アルカナセイド【ARCANUM;SEDO】

臂りき

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5-1 旅立ち

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 北方大陸フォルセノス領の山間やまあいには人知れず一人の少女と、その親にして師であるエリンの女性が小さな居を構え静かに暮らしている。
 少女は日夜魔素の勉強に勤み、その姿を女性は優しく見守っている。
 少女の名はサチ。探求心が強いことに加え、人並外れた観察眼を持ち合わせる他は、やや身長の低い年相応の容姿をしている。
 サチは幼い頃、親であるエイリから種族の違いについて学んだ。よって、彼女が実の母親でないことを既に知っている。自身は未開の種――亜人種アドラヒューム、ヒュームに似るもの――の中でも稀に見る単眼族キュケロプスであり、神々に最も近い存在とされ且つ水の加護を最も多く授かった<エリン族>とは全く異なる種族であると。
 エリンは耳の長いものほど長命だとされる。その違いは実際微々たるもので、見る者によってはそれだと分かるらしい。また、外見の成長は著しく遅く、成人後――およそ五十歳前後――は生涯変わることはない。つまり、見た目はヒュームでいう十代後半から二十代で止まる。エイリは少なくとも二百は超えている。フォルセノス公爵家が領を構えるよりずっと以前からこの森にいることになるが、例にもれず、かつて名を馳せた頃の美しさは保たれた。
 十歳の頃、サチは自身の境遇について聞かされている。
 まだ日も昇らぬ森の中、茂みの奥で赤子の泣き声がした。粗末な布に包まれた赤子は、生まれたばかりのその身一つで泣いていた。不思議と憔悴した様子もなく、辺りには人の気配もなかった。そのような話だった。
 火世一五七八年、水月みづきの名残を湿った大地の随所に、曖昧な雲行きに時折強い光の射す火月ひづきの初日。十五の誕生月を迎える今日、魔法師の通例に従い、サチはフォルセノスの地を旅立つ。

        *

 日が暮れ蝋燭の灯火が住み慣れた小屋の片隅を照らす。心地良い静寂の中、虫の音が一層大きく聞こえる。
 エイリは変わらぬ微笑みを浮かべながらサチを見守る。
「ついにこの日が来たんだね……。君がこうして大人になるのもあっという間だった。私が師として君に教えるのは取り敢えず今日でお終いだ。これからは君自身の体で世界の理を学ばなくてはいけないよ」
 師としての言葉を告げ、我が子を慈しむ手がその頬や肩にそっと触れる。
 サチの大きな瞳に淡い燈が微かに揺れる。
「君が進む道には必ず困難が伴うだろう。しかし挫けている暇はないよ。何せ君たちは短命だからね。ただでさえ根源に近付くには人の命は短過ぎる。だからこそ君は君の為すべきことを為せばいい。継承だとか探究だとか、そんなことは何も気にしなくていいんだよ。人生は楽しいのが一番だからね」
 普段は寡黙と言わないまでも、口数の多い方でない彼女さえ今日ばかりはよく口が回るらしい。可愛い弟子が我が元を去るのだから当然と言えばそれまでだが、ここぞとばかりに詰め込んでいる節すら感じられる。
 刻限が宵四つを回る頃、エイリの予知通り古い木戸を叩く音が鳴る。
 扉を開くと、ローブを纏った少女が魔鉱石のランタンを下げて立っていた。顔はフードに隠れているが、背格好から彼女が見習い魔法師のユミルであることが分かる。短くまとめられた漆黒の髪に、十八にしては未だ幼さの残る顔立ち、背丈はサチより若干高い程度――つまりヒュームにしては低い。
 ユミルはサチと師を同じくするサチの姉弟子である。サチより三つほど年上で、旅が一段落した三年前から、この地より南西に馬で二日ばかり離れた、沿岸に程近いアンラニルに住んでいる。サチが彼女と再会するのは二年振りで、彼女がその旅の報告に来た時以来である。サチにとってユミルは物心ついた時からの仲だ。
 ユミルはエイリに軽く頭を下げ、続いてサチに対して出立する旨を木戸の先を一瞥する仕草で伝える。
 先導者が言葉を発しない慣例があるとは言え、余りの事の早さにサチはユミルに飛びつきたいほどの喜びを噛みしめる間もなく外へと促される。
 サチはエイリから渡された荷物を背負い、彼女に別れを告げる。
「いってきます」
「いってらっしゃい、サチ。汝の行く先に神々のささやかな恩恵のあらんことを」

           *

 ユミルの先導に従い歩き慣れた山道をしばらく行くと、しとしとと雨が振り出した。
 目を閉じても分かるほどに慣れ親しんだ山道だが、雨ともなると自然と歩みも遅くなる。殊に混じり気のないヒュームのユミルと、夜目の利くサチの歩みとの差が生まれるのは明白である。しかし、それを差し引いても少し先を行くユミルの足取りは重く、サチは次第に彼女の様子が気になり始めた。
 雨が木々の葉を打つ中、少女のすすり泣く声を聞いた。堪らずそれは何故かと尋ねてしまう。ユミルはフードを被り直し、淀みながらも真実を告げる。
「……サチは何も聞いてないんだね。師匠が言えないのなら、私が教えてあげる」

 ――十五年前、サチは健常な赤子で、しかも一人だったと師匠は言った。それはどちらも嘘。サチは瀕死の状態で、辺りには多くの重傷者と死体が転がっていた。
 あれは夜盗だった。馬が突然暴れ出して、気付いた時には荷馬車ごと地面に投げ出されていた。怪我をした大半の大人はその場で刺殺され、残った女や子どもは馬車に詰め込まれた。野蛮な男に弄ばれた女性から赤子が取り出されるのを見た。それがサチ。サチの母親はその場で亡くなり、私の父は息絶えるまで私をその身で隠し続けた。忘れもしない。
 私たちは奴隷商の荷馬車にいた。
 油のようにぬめりを帯びた血溜まりから這い出ると、それまでの出来事がなかったかのように辺りは静かだった。事態が全く理解できず呆然としていると、暗い森の奥から足音がして我に返った。男たちが戻ってきたかと思い再び死んだふりをしていると、先程まで泣き声のしていた場所に足音が止まった。それからしばらくして、再び産声が上がった――

「あの時、たぶんサチは……。師匠は禁忌の魔法を使ったんだと思う」
 ユミルは歩みを止め、雨中の森に佇み視線を泳がせている。
 サチは余りの衝撃に息をするのも忘れていた。
 意識を戻したとき、突如とした呼吸と鮮明になる現実感と伴に、ある衝動に駆られた――その足は元来た道をいている。


 魔法とは万物の理に干渉しその事象を引き起こす手段である。言い換えれば、魔法とは万物の理に背き、本来行うべき工程とは違った経緯を経て事象を起こす行為である。その事象が理から大きく逸脱すればするほどに、工程に要する材料、代償の質や量が増し、更にはその材料は特異であることが常だ。
 古の時代、魔法を扱う魔法師の集団は世界の均衡を保つために万物の理から背く魔法についての基準を設けた。そこで生まれた<禁忌>とは、人智では到底取り返しのつかない事態を引き起こす法に該当する。大きく二つ、生命の生死に直接関わる法、大災害をもたらす法である。いずれにせよ、魔法師や周辺世界の綻び、消失を防ぐために考案された。
 生命の復活にはその対象が持つ生命力<魔素>以上の魔素に加え、元の器と存在理由を必要とする。存在理由とは要するに、その世界に存続するための有限な「席」である。仮に人を一人復活させるならば、その者の肉体に生命力を戻し且つ席を譲らねばならない。
 少女に考え得ることは二つ。万が一その凄惨な場に駆け付けた師が、息絶え絶えの生存者――仮にサチの母親としたならば劇的だが――を見付けていた場合、その者の席に赤子のサチを移し且つ魔素量を確保することは造作もない。もう一方は、さほど大きな座を要さない赤子のサチを師自らの席に着かせ、今日に至るまで共有していた可能性だ。

 驚くほどに純粋で可憐な気高き古代種の少女は、暗く濡れた森を脇目も触らず駆け抜ける。
 少女は遠目に今にも消え入りそうな光を見て安堵し、すぐさま焦燥を覚えた。
「エイリ!」
 雨水で重みを増した体で小屋に飛び込むや否やサチは叫ぶ。
 恐らくこの少女がこれほどまでに取り乱し大声を張り上げたことはかつてなかっただろう。
「――お帰りサチ。今日も楽しかったかい」
 虚ろな目をしたエイリが微笑を浮かべサチを迎える。表情も、椅子に沈めた体も、明らかに憔悴し切っている。
「ああ、師匠……まもなく」
 エイリがサチに手を伸ばしかけ、それをサチが支えようと歩み寄った時、エイリの体は崩れ去った。
 サチの腕は空を切り、その下に白い灰が残った。

        *

 二人がアンラニルに向かう道中の小さな洞の中に落ち着いた頃には、雨は幾分か弱まっていた。
 洞穴を照らし出すランタンの光が、鬱蒼とした外の闇を一層際立たせる。
 ユミルは少しばかり離れる旨を告げ洞を後にする。
 ランタンの光が遠ざかるのをサチはじっと眺める。その腕には人の頭ほどもある陶器が抱かれている。
「やっと思い出したよエイリ。私の可愛い弟子。いまは少しおやすみ」
 しばらく時が経った頃、サチはユミルの帰りが余りに遅いことに気付くとユミルが向かったと思しき方へと歩き出した。
 足跡を見失った矢先、ふと茂みの前に杖が転がっているのを見た。
 茂みを掻き分けて進んだ先に、消え掛かったランタンがぼんやりと森の道を照らしている。
 ぬかるんだ道なき道に残ったわだちはプロメザラの方へと続いていた。

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