣服はその下に散った灰を覆うように落ちていた。
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