アルカナセイド【ARCANUM;SEDO】

臂りき

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6 地世735年、南西大陸モイラ

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「おーい、ナイフを持ってきてくれないか! 硬くて敵わん!」
 実り多い風月ふづき、晴れた日の午後。一人の農夫がよく熟れたマルミラのる木の上から声を張り上げる。男は例年より多く実った枝を前に少々浮かれていた。
「はいよー!! サティ、これを父さんに届けてくれる?」
 家屋の窓から顔を覗かせ威勢よく返事をした婦人は目下採れ過ぎた木の実を加工していた手を止め、よく手に馴染んだナイフの柄を拭い少女に握らせた。
 まだ名を得て間もない五つの少女は、退屈にも思われる実の処理を見学していた時にも増して目を輝かせた。
 翠の瞳、大きな単眼。「私も皆の役に立てる」という思いが一層少女の心を躍らせた。
 実りの時期にナイフを持つ村娘は重宝されるのだ。
 少女は一目散に駆け出した。早く、早くこれを父の元へ届けなくては――
「おう、そんなに慌ててどうしたんだ?」
 小屋の陰から現れたのは乱暴者のラルス。彼は機を見ては何かとサティスを虐める。
「――父さんに、これを届けるの」
 隠し立てをしても余計に痛い目に合うことを少女は知っている。後ろ手に持ったナイフを彼の前に出して見せた。
 ラルスは少女が後生大事に持ったよく磨かれたナイフを前に嗜虐心をたぎらせた。
 これを失った彼女はどのように泣き喚くのだろうか、と。
「貸せよ」
 突如、少女は腕ごと引っ手繰られる。しかし猶も大きく揺さぶられる腕は頑なにナイフを放そうとはしない。
 当然だ。これを失えば、非力であるばかりか「役立たず」になってしまう。恐らく優しい両親は大いに少女を慰めるだろう。だがそれでは駄目なのだ。自分が傷付く以上に、「家族の大事」まで踏み躙られることこそ、少女には赦せなかった。
 サティスは毅然と少年を睨みつける。すぐに音を上げると踏んだ少年は、いつもと違った少女の態度に動揺した。
 しかし少年は猶も手に力を込める。彼は彼なりに負ける訳にはいかなかった。
「くはっ」
 自然。更に引かれた少女の足元はふら付き、自重に耐え切れず少年の方へと倒れ込んだ。平常であれば支え切れる程度の重みも、不意のことだけに反応が遅れ重心を崩した。
 漂白された麻布が深紅に染まる。少年の胸に深々と刺さったナイフが清々しい晴天に向けて聳え立っている。
 視界がぼやけた。底から湧き上がる耳鳴りが少女を襲った。耳鳴りは止むところを知らず、激しい動悸に伴って次第に大きくなって行く。それはやがて羽音となった。
「嘘だ――」
 二人が揉め合った一瞬の出来事。様子が変だと駆け付けた少女の父は、空を見上げて呟いた。
 農夫の見る空。どこまでも澄んだ青を湛えた空。そこには黒々とした無数の「何か」が蠢いていた。夥しい羽音と共に。
「こんなの聞いてないぞ! あれは昔話、異国の伝説じゃなかったのか!?」
 魔の軍勢。目敏い農夫は幼い頃に聞かされた古い童話を想起していた。それは過去の事実に基づいた戒めの物語。
 ――目立ってはならない。殺してはならない。奪ってはならない――何より、誰もが慎ましく生きるべきだ。物語はそう教えてくれる。
「お久しうございます、サティス様。此度も晴れやかな天に恵まれ何より。神々も我らの前途を祝福しているようではありませんか!」
「――あ、魔術師の」
「ズィンイでございます。以後お見知り置きを」
 サティスは足元に横たわる少年から目を上げ、ようやく気付いたかのように傍に跪く男に意識を向ける。
 二年前、少女に名を与えた魔術師の青年である。青年は初めて出会った時とほとんど変わらぬ姿で少女の前に在る――ただし、その頃には無かった漆黒の翼を携えて。
「おやおや。どこか浮かない顔でいらっしゃいますね」
「人を、もしかしたら、人を殺しちゃった……ねぇ、悪い子?」
 瞳の奥に恐怖を宿した少女は、己が為した事に身を震わせ立っている。
「いけません。重罪、悪い子です。無辜の民を傷付けることは王として相応しくありませんね。しかし幸い、この子供にはまだ息があるようです。然るべき術を施し、我らが軍勢に引き入れましょう」
「助かるのね!? ――本当に?」
 生気を戻した瞳には涙を浮かべ、無邪気にも一筋の光明へと縋り付いた。
「ええ、ええ! 助かりますとも! 嗚呼、何と慈悲深い! 何と寛大でいらっしゃる! 我が王よ!」
 四枚の筋張った羽を震わせる「異形」が少年を抱え上げる。青年の指示に頭部に付いた複眼を震わせ、自由の利く二本の腕を擦り合わせた。続いて少女。
「どこへ行くの?」
「然るべき所でございます」
 二人を伴った軍勢は海の照り返す眩い日を受け、西の空へと消えていった。
 後にはかつて農夫だった男の「吸い殻」が残った。
 慌てふためく婦人。その叫びがこだまするこの地に最早平穏はない。

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