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そうだ学校へ行こう!
しおりを挟む「いま、なんつった?」
俺の言葉は、ゼンにとって衝撃的だったようで洗面台から怒ったような低い声が聞こえた。彼はピアスを付けながら、鏡越しに怪訝な顔を向けてくる。
俺はただ1人の男子高校生として当然のことを言った迄、なんだけどな。
「やから、学校行くって。」
ピアスを付け終えて、洗面所から出てきたゼンを捉えてもう一度ゆっくりとその言葉を告げる。
ゼンはそのまま壁に背を預けて、俺の真意を読み取ろうと目を細めた。
暫く見つめ合うと、その切れ長の瞳が呆れた色を灯した。
「なんの冗談だよ」
「冗談ちゃうよ」
本気。
その言葉を聞いて、ゼンはハッと鼻で笑った。
冗談だとは多分此奴も初めから思ってないやろうけど。
「なんで?」
「なーんとなく。」
本当に何となく。
今日は、学校へ行きたい気分やった。ホンマにただそれだけ。久々にあの懐かしい教室へ入りたかっただけ。
あの空気は誰よりも嫌いやけど、行きたかった。
カチリ、
安物のライターの音が聞こえて、煙草の香りが瞬く間に部屋に広がる。
煙草を吸い始めた奴は、それを長い指で挟んで
頭おかしいんじゃねえの?
とその口からケラケラと乾いた笑いが漏れる。
「俺たちは学校サマから直接、来ないでいいって言われてんだぜ?」
『もう、ここへは来ないでいいよ』
去年の夏。流れる汗と、蝉の五月蝿い声。
あの人の鋭い瞳が脳裏を過ぎる。
彼にそう告げられてから、俺たちは従順にそれに逆らったことはなかった。
寧ろ、行かなくて良かったら万々歳だなんて空っぽの言葉を吐いて。
唯一、アレと関係の薄いミトは週何回かクラスに顔は出してるらしい。下っ端情報やけどな。
そのミト本人は俺たちに遠慮してか、その事を口にする事はない。
主に対象となったのは、俺とゼン。そしてシンの3人と去年卒業した先輩達だ。先輩達は去年の夏から1度も登校する事無く、進学希望のヤツもその夢を諦めて全員卒業したらしい。
先輩たちの将来をも踏みにじったアレは、ずっと俺たちに傷跡を残し続けていた。今も尚、優しいゼンやシンは苦しんでいる。
わかってる。全部、分かったつもりで。
俺は、もう一度その言葉を口にする。
「知ってる。でも俺は、行く。」
久しぶりに壁に掛けていた制服に腕を通した。
つか、ゼンのせいで煙草くさいなァ。
次からここで吸うのは控えてもらおーと。
グッと拳を握りしめているゼンの言葉は待たなかった。彼の横を通りすぎ、俺は玄関を開ける。
外は暑かった。それでもエアコンの効いている室内よりも、清々しいのはなんでやろうか。
「あついなぁ。」
あの時と同じような五月蝿いセミの声が頭に響く。
あれから、1年。もう、1年。されど1年。
神々しく輝いている太陽を薄く睨んだ。
あの日から、俺たちは立ち止まったままだ。いや立ってさえおらへんのちゃう?あの時に縛られて、立つことも出来ずにずっと座り込んでいる。
自分たちだけだ、と塞ぎ込んで周りを遮断したまま。
睨んだ太陽が、馬鹿だなと笑って俺の体を容赦なく照らしてくる。
陽炎が、ゆらゆらと揺れた。
ゆらゆら、ゆらゆらと揺れて。
『ナツキ、俺たちはさ』
ゆらゆらと笑った。
「悪ぃ。」
刹那、パチンとそれが弾け飛んだ。
「っおい!テメェ1人で先に行くんじゃねェよ!!!」
ほんの小さな謝罪は、ゼンのこの蝉並に煩い声によって掻き消された。
届いたやろうか、アイツに。ちゃんと。
ゆっくりと後ろを振り返ると、俺と同じ制服に身を包んだゼンの姿。
やっぱり此奴は優しいな。なんだかんだ、着いてきてくれるんやから。
「ゼン」
「ア?」
'ありがとう'
「今の時期、夏服やで。」
長袖でかっちりとしたジャケット姿のゼンにそう告げる。
「…!?あちぃと思ったわ!!!くそっ!!」
慌ててジャケットを脱ぎ、ブラウス姿になったゼンをみて少し笑う。本当に救いようのない馬鹿や。
でもその明るさに救われた、なんて口が裂けても絶対言わんけど。
また学校へ歩き始めたその先に。
陽炎の姿はなかった。
.
「おおおおお!!綺麗になったなァ」
ゼンが目を輝かせて門に触った。
確かに綺麗になったな。俺たちの存在を消すために、改装工事でもしたのだろうか。
落書きだらけでボロボロだった門は、白く高級そうな立派な物に変わっていた。
「1年ぶりだな。」
ゼンは目を細めて、すっと学校名の下を懐かしそうになぞった。アイツが書いた落書きのあった場所だ。
学校名をぐちゃぐちゃにスプレーで消して、オレンジで大きく書いた夢だ。
「校舎も、綺麗になってンだな」
起き上がって、上を見上げているゼンの視線の先を辿ると窓ひとつ割れてない校舎。
登校時間をずらしたためか、校舎の廊下には人気はなかった。
「なァ、教室どこか知ってんの?」
ゼンが俺知らねえよ?と続ける。
「ああ、A組らしい」
お節介なやつが教えてくれた。俺達2人はA組だと。
その時は、行く気もなかったので半分に聞き流してたけど、今になって聞いていてよかったと心からそいつに感謝する。
ゼンは少し考える素振りを見せたあと、ああフウかと笑った。
「あいつァ、お節介の塊だなァ。」
「そうやな」
「テメェ譲りの性格だ、」
ゼンが頭を叩いてくる。地味に痛いんよなあ、コイツ力強いから。
そんな軽口を叩きながら、校舎へと足を踏み入れる。
もう何人かは俺たちの存在に気づいたかもしれないな。窓から丸見えやろうしな。
踏み入れたその先は、ガランとしていた。
授業をしている教師の声以外、一切聞こえない。
「静かやなあ」
この学校がこんなに静かなだなんて、先輩も奴等も想像付かへんやろうなあ。
荒れていたわけちゃうけど、良くも悪くも賑やかな学校やったし。
ゼンと2人、暫くお互い何も会話を交わさずに歩くと、2年A組のプレートが見えてきた。
A組が端っこで良かったと、心底思う。
C組とかだと教室の前を通ることになる。教室につく頃にはもう大騒ぎだ。
「ゼン、」
「わーってるよ、問題は起こさねェ。」
俺たちは其のトビラを開いた。
→
「…え?」
誰かの声が、静かな教室に響く。
ガラリ、と大きい音を立てて呆気なく開いた扉の先には当然授業を受けている生徒の姿があった。
その中の誰かが、俺たちの姿を捉えて思わず声を漏らす。
「お、オマエ…!」
教卓でさっきまで偉そうに授業をしていた教師が、顔を青白くしてこちらを指さした。
俺はゆっくりとその前を通り過ぎる。
どこへ座ればいいんやろう。とりあえず空いてる席に座ればあたりか。
窓際に3席、空席がありそこへ腰掛ける。
「なんスか?幽霊でも見たような顔して。」
ゼンはまだ教卓前にいて、トンと其れに触れながらニヤリと笑った。
全く問題は起こさないって約束したばかりなのに、もう脅している。
「ゼン、」
咎めるように名前を呼ぶと、ピクリと肩を動かしたあと、舌打ちを1つ零してから俺の隣の席に付いた。
その時。タイミングを図ったかのようにチャイムが鳴り、教師は駆け出して教室を出ていった。
「、なんできたの?」
「怖いよねぇ。」
「来んじゃねえよな、ゴミ」
窓の外へ目を向けていると、そんな声が耳に入ってくる。休憩時間、か。来る時間を間違えたな。
外へ向けていた其れを教室内へ戻すと、沢山の軽蔑の目や畏怖の目のかち合った。
ああ、変わってねぇか。そりゃそうだよな。
「ねぇ、たしかあの席」
「ウン、」
「その席に座るんじゃねぇよ。」
ヒソヒソ、と声が聞こえるが、俺たちに直接は誰もいいに来なかった。俺はその中の1人、前の席の眼鏡の真面目そうな男に目をつけて、なぁ、と話しかける。
ひっ、と合わさった目を慌てて逸らした奴に、後ろからトントンと肩を叩く。
「これ誰の席なん?」
確かに空席は3つ。2つは俺たち2人のだとすると、あと1つは?
素朴な疑問だった。さっきまで授業中やったはず、その時からおらんってことは、サボってるってことやろうし。そりゃ、単純に気になるやろう?
「ひっ、」
前の席の男は、大袈裟に肩を揺らして脅えたようにガタガタと震える。こりゃあ、話にならんなあ。
そう勝手に決めつけ、もう寝ようと目を閉じようとした時、
「化け物、」
という声がやけに大きく響いた。
ガタン、と椅子の倒れる音がして隣でクリームの髪が揺れる。
「うっせぇ、黙れ。」
しーん、とその場が静まり返った。
ゼンの言葉ひとつで静かになるんやったら元から言わんかったらいいのに。
ほんまに優しい仲間想いやからなあコイツ。
物音1つしない教室に、ゼンの舌打ちが虚しく響いた。
「今日はやけに静かだと思ったら、」
気配も何も感じなかった。
突如其の教室に落とされた透明な声。
ーーその瞬間、教室に色が戻った。
キャアアア!と黄色い悲鳴が、室内に響く。
「アキさん!!」
前に座っていた男が、バッと立ち上がり頬を赤く染めて駆け寄る。
駆け寄った先にいたのは、ミルクティの髪を揺らす女だった。ソイツは其の男をチラリと一瞥した後、俺の横で足を止める。
茶色い瞳に、冷たい色を宿して俺を見下ろした。
「ここ、私の席なんだけど。」
その凛として、透明で、どこか冷めた声は俺の耳によく入り込んできた。でも周りの瞳とは違う、其れに軽蔑や侮蔑、畏怖は写っていない。
俺はその言動に、立ち振る舞いに目が離せなかった。
モノクロだった教室が、ぶわりと色付き始めた気がした。
.
視界をミルクティが掠める。
ソイツは堂々と教室の前から歩いてきて、俺になんて目もくれず夏樹の横で足を止めた。
「ここ、私の席なんだけど。」
ゆるりと顔を上げて、ソイツを見返した夏樹に浴びせたその声は冷え冷えとしていた。
どうせ他の奴らと一緒だろうと踏んでいたが驚いた。表情は見えないけれど、夏樹の瞳に嬉々とした色が写ったのだ。
興味本位でそのミルクティの肩をガッと掴んで、力任せに引っ張る。
「なに、」
鬱陶しいと言わんばかりに此方へ顔を向けた其の女をギロりと睨みつけた。
怖がれよ。ほら、俺たちはアノ不良だぞ。と。
早く逃げろよ。
夏樹のアノ瞳が頭に警報を鳴らす。
危険だ、こいつは俺たちの輪を乱す存在だと。
「聞こえてる?なに、っていってんの。」
俺の願望は叶うことはなかった。
逆に強い瞳で睨み返されてしまう。
なんだ、コイツ。
肩に置いている手にグッと力を込めた。
少し眉を寄せて、肩に置かれた手をパンッと払ってからハァとため息をつく。
「てめぇこそ、何なんだよ。」
こんな奴、1年の時居なかった。
低く低く言い放った言葉に、教室の奴らが肩を寄せ合い怯えた色を見せる。
その光景に嘲笑を浮かべて、笑うと女はより一層眉を顰めた。
「何回も言わせないでくれる?ここ、私の席。わかる?」
鬱陶しい、と付け足して俺たちに怯えた様子は欠片も見せない。
俺たちのこと、知ってるだろう?何をしたか、何を起こしたか。
それなのに、何で怖がらねえ?
「オマエ、」
その続きは出なかった。
耳に入ってきた其れは、何度も浴びせられた言葉で。
「さっさと、出ていけよ。黒いバケモノが」
思わず、倒した椅子を窓に向かって投げた。
「いま、なんつった?」
窓ガラスが大きな音を立てて割れ、キャアアアアア!と悲鳴が上がる。
しまった、そう思った時にはもう遅い。
窓際にいた2人に、割れたガラスが降り注ぐ。
ポタリ、
「あき、さん?」
ツゥ、と赤い血を見せたのはその女だった。
薄く切れた頬から、ポタリと血が滴る。
「わ、りい。」
幸い夏樹は無事なようで、体に着いたガラスの破片をパッパッと手で払いながら、静かにその女を見つめていた。
その顔は俯いたことによりミルクティ色で隠され、声すらあげない。
その声を聞きつけてか、俺がさっきミルクティが教室に入ってくる前に送ったメッセージのおかげか、開かれたままの扉から派手な髪色の男が2人飛び込んでくる。
「ゼン、!何してんだよ!!」
入ってきて早々、俺が窓を割ったことを瞬時に悟り、詰め寄ってきたのは短い赤色の髪色をした男。
しかしソイツも理由は何となく察しているようで、俺が落ち着いているのを見てハァと呆れたように頭を抱えた。
「あらら~、キミだいじょーぶ?」
ゆるゆる~と本当に心配してんのかよって思うほど棒読みで発したのは銀髪の髪の毛を1つにくくっている男。
この2人の登場により、さらに教室が静まった。
時々、小さくアキさんと言う声が聞こえるが、誰一人としてそのアキさんに駆け寄り心配する奴は居なかった。
当本人のアキさんは、まだ俯いたまま。
「怪我人は出すなって言っただろ。」
シンが女から出た血が、地面に着いているのを見つけて、自らの赤い頭をぐちゃぐちゃに掻き乱した。
ミトは更に女に近づいて、だいじょーぶ?と顔を覗き込んでいる。
微動だにしない女に、少し眉を顰める。
なんなんだ、この女。泣いてんのか?キレてんのか?
ビビって動けねェのか?
わかんねぇ。
「何をしているんだ!!!」
バタバタと聞こえた騒がしい足音。
ここから職員室は、棟が違うはずだ。ガラスが割れた音を聞きつけてから、走ってきてもこんなに早くは来れないはずだ。
なら考えられるのは誰かが、俺達が来た時点で呼びに行ったか。
内心、舌打ちをする。
俺達が問題を起こす前提で、コイツらは動いてやがる。
苛立つ。本当に何もかもが。
怯えた目を向ける生徒や教師も、動かねえ女も。
ヒソヒソと聞こえる声も。何もかもに。
そして何よりも自分を制御出来なかった自身の弱さに。グッと拳を握りしめた。
「あっれ?怪我してるのアキちゃんじゃぁ~ん。」
顔を覗き込んだミトが、そのままその頬に触れようとする。が、その手はパシリという渇いた音を立てて落とされた。
入口では5人ほどの教師が、俺たちの様子を伺っていた。ーーったく、コイツら全員暇か。
俺たちの為だけに御苦労なこった。
「や、やめなさい。」
と小さく震えた声で何か訴えているが、全くを持って意味がねえ。そんな震えた声で言われても怖くもねぇし。
でも騒ぎを起こしてしまったのは本当に反省してる。
握りしめた拳がギリギリ、と悲鳴を上げた。
「え、とアキちゃん?だっけ?、ゼンが本当に悪いことをした。ごめんね。」
→
シンが申し訳なさそうに謝る。
つーかコイツなんで俺が全体的に悪いって決めつけてんだ。まぁ俺が悪いんだけれども。
そのシンの言葉を聞いてか、ふとその女が顔を上げる。
その瞳には先程と変わらず、ただただ冷めた色を宿しており何一つ写っていなかった。
頬から血が流れて、普通にガラスで切ったなら痛え筈なのに表情ひとつ変えやがらねえ。
そして、俺たち全員を見渡して、初めて。
本当に、この教室に入って初めて。
ニッコリ、と笑った。
「貴方が謝ることじゃないわ。謝るのはそこの餓鬼よ?」
そう言って俺を真っ直ぐに睨みつける。
「餓鬼、だと?テメェ巫山戯んじゃねェぞ!!」
餓鬼扱いされるのは嫌いだ。と目の前にいたミトを押し退けて、女の胸ぐらを掴んだ。
横からシンがおい!と焦った声を出し、教師はやめなさい!と遠くから意味の無い注意をして、生徒たちは悲鳴を上げる。
なんだよ、止めてみろよ。
胸ぐらを掴んでいない方の手で拳を作り、振り上げるが誰一人として動かない。
ほら、誰も助けねェ。
ギロりとその女に苛立ちをぶつけると、そいつは挑発的に口元に笑みを乗せる。
コツリ、コツリ。
教師たちとは違い、落ち着いた靴の音が聞こえた。
その時だった。
「クズ共が」
低く威圧する声がし、咄嗟に胸ぐらを離す。
聞こえたのは、教室の入口から。その場にいた全員がそちらに顔を向けた。
この声は。
『もう来なくていいよ。』
嫌な記憶が頭の中に蘇り、再度舌打ちをこぼす。
その向けた顔の先には、スラリとした背格好でスーツ姿。ソイツは闇のような漆黒の髪をオールバックに纏めあげ、本当にゴミを見るような瞳を俺たちに向けてきている。
この学校の'理事長'の姿だった。
めんどくせエやつが来やがった。
「来んな、と忠告しただろう?」
威圧感のある声に、ギリと奥歯を噛み締める。
この人に逆らってはいけないと、脳が勝手に察知し、体を止める。
悔しい。くそ、動けよ。
「すみませんでした。」
その一言で、糸が切れたように体が動くようになる。
俺の背後にいた夏樹がガタンと音を立てて立ち上がる気配がした。
夏樹は俺たちの前に立ち、スっと頭を下げて謝る。
「1つの食料が腐るとねその場にあるもの全てが胞子によって腐るんだよわかる?…わかったら、早く帰りやがれ。もう二度と来るな。」
冷たい言葉が、俺たち降り注いだ。
だから言ったんだ、学校なんてくそだって。
言い返す言葉が出てこず、俺たちは黙り込む。
そんな空気の中、再びミルクティが揺れた。
「理事長、」
透明な声が、教室の空気を緩和する。
ミルクティが俺と理事長の間に入り込む。
空気が、変わった。
→
夏樹side
「理事長、」
黙り込んでしまった俺たちにチラリと目を向けたアキ、と呼ばれる彼女はゼンと理事長の間に入り込んだ。そのまま、にっこりと笑って理事長を見据える。
そして、頭を下げた。
「今回は、私の責任です。」
ザワり、と教室が揺れる。
どうして?何も悪くないのに…!アキさん!!!と様々な声が響き、理事長は目を丸くして彼女を見つめた。その瞳がかつてないほど優しく、緩んでいて。
何者なん?この子。
彼女は教室の人達を見渡して、本当に綺麗に笑った。
それは見惚れてしまうほど、綺麗な笑みやった。
「私が'ゼン'を怒らせてしまったの、」
言葉が出やんかった。
この子はなんもしてない。ただゼンが俺の為に怒って、なんも関係ないこの子に向かって怒りをぶつけただけやのに。
なんで、ゼンを庇うん?
しかも、'ゼン'なんて関係を匂わせるような呼び方をして。
「そうか。一ノ瀬、後で理事室へ。」
理事長もこの子にはなんも言えんのか、呆れたようなため息をひとつ零してからほかの教師を引き連れて、教室から出ていった。
俺たち全員が唖然とその様子を眺めていた。
「皆、騒がせてごめんなさい。保健室に行ってくる。」
綺麗な声でそう告げて、ペコリ、と頭を下げた後、彼女は教室を後にした。
アキさん、と心配そうにつぶやく声に、笑みを残して。
「ま、てよ…!!」
唖然、とその様子をただ眺めていたゼンが声を上げて駆け出す。追いかけていったんやろうな。
そりゃ、俺達も気になるわ。
なんで庇ったんか。
事件の話はこの学校におる限りは、耳に入ってるはずやのに。
残された俺たち3人も顔を見合わせてから、ゼンの後を追った。
.
バタバタと先程の教師達のような、騒がしい足音が後ろからついてくる。
無視を決め込んで廊下を突き進んでいたが、おい!!と呼ばれたことにより足を止めた。
私に追いついた彼はハァと息を整えている。
私は周りを一瞥したあと、体をくるりと反転させて彼を見すえた。
私より少し明るいクリーム色をした髪に、耳には沢山の光るピアス。
もう誰が見ても、一発でわかる不良だ。
「なに?」
周りにギャラリー達がこちらの様子を伺っており、無視することも出来ずに追ってきた人物をじっと見すえた。
意外だな。どうせ、あの黒髪の男が負ってきたのだろうと思っていたが、予想は外れた。
ゼンはもう一度はぁと息を整えて、私を鋭く睨みつけてから、そっぽを向いた。
「わ、悪かった」
またも飛び出した来た以外な言葉に、一瞬だけ目を見開く。まさか謝罪が先に来るとは。
私の予想では、開口一番はどうして庇った?だと思ったから。
謝るのはそこの餓鬼だと、挑発するようには言ったものの、正直謝るのは『バケモノ』と言う言葉をぶつけた生徒だと思う。
「別に気にしてない。」
少し頬が緩むのが分かる。
嬉しい。アノ不良たちが、しっかりとしているのが知れて。ただただ嬉しかった。
理事長は、彼らのことを『ゴミクズ』だと言う。
私はその言葉には賛同出来なかった。
だって、私の目でその事件を見たわけじゃないしね。
それにゼン自身のことではなくて、仲間の為にあそこまで怒りを顕にできる男に私は柄にもなく惹かれてしまった。
だって、綺麗だと思ったから。
人のためにそこ迄怒ること、私にはもう出来ないから。羨ましい、とさえ思った。
そして、そう思った時には体は動いていた。
まあ、それで動けたのは不良が怖くないってのもひとつの理由だ。そりゃ私が'普通'の女の子なら、多分怖がって周りと同じ反応をしてたと思う。
「あと、庇ってくれて、あり、がとう。」
小さな声でそう告げた彼のピアスが光る耳は、赤く染まっていた。
可愛いとこ、あるんじゃん。もっとそういう所を表に見せてみたらいいのに。
周りに私にそうやって謝ってることを聞かせると、幾分見る目は変わると思うけどなあ。
「庇ったわけじゃないから。」
緩む頬を必死で抑えて、嫌そうに眉を歪めるとざわりと周りの子達の声が大きくなる。
また騒がしい足音が聞こえて、ゼンの後ろからカラフルな頭が現れる。
「アキちゃぁ~ん!」
ゼンの後ろからこちらを覗き込んで、ヒラヒラと此方に手を振るシルバーの髪をした男。
コイツとは以前から面識があり、彼等の中で1番年下らしく'事件'には関係ないとのこと。
だから毎日学校に顔を出しているし、廊下を歩いていても他の生徒と話したりしているのをよく見かける。
ただ私はコイツが、山口波音ーヤマグチナミトーが苦手だ。
ウザイ消えろ、と言う気持ちを込めてギロりと山口波音を睨みつける。
「お~こわっ」
物怖じもせずに、そう笑った。ホントムカつく。
その笑顔が、嫌いだ。
たいして笑ってもないくせに、笑顔を貼り付けて。
だいっきらいだ。
「庇ってくれて、嬉しかった。」
私が山口波音を睨み続けていると、ふとそんな声が聞こえた。
私とゼンの会話が聞こえていたのか、黒い髪をした男が嬉しそうに頬を綻ばせて言う。
その瞳が嬉々とした色を宿しており、ウソはないと感じさせる。
「勘違い、するなよ。」
真っ直ぐなその視線に、少したじろぎながら答えると黒髪の男はどこまでストレートな男なのかゼンの横に並んで、また嬉しそうに目を細めた。
その姿は何処か大型犬を思わせるような何かがあり、少し頬が緩むのがわかった。
彼はそんな私の空気に、1歩近づき。
「なら勝手にしとくわ、勘違い。」
その訛った声に、驚きで動けなかった。
コイツはなんなの、馬鹿なの?
目を見開いて、固まった私の瞳と彼の其れが絡み合って、満足そうに細めたあと私との距離を詰めた。
「ありがとう。」
ポンと、頭に手が乗せられて綺麗な顔に無邪気な笑みが乗せられた。
『…ありがとう、アキ』
それが一瞬、あの子と重なり思わず笑ってしまう。
ゼンたちが少し驚いたのが目に入る。
'最低な不良'?'如何しようも無いゴミたち'?
何を言ってるんだ。
私には
仲間の為に我を忘れるほど怒り、ありがとうと仲間の為に感謝できるこの人たちが、
真っ直ぐでこの場にいる、
誰よりも
酷く眩しく輝いて見えた。
.
「えーと、何でついてくる?」
保健室に着いてから、私はため息混じりにそういった。あの後じゃあね、と踵を翻した私の後ろにゾロゾロと着いてきて、初めは行く方向が一緒なのかな?と考えていたが、保健室の近くへ来た時に流石に気がついた。
足を止めて振り向くと、彼らは顔を見合わせる。
「怪我させてもーたからちゃう?」
自分でも不思議そうに首を傾げて笑う黒髪に、アンタが先頭で着いてきてんだけどな。と心の中で言い返す。
まぁ着いてきてもいいけど、人と行動するってことに慣れてないから何をしたらいいのか、何を話せばいいのかが全くわからない。
「保健室は、この先かな?」
「あぁ、」
「とりあえず手当しようか。」
私の困った様子に気が付いたのか、赤い髪の男が先を指さして聞いた。
もう血なんて乾いてるし、正直こんなの痛くも痒くもない。
ただあの空間にあまり長居はしたくなかった、そういう理由だけで保健室に来ただけ。
もう追い払うという選択肢を捨てて、失礼します。と声をかけて保健室の中にはいる。
保健の先生はおらず、中はガランとしていた。
「いけるん?いたくないん?」
どこにあるのかはだいたい分かっているので、絆創膏と念の為消毒を取り出して、自ら鏡を見ながら手当していると、後ろに黒色が立っていた。
「そうだね、全然。」
鏡越しにその髪と同色の黒を捉えて、ペタリと絆創膏を貼り付ける。
そっか、と安心したように笑った彼は傍にあったパイプ椅子に腰をかけた。
ゼンや山口波音は流石と言うべきか、椅子をクルクルして遊んだりベットへゴロゴロと寝転んでいたりして遊んでいる。
それは私が手当をし終えても、そのままで。
帰らないの?という気持ちを込めて、黒髪へ瞳を受けると、彼は僅かに目尻を下げて笑った。
「ごめんな、問題起こして。」
「ああ、気をつけてね。先生たちも含め結構敏感になってるから。」
'アレ'から1年。
学校はメディアを気にして慎重になってるし、彼等は退学処分だと報じられていた。
校長や、教師たちはその処分に全員が賛成していたのだ。だが、理事長は。
理事長だけは、反対を上げそれを押しきった。
私の言葉にへにゃり、と情けない笑みを見せた黒髪はもう一度ごめんなあと謝る。
「悪かったな、もうココには来ねェようにする。」
クルクルと椅子で遊んでいたゼンが口を開いたのは、黒髪の謝罪とほぼ同時だった。
淡々と何も籠ってやしない声音に、私はクリーム色の髪をした彼を一瞥する。
ああ、感情を押し殺しているのか。
グッと悔しげに噛み締められた口とその瞳に映した微かな悲しみ。
これがあの事件が残した大きな傷跡、か。
「あー、貴方たちは知らないと思うけど」
私はゼンのその言葉に返事はせずに、全員を見渡した。言いたいこと、というか、この学校での立場上言うべきことがある。
窓ガラスを割り、怪我人が出る可能性だってあった。
だから彼らにこの学校のトップだから、言うべきことがある。
「私は、生徒会長です。」
まぁ、貴方は知ってると思うけどね。
と付け足して山口波音にニッコリと笑った。
山口波音も、コチラを見返して笑ったが目は1ミリも笑っていなかった。
私が一体なにを伝えたいのかを必死に探っていた。
ま、私はそう簡単に探らせたりはしないけども。
「で?それがなに?退学にする?」
山口波音は淡々と温度を感じさせない声音で真っ直ぐにコチラを見据える。
その瞳は冷え冷えとしていて、其れは普段の学校生活の中では見ることの出来ない瞳だった。
やっぱり、コイツは嫌いだ。
口角をグイッと持ち上げて、ニヒルに笑う。
「残念、」
そう言って、山口波音からゼンへと視線を移す。
「あなたには、この怪我の責任を取ってもらう。」
静かな部屋に私の声だけが響く。
その空間にガタン、と焦ったような音が聞こえ、そちらへ瞳を向けた。
そこには先程まで私を心配する素振りを見せていた赤い髪の男が、怒りを露わにして立ち上がっていた。
「シン、」
彼が何かを言おうと口を開くが、黒髪の男に名を呼ばれ、ぐっと言葉をかみ殺した。
黒髪の彼は結構冷静なんだな。
山口波音もシンと呼ばれた赤い髪の男も怒りを滲ませてコチラを見ているのにも関わらず、当本人や黒髪男は冷静に私の言葉を待っていた。
「この学校の生徒会は普通の生徒会とは違ってね、学校の事を全て任されているの。」
黒髪はその言葉にもゆるりと口角を持ち上げただけ。
「だから、生徒会長の命令は絶対なんだ。」
ゼンがキィ、と椅子から立ち上がる音がする。
其れに怒りは感じられない、ただただ私の言葉を待っているような様子。
「明日から夏休みを抜いて、3ヶ月間。貴方たちには学校に登校してもらう。」
有無を言わせない、強い口調でそう言いきった。
→
ゼンside
「明日から夏休みを抜いて、3ヶ月間。貴方たちには学校に登校してもらう。」
強い瞳でそう言われ、言葉を失った。
多分俺たち全員が、目を丸くして驚いていたと思う。
何を考えてんだァ?コイツは。
俺たちのピリピリとした空気が糸を解くように溶けていく。
「俺たちは、行かないでも卒業できるんだよ~?」
ミトとシリウスの瞳がスっと細められる。
コイツもあの事件の被害者だ。だって、事件が起こった時コイツはまだ中学生だった。
それでもあの男は、ミトをも処罰対象にした。
ミトの罰は比較的軽かった。1ヶ月の停学処分だけ。
でも、'来なくても卒業単位は渡す'そう告げられていた。実質来ないでいい、そういう意味だ。
まぁ、ミトはそれでも行き続けていたんだけども。
「そうだね、ソレは撤回だ。」
「んに、言ってんだ?あんた。」
思わず口を挟んでいた。
処分を撤回?そんなこと出来るわけがないだろう。
アキと呼ばれる女の茶色い瞳が細まり、口元に笑みが浮かぶ。
絶対的自信。
彼女からそれが感じられた。
「私の命令は絶対だ。」
理事長なんて、目じゃないよ。
確かにそうだ、さっき教室で理事長に強気な態度をとった時、あの人は何も言わずに教室を後にした。
コイツは一体…。
「確かにアキちゃんは、皆に信用されて皆に支持されてるねぇ?でもさ~相手が俺たちじゃあねえ?」
皆に信用されて、支持されてる。
これが今のこの女の立場。
それが俺たちと関わることで、信用を失うんじゃないか?理事長や教師からも信用されてるんだろう?
そんな質問をする間もなく、彼女は口を開く。
「山口波音、貴方なら知ってるでしょう?生徒会の事情。」
「それに俺たちを巻き込もう~っての?生徒会なんて俺たちに務まると?」
「務まると思ったから勧誘してるんでしょう?」
2人の会話を少しでも逃さないように、耳を澄ませる。
そして些細な変化も逃さぬように、女をジッと見据えた。
その視線に気づいたのか、否か、女が怖いくらいの無表情をコチラに向けた。
一瞬ビクリと震えてしまった肩に小さく舌打ちを零す。
怖いのか、女が。この得体の知れない女が。
いや、違うな。俺たちに関わろうとするのが怖いのだろう。
乱すな。これ以上。
俺たちの場所を。
ーーチリンチリン、
と保健室に飾られた風鈴が音を鳴らす。
『ゼン、お前は優しいンだな。』
アイツの声が響いて、
ーーチリンチリン、
合図を告げる。
『お前なら、変われるよ。』
受け入れたくないけど、心底安心してる。
まだ俺たちに手を差し伸べようとしてる人がいることに。
次に手を差し伸べてくれる奴がいるならば、
お願いだから、救ってやって欲しいと願った。
あの時のように。
シンもフウもミトも、ナツキも。
もう十分苦しんだんだ。
ーーだからもういいだろう?
「明日から、おいで。」
ふわり、と綿のように優しい言葉が響いた。
「手配はしとく、あとはアンタ達が自分で決めな。」
そう言って、ミルクティは俺たち全員を一人一人見た後その場を去った。
チリンチリン、
俺たちに残されたのは、風鈴の心地良い音と、
ひとつの選択。
『どうするかは、オマエ等次第だよ。』
まだまだ蝉が五月蝿い、夏の日だった。
.
ピ、ピ、ピ、真っ白な部屋に無機質な音が響く。
「なァ工藤、」
1人椅子に座りながら、ポツリと零す。
「もう少しでオマエを殺せるよ。」
その頬にサラリと触れて、
枕元にある花瓶に
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