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1.
「それじゃあ行ってくる」
「いってらっしゃいませ、ルーカス様」
カバンを手渡し、そして深々と頭を下げる女とそれを当然のように受け取る男。二人はれっきとした夫婦である。
とある国ではそれは立派な夫婦の形として認められることもあったが、この国では違った。夫を見送ることはあっても、妻が夫の荷物を持つことなどない。特に彼らのような貴族であるならなおのことだ。なぜならそれは使用人の仕事だからだ。そんなことを、使用人の代わりにやらせるとはなんとも不思議な光景である。実際、この家の使用人達もそれを止めようと思ったことは一度や二度のことではない。けれどそれを実行することは出来なかった。
なぜならその行動はこの屋敷の当主であるルーカスが決めたことだからだ。
ルーカス=クロードとルナ=クロードはれっきとした夫婦ではある。だがこの光景を見ればわかる通り、他の夫婦とは少し違った。
夫婦であるはずの彼らはそれぞれが別の寝室を使っている。ルナとルーカスが同じベッドで寝たことは一度もない。それどころかルナがルーカスの寝室に足を踏み入れたことは一度もなかった。
初夜の日ですら、ルナはルーカスの部屋から少し離れた位置にある与えられた自室で朝になるのをベッドで一人待ちながら、窓からこぼれてくる光を感じていた。翌日の朝、ルーカスのいつも通りの筋肉が凝り固まった、頬の筋肉さえも動かない顔を見て使用人たちは何もなかったのだということを理解した。ルナの顔もルーカスと同じように、とはいかなくても固まっていて。そんな二人を使用人たちは何も言えずただ見ていることしかできなかったのだ。
ルナは毎日決まった時刻になるとルーカスの部屋の戸を叩く。毎日きっかり同じ時間、時計の針が180度開いた時に起こしにくるように夫であるルーカスから言われているからだ。ルナはルーカスの指示に従い、指定された時刻の数分前に部屋の前に待機し、言われた通りの時間になったときに戸を叩くようにしている。
「おはようございます」
ルナはドアを三回叩いた後に朝の挨拶をする。すると、すぐに「ああ」という声が部屋の中から聞こえてくる。そしてしばらくしてルーカスは部屋から出てくる。わずか数分にも満たない間に。そう、ルーカスはルナが起こしに行くころにはすでに起きていて、着替えまで完璧に済ませているのだ。でなければ、わずか数分で出てこられるわけがない。女性よりも準備に手間を取らないとはいえ、男性もこんなに早く準備ができるわけがない。そんなことは歳の少し離れた兄のいるルナにはわかっていた。
それでもルーカスはルナにこの役目を課した。
ルナはそれがなぜなのかわからなかったが、ルーカスに指示されたことをこなす。毎日、決められた時間に。
「おはようございます。ルーカス様」
部屋から出てきたルーカスに一礼し、ルナは彼の後について歩く。角を曲がる度にルナがついてきているか確認するルーカスに、彼女は申し訳なさを感じて彼の歩調に合わせる。デビュタントを迎えたばかりの少女と同じかそれよりも小柄なルナと、屈強な門番達と体つきは違えども同じくらいの背丈のルーカスでは歩幅に2倍ほどの差がある。それをなんとかついていこうとルナは必死で足を動かした。
シェフによって用意された朝食の席に着くころにはルナの額にはうっすらと汗が浮かんでいた。その姿をルーカスは一瞥して声をかけることもなく、すぐに視線を戻して席に着く。まるで機械のようにほとんど同じ時間に食事を終える彼は、起きた時間から時計の長い方の針が少し進んだ頃に決まって席を立つ。
それはルーカスが屋敷を出発することの合図だ。
ルナはすでに準備してあるルーカスの荷物を持って、玄関へ先ほどと同じように早足で向かう。
そして夕刻になればルーカスは勤め先の城からこれまた同じ時間に帰宅をし、そしてルナに荷物を預ける。ルーカスが決まった時間に帰宅しなかったことは、ルナと結婚してから片手の指で数えられるほどの回数しかない。
そして、そんなルーカスを出迎えるためにルナは毎日決まった時間に玄関へ向かうのだ。
こんな傍から見れば不思議な夫婦関係にルナは満足していた。
ルナはルーカスと共にいられるだけで満足なのだ。それどころかこれ以上望むことなどしてはいけないと考えていた。
2.
ルーカス=クロードは数か月ほど前まではルナの姉、エル=ランドールの婚約者であった。そんな彼にルナは恋をしていた。
数年前にランドール家で行われた食事会、そこでルナは初めてルーカスと顔を合わせた。それは食事会というにはささやかなもので、エルの誕生日を祝うためにランドール家を訪れたルーカスが、ルナの家族と席を囲んだ、いつもよりも少し豪勢な食事。
いつも通りに用意された席に座るルナの目線の前にはルーカスがいた。少し居づらそうにするルーカスは離れていてもわかるほどに、整った顔立ちをしていた。ルナはそんな彼の容姿に目を奪われた。
第一印象は、怖いけれどなぜか惹かれてしまう人。ルーカスの顔のパーツはあまりにも整いすぎていた。あまりに綺麗であるがためにルナはルーカスの顔に違和感、そして少しの恐れを覚えた。人間には見えなかった。まるでよくできた、王都に何軒かある機械人形を扱っている店のきらきらと光るショーケースの中に行儀よく座っている機械人形がそこにいるような気さえした。それでも惹かれてしまうのはなぜか幼いルナにはよくわからなかった。けれども、人形のように思える、恐れを抱くルーカスにルナは何度も話しかけた。怯えを隠すことさえできずに身体をカタカタと震わせて、それでも目だけはしっかりと見つめて話しかける。そんなルナを上から見下ろしながらルーカスは顔色一つ変えず、次々と出てくるルナの疑問を解消していった。一つ一つ解決していく疑問をルナは新たに知識として取り入れて行った。
ルーカスの知識量は、同じ年の子どもの平均をはるかに超えるほどで、ルナの父が治める領土で一番の知識人と言われる、耳の遠くなってしまったおじいさんを超えるほどであった。ルーカスは今まで蓄積した記憶を脳内で検索するように考え、話す。まるで、昨日の夕飯を思い出すかのように容易に、淡々と。そして彼は一度体験したことは二度目からは失敗せずにこなすことができた。一度聞いたことは絶対に忘れなかった。ルナが同じ質問をすれば、ルーカスは前よりもわかりやすくそのことについて説明をした。
ルナはルーカスのあまりにも完璧にこなすその姿が、自分と同じ生物とは思えなかった。それでもルナはルーカスがランドール家を訪れるたびに近くに行っては話しかけた。ルーカスが解決してくれるであろうたくさんの新たな疑問を持って。
何度も誕生日を迎えるうちにルーカスへの恐怖は薄れ、興味が大きくなった。そして何度目かの誕生日を迎え、何日かたってその感情が『興味』以外の名前を持つことを理解した。
『恋』
性別が違い、ましてや歳だって離れていて、知識だってルーカスの足元ほどしかないようなそんな子どもに呆れもせずに一緒にいてくれる。そんなルーカスをいつの間にかルナは好きになっていたのだ。確かに胸の中にある感情の名前を知ってもルナはその思いをルーカスに告げることはできなかった。
ルナにとってルーカスは自分よりもずっと優れた人物であり、かけ離れた存在であった。そんな彼が自分に構ってくれるのは姉の婚約者で、彼は姉を愛しているからこそ自分に構ってくれているのだ。そう胸の奥で自分の想いを隠していなければ、ルナは自分が悪い子になってしまいそうな気がしていたのだ。だからこそ、ルーカスがランドール家の屋敷を去った後、決まってルナは暗い部屋の中で何度も何度も同じ言葉を頭の中で繰り返した。
(ルーカス様が我が家を訪れるのはお姉様に会うため。私にかまってくれるのは、お姉様が私を大事に思ってくれているから。)
何度も何度も耳をふさいで、他の音なんて入らないようにして。聞こえるのは頭の中で繰り返されるルナ自身の言葉だけ。ルナを大切に思ってくれているエルを裏切りたくはないという思いで、彼女はルーカスへの思いに蓋をした。
それからルーカスがランドール家の屋敷を訪れればルナは自室にこもるようになった。そしてある時期からエルに定期的に送られてくるようになったルーカスからの手紙を隠してしまいたいと思った時は、また耳をふさいで頭の中であの言葉を繰り返した。
いつかはこの熱も冷めるだろうと何度もルナは頭を冷やした。それでもルナの頭は冷えることはなかった。
カーテンの隙間から見える大きな背中が離れていた分だけ恋しくなった。
見ないようにと離れたはずなのに、視線の片隅に入る度に無意識に目で追って、ルーカスがエルに笑いかけるたびに、ルナはそこにいたいと願ってしまった。
自分が姉で、エル=ランドールであれば……、と。
ルナはルーカスを愛してしまった。手に入れたいと思ってしまった。隣にいたいと願ってしまった。その気持ちは何年経っても確かにルナの心の中にあって、ルナはかなうことのない恋だと、エルに対しての裏切りだと、諦めようとしていた。
そんなルナにある日一通の手紙が届いた。それはランドール家に送られた、ルナあての王家主催のお茶会の招待状だった。
普段であればこのような公の、それも王家が主催の規模の大きい会はどんなに遅くとも1週間以上前までには届くはずの手紙であった。それがなぜかこの時は開催する日付の2日前に届くというのは異例のことだった。しかし、数日前からルナは高熱を出し寝込んでいた。医師によれば到底お茶会などに参加できるような体ではないという。だが王家からの公式の誘いをどうしても断るわけにはいかなかった。そしてランドール家はルナの代役として姉のエルを出席させることにした。
公にはされてはいなかったが、今回のお茶会は体の弱い第4王子の婚約者を探すためのお茶会であった。そのため婚約者がいない貴族の令嬢を中心に手紙は送られていた。
だから婚約者がいて地位もそれほど高くはない姉のエルの元には招待状が送られてくることはなく、婚約者がいない妹のルナにだけ招待状は送られてきたのだ。
そうとは知らず、ランドール家はエルに出席させた。
そこでエルと第4王子、マイク=ベネットは恋に落ちることは知らずに。
マイクは第4王子で王位継承権が低いこと、また彼の身体が弱いことから政権争いには遠い存在とみなされていた。それでもせめて妻を娶るべきだという家臣たちの強い意見により、お茶会が開かれた。だから家臣たちはエルとの婚姻を熱望するマイクを止めることはできなかった。そして伯爵家という王族とは程遠い爵位を持ちながらエル=ランドールはマイク=ベネットと婚約をした。
その時、わずか半年後に結婚式を挙げる予定が迫っていたルーカスとの婚約を破棄して……。
3.
ルーカスはエルのことを愛している――それはルーカスに長い間恋い焦がれていたルナは嫌というほどにわかっていた。
初めはほとんど変わらなかった表情がここ数年で和らいでいた。
特にこの1年、ルナと話すときは若干こわばっている顔もエルと話すときは優しい表情をしていたのを彼女は間近で見ていたのだ。
ある日は隣で、またある日は遠くから話しかけることもできずにただ眺めて。
ルーカスは宰相という仕事柄、王族である王子とその妻となるエルの結婚式には参加しなければならなかった。だがその結婚式でルナがルーカスの姿を見かけることはなかった。たとえ相手が王子だとしても、それが宰相という役を持つ者の仕事の一環だとしても、愛している人が他人に取られるところなど見たくもなかったのだろう。ルナは自分が姉ではないことをひどく悔しく思った。
(私がお姉様だったらルーカス様を手に入れることが出来たのに。私だったら愛してくれるこの人をこんなに傷つけはしないのに……。)
唇を噛み締めて悔しがったところでルナはルナ。エルではない。そんなことはこの数年で身に染みるほどにわかっていた。わかっていたからこそ、彼女は行動を起こした。
仕事熱心なルーカスならきっとこんな日も仕事をしているのだろうと思い、ルーカスの仕事部屋、宰相室にルナは単身で乗り込んだ。いきなり訪れたルナに目を丸くするルーカスに彼女は大きく息を吸い込んでから、自分の意見を述べた。
「ルーカス様、姉の代わりに私と結婚してはいただけないでしょうか。長女ではありませんが、私もれっきとしたランドール家の娘。当家とのつながりならば私と結婚したとしても得られます」
ルーカスが欲しいのはランドール家とのつながりではないことぐらいルナもよくわかっていた。それでも彼女にはルーカスを手に入れるための、これ以上の言葉は思いつかなかった。けれどルナの必死で紡いだこの言葉は一本の細い糸のようなものでしかない。
「しかし……」
「ルーカス様がランドール家とのつながりを得たいのと同様に当家もあなたとのつながりが欲しいのです」
細い、細い糸。今にも切れてしまいそうで、それでも途切れないように必死で紡ぎ続ける。
ランドール家がルーカスとのつながりを手放したくないのは本当のことだ。だがルーカス本人とのつながりを欲しているのはルナである。彼女はそれがいけないことだと分かっていても、嘘と本当を織り交ぜて、震える手でその糸を紡ぎ続けるしかないのだ。
「……」
「お考えになっていただけないでしょうか」
ルナの口から出たのは落ち着いて見えるよう取り繕った言葉。それはあたかもルーカスにも利益があるかのような言い方であった。
宰相になる前ならまだしも、すでに宰相の座を手にしたルーカスにとってランドール家のようなただの伯爵家とのつながりがそこまで大切なものとは思えなかった。
(結婚する相手がルーカスの愛しているお姉様ならそれは大切なものではあるが、私はお姉様ではない)
こんな短時間で紡いで出た言葉、そんなのすぐに切られてしまうに決まっている。この数年、無謀にも思い続けたルナの思いと共に。
(いっそのこと切ってくれればいいのに。)
無意識に震える手には力が入ってしまう。今回の婚約破棄はランドール家からの一方的なもので、ルーカスには何の落ち度もなかった。婚約関係だってここ数年で良好な状態を築いていた。今回のお茶会さえなければ、数か月後に迫っていた結婚式でルーカスの隣に立っていたのは間違いなくエルだ。それに現宰相のルーカスならば、公爵家の令嬢と結婚することもできるだろう。相手はよりどりみどり、選びたい放題だ。賢いルーカスならきっと愛した女とは結婚できない代わりに強力な後ろ盾を手にすることが出来るだろう。
それは貴族の、政治の中ではとても大切なものであることは政治には詳しくないルナでもわかるようなことだった。その方が自分なんかと結婚するよりよっぽどいいということも。
だから、ルナは自分で言ったことではあるが断られると思った。それが当たり前だと。
「…………わかった。互いの家のためにあなたと結婚しよう」
けれどしばらく続いた沈黙を破ったルーカスはまるで何かの契約をしたかのようにルナの提案をひどく淡白な声で承諾した。
(宰相のルーカス様ならば私と結婚したとしてもあまり利益がないことなんてわかっているだろう。それでもルーカスは結婚を承諾してくれた。全ては当家とのつながり、お姉様とのつながりが欲しいために……。)
「ありがとうございます」
だからルナも感情を表に出さず、平坦に、答えた。
心の中は泣きたいような、喜びたいような、いろんな気持ちが交錯していたがそんな感情は全て押し込めて深く頭を下げた――目の前のルーカスと、ここにはいない、愛した人と幸せになっていくエルに向けて。
そこから、半年が経ってルナはルーカスと結婚をした。
ルーカスが身に纏うのはエルとの結婚式に着る予定だった真っ白いタキシード。そしてルナは彼のタキシードにあったデザインの、本来ならばエルが着る予定だったものを、急遽サイズの合うように手直しをしたウエディングドレスを身に纏って式を挙げた。
そしてルナは姉の、エル=ランドールの代替品としてルーカスの妻、ルナ=クロードになった。
☆1.ルーカスside
ルナと別れ、馬車に乗ったルーカスに襲い来るのはいつだって自己嫌悪だ。
ルナはよく出来た妻である。
毎朝言いつけ通りの時刻にルーカスを起こし、一緒にご飯を食べ、出勤を見送って、帰宅した際には出迎えてくれる。寝室は別で初夜は一緒に迎えることは出来なかったが、それでも同じ屋根の下で夫婦として暮らしてくれている。
それだけでも十分幸せだ。いや、正確には幸せだったと言うべきか。
ルーカスはそれ以上を望んでいるのだ。
なんと欲深いことだろうと思いつつも、手を伸ばしたいという気持ちは日に日に大きくなっていく。
ルーカスは当初、ルナの姉、エルと結婚する予定だった。貴族によくある政略結婚というものだ。それ自体には文句はなかった。
けれどルーカスにもエルにも他に好きな人がいた。
ルーカスはルナを、エルは第4王子のことを愛していたのだ。だがルーカスとルナ、エルと王子との関係とは明確に違うところがある。それはエルと王子は愛し合っているということだ。
だからルーカスはエルと王子達と話し合ってとある計画を立てた。
ルーカスとエルが婚約破棄をして、エルと王子が結ばれる計画を。
ルーカスはエルたちの計画を手助けする代わりに、ルナを手に入れるための計画をエルに協力してもらうことで話はまとまった。
まず初めに、エルと王子が結ばれるための計画を実行した。
重役が多くいる場で、宰相であるルーカスが王子に将来の相手探しをしてみてはいかがですかと助言をする。病弱でずっと相手がいなかった王子が将来の相手を探すとなれば誰もが反対などしないことは想像に容易い。何せ誰もが自分の娘を妻に、と王子妃の座を狙っているのだ。周りの貴族達にも背中を押される形となり、その助言を受け入れた王子がお茶会を開くことを宣言する。
そして王子は婚約者がいないご令嬢あてにお茶会の招待状を送った。
もちろん、ルナにも。
この時、ルナは高熱を出していてお茶会に出席できないということはエルからの情報で把握していた。彼女がお茶会に来られないと知っていてわざと招待状を送った。王家からの招待を無下にはできないから代役が立てられるであろうことと、その代役がルナの姉であるエルであることを知っていたからだ。
お茶会の日、エルと王子は誰から見ても幸せそうだっただろう。
そしてお茶会が終わった後、王子は王様に告げた。
あの少女を妻にしたいと。
エルが私の婚約者であることを知っている王様は何度も考え直すように言った。だが、王子は諦めずに何度も王様に頼み込み、やっとエルを手に入れることができた。
――それも全部、3人の計画通りだった。
「遅くなってごめん」
「本当にギリギリだったわ。あと少し遅かったら、私とルーカスが結婚しちゃうところだったじゃない」
「改めて言うよ。エル、僕と結婚してください」
「よろこんで」
エルも王子もとても幸せそうだった。
「二人ともお幸せに」
「お幸せに、じゃないだろ。次はルーカス、君の番だよ」
「そうよ。ルナのこと手に入れるんでしょ?」
「そのつもりです」
こうして2人の成功を見届けた後、ルーカスはルナを手に入れる計画を実行した。それは計画というほど立派なものではない。エルの結婚式の後に、エルに協力してもらってルナに会う。
そのあとは全てアドリブだ。
ルーカスにとって、どの国と交渉することよりもルナを手に入れることのほうが難しいことだ。緊張しすぎてエルの結婚式に出ることさえ忘れていた。だがわざわざ足を運ばずともあの2人が幸せになることなんて目に見えている。確認する必要さえもないのだ。
一度、城内へと戻ってきたエルはそんなルーカスに呆れたような視線を寄越す。
「あんた本当に昔からルナのことになると全然だめね」
「惚れた女の前じゃ男なんてこんなもんだよ」
「そうかしら」
「そうだよ。ルーカス、頑張ってくるんだよ」
「はい、行ってまいります」
2人なりの激励を受け、ルーカスは式場の端の方で1人たたずむルナの姿を捉えた。イメージトレーニングは何度も繰り返した。後は上手くやるだけだ。拳を握りしめ、己を鼓舞して彼女の元へと一歩踏み出す。するとルナ方からルーカスの方へと歩み寄ってくる。これは想定外だったが、伝える言葉に変わりはない。まっすぐと彼女を見据え、言葉を待つ。するとルナの口から発されたその言葉は想像していたどれとも違う言葉だった。
「ルーカス様、姉の代わりに私と結婚してはいただけないでしょうか。長女ではありませんが、私もれっきとしたランドール家の娘。当家とのつながりならば私と結婚したとしても得られます」
ルーカスはひどく混乱した。
それではルナの思いはどうなるのだろう――と。
「しかし……」
「ルーカス様がランドール家とのつながりを得たいのと同様に当家もあなたとのつながりが欲しいのです」
彼女は家のために自分を犠牲にするというのか。
「……」
「お考えになっていただけないでしょうか」
その言葉にようやく彼女はランドール家のために自分を捨てるというのだと理解してしまった。
彼女の思いはそこにはない。
ルーカスと結婚したいのではなく、家のためにつながりが欲しいのだという。
それに頷いてしまえば、虚しくなってしまうことくらい分かっていた。
「わかりました。互いの家のためにあなたと結婚しましょう」
分かっていても、ルーカスはルナの考えを利用した。
彼女を手に入れるための方法を、それ以外思いつかなかったのだ。
そこから半年が経ってルーカスとルナは結婚した。
ルーカスはルナと結婚することを考えて選んだタキシードを、ルナはエルが彼女に似合うようにと選んでいたウエディングドレスを身にまとい結婚式を挙げた。
もしあの時に戻れると言われたら、ルーカスは力強く首を縦に振るだろう。
そしてルナが口を開くよりも早く己の想いを全て打ち明ける。
どんなに恥ずかしくとも、一年以上馬車の中で、そして1人寂しくベッドの中であの日のことを後悔し続けるよりもずっとマシである。
今日だって結婚記念日であることは分かっていて、さらに言えば王子とエルから結婚記念日くらいは早く帰れと釘を刺されていたのにも関わらず、こうしていつもの時刻に着くように馬車を走らせている。
ルーカスは自分だけはしゃいで、身代わりとしてやってきたルナに迷惑をかけてしまうのではないかと、拒絶されるのではないかと怖くてたまらないのだ。
4.
最近、エルはせわしなく動き回っている。
王子と結婚してからというもの以前のように気軽には会えないが、それでも今までなら2~3日に一度くらいは会えた。けれど今はいつルナが彼女の元を訪れてもどこか忙しそうで、話をしていても心ここに在らずと言わんばかりに空を見つめていることが度々あった。そんな姉の姿を見る度に、いつか身体を壊してしまわないかとルナは心配でたまらなくなった。なにせルナの父グレン、母エルナはともに病気で亡くなっているのだ。その影響かルナの兄カーティスも姉のエルも、ルナのことをよく心配するが、二人とも自分のことにはあまり関心がなかった。
先日風邪で倒れたカーティスも倒れる寸前まで仕事をしていたと聞いた時、エルは呆れて兄をベッドに押し込んでいた。そして無茶はするなと叱ったらしいが、今度ベッドに入るのはエルになるのではないかとルナは心配でたまらなかった。
風邪で倒れてもなお仕事を続けようとしたカーティス同様、休んでほしいなんて言ってもエルはきっと休みはしないだろう。『心配しないで』といつも通り、ルナに優しい笑顔を見せるだけ。だから、ルナはチェリータルトを焼いた。チェリータルトはエルが大好きなお菓子だ。特にルナの焼いたチェリータルトがお気に入りで、彼女の前にタルトを出せば必ず『ルナの作るチェリータルトは国で一番だわ!』と褒めてくれるのだ。
だからルナはタルトを姉の元に持っていって、一緒にお茶をしようと考えた。忙しいのかもしれないが、それでも少しでも休むキッカケになれば……と。
そして、ルナは以前エルにもらったお気に入りの籠に焼きたてのチェリータルトを入れて城へ向かった。
「ルナ様、こんにちは」
「こんにちは、門番さん」
城には厳重な警備がある。出入りする人たちや持ち込まれていくもの、全て検査したうえで入城を許可されてやっと足を踏み入れることが出来る。それは城に不審物や不審者が入らないようにするための、この国だけではなく他の国の城でも行われているようなごく当たり前のことである。だがルナはいつも城の前にいる、大きな槍を背負った青年に馬車から顔をひょっこりと出して挨拶をすれば難なく通してもらうことが出来る。
それはルナが頻繁にエルの元を訪れ、何度も何度も門番と顔を合わせているうちに門番が彼女の顔を覚えてくれたからだった。
それでも持ち物の検査すら行われないため、一度ルナは彼に尋ねてみたことがある。
「検査、しなくてもいいのですか?」
すると門番は不思議そうに首をかしげてからおかしなことを言うものだと笑った。
「だってルナ様は危ないものなんて持ち込まないでしょう?」
あまりにもあっけらんかんと言い切るもので、思わずルナは目を丸く見開いて彼を凝視してしまった。すると彼は真面目な顔に切り替えて、こう付け足した。
「エル様が危ないものなどルナ様に持たせるわけがありませんから」
まるで当たり前のことだとでも言うように。
それからルナは他の人たちとは違い、アポイントなしでも城に出入りすることができるようになった。今回だって門番の青年はルナの顔を確認した後に腰につけている鍵で大きな門を開けた。そして門を開くと青年は鼻をヒクつかせて、少し止まってから口を開く。
「今日のお菓子はタルト、ですか?」
持ち物検査をしなくなってからというもの、ルナが城にお菓子を持ち込もうとすれば青年は毎回その日のお菓子を当てて見せる。それは厳重な検査を受けている他の人たちの隣を申し訳なさそうな顔で過ぎていくルナへの気遣いだった。少し変わっているその気遣いに初めは動じていたルナも、早く早くと答えを急かす青年の顔を何度も見ているうちにこのやり取りを楽しく感じるようになっていた。それに今のところ青年がルナの持ってきたお菓子を外したことなど一度もない。だからルナはこの記録がいつまで続くのか、お菓子を持って入るときの楽しみになっていた。
「ええ、今日はチェリータルトです。もしよろしかったら門番さんもおひとついかがですか?」
「え?」
ルナがいつも通りに答えを告げた後、籠から一つだけ個別に包んであるタルトを取り出して馬車の窓から差し出した。これはエルと一緒に食べるために作ったものとは別に作った、一人分くらいの大きさのもの。
「形はあんまりきれいじゃないですけど……」
シェフに聞いても作りたい大きさの型はなかった。だからルナが自分で成形したものである。だから形はお世辞にも綺麗、とは言いづらいものだった。けれど味には自信があった。エルとカーティス、それに使用人と身内びいきが入った意見ばかりではあるが好評であった。その上、ルナが今まで一番多く焼いたお菓子でもある。だからこそこうしていつもお世話になっている青年に渡そうと思ったのだ。
「……いいんですか?」
「お嫌いじゃなかったら、もらってくれると、嬉しいのですが……」
エルへお菓子を持っていくたびに当ててしまう青年はきっと甘いものが好きなのだろう。だからいつか渡せるタイミングがあれば、お礼はお菓子でと決めていた。優しい彼ならきっと受け取ってくれると分かっていても、緊張はするものだ。無事受け取ってもらえたことにルナはホッとして肩の力が抜けるのを感じた。思えば家族以外に贈り物をするのは初めてのことだ。
「うれ、し、い……です」
門番は鍵を持つのと違う手で顔を半分覆って、今にもこぼれそうな涙をこらえているようだった。そんな彼の姿に、ルナは喜んでもらえて良かったわと思いつつも、1つだけ欲張りな言葉を漏らす。
「あの……もし。もし、迷惑じゃなかったらまた今度もお菓子、差し入れてもいいですか?」
「!? もちろんです!」
青年が大きな声を出すと隣で控えていた門番は肩をビクッと揺らし目を大きく見開いて青年とルナのいる方を見た。きっと青年がこんなに大きな声を出すことなどまれなのだろう。ルナの中で嬉しさはますます膨らんでいく。
「何かお好きなはありますか?」
「あなたの作るものならなんだって嬉しいです。それを意見するなんて……」
「渡すなら喜んでもらえるものを渡したいのです」
少しだけ意地悪に言えば青年は恥ずかしそうに、小さな声で呟くように言った。
「では……ハニークッキーを」
「ハニークッキー……ですか」
「はい。幼いころはよく作ってもらってて……今でも好物なんです」
青年は頬をポリポリと掻きながら昔を懐かしむようにしては、少しだけ寂しそうな表情を見せた。ルナはそんな青年の姿を見て、今度来るときは彼に美味しいと言ってもらえるような、喜んでもらえるようなクッキーを作ってこようと心に決めたのだった。
「エル様の元へ行くのですよね? 少しお待ちいただけますか? 誰か呼んできますので」
青年は手のひらで目を何度かこすってから案内役を探すためにルナの前を去ろうとした。だがルナが周りを見渡すとみんな忙しそうで、頼めるような雰囲気ではなかった。
そんな光景にルナは連絡もなくエルに会いに来てしまったことを少し申し訳なくなった。お姉様はいつでもと言ってくれてはいるものの、忙しいときくらいは遠慮すべきだった、と。そして彼女は立ち去ろうとする青年のコートの裾を少しだけ引っ張って足を止めさせた。
「いいですよ。道順なら覚えていますから」
「ですが……」
「お姉様を驚かせたいの」
ルナはタルトの入った籠を青年に見えるように掲げた。
「そうですか……」
別にルナだってエルを驚かせたいわけではない。けれど自分が来ると知ったら気を使ってしまうだろう。休んでほしくて訪れたというのに、そんなことになったら本末転倒だ。青年にも言った通り、ルナは何度も訪れたエルの部屋への道順は頭に入っていた。他の部屋に行くとなると少し怪しいところもあるが、寄り道をする予定はない。となれば忙しい彼らの仕事を邪魔してまで案内を頼むこともない。大丈夫だから、と後押しすれば青年はそうですか……と頷いてくれる。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってきます」
青年にぺこりとお辞儀をしてルナの乗る、クロード家の馬車は城へ入っていった。彼はルナが去った後もその車体が見えなくなるまでずっと見送ったのだった。
5.
エルの部屋は3階の突き当りにある、夫である第4王子、マイク=ベネットの部屋の隣に位置している。彼らの部屋に限らず、王家にかかわる人間の部屋までたどり着くまでにとても時間がかかる。それは不審者が王家のもののところまで侵入するまでの時間を稼ぐためである。
実際に城に足を踏み入れてからエルの部屋に着くまで、門番達のような成人男性でさえ10分以上はかかる。彼らよりもだいぶ背の低いルナならなおさら長い時間歩き続けなければならない。
ちなみに1階から2階まで行くための階段と、2階から3階まで行くための階段はつながってない。これも時間稼ぎの一環なのだ、と以前城を訪れた際に青年がルナに教えてくれた。いつもは案内役に気を使わせまいと必死で足を動かしていたルナの歩調に合わせゆっくりと歩きながら。
ルナは青年の言葉を思い出しながら3階に続く階段のある場所に向かって歩く。確か3階に上がるための階段はこの角を曲がったところにあるはずだ。もう少しでお姉様の部屋にたどり着ける、とそう思った時だった。
いつもならこの時間は誰も居ないはずの奥の方、ちょうどルナが目指していた階段のあたりから聞きなれない男の声が聞こえた。
「…………す」
盗み聞きなんてはしたない。そう思ってこの場を去ろうとしても、今までルナの歩いてきた廊下はずっと直線の続く道。ルナがこの道に入ってからすでに結構な時間が経過している。男の話声が聞こえないところまで引き返すのは少し難しかった。それにこの廊下は反響を邪魔するようなものはほとんどない。そのせいか男の声ははっきりと彼女の耳に声が響いた。
「ルーカス様、この前の夜会でご令嬢方に言い寄られていたらしいですよ。結婚しても全く減らないどころか増えているんですからさすがですよね」
「まあ、相手が氷の姫なら勝ち目はなくとも死に神なら勝てると思ったんでしょう」
氷の姫? 死に神? なんのこと?
男達の言葉にルナの頭ではいくつものハテナマークが浮かび上がる。盗み聞くつもりはなかったルナの耳には自然とその続きの会話も入ってきてしまう。
「氷の姫は言葉こそきついがマイク様が見惚れるほどの美女。それに引き換え、死に神なんて気持ちが悪いだけじゃないですか。あの銀色の髪に銀色の目。なんでも見た者の魂を抜き取るのだとか……」
「ああ、おっかない。いくらあの氷の姫の妹とはいえあんなやつで妥協することなんかなかっただろうに」
「噂ではランドール家の前当主との約束があったから仕方なく結婚したのだとか……。それさえなければ今頃他のご令嬢と結婚されているでしょうね」
「だからって死に神なんかを……な」
「一度結婚したのですから離縁してしまえばいいのに」
「あの方はお優しいからできないのだろう」
「ああ」
銀色の髪――それはルナの自慢の髪。
ルナは見慣れた自分の髪を一房とってみた。長く腰まで垂れる髪はルナが支えることをやめれば重力に逆らうことなく手からするりと落ちて行った。
銀色の目――それはルナの自慢の瞳。
鏡を通さなければ自分で見ることはできない。けれども、それはルナが人に自慢できるもの。
髪の色も目の色もエルやカーティス、そして父のグレンとさえ違う色を持つルナが『みんなと同じ色がいい』と泣いていた時にグレンはそっとルナを抱き寄せて教えてくれた。
「この髪の色も目の色もお前の母様と同じ色なのだ。だから泣くことなんてない」――と。
幼いころに母を亡くしたルナは母の面影すら覚えてはいなかった。それでも『母様と同じ色』というグレンの言葉に胸のあたりが温かくなったことを今でも覚えていた。
ルナにとって銀色の瞳も髪も母からもらった大切な宝物である。例え姉のように綺麗でなくとも、兄のように賢くなくとも、それが、それだけが彼女の自慢だった。
ルナは長い間ずっと兄や姉とは違うことに悩んでいた。
『家族』と胸を張れるものなど一つもないのだと。
『家族』の中で唯一違う容姿はルナの不安を増長させていた。だからこそ嬉しくなった。母と同じ色を持つ、ということが。自分も家族の一員であることが認められているようで。そんな『家族の証』ですら他人から蔑まれる要因で、ルナはやはり姉や兄とは違うのだと思い知らされた。
もしもあの時、ルナが結婚を申し出なければ顔の見えない男たちの言うようにルーカスはエルでも、ルナでもない、他の令嬢と婚姻を結んだのだろうか。
あの時、自分が彼を縛り付けてさえいなければ……。
ルナは目の前景色が段々と色が褪せていくような気がしてならなかった。
あの時自分の気持ちしか考えていなかった。全てはうまくいかないと思い込んでいたから。だからあんなたいそうなことが言えたのだ。だがそれのせいでルーカスの他の令嬢と結ばれるはずの未来を奪ったのだ――と。
それはあくまであったかもしれないという可能性の話で、ルナがあの時行動を起こさずともルーカスが彼女を諦めることはなかっただろう。だがルナはそのことを知らないのだ。なにせルーカスは愛おしくてたまらない妻に何も伝えられていないのだから。
だからルナは1年前の己の行動を責める。
ルーカスに、姉に迷惑をかけてしまった……と。崖から突き落とされたような、すがっていたはずの糸を切られたような、そんな気分に陥る。そして一度沈んだ気持ちは底へ底へと向かっていく。
ルナはこの場所に、エルとルーカスのいるこの城の敷地内に立っていることすら申し訳なくなった。そしてもしかしたらお姉様は私のことを避けているのかもしれないとさえ思うようになった。
そしてその原因は自分が邪魔な存在で、気持ちの悪い存在だからと結論づけるのだ。
もしもこの場にエルがいたのならば、彼女はすぐに愛する妹を胸に抱きかかえて愛しているわと何度も繰り返すことだろう。そんなこと、普段のルナならすぐに思い至るはずなのだ。けれどルナにはもうエルが自分のことを避けているのだとしか考えられなくなっていた。
それはルナが普段からエルへ劣等感を、そして罪悪感を抱いているからだった。
(お姉様は結婚して王家の方となったのに。私とはもう身分が違うのに今までのように接してしまったのは迷惑だったのかもしれない。)
ルナは言い訳じみた結論を頭の中で繰り返して踵を返す。相変わらず彼女の耳には男たちの会話が入ってきていたがもう理解するだけの頭が回らなかった。ただルナの頭には『この場を去る』という無意識の中で出した命令しか届かなかった。
ルナが床を見つめながら数歩歩くと、ルナのほうへと歩いてきていた一人の男性とぶつかってしまった。その衝撃からルナははっとなり、前を向いた。
「ご、ごめんなさい」
「いえいえ。ってルナ?」
「お兄様!?」
急いで謝ると上から落ちてきた声は兄、カーティスのものだった。その声に安心したのもつかの間、今までは届かなかったルナの耳に先ほどから絶えず続く男たちの会話が流れ込んできた。そして兄にも彼らの話が聞こえてしまっているかもしれないという恐怖が彼女を襲った。
「えっと、あの……」
ルナはカーティスの意識を何とかそらすために必死で言葉を紡ごうとした。けれどこんな時に限って、何を話せばいいのか全く頭に浮かんではこなかった。それでもカーティスには男たちの話を聞いてほしくはなかった。自分が悪く言われているのを聞いて、ランドール家が侮辱されていると思ってほしくはなかった。嫌わないでほしかった。彼には、彼にだけは嫌われたくなかった。
(ルーカス様やお姉様に嫌われているかもしれないのに、お兄様にも嫌われてしまったら私は……。)
ルナは目の前の大きな存在に縋りたいのだ。そうでなければ自分は壊れてしまいそうな気さえした。
「ルナ、今帰り? もしよかったら俺の馬車に乗っていかないか?」
「え……、はい」
ルナは少し迷って頷いた。エルのもとに行くつもりだった彼女だが、あんな話を聞いた後にエルのもとに行く勇気はなかった。もし拒絶されたらと思うと臆病な足はすくんでしまって、前に進むことなんて出来なかったのだ。
臆病者だと言われても、ルナは先ほどまでの目的地に背を向けて、カーティスの手にひかれながら歩いてきた道を戻るのだった。
そして気付けばランドール家の馬車の中にいた。自分がいつの間にあの長い道を歩いたのかなんて全く覚えてもいなかった。覚えているのは恐る恐るつかんだ手が強く握り返してくれたこと。ただそれだけだった。
「ルナ、その美味しそうな香りのするものは何?」
カーティスはずっと足元を見つめているルナの手を指さした。正確にはルナが大事そうに持っている、エルに食べてもらうはずだったタルトの入った籠を。
「えっと……」
何といえばいいのか。エルに渡せなかったもの、なんて言えるはずもなく代わりの言葉を考える。するとカーティスは籠の取っ手にぴったりとくっついたルナの指を丁寧に外し、籠を膝の上に乗せ、蓋を開いた。
「タルトだね。中身は?」
「チェリーです」
「お土産にもらったの?」
「いえ……」
「……そっか。もしかしてルナの手作り? もらってもいい?」
「ええ、もちろんですわ」
カーティスにはそれがエルに渡すはずだったものだということはバレていることだろう。そしてきっと先ほどの話だってキッチリと耳に入っている。それでも彼は何も言わずに籠からタルトを取り出してくれた。そして籠の中にフォークやナイフがないことを確認してまん丸いタルトにかぶりついた。籠の中にはボロボロと食べかすが落ちて行った。
それをただルナは眺めていた。
カーティスが全てを胃の中にしまい込むまでずっと。タルトが小さくなる度に兄の優しさを感じ、少しずつ安心してくるような気がしていたのだ。
その後のことをルナはあまり良く覚えていない。カーティスが家まで送っていってくれたのだろう。気付けばルナは自分の部屋にいた。
衣服をしまうための真っ白なクローゼット。睡眠をとるための、天井にはレースのあしらわれている、ルナ1人が寝るには大きすぎるベッド。そして身だしなみを整えるための白く縁どられた大きな鏡。ルナの部屋には必要なもの以外何もない。ほとんど色のないこの部屋で、色を持つのはエルからの贈り物ばかり。鏡台にしまってあるアクセサリーケースの中をうめる色も、クローゼットの中をうめるのも全部エルからの贈り物。
ルナの耳に光るイヤリングでさえもグレンからの贈り物に過ぎない。
自分の部屋を見回して、エルは自分の物には色がないことに気がついた。いつも過ごしている部屋なのに、自分で選んだもので埋め尽くされているはずのこの空間が何故かむなしくなってしまう。そして何もないこの部屋は自身を表しているような気がして、気がつけば瞳には涙が溜まっていた。けれどその涙はつうっと一筋だけ流れて、後は全て行き場を見つけられぬまま乾いてしまった。
ルナは今日もいつも通りにルーカスを出迎えて、食事を共にして、そしていつも通りの時間に部屋に戻ってくる。
この何もない部屋に。
ルーカスと一緒にいるときは満たされているような気分になれた。しかし、部屋に戻るとそうでないことをまざまざと見せつけられているような気がした。
自分は姉の代替品。
ルーカス様の望んでいる人ではないのだ――と。
6.
今日はカトラス家のご令嬢のお屋敷でお茶会が開かれる日だ。毎月決まった日に開かれるそのお茶会は、ルナが参加することを許されている数少ないお茶会の一つだった。ルナは決まったお茶会にしか参加が許されていないのだ。以前はグレンに、今ではルーカスからの許可を得たものだけだ。
ルナは今まではそれがなぜなのか分からなかった。エルは他のお茶会にも参加しているというのにルナだけが許されないのだから。長女のみ参加が許されるのかと一時期ルナは思ったこともあったがそうでないことはすでに理解していた。だから、ずっと疑問だった。
なぜルナは一部のお茶会を除いて参加することが許されないのかを。
理由なんて簡単だったのだ。答えは城を訪れた際に聞こえた声が教えてくれた。
そしてルナの胸には数年越しの答えがストンと落ちてくる。
『自分をあまり他人の目に触れさせたくなかったのだろう』――と。
カトラス家のお茶会は招待される人数が普通のお茶会に比べて少ない。お茶会は情報交換の場所としても用いられると聞くからある程度の人数がいることが普通なのだろう。しかし、カトラス家のお茶会に参加するのはルナともう一人、古くからランドール家との交流のあるシーランド家のご令嬢だけだ。3人だけのお茶会ならば人の目にもほとんど触れることはない。
カトラス家のご令嬢もシーランド家のご令嬢もルナにとても好意的に接してくれていた。それはなぜなのか、今までそんなことルナは疑問にさえ思わなかった。けれども今は何故か気になってばかりいる。目の前で交わされる会話を受け流しながらそれを気付かれまいと愛想笑いを浮かべながらそのことばかりを考える。
それは城での話を、自分が死に神と呼ばれているのだと知ってしまったからだ。
あの時カーティスはルナに何も言わなかった。それはルナが『死に神』と言われていることを知っていたからだろう。そしてきっと目の前にいる彼女たちだって知っているのだろう。
ルナが死に神と噂されていることを。
そう思うと、好意的な彼女たちにも裏があるのではないかと勘ぐってしまう。彼女たちに対してとても失礼なのは分かっている。
けれど今のルナは自分に価値が見出せないのだ。だからこそどんどん悪い方向に考えてしまう。
その感情が外に出てしまっていたのか、あるいはルナの愛想笑いに気付いたのか二人の令嬢は心配そうな顔でルナを見つめていた。
「ルナ様、どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありませんわ」
「そう……ですか。」
再び愛想笑いを浮かべると納得いかないといった顔をしながらも引き下がった。そしてすでに冷えてしまった紅茶の入ったカップに手を伸ばすと、カトラス家の令嬢はいいことを思い出したかのように花が咲いたような顔を浮かべた。
「ああ、そういえば知っていますか? 幸せを運ぶ花屋の噂」
「幸せを運ぶ花屋……ですか?」
言い方から察するに花を見ると幸せな気持ちになれるがそういう意味ではないのだろう。噂になるぐらいだから、普通の花屋とは違うはずだ。どういった店なのだろうか。もともと花に興味のあるルナは少しだけその花屋に興味を持った。ルナが顔をあげると彼女が興味を持ったことが嬉しかったのだろう、作戦が成功したとばかりに笑みを浮かべてからカトラス家の令嬢は少しだけ声を高くして話を続けた。
「ええ。DEARという名前の店なのだけど、その店は薔薇のみが売られていてその薔薇を贈られた女性は幸せになれるそうですわ」
DEAR――それは初めて聞く名前の店だった。
薔薇を贈られると幸せになれるなんて不思議な話である。
「ロマンチックですわね」
それだけを返せば、まだそれだけじゃ終わらないとばかりに声を低くして、顔を近づける。つられてルナとシーランド家の令嬢も聞き逃すまいと顔を寄せ、ティーテーブルの真ん中には小さな顔が三つ集まった。
「ただ、黄色い薔薇だけは例外らしいのです」
黄色い薔薇と聞いて、ルナの頭に浮かんだのは友人に贈るにふさわしい花かしらということだった。黄色い薔薇の花言葉といえば友情や友愛が一般的なのだ。ルナは昔グレンの書斎の下の方の段に並べてあった植物図鑑の絵を思い浮かべた。
「黄色い薔薇は別れたい相手に贈るのに用いられるそうです。この花を贈られて別れた方もいるそうですわ」
「え?」
別れたい……?
ルナは頭の中でカトラス家のご令嬢の言葉を繰り返して固まってしまった。
黄色い薔薇の花言葉――薄らぐ愛、別れよう
あまり一般的ではないが、この意味をとってのことだろう。
ルナの顔を見てカトラス家の令嬢はなんてことないように言葉を続ける。
「でも、黄色い薔薇以外を贈られれば幸せになれるとの噂ですわ」
「赤い薔薇、贈られてみたいですわ」
「あら、旦那様に頼んでみてはいかが?」
「そうね。頼んでみようかしら」
「ルナ様もルーカス様に頼んでみてはいかがかしら」
「いえ、私は……」
そうは言いつつも一度はもらってみたいと思う。けれどすぐにそう思う資格すらないというのに……と自分の気持ちを押し殺す。
贈られるとしたら黄色い薔薇だろう。だがきっと優しいルーカスなら頼めば赤い薔薇を買ってくれるのだろうとも思ってしまう。だがその赤い薔薇にはきっと気持ちはこもっていない。『買う』であって『贈る』ではないのだから。そんなものを貰ったところでむなしくなるだけだろう。
「そうよ。ルナ様は贈られなくても十分お幸せだわ」
「そうね」
俯くルナとは対照的に、2人のご令嬢はうふふふふと優雅に顔を見合わせて笑うのだった。
その後、少しお茶を楽しんでお茶会がお開きになった。ルナは迎えに来た馬車に乗りこみ、御者に告げる。
「町を見てから帰りたいの」
ルナがそう告げれば、感情がすぐ表に出てしまう御者は顔をしかめた。
「何か必要なものがございましたら、私に申し付けていただければ……」
「なんとなく町の風景を見たいだけなのだけれど……。駄目かしら?」
「……いえ。旦那様のお帰りになられる時間に間に合えば問題ありません」
なんとなくすぐには屋敷に帰りたくないのだ。御者だってルナがわがままさえ言わなければすぐにでも帰ってしまいたいだろう。随分考えてから返事をした後で彼は帽子を目深にかぶりなおして御者台に深く腰掛けると馬車を出した。
揺れる馬車の中から前にいる御者に心の中で『迷惑をかけてしまってごめんなさい』と詫びる。
けれどルナは普段屋敷からあまり出してもらえない。外出が許されるのはお茶会に参加するときと姉に会うために城へ行く時くらいなものだ。それも屋敷と屋敷、屋敷と城を往復するだけ。寄り道なんて許されない。だからこんな時、わがままを言った時くらいしか町を見る機会などない。
これも私の見た目のせいなのかしらと思えば仕方のないことなのだろうと納得できる。だがそれでもずっと屋敷にいるのは少し息苦しくなってしまうのだ。あの話を聞いた後だから今は余計に。
(時間が来たら大人しく帰るから、せめて今だけは。)
そんなことを願ったのが悪かったのだろう。大人しく、今まで通りに帰ればよかったのだ。
わがまま、なんて言わなければよかったのだ。
馬車の窓から見た景色。
そこにはエルが以前ルナに教えてくれたケーキ屋さん、針子屋さん――様々な店が並んでいた。その中には以前エルが気に入っていると話していた宝飾店があった。
なんでも店主のセンスがいいのだとかで、エルは自分で何度も足を運んでいるらしい。楽しそうに話す姉の姿を見て、そんなにも気に入る店とはどんな店なのか気になっていた。外から、しかも馬車の中から見るなんて無理かもしれない。でも雰囲気だけでもと思い、どこにあるのかもわからずにずらりと並ぶ店の列に目を向けた。するとその中で異質なガラス張りの店。外からもよく店内が見えるその店の中に二人寄り添うエルとルーカスが目に入った。
動く馬車から見た光景だ。ほんの一瞬のことだった。それでもルナの目には焼き付いた。
2人が幸せそうに微笑んでいる姿が。
☆2.ルーカスside
結婚記念日は何も出来なかったが、今度こそは!とルーカスは一人、馬車の中で拳を固める。1週間後はルナの誕生日。相手が好きでなくとも、誕生日を祝われて嫌な気はしないはずだ。多分……。そうだと思いたい。
結婚してから一年が経ったことで、いくらランドール家のためと初めから割り切っていたとしても、このまま夫婦でいることがつらくなってきたのではないかと日に日に不安感が増していく。
今回のルナの誕生日を逃したら……。
きっともう祝えないような、そんな気がするのだ。ルナを手放す気なんてない癖に、何か言い訳してきっと彼女から逃げ続けるだろう。
ルーカスがルナの誕生日を祝うと決めたのは1か月ほど前にマイク王子夫婦に呼び出されたことがキッカケだった。
「「ねえ、この前の結婚記念日どうだった?」」
それはもう興味津々といった目をした二人がルーカスに尋ねてきたのだ。
こんな二人に、何もできなかったなんて言い出せる雰囲気ではない。だが王子は何故か昔からルーカスに関することには勘がよく働くのだ。そんな王子に嘘なんてついたところですぐばれてしまうことなど目に見えている。
「いつも通りですよ」
嘘ではない。
「君にとってはルナとの生活は毎日が記念日だと?」
「わかる、わかるわ。ルナと一緒にいられるなんてそれだけで幸せよね。毎日お祝いしてもいいくらいだわ」
ウンウンとしきりに頷くエルはともかく、王子にはルーカスの言葉の意味が分かっているのだろう。分かっていて、他ならぬルーカス本人の口から言わせようとしているのだ。
「何もしていません」
「できなかったんじゃなくて?」
「っ、できませんでした!」
「はー、やっぱりね。なにも用意してない割に定時通りに帰った時点でおかしいと思ったよ。だから、早く帰りなよって言ったのに」
王子は心底呆れたとばかりに深いため息をついた。なぜ王子が何も用意していなかったのか知っているのかは聞くと面倒なのでスルーしよう。
そしてエルの方だが……怖くて見れない。さきほどから黙り続ける彼女の顔を伺うなんてそんな勇気、ルーカスにはない。あったら今頃、彼らに呼び出されてはいなかったであろう。
「……ルーカス?」
「……」
地を這うような声が自分の名を呼んでいる気がする。気のせいだと思いたいルーカスは必死に目と気を逸らす。けれどもそれをエルは許さない。
「無視するな! ルーカス!」
「はい!」
王子の妻とは思えない言葉遣い。だが迫力は王妃にすら引けを取らないだろう。エルはそれほどにまで怒っていたのだ。怖いが無視する方が怖いとルーカス腹をくくり、彼女の方を向く。
「ルーカス?」
予想していたよりもはるかに怖い顔でエルはこちらを見ていた。昔、ルナと一緒にいた時も殺気に満ちた目で見られていたが、今のエルの目はその時以上だ。今の彼女なら視線だけで人を殺すこともできるだろう。
☆3.ルーカスside
「いい? 誕生日は絶対に祝いなさい。ルナの誕生を祝う日よ。これほどにまで尊い日はないわ」
それは6時間続いた説教の最後にエルがルーカスへと放った言葉だ。
ルナの誕生日まで残り5日。にもかかわらずいまだにルーカスはルナへのプレゼントを何にするか決めかねている。
ルナの誕生日を祝いたいが、いかんせん今まで女性にプレゼントをあげた記憶などない。そのため何をしたら女性が喜ぶのかわからないのだ。それに相手はルナだ。そこらへんの女とは訳が違う。変なものでも渡して嫌な顔でもされたら……。きっと立ち直れないだろう。
「ルーカス、ルナの誕生日が迫っているというのに暗い顔しているわね」
「ああ、エル」
仕事の合間にもルナのことを考えていると、エルに出会った。これは神が与えたチャンスではなかろうか。ルーカスは光が差したように視界が明るくなるのを感じた。
エルならばルナの好みを把握しているだろう。彼女に聞けばきっとルナの喜ぶものを手に入れることができる。
だがすぐにそれでは自分からプレゼントする意味がないと考え直す。
「何よ。不満そうな顔して」
そういうエルこそ機嫌が悪そうな顔をしている。大方、最近ルナと会う機会が少なくて機嫌が悪いのだろう。彼女が不機嫌になる理由など片手に数えるほどしかない上、その理由が大半を占めるのだ。さすが世界一ルナを愛していると自称するだけのことはある。それで同じだけとは言わずともルナに想いを寄せられているのだ。それが姉妹愛だと分かっていても、ルーカスの中から彼女への羨ましさが消えることはない。そしていつか自分も同じようにルナから思われたいものだと密かなる野望を胸の中へと隠す。
「そういえばルナがエルは最近忙しいって言っていたけど……」
「忙しいわ。とっても忙しい! 身体がもう一つ、いや三つは欲しいくらいよ」
「そんなに忙しいのか?」
「ええ。ルナの誕生日が間近に迫っているのにルナへのプレゼントを決めかねていたの。やっとプレゼントは決まったのだけれど、どんな服を着ていくか迷っていてね」
「服? そんなに重要か?」
ルーカスにはそれがそんなに重要なことには思えなかった。ルナならばきっとエルがどんな服を着ていようが気にしないだろう。だがルーカスの返答にエルは怒りを沸きあがらせる。
「重要よ! ルナの誕生日は年に1度しか来ないのよ?」
誕生日なのだから年に何回もあるわけがないだろう。だがそんなことをエルに言ったら怒られるだろうとルーカスは開きかけた口を閉じる。エルの機嫌は一度損ねたらなかなか治らないのだ。それにルナが関わることとなればなおのこと。余計なことは言わない方がいいに決まっている。
「で、ルーカスはルナへのプレゼント決まったの?」
「まだだ」
「は? 残り1週間もないのよ? 何しているの!」
そういってエルはルーカスの手を引っ張った。
「どこへ連れて行く気だ」
「決まっているでしょ、ルナのプレゼントを探しに行くのよ。私も手伝うから」
そして気づけばルーカスはエルと共に宝飾店にいた。仕事なんて後でも出来るからといいつつも、最低限の仕事をこなすまで待ってくれたのはエルなりの優しさだろう。終わり次第、どこから発揮されているのかと思わず疑問に思ってしまうような力で引きずられたのは考えものではあるが。そして店内では何度となくルーカスの背中を突き、奥へと案内する。辿り着いたのは輝かしいほどの宝飾品の数々が並べられたガラスのショーケースの前だった。
「これはどうかしら」
「なあ、エル」
「何よ」
「わざわざ宝飾店に来る意味あるか? 宝飾品だったら家に呼べばいいんじゃ……」
「家にはルナがいるでしょ。まさかあんたルナの目の前で買う気?」
「ルナへのプレゼントなんだからそれでいいんじゃ」
寧ろ家に呼べばルナ本人が選ぶことができるだろう。それの何がいけないのだろうと首を傾げるルーカスにエルは呆れたように首を振った。
「わかってないわね。プレゼントは相手のことを考えて選ぶものよ。なのに本人の前で選ぶなんて……。ナンセンスね。それに店の者が持ってくるものが必ずしもルナに似合うとは言えないもの」
確かに店の者は持ってくることのできるものには限りがあるから、その店の選りすぐりのものを持ってくる。
エルがルナに似合うと感じるものからそうでないものまで様々なものを。
「で、さっきからエルも選んでいるように見えるんだが」
「一期一会なの。来た時に見とかないとルナにぴったりのものを見逃してしまうかもしれないじゃない」
……一緒に来てくれたのはいいが協力してくれるわけではないらしい。エルに頼るになるという選択肢をさっさと切り捨てて、ルーカスはルーカスでルナに似合うものを探すことにした。
しばらく探しているとケースの中でひときわ目を引くものを見つけた。
「これは……」
「どうしたの?」
「これはいいんじゃないか」
「これって……。本当にこれを渡すつもりなの?」
「ああ、ルナにきっと似合うだろうな」
「そう……。そうね。きっと似合うわ」
絶対に似合う!という確信を隠さずに力強く頷くと、エルは満足気に笑うのだった。
7.
お茶会の帰りに見た二人の姿――それはとても幸せそうに見えた。あまり笑わないルーカスはエルの前ではあんなに自然に笑うのかと涙がこぼれそうになった。
結婚する前はルーカスがルナに笑顔を向けることが何度かあった。エルに微笑む頻度に比べればそれははるかに少ないものではあったけれど、それでも何度かは向けてくれた。エルに向ける柔らかい、心からの笑顔とは違った。ぎこちなくても確かにルナに向けていた笑顔。それも結婚してからは一度もルナに見せたことはない。いつも変わらず無表情で背の低いルナを見下ろすばかりだった。
(きっと私がお姉様の妹だから笑いかけてくれたのだ。でも、もうお姉様は手に入らない。……王子様と結婚してしまったから。)
所詮は姉の代替品であると理解しているつもりだった。それが自ら望んだことで、当たり前のことである、と。
わかっていたことなのに、その事実を目の当たりにするとルナの胸はひどく傷んだ。あふれ出す涙は抵抗をやめ、ドレスに落ちて行った。白いドレスには涙が落ちても変化はない。ぎゅっとつかんでできた皺さえ時期に何事もなかったようになくなっていくだろう。けれども、ルナの目に焼き付いたあの映像だけはいつになっても消えてはくれない。目を閉じれば浮かび上がるのはあの光景で、焦点はあの二人に定められている。
(それでもいいと思っていたはずなのに。ああ、なんと醜い嫉妬だろうか。…………図々しい。)
初めはルーカスといられるだけで満足だった。その気持ちに嘘や偽りはなかった。この1年の間にだってその気持ちに変化などなかったはずなのだ。いや、ルナ自身がその変化に気付かないうちにその気持ちはどんどん肥大化していったのかもしれない。
あの光景を思い出すたびにルナは欲深くなっていくのを実感した。そしてその度に傲慢な自分が、醜い自分自身が嫌いになっていった。
ルーカスの顔を見ることすら辛くなり、次第に朝のルーカスの部屋をノックする、というお決まりの行動すら億劫になってきた。けれどそれは数少ないルナの妻としての役目である。放棄することなんて出来なかった。ただただ重苦しい気持ちがルナの心に散り積もっていくだけだった。
そんなある日のこと、カーティスから一通の手紙が届いた。封筒に書かれた文字はいつも通りの几帳面な兄らしい綺麗な文字だったが、封筒を開けばそこには乱雑な文字が並んでいた。それはカーティスの文字とは違い、ルナが初めて見る文字で読むのも一苦労だった。
ルナはこの手紙の送り主が本当に兄なのかを疑ったが、空になった封筒を裏返してみればそこには確かにランドール家の印が押してあった。それこそがランドール家もとい当主であるカーティスからの手紙であることの何よりの証拠である。
何かあったのだろうか?と今度は心配になり、ルナは乱雑な文字を読み解いた。そして『カーティスが風邪をひいた』という情報を得た。けれどもそれはとても信じがたい内容だった。
カーティスは幼少期から身体が丈夫で、今までに風邪をひいた回数など片手で数えられるほどであった。そんな彼はつい半年ほど前に風邪をひいたばかりだ。その際はランドール家の執事長からルナとエルに手紙が送られて来て、急いでお見舞いに向かったのだ。
全く風邪をひかなかったカーティスがこの短期間で2回も風邪をひいた。それは驚くべきことで、ルナは戸惑った。手紙をもって部屋をうろうろしては止まって。また何かを探すようにうろうろと。どこにも答えなんてないのに。
(もしかしたらどこか悪いのではないだろうか。もしくは少しオーバーワーク気味だとか……。)
カーティスとエルはルナのことをよく気にかけては手紙を送ってくるが案外自分のこととなるといい加減なのだ。だからこそルナは心配だった。使用人たちが看病をしてくれているのは分かっている。それでもやはり心配なのだ。
(さっそくお見舞いに行かなくては……)
真面目で仕事熱心なカーティスはきっと体調が悪くても無理をしてしまうかもしれない。そんなことは容易に想像がついた。そう思うといてもたってもいられなくて、ルナはさっそくルーカスに外出許可を出してもらうことにした。
いつも多忙でなかなか休暇が取れないルーカスは今日はまる1日の休みが取れたらしく、朝からずっと屋敷のルーカス部屋兼書斎にこもっていた。
ルナはルーカスの部屋まで早足で向かってからドアの前でピタリと止まった。そしてゆっくり息を吸ってから少しだけ吐いて、朝と同じように三度ノックをした。
「どうぞ」
いつも通りの抑揚のない声にルナは「失礼します」とドアに向かって一礼してからドアノブを回した。
ドアを閉めた後に今度はルーカスに向けて一礼し、顔をあげた。ルーカスは部屋に入ってきた彼女を初めは驚いたように目を見開いて見ていたが、すぐに持ち帰っていた手元の書類に顔を向けてしまった。そんな姿にルナは思わずめげてしまいそうになった。けれど兄の一大事だと心を奮い立たせて口を開いた。
「お仕事中、申し訳ありません。ルーカス様、外出許可をいただけませんか?」
じっと見つめても一向に返事は帰ってこなかった。けれどもルナはめげるわけにはいかなかった。なにせルーカスの許可がなければカーティスのもとへ行くことはできないのだから。
外出許可を夫にとるという行為は非常に変わっていることらしい。これはルナが以前カトラス家のご令嬢から聞いた話だった。
出かけてくると伝えることはあっても許可を取ることはないのだと――。だがこの行動はルナにとってはごく当たり前のことだった。ルーカスと結婚するよりも以前は父、グレンの許可がないと外出できなかったし、許可を求めても承諾されない場合は多々あった。むしろ許可されることの方が少ないくらいだった。
例えばルナの「お茶会に参加したい」という願いは「危ないから」という理由で何度も突っぱねられた。それでもあきらめきれなかったルナが何度も頼んで「信頼のおけるカトラス家の令嬢の屋敷なら……」とやっとのことで承諾を得られたのだ。
だがそれはルナだけではない。ルナよりもいくばかりか許可されやすいエルでさえも外出許可を得られないことが多々あった。それでもあきらめきれなかったエルはすぐに諦めてしまうルナとは違い、たまに屋敷を抜け出していたようだった。そしてあとから使用人によってグレンの耳に入り、こっぴどく叱られていた。口数の少ないグレンが声を荒げていたことがとても印象的で、あの時のことは数年たった今でも鮮明に思い出せるほどだ。
父のそんな姿を見た日以来、ルナはめっきり無理を言わなくなった。
「バザールに行ってみたい」「花畑でピクニックがしたい」「夜会に参加したい」
そんな他愛もない希望は全部押し込んで、誕生日には代わりの言葉を用意した。
「オレンジが食べてみたい」「庭一面の花が見たい」「星が見たい」
そう告げればグレンはルナの望みをかなえた。
12の誕生日の翌朝からは毎朝食事の席にオレンジが並ぶようになった。
14の誕生日には庭一面の花が咲き、それはランドール家の自慢の庭になった。
17歳の誕生日の翌週には、いつでも星が見られるように庭にはガゼボを作られた。
そしてグレンが亡くなってからは父の代わりに兄であるカーティスがルナのどんな我侭でも叶えるようになった。
屋敷から出るとさえ言わなければなんだって。
だからルナにとって屋敷を出るのに許可を取るのは当たり前のことであり、許可が落ちないことも想像にたやすいことだった。
「なぜ?」
機嫌が悪そうなルーカスは資料から顔をあげることなく、視線だけをルナに向けた。この言葉も予想のできた言葉。ルナは用意していた言葉を返す。
「お兄様が風邪をひいたらしいのでお見舞いに行きたいのです」
「だが……」
「ダメ……でしょうか?」
渋る様子を見せるルーカスに思わずルナは俯いてしまう。そして自己嫌悪に陥るのだ。
(私を外に、人の目にふれる場所にあまり出したくはないのかもしれない。)
けれどここで諦めてはカーティスのお見舞いに行くことは出来なくなってしまう。そうとわかっていてもルナの頭には城での男たちの声が繰り返されていて、無理なのかもしれないと諦め始めていた。
「……まあ、カーティスさんの見舞いなら……」
すると返答に渋っていたルーカスの口から幽かな声が零れ落ちた。ルナはそれを拾ってから勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます」
糸のような細く長い髪でおおわれたルナの姿をルーカスはなんだか複雑そうに見つめていた。ルナはその目に気付き、申し訳ないと思いつつも予定通りカーティスのお見舞いに行くことにした。
さっそく見舞いに行くための用意をしなければ……。
まずルナの頭に浮かんだのはカーティスの好きな桃だった。昨日、庭で花に水をやっているときに庭師が良く熟れてきたといっていたからそれを少し分けてもらおうと決めた。
そして次はガーベラだ。ガーベラはカーティスの好きな花であり、ルナが庭で庭師から場所を借りて育てている花の一つでもある。それもラッピングして持っていくことにした。沢山の中から選んだのは、カーティスの瞳と同じ色の紅のガーベラだ。渡したら喜んでくれるだろうか、とカーティスのことを思いながら人のいい庭師の元へ向かおうとドアノブに手を伸ばす。
「ルナ!」
部屋を去ろうとしたルナの背中にいつもよりも強めの声でルーカスは呼びかけた。
「はい! 何でしょうか?」
身体をビクッと震わせてから振り向くと、ルーカスは少し申し訳なさそうな顔をしていた。ルナがルーカスを見つめると、彼は絞り出したかのように「その……気をつけてな」とだけ言った。
(お兄様のもとへ行くだけなのに何を心配なさっているのだろうか。他の人の目に触れないように? でも、そんなに心配しなくても馬車から顔を出したりなんかしない。じゃあ、他にどんな理由があるのだろうか?)
ルナはいくつかの想像を浮かべて否定していく。最終的に浮かんだ答えは全て否定されて何も残らなかった。
「はい、行ってまいります」
ルナは結局これだけ告げて部屋を後にした。
8.
「お兄様!」
ルナはカーティスのことが心配でいち早くカーティスの様子を確認するため、御者が馬車のドアを開けてくれるのも待ちきれずに自分からドアを開けて駆けだした。御者はいきなり飛び出したルナを見て目を丸くしていた。けれども御者は何も言わずに御者台から一歩も動かず、ルナのことを待つと決めたのかあげた腰を下ろした。
「ああ、ルナ。息を切らして一体どうした?」
屋敷のドアを開けた瞬間、ルナの目の前に現れたのは元気そうなカーティスの姿だった。
「お兄様?」
「どうかしたのか?」
「風邪をひかれたんじゃ……?」
ルナは自分のもとに届いた手紙の内容と今目の前にいるカーティスの様子を見て混乱した。確かにルナの元に届いた手紙にはカーティスが風邪で寝込んでいるのだと書かれていた。
なのにルナの目の前にいるカーティスはいつも通り。風邪をひいているどころかどこかが悪いようにも見えない。
そう見えないだけで、どこか悪いのだろうか?
ルナは、カーティスの頭からつま先まで余すところなく確認した。けれどどんなにじっくりと見たところで彼が一体どこを悪くしたのか全く見当もつかなかった。
「……ああ、あれか。あれは嘘。もしかして俺のことが心配で急いで来てくれたのか? そうだったら、嬉しいんだが……」
「当たり前じゃないですか! お兄様、本当に何ともないのですね?」
「ああ、見てのとおり俺は元気だ」
あっけらんかんと嘘だと告白するカーティスの言葉に今まで気を張っていたルナは腰が抜けたように、床にぺたりと座り込んだ。
(嘘。嘘……か。そっか、よかった。お兄様が風邪をひいたと聞いたら心配するのは当たり前だろう。なのに、お兄様ときたら頬が緩んでいるのが分かるくらいに嬉しそうな顔をして……。)
嘘をつかれたことに驚きは隠せなかった。けれどルナの中ではそんな驚きよりもカーティスの身体が何ともなく、元気にこの場に立っていることへの嬉しさが圧倒的に勝った。
心の底から安心し、床から立てずにいるルナの目の前にはカーティスから差し出された手がある。それを支えに立ち上がったルナはドレスの裾についた埃を払い、兄の顔を見上げて首をかしげる。
「でもお兄様、なぜ嘘なんかついたのですか?」
「ルナに会いたかったんだ」
「普通に呼んでくれれば遊びに来ますよ?」
「それはない」
「なんで否定するんですか!」
ルナはカーティスのことを大事に思っていた。そんな兄に呼ばれたら遊びに来るに決まっている。それなのにありえないとカーティスは力強く否定する。そのことが気に入らなかったルナは真っ白いマシュマロのような頬をぷくっと膨らませた。
「ルナ、怒らないでくれ。怒らせたいわけではないんだ。ただルナは普通に呼んでも来られないだろうと思ってこの手段を使わせてもらった」
「そうですか……」
(そんなことはないけれど、お兄様が言うのであればそうなのかもしれない。お兄様の言うことはいつも正しいから。ただお兄様みたいに頭がいいわけではない私にはわからないだけ。)
だからきっと今回もそうなのだ、ルナはそう自分に言い聞かせた。
「ところでルナ、今日は泊っていくよな?」
泊っていくことが当たり前のように聞く兄の言葉にルナは少し戸惑った。本心を言えば泊っていきたかった。けれどルナは出かける際にルーカスにはお見舞いに行くとだけしか伝えていなかった。
ここにいても何か役に立てるわけではなく、風邪をひいていたと思っていたカーティスは見る限りどこにも変わりはない。それに本人だってあれは嘘だとはっきりと言っていた。
ここにあまり長居しては悪いだろう。カーティスにも、そしてルーカスにも。
帰ろうと思ったルナはふと窓の外に目を向けた。すると窓の外には一面の闇が広がっていた。
「え?」
ルナがランドール家の屋敷についてからそんなに時間は経っていない。着いた時は確かに青く澄み渡っていた空が、この短時間で夕焼けを飛ばして漆黒に染まっていた。それが不思議でルナは窓から目を離すことはできなかった。
「ルナ?」
いきなり窓とルナの間にはカーティスの顔が広がった。しかし、いきなり目の前に現れたカーティスの顔よりも外の様子が気になった。
「お、お兄様」
「どうかしたか?」
「いえ……。あの、もう外も暗くなってきましたし泊めていただこうかなと」
焦るルナをいぶかし気に見ているカーティスに、なぜ外はこんなにも暗いのかなんてことは恥ずかしくて聞けるはずもなかった。
それにただ平坦の道であれば多少暗くとも問題はないが、ランドール家に来るまでには古い橋を通らなくてはならない。遠くを見渡せないこの闇の広がった状況で、今から帰るのはさすがに危険である。
「ああ、もちろんだ。歓迎する」
カーティスは嬉しそうな顔をして、ルナの手を柔らかく包み込むようににぎった。
「では、御者に伝えてきますわ」
「ああ、彼ならすでに帰した」
「え?」
「帰りはうちのものが送ると伝えておいた」
「そうなのですか」
(お兄様はずっと私と一緒にいたはずなのにいつの間に御者に伝えたのであろうか。)
ルナはそのことを少し疑問に思いつつも、御者に迷惑をかけていないのならば……という結論に至った。それでもせめて泊まることになったのだとルーカスに連絡しようと思った。
連絡をしたいといえばカーティスが使用人を使いに出してくれるだろう――と。
その時、ふとルナの頭にはお茶会の帰りに見た光景がよぎった。
きらきらと光の反射するガラスに包まれながら幸せそうに微笑む二人の顔。
(……一日くらい私が屋敷に戻らなくてもきっとルーカス様は気にしないのであろう。)
ルナはここ数日、あの時のことが気になってしまってあまり休めていなかった。本当はあまり帰りたくなかった。できることならばルーカスと少し距離をとりたいと思っていた。ルナは心の底では暗くなってしまって危ないから帰れないのだという口実ができたことにほっとしつつカーティスの好意に甘えることにした。
「ルナ、何か食べたいものはあるか? ルナの好きなものを作らせる」
「え、でも……」
もうすっかり日は落ちている。一回に食べる量がルーカスの3倍近くは食べるカーティスのご飯を毎食作っているランドール家のシェフにとってはルナの一食分など増えたうちには入らないだろう。しかし、さすがにこの時間ではご飯を作り始めているか完成しているであろうメニューを今から変えてもらうのは忍びない。
「ルナ?」
「えっと、久々のランドール家での食事ですから何が出てくるか楽しみです」
「そうか」
そうは言ったものの、食事の場にあったものはルナの好物ばかりだった。気を使わせてしまってなんだか申し訳ないと思う反面で、嫁いでいった自分の好みをシェフは今でも覚えていてくれていることが、ランドール家には自分の居場所があるのだと言われているような気がして胸の奥が温かくなるのを感じた。
「それじゃあ行ってくる」
「いってらっしゃいませ、ルーカス様」
カバンを手渡し、そして深々と頭を下げる女とそれを当然のように受け取る男。二人はれっきとした夫婦である。
とある国ではそれは立派な夫婦の形として認められることもあったが、この国では違った。夫を見送ることはあっても、妻が夫の荷物を持つことなどない。特に彼らのような貴族であるならなおのことだ。なぜならそれは使用人の仕事だからだ。そんなことを、使用人の代わりにやらせるとはなんとも不思議な光景である。実際、この家の使用人達もそれを止めようと思ったことは一度や二度のことではない。けれどそれを実行することは出来なかった。
なぜならその行動はこの屋敷の当主であるルーカスが決めたことだからだ。
ルーカス=クロードとルナ=クロードはれっきとした夫婦ではある。だがこの光景を見ればわかる通り、他の夫婦とは少し違った。
夫婦であるはずの彼らはそれぞれが別の寝室を使っている。ルナとルーカスが同じベッドで寝たことは一度もない。それどころかルナがルーカスの寝室に足を踏み入れたことは一度もなかった。
初夜の日ですら、ルナはルーカスの部屋から少し離れた位置にある与えられた自室で朝になるのをベッドで一人待ちながら、窓からこぼれてくる光を感じていた。翌日の朝、ルーカスのいつも通りの筋肉が凝り固まった、頬の筋肉さえも動かない顔を見て使用人たちは何もなかったのだということを理解した。ルナの顔もルーカスと同じように、とはいかなくても固まっていて。そんな二人を使用人たちは何も言えずただ見ていることしかできなかったのだ。
ルナは毎日決まった時刻になるとルーカスの部屋の戸を叩く。毎日きっかり同じ時間、時計の針が180度開いた時に起こしにくるように夫であるルーカスから言われているからだ。ルナはルーカスの指示に従い、指定された時刻の数分前に部屋の前に待機し、言われた通りの時間になったときに戸を叩くようにしている。
「おはようございます」
ルナはドアを三回叩いた後に朝の挨拶をする。すると、すぐに「ああ」という声が部屋の中から聞こえてくる。そしてしばらくしてルーカスは部屋から出てくる。わずか数分にも満たない間に。そう、ルーカスはルナが起こしに行くころにはすでに起きていて、着替えまで完璧に済ませているのだ。でなければ、わずか数分で出てこられるわけがない。女性よりも準備に手間を取らないとはいえ、男性もこんなに早く準備ができるわけがない。そんなことは歳の少し離れた兄のいるルナにはわかっていた。
それでもルーカスはルナにこの役目を課した。
ルナはそれがなぜなのかわからなかったが、ルーカスに指示されたことをこなす。毎日、決められた時間に。
「おはようございます。ルーカス様」
部屋から出てきたルーカスに一礼し、ルナは彼の後について歩く。角を曲がる度にルナがついてきているか確認するルーカスに、彼女は申し訳なさを感じて彼の歩調に合わせる。デビュタントを迎えたばかりの少女と同じかそれよりも小柄なルナと、屈強な門番達と体つきは違えども同じくらいの背丈のルーカスでは歩幅に2倍ほどの差がある。それをなんとかついていこうとルナは必死で足を動かした。
シェフによって用意された朝食の席に着くころにはルナの額にはうっすらと汗が浮かんでいた。その姿をルーカスは一瞥して声をかけることもなく、すぐに視線を戻して席に着く。まるで機械のようにほとんど同じ時間に食事を終える彼は、起きた時間から時計の長い方の針が少し進んだ頃に決まって席を立つ。
それはルーカスが屋敷を出発することの合図だ。
ルナはすでに準備してあるルーカスの荷物を持って、玄関へ先ほどと同じように早足で向かう。
そして夕刻になればルーカスは勤め先の城からこれまた同じ時間に帰宅をし、そしてルナに荷物を預ける。ルーカスが決まった時間に帰宅しなかったことは、ルナと結婚してから片手の指で数えられるほどの回数しかない。
そして、そんなルーカスを出迎えるためにルナは毎日決まった時間に玄関へ向かうのだ。
こんな傍から見れば不思議な夫婦関係にルナは満足していた。
ルナはルーカスと共にいられるだけで満足なのだ。それどころかこれ以上望むことなどしてはいけないと考えていた。
2.
ルーカス=クロードは数か月ほど前まではルナの姉、エル=ランドールの婚約者であった。そんな彼にルナは恋をしていた。
数年前にランドール家で行われた食事会、そこでルナは初めてルーカスと顔を合わせた。それは食事会というにはささやかなもので、エルの誕生日を祝うためにランドール家を訪れたルーカスが、ルナの家族と席を囲んだ、いつもよりも少し豪勢な食事。
いつも通りに用意された席に座るルナの目線の前にはルーカスがいた。少し居づらそうにするルーカスは離れていてもわかるほどに、整った顔立ちをしていた。ルナはそんな彼の容姿に目を奪われた。
第一印象は、怖いけれどなぜか惹かれてしまう人。ルーカスの顔のパーツはあまりにも整いすぎていた。あまりに綺麗であるがためにルナはルーカスの顔に違和感、そして少しの恐れを覚えた。人間には見えなかった。まるでよくできた、王都に何軒かある機械人形を扱っている店のきらきらと光るショーケースの中に行儀よく座っている機械人形がそこにいるような気さえした。それでも惹かれてしまうのはなぜか幼いルナにはよくわからなかった。けれども、人形のように思える、恐れを抱くルーカスにルナは何度も話しかけた。怯えを隠すことさえできずに身体をカタカタと震わせて、それでも目だけはしっかりと見つめて話しかける。そんなルナを上から見下ろしながらルーカスは顔色一つ変えず、次々と出てくるルナの疑問を解消していった。一つ一つ解決していく疑問をルナは新たに知識として取り入れて行った。
ルーカスの知識量は、同じ年の子どもの平均をはるかに超えるほどで、ルナの父が治める領土で一番の知識人と言われる、耳の遠くなってしまったおじいさんを超えるほどであった。ルーカスは今まで蓄積した記憶を脳内で検索するように考え、話す。まるで、昨日の夕飯を思い出すかのように容易に、淡々と。そして彼は一度体験したことは二度目からは失敗せずにこなすことができた。一度聞いたことは絶対に忘れなかった。ルナが同じ質問をすれば、ルーカスは前よりもわかりやすくそのことについて説明をした。
ルナはルーカスのあまりにも完璧にこなすその姿が、自分と同じ生物とは思えなかった。それでもルナはルーカスがランドール家を訪れるたびに近くに行っては話しかけた。ルーカスが解決してくれるであろうたくさんの新たな疑問を持って。
何度も誕生日を迎えるうちにルーカスへの恐怖は薄れ、興味が大きくなった。そして何度目かの誕生日を迎え、何日かたってその感情が『興味』以外の名前を持つことを理解した。
『恋』
性別が違い、ましてや歳だって離れていて、知識だってルーカスの足元ほどしかないようなそんな子どもに呆れもせずに一緒にいてくれる。そんなルーカスをいつの間にかルナは好きになっていたのだ。確かに胸の中にある感情の名前を知ってもルナはその思いをルーカスに告げることはできなかった。
ルナにとってルーカスは自分よりもずっと優れた人物であり、かけ離れた存在であった。そんな彼が自分に構ってくれるのは姉の婚約者で、彼は姉を愛しているからこそ自分に構ってくれているのだ。そう胸の奥で自分の想いを隠していなければ、ルナは自分が悪い子になってしまいそうな気がしていたのだ。だからこそ、ルーカスがランドール家の屋敷を去った後、決まってルナは暗い部屋の中で何度も何度も同じ言葉を頭の中で繰り返した。
(ルーカス様が我が家を訪れるのはお姉様に会うため。私にかまってくれるのは、お姉様が私を大事に思ってくれているから。)
何度も何度も耳をふさいで、他の音なんて入らないようにして。聞こえるのは頭の中で繰り返されるルナ自身の言葉だけ。ルナを大切に思ってくれているエルを裏切りたくはないという思いで、彼女はルーカスへの思いに蓋をした。
それからルーカスがランドール家の屋敷を訪れればルナは自室にこもるようになった。そしてある時期からエルに定期的に送られてくるようになったルーカスからの手紙を隠してしまいたいと思った時は、また耳をふさいで頭の中であの言葉を繰り返した。
いつかはこの熱も冷めるだろうと何度もルナは頭を冷やした。それでもルナの頭は冷えることはなかった。
カーテンの隙間から見える大きな背中が離れていた分だけ恋しくなった。
見ないようにと離れたはずなのに、視線の片隅に入る度に無意識に目で追って、ルーカスがエルに笑いかけるたびに、ルナはそこにいたいと願ってしまった。
自分が姉で、エル=ランドールであれば……、と。
ルナはルーカスを愛してしまった。手に入れたいと思ってしまった。隣にいたいと願ってしまった。その気持ちは何年経っても確かにルナの心の中にあって、ルナはかなうことのない恋だと、エルに対しての裏切りだと、諦めようとしていた。
そんなルナにある日一通の手紙が届いた。それはランドール家に送られた、ルナあての王家主催のお茶会の招待状だった。
普段であればこのような公の、それも王家が主催の規模の大きい会はどんなに遅くとも1週間以上前までには届くはずの手紙であった。それがなぜかこの時は開催する日付の2日前に届くというのは異例のことだった。しかし、数日前からルナは高熱を出し寝込んでいた。医師によれば到底お茶会などに参加できるような体ではないという。だが王家からの公式の誘いをどうしても断るわけにはいかなかった。そしてランドール家はルナの代役として姉のエルを出席させることにした。
公にはされてはいなかったが、今回のお茶会は体の弱い第4王子の婚約者を探すためのお茶会であった。そのため婚約者がいない貴族の令嬢を中心に手紙は送られていた。
だから婚約者がいて地位もそれほど高くはない姉のエルの元には招待状が送られてくることはなく、婚約者がいない妹のルナにだけ招待状は送られてきたのだ。
そうとは知らず、ランドール家はエルに出席させた。
そこでエルと第4王子、マイク=ベネットは恋に落ちることは知らずに。
マイクは第4王子で王位継承権が低いこと、また彼の身体が弱いことから政権争いには遠い存在とみなされていた。それでもせめて妻を娶るべきだという家臣たちの強い意見により、お茶会が開かれた。だから家臣たちはエルとの婚姻を熱望するマイクを止めることはできなかった。そして伯爵家という王族とは程遠い爵位を持ちながらエル=ランドールはマイク=ベネットと婚約をした。
その時、わずか半年後に結婚式を挙げる予定が迫っていたルーカスとの婚約を破棄して……。
3.
ルーカスはエルのことを愛している――それはルーカスに長い間恋い焦がれていたルナは嫌というほどにわかっていた。
初めはほとんど変わらなかった表情がここ数年で和らいでいた。
特にこの1年、ルナと話すときは若干こわばっている顔もエルと話すときは優しい表情をしていたのを彼女は間近で見ていたのだ。
ある日は隣で、またある日は遠くから話しかけることもできずにただ眺めて。
ルーカスは宰相という仕事柄、王族である王子とその妻となるエルの結婚式には参加しなければならなかった。だがその結婚式でルナがルーカスの姿を見かけることはなかった。たとえ相手が王子だとしても、それが宰相という役を持つ者の仕事の一環だとしても、愛している人が他人に取られるところなど見たくもなかったのだろう。ルナは自分が姉ではないことをひどく悔しく思った。
(私がお姉様だったらルーカス様を手に入れることが出来たのに。私だったら愛してくれるこの人をこんなに傷つけはしないのに……。)
唇を噛み締めて悔しがったところでルナはルナ。エルではない。そんなことはこの数年で身に染みるほどにわかっていた。わかっていたからこそ、彼女は行動を起こした。
仕事熱心なルーカスならきっとこんな日も仕事をしているのだろうと思い、ルーカスの仕事部屋、宰相室にルナは単身で乗り込んだ。いきなり訪れたルナに目を丸くするルーカスに彼女は大きく息を吸い込んでから、自分の意見を述べた。
「ルーカス様、姉の代わりに私と結婚してはいただけないでしょうか。長女ではありませんが、私もれっきとしたランドール家の娘。当家とのつながりならば私と結婚したとしても得られます」
ルーカスが欲しいのはランドール家とのつながりではないことぐらいルナもよくわかっていた。それでも彼女にはルーカスを手に入れるための、これ以上の言葉は思いつかなかった。けれどルナの必死で紡いだこの言葉は一本の細い糸のようなものでしかない。
「しかし……」
「ルーカス様がランドール家とのつながりを得たいのと同様に当家もあなたとのつながりが欲しいのです」
細い、細い糸。今にも切れてしまいそうで、それでも途切れないように必死で紡ぎ続ける。
ランドール家がルーカスとのつながりを手放したくないのは本当のことだ。だがルーカス本人とのつながりを欲しているのはルナである。彼女はそれがいけないことだと分かっていても、嘘と本当を織り交ぜて、震える手でその糸を紡ぎ続けるしかないのだ。
「……」
「お考えになっていただけないでしょうか」
ルナの口から出たのは落ち着いて見えるよう取り繕った言葉。それはあたかもルーカスにも利益があるかのような言い方であった。
宰相になる前ならまだしも、すでに宰相の座を手にしたルーカスにとってランドール家のようなただの伯爵家とのつながりがそこまで大切なものとは思えなかった。
(結婚する相手がルーカスの愛しているお姉様ならそれは大切なものではあるが、私はお姉様ではない)
こんな短時間で紡いで出た言葉、そんなのすぐに切られてしまうに決まっている。この数年、無謀にも思い続けたルナの思いと共に。
(いっそのこと切ってくれればいいのに。)
無意識に震える手には力が入ってしまう。今回の婚約破棄はランドール家からの一方的なもので、ルーカスには何の落ち度もなかった。婚約関係だってここ数年で良好な状態を築いていた。今回のお茶会さえなければ、数か月後に迫っていた結婚式でルーカスの隣に立っていたのは間違いなくエルだ。それに現宰相のルーカスならば、公爵家の令嬢と結婚することもできるだろう。相手はよりどりみどり、選びたい放題だ。賢いルーカスならきっと愛した女とは結婚できない代わりに強力な後ろ盾を手にすることが出来るだろう。
それは貴族の、政治の中ではとても大切なものであることは政治には詳しくないルナでもわかるようなことだった。その方が自分なんかと結婚するよりよっぽどいいということも。
だから、ルナは自分で言ったことではあるが断られると思った。それが当たり前だと。
「…………わかった。互いの家のためにあなたと結婚しよう」
けれどしばらく続いた沈黙を破ったルーカスはまるで何かの契約をしたかのようにルナの提案をひどく淡白な声で承諾した。
(宰相のルーカス様ならば私と結婚したとしてもあまり利益がないことなんてわかっているだろう。それでもルーカスは結婚を承諾してくれた。全ては当家とのつながり、お姉様とのつながりが欲しいために……。)
「ありがとうございます」
だからルナも感情を表に出さず、平坦に、答えた。
心の中は泣きたいような、喜びたいような、いろんな気持ちが交錯していたがそんな感情は全て押し込めて深く頭を下げた――目の前のルーカスと、ここにはいない、愛した人と幸せになっていくエルに向けて。
そこから、半年が経ってルナはルーカスと結婚をした。
ルーカスが身に纏うのはエルとの結婚式に着る予定だった真っ白いタキシード。そしてルナは彼のタキシードにあったデザインの、本来ならばエルが着る予定だったものを、急遽サイズの合うように手直しをしたウエディングドレスを身に纏って式を挙げた。
そしてルナは姉の、エル=ランドールの代替品としてルーカスの妻、ルナ=クロードになった。
☆1.ルーカスside
ルナと別れ、馬車に乗ったルーカスに襲い来るのはいつだって自己嫌悪だ。
ルナはよく出来た妻である。
毎朝言いつけ通りの時刻にルーカスを起こし、一緒にご飯を食べ、出勤を見送って、帰宅した際には出迎えてくれる。寝室は別で初夜は一緒に迎えることは出来なかったが、それでも同じ屋根の下で夫婦として暮らしてくれている。
それだけでも十分幸せだ。いや、正確には幸せだったと言うべきか。
ルーカスはそれ以上を望んでいるのだ。
なんと欲深いことだろうと思いつつも、手を伸ばしたいという気持ちは日に日に大きくなっていく。
ルーカスは当初、ルナの姉、エルと結婚する予定だった。貴族によくある政略結婚というものだ。それ自体には文句はなかった。
けれどルーカスにもエルにも他に好きな人がいた。
ルーカスはルナを、エルは第4王子のことを愛していたのだ。だがルーカスとルナ、エルと王子との関係とは明確に違うところがある。それはエルと王子は愛し合っているということだ。
だからルーカスはエルと王子達と話し合ってとある計画を立てた。
ルーカスとエルが婚約破棄をして、エルと王子が結ばれる計画を。
ルーカスはエルたちの計画を手助けする代わりに、ルナを手に入れるための計画をエルに協力してもらうことで話はまとまった。
まず初めに、エルと王子が結ばれるための計画を実行した。
重役が多くいる場で、宰相であるルーカスが王子に将来の相手探しをしてみてはいかがですかと助言をする。病弱でずっと相手がいなかった王子が将来の相手を探すとなれば誰もが反対などしないことは想像に容易い。何せ誰もが自分の娘を妻に、と王子妃の座を狙っているのだ。周りの貴族達にも背中を押される形となり、その助言を受け入れた王子がお茶会を開くことを宣言する。
そして王子は婚約者がいないご令嬢あてにお茶会の招待状を送った。
もちろん、ルナにも。
この時、ルナは高熱を出していてお茶会に出席できないということはエルからの情報で把握していた。彼女がお茶会に来られないと知っていてわざと招待状を送った。王家からの招待を無下にはできないから代役が立てられるであろうことと、その代役がルナの姉であるエルであることを知っていたからだ。
お茶会の日、エルと王子は誰から見ても幸せそうだっただろう。
そしてお茶会が終わった後、王子は王様に告げた。
あの少女を妻にしたいと。
エルが私の婚約者であることを知っている王様は何度も考え直すように言った。だが、王子は諦めずに何度も王様に頼み込み、やっとエルを手に入れることができた。
――それも全部、3人の計画通りだった。
「遅くなってごめん」
「本当にギリギリだったわ。あと少し遅かったら、私とルーカスが結婚しちゃうところだったじゃない」
「改めて言うよ。エル、僕と結婚してください」
「よろこんで」
エルも王子もとても幸せそうだった。
「二人ともお幸せに」
「お幸せに、じゃないだろ。次はルーカス、君の番だよ」
「そうよ。ルナのこと手に入れるんでしょ?」
「そのつもりです」
こうして2人の成功を見届けた後、ルーカスはルナを手に入れる計画を実行した。それは計画というほど立派なものではない。エルの結婚式の後に、エルに協力してもらってルナに会う。
そのあとは全てアドリブだ。
ルーカスにとって、どの国と交渉することよりもルナを手に入れることのほうが難しいことだ。緊張しすぎてエルの結婚式に出ることさえ忘れていた。だがわざわざ足を運ばずともあの2人が幸せになることなんて目に見えている。確認する必要さえもないのだ。
一度、城内へと戻ってきたエルはそんなルーカスに呆れたような視線を寄越す。
「あんた本当に昔からルナのことになると全然だめね」
「惚れた女の前じゃ男なんてこんなもんだよ」
「そうかしら」
「そうだよ。ルーカス、頑張ってくるんだよ」
「はい、行ってまいります」
2人なりの激励を受け、ルーカスは式場の端の方で1人たたずむルナの姿を捉えた。イメージトレーニングは何度も繰り返した。後は上手くやるだけだ。拳を握りしめ、己を鼓舞して彼女の元へと一歩踏み出す。するとルナ方からルーカスの方へと歩み寄ってくる。これは想定外だったが、伝える言葉に変わりはない。まっすぐと彼女を見据え、言葉を待つ。するとルナの口から発されたその言葉は想像していたどれとも違う言葉だった。
「ルーカス様、姉の代わりに私と結婚してはいただけないでしょうか。長女ではありませんが、私もれっきとしたランドール家の娘。当家とのつながりならば私と結婚したとしても得られます」
ルーカスはひどく混乱した。
それではルナの思いはどうなるのだろう――と。
「しかし……」
「ルーカス様がランドール家とのつながりを得たいのと同様に当家もあなたとのつながりが欲しいのです」
彼女は家のために自分を犠牲にするというのか。
「……」
「お考えになっていただけないでしょうか」
その言葉にようやく彼女はランドール家のために自分を捨てるというのだと理解してしまった。
彼女の思いはそこにはない。
ルーカスと結婚したいのではなく、家のためにつながりが欲しいのだという。
それに頷いてしまえば、虚しくなってしまうことくらい分かっていた。
「わかりました。互いの家のためにあなたと結婚しましょう」
分かっていても、ルーカスはルナの考えを利用した。
彼女を手に入れるための方法を、それ以外思いつかなかったのだ。
そこから半年が経ってルーカスとルナは結婚した。
ルーカスはルナと結婚することを考えて選んだタキシードを、ルナはエルが彼女に似合うようにと選んでいたウエディングドレスを身にまとい結婚式を挙げた。
もしあの時に戻れると言われたら、ルーカスは力強く首を縦に振るだろう。
そしてルナが口を開くよりも早く己の想いを全て打ち明ける。
どんなに恥ずかしくとも、一年以上馬車の中で、そして1人寂しくベッドの中であの日のことを後悔し続けるよりもずっとマシである。
今日だって結婚記念日であることは分かっていて、さらに言えば王子とエルから結婚記念日くらいは早く帰れと釘を刺されていたのにも関わらず、こうしていつもの時刻に着くように馬車を走らせている。
ルーカスは自分だけはしゃいで、身代わりとしてやってきたルナに迷惑をかけてしまうのではないかと、拒絶されるのではないかと怖くてたまらないのだ。
4.
最近、エルはせわしなく動き回っている。
王子と結婚してからというもの以前のように気軽には会えないが、それでも今までなら2~3日に一度くらいは会えた。けれど今はいつルナが彼女の元を訪れてもどこか忙しそうで、話をしていても心ここに在らずと言わんばかりに空を見つめていることが度々あった。そんな姉の姿を見る度に、いつか身体を壊してしまわないかとルナは心配でたまらなくなった。なにせルナの父グレン、母エルナはともに病気で亡くなっているのだ。その影響かルナの兄カーティスも姉のエルも、ルナのことをよく心配するが、二人とも自分のことにはあまり関心がなかった。
先日風邪で倒れたカーティスも倒れる寸前まで仕事をしていたと聞いた時、エルは呆れて兄をベッドに押し込んでいた。そして無茶はするなと叱ったらしいが、今度ベッドに入るのはエルになるのではないかとルナは心配でたまらなかった。
風邪で倒れてもなお仕事を続けようとしたカーティス同様、休んでほしいなんて言ってもエルはきっと休みはしないだろう。『心配しないで』といつも通り、ルナに優しい笑顔を見せるだけ。だから、ルナはチェリータルトを焼いた。チェリータルトはエルが大好きなお菓子だ。特にルナの焼いたチェリータルトがお気に入りで、彼女の前にタルトを出せば必ず『ルナの作るチェリータルトは国で一番だわ!』と褒めてくれるのだ。
だからルナはタルトを姉の元に持っていって、一緒にお茶をしようと考えた。忙しいのかもしれないが、それでも少しでも休むキッカケになれば……と。
そして、ルナは以前エルにもらったお気に入りの籠に焼きたてのチェリータルトを入れて城へ向かった。
「ルナ様、こんにちは」
「こんにちは、門番さん」
城には厳重な警備がある。出入りする人たちや持ち込まれていくもの、全て検査したうえで入城を許可されてやっと足を踏み入れることが出来る。それは城に不審物や不審者が入らないようにするための、この国だけではなく他の国の城でも行われているようなごく当たり前のことである。だがルナはいつも城の前にいる、大きな槍を背負った青年に馬車から顔をひょっこりと出して挨拶をすれば難なく通してもらうことが出来る。
それはルナが頻繁にエルの元を訪れ、何度も何度も門番と顔を合わせているうちに門番が彼女の顔を覚えてくれたからだった。
それでも持ち物の検査すら行われないため、一度ルナは彼に尋ねてみたことがある。
「検査、しなくてもいいのですか?」
すると門番は不思議そうに首をかしげてからおかしなことを言うものだと笑った。
「だってルナ様は危ないものなんて持ち込まないでしょう?」
あまりにもあっけらんかんと言い切るもので、思わずルナは目を丸く見開いて彼を凝視してしまった。すると彼は真面目な顔に切り替えて、こう付け足した。
「エル様が危ないものなどルナ様に持たせるわけがありませんから」
まるで当たり前のことだとでも言うように。
それからルナは他の人たちとは違い、アポイントなしでも城に出入りすることができるようになった。今回だって門番の青年はルナの顔を確認した後に腰につけている鍵で大きな門を開けた。そして門を開くと青年は鼻をヒクつかせて、少し止まってから口を開く。
「今日のお菓子はタルト、ですか?」
持ち物検査をしなくなってからというもの、ルナが城にお菓子を持ち込もうとすれば青年は毎回その日のお菓子を当てて見せる。それは厳重な検査を受けている他の人たちの隣を申し訳なさそうな顔で過ぎていくルナへの気遣いだった。少し変わっているその気遣いに初めは動じていたルナも、早く早くと答えを急かす青年の顔を何度も見ているうちにこのやり取りを楽しく感じるようになっていた。それに今のところ青年がルナの持ってきたお菓子を外したことなど一度もない。だからルナはこの記録がいつまで続くのか、お菓子を持って入るときの楽しみになっていた。
「ええ、今日はチェリータルトです。もしよろしかったら門番さんもおひとついかがですか?」
「え?」
ルナがいつも通りに答えを告げた後、籠から一つだけ個別に包んであるタルトを取り出して馬車の窓から差し出した。これはエルと一緒に食べるために作ったものとは別に作った、一人分くらいの大きさのもの。
「形はあんまりきれいじゃないですけど……」
シェフに聞いても作りたい大きさの型はなかった。だからルナが自分で成形したものである。だから形はお世辞にも綺麗、とは言いづらいものだった。けれど味には自信があった。エルとカーティス、それに使用人と身内びいきが入った意見ばかりではあるが好評であった。その上、ルナが今まで一番多く焼いたお菓子でもある。だからこそこうしていつもお世話になっている青年に渡そうと思ったのだ。
「……いいんですか?」
「お嫌いじゃなかったら、もらってくれると、嬉しいのですが……」
エルへお菓子を持っていくたびに当ててしまう青年はきっと甘いものが好きなのだろう。だからいつか渡せるタイミングがあれば、お礼はお菓子でと決めていた。優しい彼ならきっと受け取ってくれると分かっていても、緊張はするものだ。無事受け取ってもらえたことにルナはホッとして肩の力が抜けるのを感じた。思えば家族以外に贈り物をするのは初めてのことだ。
「うれ、し、い……です」
門番は鍵を持つのと違う手で顔を半分覆って、今にもこぼれそうな涙をこらえているようだった。そんな彼の姿に、ルナは喜んでもらえて良かったわと思いつつも、1つだけ欲張りな言葉を漏らす。
「あの……もし。もし、迷惑じゃなかったらまた今度もお菓子、差し入れてもいいですか?」
「!? もちろんです!」
青年が大きな声を出すと隣で控えていた門番は肩をビクッと揺らし目を大きく見開いて青年とルナのいる方を見た。きっと青年がこんなに大きな声を出すことなどまれなのだろう。ルナの中で嬉しさはますます膨らんでいく。
「何かお好きなはありますか?」
「あなたの作るものならなんだって嬉しいです。それを意見するなんて……」
「渡すなら喜んでもらえるものを渡したいのです」
少しだけ意地悪に言えば青年は恥ずかしそうに、小さな声で呟くように言った。
「では……ハニークッキーを」
「ハニークッキー……ですか」
「はい。幼いころはよく作ってもらってて……今でも好物なんです」
青年は頬をポリポリと掻きながら昔を懐かしむようにしては、少しだけ寂しそうな表情を見せた。ルナはそんな青年の姿を見て、今度来るときは彼に美味しいと言ってもらえるような、喜んでもらえるようなクッキーを作ってこようと心に決めたのだった。
「エル様の元へ行くのですよね? 少しお待ちいただけますか? 誰か呼んできますので」
青年は手のひらで目を何度かこすってから案内役を探すためにルナの前を去ろうとした。だがルナが周りを見渡すとみんな忙しそうで、頼めるような雰囲気ではなかった。
そんな光景にルナは連絡もなくエルに会いに来てしまったことを少し申し訳なくなった。お姉様はいつでもと言ってくれてはいるものの、忙しいときくらいは遠慮すべきだった、と。そして彼女は立ち去ろうとする青年のコートの裾を少しだけ引っ張って足を止めさせた。
「いいですよ。道順なら覚えていますから」
「ですが……」
「お姉様を驚かせたいの」
ルナはタルトの入った籠を青年に見えるように掲げた。
「そうですか……」
別にルナだってエルを驚かせたいわけではない。けれど自分が来ると知ったら気を使ってしまうだろう。休んでほしくて訪れたというのに、そんなことになったら本末転倒だ。青年にも言った通り、ルナは何度も訪れたエルの部屋への道順は頭に入っていた。他の部屋に行くとなると少し怪しいところもあるが、寄り道をする予定はない。となれば忙しい彼らの仕事を邪魔してまで案内を頼むこともない。大丈夫だから、と後押しすれば青年はそうですか……と頷いてくれる。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってきます」
青年にぺこりとお辞儀をしてルナの乗る、クロード家の馬車は城へ入っていった。彼はルナが去った後もその車体が見えなくなるまでずっと見送ったのだった。
5.
エルの部屋は3階の突き当りにある、夫である第4王子、マイク=ベネットの部屋の隣に位置している。彼らの部屋に限らず、王家にかかわる人間の部屋までたどり着くまでにとても時間がかかる。それは不審者が王家のもののところまで侵入するまでの時間を稼ぐためである。
実際に城に足を踏み入れてからエルの部屋に着くまで、門番達のような成人男性でさえ10分以上はかかる。彼らよりもだいぶ背の低いルナならなおさら長い時間歩き続けなければならない。
ちなみに1階から2階まで行くための階段と、2階から3階まで行くための階段はつながってない。これも時間稼ぎの一環なのだ、と以前城を訪れた際に青年がルナに教えてくれた。いつもは案内役に気を使わせまいと必死で足を動かしていたルナの歩調に合わせゆっくりと歩きながら。
ルナは青年の言葉を思い出しながら3階に続く階段のある場所に向かって歩く。確か3階に上がるための階段はこの角を曲がったところにあるはずだ。もう少しでお姉様の部屋にたどり着ける、とそう思った時だった。
いつもならこの時間は誰も居ないはずの奥の方、ちょうどルナが目指していた階段のあたりから聞きなれない男の声が聞こえた。
「…………す」
盗み聞きなんてはしたない。そう思ってこの場を去ろうとしても、今までルナの歩いてきた廊下はずっと直線の続く道。ルナがこの道に入ってからすでに結構な時間が経過している。男の話声が聞こえないところまで引き返すのは少し難しかった。それにこの廊下は反響を邪魔するようなものはほとんどない。そのせいか男の声ははっきりと彼女の耳に声が響いた。
「ルーカス様、この前の夜会でご令嬢方に言い寄られていたらしいですよ。結婚しても全く減らないどころか増えているんですからさすがですよね」
「まあ、相手が氷の姫なら勝ち目はなくとも死に神なら勝てると思ったんでしょう」
氷の姫? 死に神? なんのこと?
男達の言葉にルナの頭ではいくつものハテナマークが浮かび上がる。盗み聞くつもりはなかったルナの耳には自然とその続きの会話も入ってきてしまう。
「氷の姫は言葉こそきついがマイク様が見惚れるほどの美女。それに引き換え、死に神なんて気持ちが悪いだけじゃないですか。あの銀色の髪に銀色の目。なんでも見た者の魂を抜き取るのだとか……」
「ああ、おっかない。いくらあの氷の姫の妹とはいえあんなやつで妥協することなんかなかっただろうに」
「噂ではランドール家の前当主との約束があったから仕方なく結婚したのだとか……。それさえなければ今頃他のご令嬢と結婚されているでしょうね」
「だからって死に神なんかを……な」
「一度結婚したのですから離縁してしまえばいいのに」
「あの方はお優しいからできないのだろう」
「ああ」
銀色の髪――それはルナの自慢の髪。
ルナは見慣れた自分の髪を一房とってみた。長く腰まで垂れる髪はルナが支えることをやめれば重力に逆らうことなく手からするりと落ちて行った。
銀色の目――それはルナの自慢の瞳。
鏡を通さなければ自分で見ることはできない。けれども、それはルナが人に自慢できるもの。
髪の色も目の色もエルやカーティス、そして父のグレンとさえ違う色を持つルナが『みんなと同じ色がいい』と泣いていた時にグレンはそっとルナを抱き寄せて教えてくれた。
「この髪の色も目の色もお前の母様と同じ色なのだ。だから泣くことなんてない」――と。
幼いころに母を亡くしたルナは母の面影すら覚えてはいなかった。それでも『母様と同じ色』というグレンの言葉に胸のあたりが温かくなったことを今でも覚えていた。
ルナにとって銀色の瞳も髪も母からもらった大切な宝物である。例え姉のように綺麗でなくとも、兄のように賢くなくとも、それが、それだけが彼女の自慢だった。
ルナは長い間ずっと兄や姉とは違うことに悩んでいた。
『家族』と胸を張れるものなど一つもないのだと。
『家族』の中で唯一違う容姿はルナの不安を増長させていた。だからこそ嬉しくなった。母と同じ色を持つ、ということが。自分も家族の一員であることが認められているようで。そんな『家族の証』ですら他人から蔑まれる要因で、ルナはやはり姉や兄とは違うのだと思い知らされた。
もしもあの時、ルナが結婚を申し出なければ顔の見えない男たちの言うようにルーカスはエルでも、ルナでもない、他の令嬢と婚姻を結んだのだろうか。
あの時、自分が彼を縛り付けてさえいなければ……。
ルナは目の前景色が段々と色が褪せていくような気がしてならなかった。
あの時自分の気持ちしか考えていなかった。全てはうまくいかないと思い込んでいたから。だからあんなたいそうなことが言えたのだ。だがそれのせいでルーカスの他の令嬢と結ばれるはずの未来を奪ったのだ――と。
それはあくまであったかもしれないという可能性の話で、ルナがあの時行動を起こさずともルーカスが彼女を諦めることはなかっただろう。だがルナはそのことを知らないのだ。なにせルーカスは愛おしくてたまらない妻に何も伝えられていないのだから。
だからルナは1年前の己の行動を責める。
ルーカスに、姉に迷惑をかけてしまった……と。崖から突き落とされたような、すがっていたはずの糸を切られたような、そんな気分に陥る。そして一度沈んだ気持ちは底へ底へと向かっていく。
ルナはこの場所に、エルとルーカスのいるこの城の敷地内に立っていることすら申し訳なくなった。そしてもしかしたらお姉様は私のことを避けているのかもしれないとさえ思うようになった。
そしてその原因は自分が邪魔な存在で、気持ちの悪い存在だからと結論づけるのだ。
もしもこの場にエルがいたのならば、彼女はすぐに愛する妹を胸に抱きかかえて愛しているわと何度も繰り返すことだろう。そんなこと、普段のルナならすぐに思い至るはずなのだ。けれどルナにはもうエルが自分のことを避けているのだとしか考えられなくなっていた。
それはルナが普段からエルへ劣等感を、そして罪悪感を抱いているからだった。
(お姉様は結婚して王家の方となったのに。私とはもう身分が違うのに今までのように接してしまったのは迷惑だったのかもしれない。)
ルナは言い訳じみた結論を頭の中で繰り返して踵を返す。相変わらず彼女の耳には男たちの会話が入ってきていたがもう理解するだけの頭が回らなかった。ただルナの頭には『この場を去る』という無意識の中で出した命令しか届かなかった。
ルナが床を見つめながら数歩歩くと、ルナのほうへと歩いてきていた一人の男性とぶつかってしまった。その衝撃からルナははっとなり、前を向いた。
「ご、ごめんなさい」
「いえいえ。ってルナ?」
「お兄様!?」
急いで謝ると上から落ちてきた声は兄、カーティスのものだった。その声に安心したのもつかの間、今までは届かなかったルナの耳に先ほどから絶えず続く男たちの会話が流れ込んできた。そして兄にも彼らの話が聞こえてしまっているかもしれないという恐怖が彼女を襲った。
「えっと、あの……」
ルナはカーティスの意識を何とかそらすために必死で言葉を紡ごうとした。けれどこんな時に限って、何を話せばいいのか全く頭に浮かんではこなかった。それでもカーティスには男たちの話を聞いてほしくはなかった。自分が悪く言われているのを聞いて、ランドール家が侮辱されていると思ってほしくはなかった。嫌わないでほしかった。彼には、彼にだけは嫌われたくなかった。
(ルーカス様やお姉様に嫌われているかもしれないのに、お兄様にも嫌われてしまったら私は……。)
ルナは目の前の大きな存在に縋りたいのだ。そうでなければ自分は壊れてしまいそうな気さえした。
「ルナ、今帰り? もしよかったら俺の馬車に乗っていかないか?」
「え……、はい」
ルナは少し迷って頷いた。エルのもとに行くつもりだった彼女だが、あんな話を聞いた後にエルのもとに行く勇気はなかった。もし拒絶されたらと思うと臆病な足はすくんでしまって、前に進むことなんて出来なかったのだ。
臆病者だと言われても、ルナは先ほどまでの目的地に背を向けて、カーティスの手にひかれながら歩いてきた道を戻るのだった。
そして気付けばランドール家の馬車の中にいた。自分がいつの間にあの長い道を歩いたのかなんて全く覚えてもいなかった。覚えているのは恐る恐るつかんだ手が強く握り返してくれたこと。ただそれだけだった。
「ルナ、その美味しそうな香りのするものは何?」
カーティスはずっと足元を見つめているルナの手を指さした。正確にはルナが大事そうに持っている、エルに食べてもらうはずだったタルトの入った籠を。
「えっと……」
何といえばいいのか。エルに渡せなかったもの、なんて言えるはずもなく代わりの言葉を考える。するとカーティスは籠の取っ手にぴったりとくっついたルナの指を丁寧に外し、籠を膝の上に乗せ、蓋を開いた。
「タルトだね。中身は?」
「チェリーです」
「お土産にもらったの?」
「いえ……」
「……そっか。もしかしてルナの手作り? もらってもいい?」
「ええ、もちろんですわ」
カーティスにはそれがエルに渡すはずだったものだということはバレていることだろう。そしてきっと先ほどの話だってキッチリと耳に入っている。それでも彼は何も言わずに籠からタルトを取り出してくれた。そして籠の中にフォークやナイフがないことを確認してまん丸いタルトにかぶりついた。籠の中にはボロボロと食べかすが落ちて行った。
それをただルナは眺めていた。
カーティスが全てを胃の中にしまい込むまでずっと。タルトが小さくなる度に兄の優しさを感じ、少しずつ安心してくるような気がしていたのだ。
その後のことをルナはあまり良く覚えていない。カーティスが家まで送っていってくれたのだろう。気付けばルナは自分の部屋にいた。
衣服をしまうための真っ白なクローゼット。睡眠をとるための、天井にはレースのあしらわれている、ルナ1人が寝るには大きすぎるベッド。そして身だしなみを整えるための白く縁どられた大きな鏡。ルナの部屋には必要なもの以外何もない。ほとんど色のないこの部屋で、色を持つのはエルからの贈り物ばかり。鏡台にしまってあるアクセサリーケースの中をうめる色も、クローゼットの中をうめるのも全部エルからの贈り物。
ルナの耳に光るイヤリングでさえもグレンからの贈り物に過ぎない。
自分の部屋を見回して、エルは自分の物には色がないことに気がついた。いつも過ごしている部屋なのに、自分で選んだもので埋め尽くされているはずのこの空間が何故かむなしくなってしまう。そして何もないこの部屋は自身を表しているような気がして、気がつけば瞳には涙が溜まっていた。けれどその涙はつうっと一筋だけ流れて、後は全て行き場を見つけられぬまま乾いてしまった。
ルナは今日もいつも通りにルーカスを出迎えて、食事を共にして、そしていつも通りの時間に部屋に戻ってくる。
この何もない部屋に。
ルーカスと一緒にいるときは満たされているような気分になれた。しかし、部屋に戻るとそうでないことをまざまざと見せつけられているような気がした。
自分は姉の代替品。
ルーカス様の望んでいる人ではないのだ――と。
6.
今日はカトラス家のご令嬢のお屋敷でお茶会が開かれる日だ。毎月決まった日に開かれるそのお茶会は、ルナが参加することを許されている数少ないお茶会の一つだった。ルナは決まったお茶会にしか参加が許されていないのだ。以前はグレンに、今ではルーカスからの許可を得たものだけだ。
ルナは今まではそれがなぜなのか分からなかった。エルは他のお茶会にも参加しているというのにルナだけが許されないのだから。長女のみ参加が許されるのかと一時期ルナは思ったこともあったがそうでないことはすでに理解していた。だから、ずっと疑問だった。
なぜルナは一部のお茶会を除いて参加することが許されないのかを。
理由なんて簡単だったのだ。答えは城を訪れた際に聞こえた声が教えてくれた。
そしてルナの胸には数年越しの答えがストンと落ちてくる。
『自分をあまり他人の目に触れさせたくなかったのだろう』――と。
カトラス家のお茶会は招待される人数が普通のお茶会に比べて少ない。お茶会は情報交換の場所としても用いられると聞くからある程度の人数がいることが普通なのだろう。しかし、カトラス家のお茶会に参加するのはルナともう一人、古くからランドール家との交流のあるシーランド家のご令嬢だけだ。3人だけのお茶会ならば人の目にもほとんど触れることはない。
カトラス家のご令嬢もシーランド家のご令嬢もルナにとても好意的に接してくれていた。それはなぜなのか、今までそんなことルナは疑問にさえ思わなかった。けれども今は何故か気になってばかりいる。目の前で交わされる会話を受け流しながらそれを気付かれまいと愛想笑いを浮かべながらそのことばかりを考える。
それは城での話を、自分が死に神と呼ばれているのだと知ってしまったからだ。
あの時カーティスはルナに何も言わなかった。それはルナが『死に神』と言われていることを知っていたからだろう。そしてきっと目の前にいる彼女たちだって知っているのだろう。
ルナが死に神と噂されていることを。
そう思うと、好意的な彼女たちにも裏があるのではないかと勘ぐってしまう。彼女たちに対してとても失礼なのは分かっている。
けれど今のルナは自分に価値が見出せないのだ。だからこそどんどん悪い方向に考えてしまう。
その感情が外に出てしまっていたのか、あるいはルナの愛想笑いに気付いたのか二人の令嬢は心配そうな顔でルナを見つめていた。
「ルナ様、どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありませんわ」
「そう……ですか。」
再び愛想笑いを浮かべると納得いかないといった顔をしながらも引き下がった。そしてすでに冷えてしまった紅茶の入ったカップに手を伸ばすと、カトラス家の令嬢はいいことを思い出したかのように花が咲いたような顔を浮かべた。
「ああ、そういえば知っていますか? 幸せを運ぶ花屋の噂」
「幸せを運ぶ花屋……ですか?」
言い方から察するに花を見ると幸せな気持ちになれるがそういう意味ではないのだろう。噂になるぐらいだから、普通の花屋とは違うはずだ。どういった店なのだろうか。もともと花に興味のあるルナは少しだけその花屋に興味を持った。ルナが顔をあげると彼女が興味を持ったことが嬉しかったのだろう、作戦が成功したとばかりに笑みを浮かべてからカトラス家の令嬢は少しだけ声を高くして話を続けた。
「ええ。DEARという名前の店なのだけど、その店は薔薇のみが売られていてその薔薇を贈られた女性は幸せになれるそうですわ」
DEAR――それは初めて聞く名前の店だった。
薔薇を贈られると幸せになれるなんて不思議な話である。
「ロマンチックですわね」
それだけを返せば、まだそれだけじゃ終わらないとばかりに声を低くして、顔を近づける。つられてルナとシーランド家の令嬢も聞き逃すまいと顔を寄せ、ティーテーブルの真ん中には小さな顔が三つ集まった。
「ただ、黄色い薔薇だけは例外らしいのです」
黄色い薔薇と聞いて、ルナの頭に浮かんだのは友人に贈るにふさわしい花かしらということだった。黄色い薔薇の花言葉といえば友情や友愛が一般的なのだ。ルナは昔グレンの書斎の下の方の段に並べてあった植物図鑑の絵を思い浮かべた。
「黄色い薔薇は別れたい相手に贈るのに用いられるそうです。この花を贈られて別れた方もいるそうですわ」
「え?」
別れたい……?
ルナは頭の中でカトラス家のご令嬢の言葉を繰り返して固まってしまった。
黄色い薔薇の花言葉――薄らぐ愛、別れよう
あまり一般的ではないが、この意味をとってのことだろう。
ルナの顔を見てカトラス家の令嬢はなんてことないように言葉を続ける。
「でも、黄色い薔薇以外を贈られれば幸せになれるとの噂ですわ」
「赤い薔薇、贈られてみたいですわ」
「あら、旦那様に頼んでみてはいかが?」
「そうね。頼んでみようかしら」
「ルナ様もルーカス様に頼んでみてはいかがかしら」
「いえ、私は……」
そうは言いつつも一度はもらってみたいと思う。けれどすぐにそう思う資格すらないというのに……と自分の気持ちを押し殺す。
贈られるとしたら黄色い薔薇だろう。だがきっと優しいルーカスなら頼めば赤い薔薇を買ってくれるのだろうとも思ってしまう。だがその赤い薔薇にはきっと気持ちはこもっていない。『買う』であって『贈る』ではないのだから。そんなものを貰ったところでむなしくなるだけだろう。
「そうよ。ルナ様は贈られなくても十分お幸せだわ」
「そうね」
俯くルナとは対照的に、2人のご令嬢はうふふふふと優雅に顔を見合わせて笑うのだった。
その後、少しお茶を楽しんでお茶会がお開きになった。ルナは迎えに来た馬車に乗りこみ、御者に告げる。
「町を見てから帰りたいの」
ルナがそう告げれば、感情がすぐ表に出てしまう御者は顔をしかめた。
「何か必要なものがございましたら、私に申し付けていただければ……」
「なんとなく町の風景を見たいだけなのだけれど……。駄目かしら?」
「……いえ。旦那様のお帰りになられる時間に間に合えば問題ありません」
なんとなくすぐには屋敷に帰りたくないのだ。御者だってルナがわがままさえ言わなければすぐにでも帰ってしまいたいだろう。随分考えてから返事をした後で彼は帽子を目深にかぶりなおして御者台に深く腰掛けると馬車を出した。
揺れる馬車の中から前にいる御者に心の中で『迷惑をかけてしまってごめんなさい』と詫びる。
けれどルナは普段屋敷からあまり出してもらえない。外出が許されるのはお茶会に参加するときと姉に会うために城へ行く時くらいなものだ。それも屋敷と屋敷、屋敷と城を往復するだけ。寄り道なんて許されない。だからこんな時、わがままを言った時くらいしか町を見る機会などない。
これも私の見た目のせいなのかしらと思えば仕方のないことなのだろうと納得できる。だがそれでもずっと屋敷にいるのは少し息苦しくなってしまうのだ。あの話を聞いた後だから今は余計に。
(時間が来たら大人しく帰るから、せめて今だけは。)
そんなことを願ったのが悪かったのだろう。大人しく、今まで通りに帰ればよかったのだ。
わがまま、なんて言わなければよかったのだ。
馬車の窓から見た景色。
そこにはエルが以前ルナに教えてくれたケーキ屋さん、針子屋さん――様々な店が並んでいた。その中には以前エルが気に入っていると話していた宝飾店があった。
なんでも店主のセンスがいいのだとかで、エルは自分で何度も足を運んでいるらしい。楽しそうに話す姉の姿を見て、そんなにも気に入る店とはどんな店なのか気になっていた。外から、しかも馬車の中から見るなんて無理かもしれない。でも雰囲気だけでもと思い、どこにあるのかもわからずにずらりと並ぶ店の列に目を向けた。するとその中で異質なガラス張りの店。外からもよく店内が見えるその店の中に二人寄り添うエルとルーカスが目に入った。
動く馬車から見た光景だ。ほんの一瞬のことだった。それでもルナの目には焼き付いた。
2人が幸せそうに微笑んでいる姿が。
☆2.ルーカスside
結婚記念日は何も出来なかったが、今度こそは!とルーカスは一人、馬車の中で拳を固める。1週間後はルナの誕生日。相手が好きでなくとも、誕生日を祝われて嫌な気はしないはずだ。多分……。そうだと思いたい。
結婚してから一年が経ったことで、いくらランドール家のためと初めから割り切っていたとしても、このまま夫婦でいることがつらくなってきたのではないかと日に日に不安感が増していく。
今回のルナの誕生日を逃したら……。
きっともう祝えないような、そんな気がするのだ。ルナを手放す気なんてない癖に、何か言い訳してきっと彼女から逃げ続けるだろう。
ルーカスがルナの誕生日を祝うと決めたのは1か月ほど前にマイク王子夫婦に呼び出されたことがキッカケだった。
「「ねえ、この前の結婚記念日どうだった?」」
それはもう興味津々といった目をした二人がルーカスに尋ねてきたのだ。
こんな二人に、何もできなかったなんて言い出せる雰囲気ではない。だが王子は何故か昔からルーカスに関することには勘がよく働くのだ。そんな王子に嘘なんてついたところですぐばれてしまうことなど目に見えている。
「いつも通りですよ」
嘘ではない。
「君にとってはルナとの生活は毎日が記念日だと?」
「わかる、わかるわ。ルナと一緒にいられるなんてそれだけで幸せよね。毎日お祝いしてもいいくらいだわ」
ウンウンとしきりに頷くエルはともかく、王子にはルーカスの言葉の意味が分かっているのだろう。分かっていて、他ならぬルーカス本人の口から言わせようとしているのだ。
「何もしていません」
「できなかったんじゃなくて?」
「っ、できませんでした!」
「はー、やっぱりね。なにも用意してない割に定時通りに帰った時点でおかしいと思ったよ。だから、早く帰りなよって言ったのに」
王子は心底呆れたとばかりに深いため息をついた。なぜ王子が何も用意していなかったのか知っているのかは聞くと面倒なのでスルーしよう。
そしてエルの方だが……怖くて見れない。さきほどから黙り続ける彼女の顔を伺うなんてそんな勇気、ルーカスにはない。あったら今頃、彼らに呼び出されてはいなかったであろう。
「……ルーカス?」
「……」
地を這うような声が自分の名を呼んでいる気がする。気のせいだと思いたいルーカスは必死に目と気を逸らす。けれどもそれをエルは許さない。
「無視するな! ルーカス!」
「はい!」
王子の妻とは思えない言葉遣い。だが迫力は王妃にすら引けを取らないだろう。エルはそれほどにまで怒っていたのだ。怖いが無視する方が怖いとルーカス腹をくくり、彼女の方を向く。
「ルーカス?」
予想していたよりもはるかに怖い顔でエルはこちらを見ていた。昔、ルナと一緒にいた時も殺気に満ちた目で見られていたが、今のエルの目はその時以上だ。今の彼女なら視線だけで人を殺すこともできるだろう。
☆3.ルーカスside
「いい? 誕生日は絶対に祝いなさい。ルナの誕生を祝う日よ。これほどにまで尊い日はないわ」
それは6時間続いた説教の最後にエルがルーカスへと放った言葉だ。
ルナの誕生日まで残り5日。にもかかわらずいまだにルーカスはルナへのプレゼントを何にするか決めかねている。
ルナの誕生日を祝いたいが、いかんせん今まで女性にプレゼントをあげた記憶などない。そのため何をしたら女性が喜ぶのかわからないのだ。それに相手はルナだ。そこらへんの女とは訳が違う。変なものでも渡して嫌な顔でもされたら……。きっと立ち直れないだろう。
「ルーカス、ルナの誕生日が迫っているというのに暗い顔しているわね」
「ああ、エル」
仕事の合間にもルナのことを考えていると、エルに出会った。これは神が与えたチャンスではなかろうか。ルーカスは光が差したように視界が明るくなるのを感じた。
エルならばルナの好みを把握しているだろう。彼女に聞けばきっとルナの喜ぶものを手に入れることができる。
だがすぐにそれでは自分からプレゼントする意味がないと考え直す。
「何よ。不満そうな顔して」
そういうエルこそ機嫌が悪そうな顔をしている。大方、最近ルナと会う機会が少なくて機嫌が悪いのだろう。彼女が不機嫌になる理由など片手に数えるほどしかない上、その理由が大半を占めるのだ。さすが世界一ルナを愛していると自称するだけのことはある。それで同じだけとは言わずともルナに想いを寄せられているのだ。それが姉妹愛だと分かっていても、ルーカスの中から彼女への羨ましさが消えることはない。そしていつか自分も同じようにルナから思われたいものだと密かなる野望を胸の中へと隠す。
「そういえばルナがエルは最近忙しいって言っていたけど……」
「忙しいわ。とっても忙しい! 身体がもう一つ、いや三つは欲しいくらいよ」
「そんなに忙しいのか?」
「ええ。ルナの誕生日が間近に迫っているのにルナへのプレゼントを決めかねていたの。やっとプレゼントは決まったのだけれど、どんな服を着ていくか迷っていてね」
「服? そんなに重要か?」
ルーカスにはそれがそんなに重要なことには思えなかった。ルナならばきっとエルがどんな服を着ていようが気にしないだろう。だがルーカスの返答にエルは怒りを沸きあがらせる。
「重要よ! ルナの誕生日は年に1度しか来ないのよ?」
誕生日なのだから年に何回もあるわけがないだろう。だがそんなことをエルに言ったら怒られるだろうとルーカスは開きかけた口を閉じる。エルの機嫌は一度損ねたらなかなか治らないのだ。それにルナが関わることとなればなおのこと。余計なことは言わない方がいいに決まっている。
「で、ルーカスはルナへのプレゼント決まったの?」
「まだだ」
「は? 残り1週間もないのよ? 何しているの!」
そういってエルはルーカスの手を引っ張った。
「どこへ連れて行く気だ」
「決まっているでしょ、ルナのプレゼントを探しに行くのよ。私も手伝うから」
そして気づけばルーカスはエルと共に宝飾店にいた。仕事なんて後でも出来るからといいつつも、最低限の仕事をこなすまで待ってくれたのはエルなりの優しさだろう。終わり次第、どこから発揮されているのかと思わず疑問に思ってしまうような力で引きずられたのは考えものではあるが。そして店内では何度となくルーカスの背中を突き、奥へと案内する。辿り着いたのは輝かしいほどの宝飾品の数々が並べられたガラスのショーケースの前だった。
「これはどうかしら」
「なあ、エル」
「何よ」
「わざわざ宝飾店に来る意味あるか? 宝飾品だったら家に呼べばいいんじゃ……」
「家にはルナがいるでしょ。まさかあんたルナの目の前で買う気?」
「ルナへのプレゼントなんだからそれでいいんじゃ」
寧ろ家に呼べばルナ本人が選ぶことができるだろう。それの何がいけないのだろうと首を傾げるルーカスにエルは呆れたように首を振った。
「わかってないわね。プレゼントは相手のことを考えて選ぶものよ。なのに本人の前で選ぶなんて……。ナンセンスね。それに店の者が持ってくるものが必ずしもルナに似合うとは言えないもの」
確かに店の者は持ってくることのできるものには限りがあるから、その店の選りすぐりのものを持ってくる。
エルがルナに似合うと感じるものからそうでないものまで様々なものを。
「で、さっきからエルも選んでいるように見えるんだが」
「一期一会なの。来た時に見とかないとルナにぴったりのものを見逃してしまうかもしれないじゃない」
……一緒に来てくれたのはいいが協力してくれるわけではないらしい。エルに頼るになるという選択肢をさっさと切り捨てて、ルーカスはルーカスでルナに似合うものを探すことにした。
しばらく探しているとケースの中でひときわ目を引くものを見つけた。
「これは……」
「どうしたの?」
「これはいいんじゃないか」
「これって……。本当にこれを渡すつもりなの?」
「ああ、ルナにきっと似合うだろうな」
「そう……。そうね。きっと似合うわ」
絶対に似合う!という確信を隠さずに力強く頷くと、エルは満足気に笑うのだった。
7.
お茶会の帰りに見た二人の姿――それはとても幸せそうに見えた。あまり笑わないルーカスはエルの前ではあんなに自然に笑うのかと涙がこぼれそうになった。
結婚する前はルーカスがルナに笑顔を向けることが何度かあった。エルに微笑む頻度に比べればそれははるかに少ないものではあったけれど、それでも何度かは向けてくれた。エルに向ける柔らかい、心からの笑顔とは違った。ぎこちなくても確かにルナに向けていた笑顔。それも結婚してからは一度もルナに見せたことはない。いつも変わらず無表情で背の低いルナを見下ろすばかりだった。
(きっと私がお姉様の妹だから笑いかけてくれたのだ。でも、もうお姉様は手に入らない。……王子様と結婚してしまったから。)
所詮は姉の代替品であると理解しているつもりだった。それが自ら望んだことで、当たり前のことである、と。
わかっていたことなのに、その事実を目の当たりにするとルナの胸はひどく傷んだ。あふれ出す涙は抵抗をやめ、ドレスに落ちて行った。白いドレスには涙が落ちても変化はない。ぎゅっとつかんでできた皺さえ時期に何事もなかったようになくなっていくだろう。けれども、ルナの目に焼き付いたあの映像だけはいつになっても消えてはくれない。目を閉じれば浮かび上がるのはあの光景で、焦点はあの二人に定められている。
(それでもいいと思っていたはずなのに。ああ、なんと醜い嫉妬だろうか。…………図々しい。)
初めはルーカスといられるだけで満足だった。その気持ちに嘘や偽りはなかった。この1年の間にだってその気持ちに変化などなかったはずなのだ。いや、ルナ自身がその変化に気付かないうちにその気持ちはどんどん肥大化していったのかもしれない。
あの光景を思い出すたびにルナは欲深くなっていくのを実感した。そしてその度に傲慢な自分が、醜い自分自身が嫌いになっていった。
ルーカスの顔を見ることすら辛くなり、次第に朝のルーカスの部屋をノックする、というお決まりの行動すら億劫になってきた。けれどそれは数少ないルナの妻としての役目である。放棄することなんて出来なかった。ただただ重苦しい気持ちがルナの心に散り積もっていくだけだった。
そんなある日のこと、カーティスから一通の手紙が届いた。封筒に書かれた文字はいつも通りの几帳面な兄らしい綺麗な文字だったが、封筒を開けばそこには乱雑な文字が並んでいた。それはカーティスの文字とは違い、ルナが初めて見る文字で読むのも一苦労だった。
ルナはこの手紙の送り主が本当に兄なのかを疑ったが、空になった封筒を裏返してみればそこには確かにランドール家の印が押してあった。それこそがランドール家もとい当主であるカーティスからの手紙であることの何よりの証拠である。
何かあったのだろうか?と今度は心配になり、ルナは乱雑な文字を読み解いた。そして『カーティスが風邪をひいた』という情報を得た。けれどもそれはとても信じがたい内容だった。
カーティスは幼少期から身体が丈夫で、今までに風邪をひいた回数など片手で数えられるほどであった。そんな彼はつい半年ほど前に風邪をひいたばかりだ。その際はランドール家の執事長からルナとエルに手紙が送られて来て、急いでお見舞いに向かったのだ。
全く風邪をひかなかったカーティスがこの短期間で2回も風邪をひいた。それは驚くべきことで、ルナは戸惑った。手紙をもって部屋をうろうろしては止まって。また何かを探すようにうろうろと。どこにも答えなんてないのに。
(もしかしたらどこか悪いのではないだろうか。もしくは少しオーバーワーク気味だとか……。)
カーティスとエルはルナのことをよく気にかけては手紙を送ってくるが案外自分のこととなるといい加減なのだ。だからこそルナは心配だった。使用人たちが看病をしてくれているのは分かっている。それでもやはり心配なのだ。
(さっそくお見舞いに行かなくては……)
真面目で仕事熱心なカーティスはきっと体調が悪くても無理をしてしまうかもしれない。そんなことは容易に想像がついた。そう思うといてもたってもいられなくて、ルナはさっそくルーカスに外出許可を出してもらうことにした。
いつも多忙でなかなか休暇が取れないルーカスは今日はまる1日の休みが取れたらしく、朝からずっと屋敷のルーカス部屋兼書斎にこもっていた。
ルナはルーカスの部屋まで早足で向かってからドアの前でピタリと止まった。そしてゆっくり息を吸ってから少しだけ吐いて、朝と同じように三度ノックをした。
「どうぞ」
いつも通りの抑揚のない声にルナは「失礼します」とドアに向かって一礼してからドアノブを回した。
ドアを閉めた後に今度はルーカスに向けて一礼し、顔をあげた。ルーカスは部屋に入ってきた彼女を初めは驚いたように目を見開いて見ていたが、すぐに持ち帰っていた手元の書類に顔を向けてしまった。そんな姿にルナは思わずめげてしまいそうになった。けれど兄の一大事だと心を奮い立たせて口を開いた。
「お仕事中、申し訳ありません。ルーカス様、外出許可をいただけませんか?」
じっと見つめても一向に返事は帰ってこなかった。けれどもルナはめげるわけにはいかなかった。なにせルーカスの許可がなければカーティスのもとへ行くことはできないのだから。
外出許可を夫にとるという行為は非常に変わっていることらしい。これはルナが以前カトラス家のご令嬢から聞いた話だった。
出かけてくると伝えることはあっても許可を取ることはないのだと――。だがこの行動はルナにとってはごく当たり前のことだった。ルーカスと結婚するよりも以前は父、グレンの許可がないと外出できなかったし、許可を求めても承諾されない場合は多々あった。むしろ許可されることの方が少ないくらいだった。
例えばルナの「お茶会に参加したい」という願いは「危ないから」という理由で何度も突っぱねられた。それでもあきらめきれなかったルナが何度も頼んで「信頼のおけるカトラス家の令嬢の屋敷なら……」とやっとのことで承諾を得られたのだ。
だがそれはルナだけではない。ルナよりもいくばかりか許可されやすいエルでさえも外出許可を得られないことが多々あった。それでもあきらめきれなかったエルはすぐに諦めてしまうルナとは違い、たまに屋敷を抜け出していたようだった。そしてあとから使用人によってグレンの耳に入り、こっぴどく叱られていた。口数の少ないグレンが声を荒げていたことがとても印象的で、あの時のことは数年たった今でも鮮明に思い出せるほどだ。
父のそんな姿を見た日以来、ルナはめっきり無理を言わなくなった。
「バザールに行ってみたい」「花畑でピクニックがしたい」「夜会に参加したい」
そんな他愛もない希望は全部押し込んで、誕生日には代わりの言葉を用意した。
「オレンジが食べてみたい」「庭一面の花が見たい」「星が見たい」
そう告げればグレンはルナの望みをかなえた。
12の誕生日の翌朝からは毎朝食事の席にオレンジが並ぶようになった。
14の誕生日には庭一面の花が咲き、それはランドール家の自慢の庭になった。
17歳の誕生日の翌週には、いつでも星が見られるように庭にはガゼボを作られた。
そしてグレンが亡くなってからは父の代わりに兄であるカーティスがルナのどんな我侭でも叶えるようになった。
屋敷から出るとさえ言わなければなんだって。
だからルナにとって屋敷を出るのに許可を取るのは当たり前のことであり、許可が落ちないことも想像にたやすいことだった。
「なぜ?」
機嫌が悪そうなルーカスは資料から顔をあげることなく、視線だけをルナに向けた。この言葉も予想のできた言葉。ルナは用意していた言葉を返す。
「お兄様が風邪をひいたらしいのでお見舞いに行きたいのです」
「だが……」
「ダメ……でしょうか?」
渋る様子を見せるルーカスに思わずルナは俯いてしまう。そして自己嫌悪に陥るのだ。
(私を外に、人の目にふれる場所にあまり出したくはないのかもしれない。)
けれどここで諦めてはカーティスのお見舞いに行くことは出来なくなってしまう。そうとわかっていてもルナの頭には城での男たちの声が繰り返されていて、無理なのかもしれないと諦め始めていた。
「……まあ、カーティスさんの見舞いなら……」
すると返答に渋っていたルーカスの口から幽かな声が零れ落ちた。ルナはそれを拾ってから勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます」
糸のような細く長い髪でおおわれたルナの姿をルーカスはなんだか複雑そうに見つめていた。ルナはその目に気付き、申し訳ないと思いつつも予定通りカーティスのお見舞いに行くことにした。
さっそく見舞いに行くための用意をしなければ……。
まずルナの頭に浮かんだのはカーティスの好きな桃だった。昨日、庭で花に水をやっているときに庭師が良く熟れてきたといっていたからそれを少し分けてもらおうと決めた。
そして次はガーベラだ。ガーベラはカーティスの好きな花であり、ルナが庭で庭師から場所を借りて育てている花の一つでもある。それもラッピングして持っていくことにした。沢山の中から選んだのは、カーティスの瞳と同じ色の紅のガーベラだ。渡したら喜んでくれるだろうか、とカーティスのことを思いながら人のいい庭師の元へ向かおうとドアノブに手を伸ばす。
「ルナ!」
部屋を去ろうとしたルナの背中にいつもよりも強めの声でルーカスは呼びかけた。
「はい! 何でしょうか?」
身体をビクッと震わせてから振り向くと、ルーカスは少し申し訳なさそうな顔をしていた。ルナがルーカスを見つめると、彼は絞り出したかのように「その……気をつけてな」とだけ言った。
(お兄様のもとへ行くだけなのに何を心配なさっているのだろうか。他の人の目に触れないように? でも、そんなに心配しなくても馬車から顔を出したりなんかしない。じゃあ、他にどんな理由があるのだろうか?)
ルナはいくつかの想像を浮かべて否定していく。最終的に浮かんだ答えは全て否定されて何も残らなかった。
「はい、行ってまいります」
ルナは結局これだけ告げて部屋を後にした。
8.
「お兄様!」
ルナはカーティスのことが心配でいち早くカーティスの様子を確認するため、御者が馬車のドアを開けてくれるのも待ちきれずに自分からドアを開けて駆けだした。御者はいきなり飛び出したルナを見て目を丸くしていた。けれども御者は何も言わずに御者台から一歩も動かず、ルナのことを待つと決めたのかあげた腰を下ろした。
「ああ、ルナ。息を切らして一体どうした?」
屋敷のドアを開けた瞬間、ルナの目の前に現れたのは元気そうなカーティスの姿だった。
「お兄様?」
「どうかしたのか?」
「風邪をひかれたんじゃ……?」
ルナは自分のもとに届いた手紙の内容と今目の前にいるカーティスの様子を見て混乱した。確かにルナの元に届いた手紙にはカーティスが風邪で寝込んでいるのだと書かれていた。
なのにルナの目の前にいるカーティスはいつも通り。風邪をひいているどころかどこかが悪いようにも見えない。
そう見えないだけで、どこか悪いのだろうか?
ルナは、カーティスの頭からつま先まで余すところなく確認した。けれどどんなにじっくりと見たところで彼が一体どこを悪くしたのか全く見当もつかなかった。
「……ああ、あれか。あれは嘘。もしかして俺のことが心配で急いで来てくれたのか? そうだったら、嬉しいんだが……」
「当たり前じゃないですか! お兄様、本当に何ともないのですね?」
「ああ、見てのとおり俺は元気だ」
あっけらんかんと嘘だと告白するカーティスの言葉に今まで気を張っていたルナは腰が抜けたように、床にぺたりと座り込んだ。
(嘘。嘘……か。そっか、よかった。お兄様が風邪をひいたと聞いたら心配するのは当たり前だろう。なのに、お兄様ときたら頬が緩んでいるのが分かるくらいに嬉しそうな顔をして……。)
嘘をつかれたことに驚きは隠せなかった。けれどルナの中ではそんな驚きよりもカーティスの身体が何ともなく、元気にこの場に立っていることへの嬉しさが圧倒的に勝った。
心の底から安心し、床から立てずにいるルナの目の前にはカーティスから差し出された手がある。それを支えに立ち上がったルナはドレスの裾についた埃を払い、兄の顔を見上げて首をかしげる。
「でもお兄様、なぜ嘘なんかついたのですか?」
「ルナに会いたかったんだ」
「普通に呼んでくれれば遊びに来ますよ?」
「それはない」
「なんで否定するんですか!」
ルナはカーティスのことを大事に思っていた。そんな兄に呼ばれたら遊びに来るに決まっている。それなのにありえないとカーティスは力強く否定する。そのことが気に入らなかったルナは真っ白いマシュマロのような頬をぷくっと膨らませた。
「ルナ、怒らないでくれ。怒らせたいわけではないんだ。ただルナは普通に呼んでも来られないだろうと思ってこの手段を使わせてもらった」
「そうですか……」
(そんなことはないけれど、お兄様が言うのであればそうなのかもしれない。お兄様の言うことはいつも正しいから。ただお兄様みたいに頭がいいわけではない私にはわからないだけ。)
だからきっと今回もそうなのだ、ルナはそう自分に言い聞かせた。
「ところでルナ、今日は泊っていくよな?」
泊っていくことが当たり前のように聞く兄の言葉にルナは少し戸惑った。本心を言えば泊っていきたかった。けれどルナは出かける際にルーカスにはお見舞いに行くとだけしか伝えていなかった。
ここにいても何か役に立てるわけではなく、風邪をひいていたと思っていたカーティスは見る限りどこにも変わりはない。それに本人だってあれは嘘だとはっきりと言っていた。
ここにあまり長居しては悪いだろう。カーティスにも、そしてルーカスにも。
帰ろうと思ったルナはふと窓の外に目を向けた。すると窓の外には一面の闇が広がっていた。
「え?」
ルナがランドール家の屋敷についてからそんなに時間は経っていない。着いた時は確かに青く澄み渡っていた空が、この短時間で夕焼けを飛ばして漆黒に染まっていた。それが不思議でルナは窓から目を離すことはできなかった。
「ルナ?」
いきなり窓とルナの間にはカーティスの顔が広がった。しかし、いきなり目の前に現れたカーティスの顔よりも外の様子が気になった。
「お、お兄様」
「どうかしたか?」
「いえ……。あの、もう外も暗くなってきましたし泊めていただこうかなと」
焦るルナをいぶかし気に見ているカーティスに、なぜ外はこんなにも暗いのかなんてことは恥ずかしくて聞けるはずもなかった。
それにただ平坦の道であれば多少暗くとも問題はないが、ランドール家に来るまでには古い橋を通らなくてはならない。遠くを見渡せないこの闇の広がった状況で、今から帰るのはさすがに危険である。
「ああ、もちろんだ。歓迎する」
カーティスは嬉しそうな顔をして、ルナの手を柔らかく包み込むようににぎった。
「では、御者に伝えてきますわ」
「ああ、彼ならすでに帰した」
「え?」
「帰りはうちのものが送ると伝えておいた」
「そうなのですか」
(お兄様はずっと私と一緒にいたはずなのにいつの間に御者に伝えたのであろうか。)
ルナはそのことを少し疑問に思いつつも、御者に迷惑をかけていないのならば……という結論に至った。それでもせめて泊まることになったのだとルーカスに連絡しようと思った。
連絡をしたいといえばカーティスが使用人を使いに出してくれるだろう――と。
その時、ふとルナの頭にはお茶会の帰りに見た光景がよぎった。
きらきらと光の反射するガラスに包まれながら幸せそうに微笑む二人の顔。
(……一日くらい私が屋敷に戻らなくてもきっとルーカス様は気にしないのであろう。)
ルナはここ数日、あの時のことが気になってしまってあまり休めていなかった。本当はあまり帰りたくなかった。できることならばルーカスと少し距離をとりたいと思っていた。ルナは心の底では暗くなってしまって危ないから帰れないのだという口実ができたことにほっとしつつカーティスの好意に甘えることにした。
「ルナ、何か食べたいものはあるか? ルナの好きなものを作らせる」
「え、でも……」
もうすっかり日は落ちている。一回に食べる量がルーカスの3倍近くは食べるカーティスのご飯を毎食作っているランドール家のシェフにとってはルナの一食分など増えたうちには入らないだろう。しかし、さすがにこの時間ではご飯を作り始めているか完成しているであろうメニューを今から変えてもらうのは忍びない。
「ルナ?」
「えっと、久々のランドール家での食事ですから何が出てくるか楽しみです」
「そうか」
そうは言ったものの、食事の場にあったものはルナの好物ばかりだった。気を使わせてしまってなんだか申し訳ないと思う反面で、嫁いでいった自分の好みをシェフは今でも覚えていてくれていることが、ランドール家には自分の居場所があるのだと言われているような気がして胸の奥が温かくなるのを感じた。
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