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「うえっ、なんじゃこりゃ」
すでに下へと至ったリンカの声が反響して昇ってくる。
サチもリンカに続き地に足を付いた途端、足元に異様な感触を覚えた。どうやら臭いの原因はそのヘドロにあるらしい。
「おいどうしたんだよ、ボケっとして」
地下に降り立ったサチが足に纏わりつく物体を気にしたのは一瞬で、ふと空間の一点を凝視したまま動かなくなった。それから不意に見詰めていた方へと走り始めた。
「――おい、どこいくんだ!」
暗闇の中でリンカがサチを呼び止める。しかし当のサチの足は更に奥の闇へと進んでいく。
*
突如、凪のような意識と鏡の視界に別のものが入り込んできた。息遣いも手に取るように分かる。
闇の世界にあっても尚彼女の足取りは軽い。
空間には廊下の心許ない光すら届かない。真の闇だ。急速に闇への順応を試みる目には伽藍洞の輪郭が映し出される。扉で密閉された場は息苦しい。死んだように浅い呼吸も荒くなる。
開いた鼻腔に新たな刺激が加わる。既に麻痺した嗅覚はその場に充満した強烈な腐乱臭に覚醒した。床には人と思わしき塊が無数に転がっている。隅にはそれが山のように盛り上がっている。どこからか息も絶え絶えに衰弱した者の呻き声が聞こえてくる。
扉に近い位置にある者にはまだ息がある。しかし誰の目から見ても瀕死の状態であることは明らかだ。
ふと声が聞こえた。無論、呻き声の中にある声にならない声である。
声の主は隅の山に程近い場所で倒れている。纏う色は緑。火月の昼下がり、草原で見るような青々とした緑である。フォルセノスの森で見慣れた活気は最早そこにはないが、今にも消え入りそうな淡い色でさえサチの記憶を呼び覚ました。
煤だらけの乱れた白髪、血と糞尿に塗れた奴隷服を纏った少女。薄ら開いた瞳に力はない。
倒れた少女は死の間際にあっても囁き続ける。小さな灯火によって残滓すら燃やし尽くさんとしているかのようだ。
「ユミル」
「……誰……? どこにいるの?」
すでに身動ぎすらできなくなった少女に近付いたサチは彼女がユミルであることを確信した。
今や外見からその面影すら見ることはできない。
「ユミルのこと迎えに来たよ。早くここから出よう」
「……ああ、サチ。私、もう元には、戻れないよ……私、エイリやあなたのこと――」
瀕死のユミルはサチが言葉を遮るのを聞かず、自身の犯した過ちについて話し続けた。
――魔術師として未熟だった彼女は、絶大な力を持ったエイリと彼女に特別視されるサチをいつも羨んでいた。
生まれ育った大森林を出て人の大勢いる場所に身を置いたことで、嫌でも他者と比較するのが癖になった。
それでも私は私、他人は他人。初めの内はそう思い続けていた。しかし魔術師として生きると決めて出た世には、すでに素質の無い者は不要だった。自分程度の魔術ならばすべて魔道具があれば事足りてしまう。
悩んだ。このまま魔術師を諦めて別の道を生きようかと何度も思った。
だが、そんな迷いは<魔法>という魅力に憑りつかれた彼女にとって、より「魔法を使ってみたい」という思いに固執させる要因となった。
「教団に、あなたたちの、ことを、教えて……対価を……そのせいで、こんな……。でも、最後に、こんなになる前に……あれだけは、守ったよ……」
虚ろなユミルの視線の先には山と積まれた灰と人々の骸がある。その合間から不自然に光る白い物が覗いている。
サチは丁重に骸を除けそれを取り出してみせる。
あの日小屋の中で共にかき集めた灰。その灰を納めた一対の陶器の片割れがある。
「……ごめんね、サチ……ごめん――」
繰り返された言葉の端は途切れた。
少女の口からは微かな息さえ漏れることはもうない。やがて少女の形は崩れ白い灰となった。
彼女を抱き留めていたサチの手には僅かな毛髪と布が残った。無数の灰は荒い岩の床に散った糞尿に溶け出し、微かに流れた灰の一部が隅の山と一緒になった。
灰となった彼女の横には、それにすらなれなかった憐れな遺体が転がっている。その肉を夥しい数の蠅とその子が啄む。肉の上で交尾をする。力尽きたそれらの骸もまた無数の遺体と共にそこに転がる。
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