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第十八章✧庇護

庇護

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ミールは急いで村に戻った。

新罹は『滝の果て村』の住人だが、
今は『息の深い谷の村』にいる。

小雨の降り続く中、スピードを上げて森の中を駆けていった。

サァァァ.....


ミールが村に着く頃には、
夜が過ぎ、朝をむかえた。

夜の間、一時も休まず走り続けたミールだったが、
途中で胸の痛みを感じて立ち止まることもあった。

しかし、ミールの胸の中に広がる輝く希望がミールを元気する。

「早く戻らなくちゃ!」

クラーザに気にとめてもらえたのが、自分で思っていたよりも嬉しくて身体中から力がみなぎる。

朝一に村に入り、屋敷まで辿り着いた。

サァァァ...

小雨がミールを濡らす。

「.はぁ.......はぁ....ふぅ..」

ミールは呼吸を整えて、表門ではなく縁側から屋敷の中に入った。
一昨日は、この縁側でミールは酒を飲んでいた。
宴会をした広間で、一通り部屋を見渡す。

何も無いだだっ広い部屋。


カタッ

「きゃっ!何者ですかっ!」

広間に掃除しに入ってきた召し使いに、ミールは怒鳴られる。
ミールはイラッとした顔を見せる。

「あんたこそ誰よっ!
誰に偉そうに口聞いてるのか、わかってんのぉ?
あの高飛車な祈祷師を呼びなさいな!」

ミールの偉そうな口調に召し使いは『宴会で暴れた女戦士』ということにやっと気づき、慌てて頭を下げた。

「しっ..失礼致しましたっ」

「ふんっ!」

ミールは鼻を鳴らして、その場に胡座をかいて座った。
パタパタと音をたてて召し使いはどこへやらと走って行く。

「...ったく、待たせるなっつーのっ!」

ミールは独り言を呟いて、畳みの上に唾を吐いた。

ガクッ..

「...あぅ...」

また急に胸が痛みだした。
ミールは自分の胸を押さえて、冷や汗を拭う。

「...どうなってんのよ..この身体..
まったく冗談じゃないわよっ」

今度は苛立ちから畳みを強く叩いた。
それからしばらくして、新罹が現れた。

「ちょっと!いつまで待たせんのよっ!」

ミールはいきなり罵声を浴びせる。

「...申し訳ない..」

新罹らしくもない弱々しい声。
ミールは新罹の顔を伺った。

「ちょっと...あんた......どうしたのよ、その顔....
そんなんで大丈夫なわけ?」

新罹の顔つきが、一昨日見た時とでは全く違っていた。
10歳程老け込んでしまったような、精気の抜けた顔をしている。

それだけではない。
化粧をしていないせいなのか、顔が土色のようにどす黒く、覇気が感じられなかった。

「すまぬ...少々、体調が悪い」

新罹は髪さえも乱したままで、清潔感もなかった。
ミールはほうけたように口をポカァンと開けて、新罹の様子を見た。

「村に戻ってきたのは....そなただけか?」

新罹がよそよそしい。
ミールはすぐに頷く。

「あ..そうよ。
私も早く行かなくてはいけないから、
邪気祓いをさっさとしてほしいのよ。
あんたなら、まだ間に合うんでしょ?」

新罹はミールの話の途中でも、何度か額に手を当てて集中できていない。

「あんた、聞いてんの?」

ミールが眉間にシワを寄せる。

「あぁ...大丈夫だ。まだ充分に間に合う」

「ならいいんだけど..」

ミールは口先を尖らせた。
この様子では『急いで邪気祓いをしろ』と騒ぎ立てても、新罹は集中できないだろう。
新罹の調子が掴めるまで待つしかない...

「.....」

ミールは無言で、新罹に視線を送った。

「悪いが今すぐに邪気祓いはできない。
少し心を落ち着かせねばならぬから、しばし待たれよ」

新罹がミールの顔も見ずに言う。

「了ー解。わかったわよ。
早くしてほしいけど、急がせたって無駄のようだし、
邪気祓いがまだ間に合うんだってわかれば、待つしかないわね」

ミールは立ち上がり、部屋を出て行こうとする。

「準備ができたら言いなさいよ」

ミールが新罹に指図する。

「そなた...どこへ?」

新罹が不思議に思う。

「時間がかかるようだから先に他の用を済ませるわ。
...例の人は、どこ?」

新罹は疲れ果てていた顔から、
一気に野心の顔つきに変わる。

「なっなに用じゃ!?」

例の人とは...亜紀のことに違いない。

「あんたに関係ないでしょ!
頼まれ事があるのよ、ベルカイヌンからのね!」

ミールは少し上から見下ろす感じで言った。

「ベルカイヌン....」

新罹は口ごもり、
しかしすぐにミールの動きを止めた。

「まっ待て待て!妖瑪はここにはおらん!
...昨日、薬草を取りに他の召し使い達と外に出ておるのだ。
二、三日は戻らん」

「え...」

ミールは困ったなと思った。
二、三日も待っていたら、クラーザはもう旅立って行ってしまう。

「...用件なら、私が預かろう」

新罹が腰を低くして、代役をかってでた。

「用件ってほどでもないんだけど....」

ミールは懐に手をやったが、考え直し手を外に出した。

「何でもないわ。いないなら、それでいいわ」

新罹は少しほっとした顔をした。

「そなた...ここは『息の深い谷の村』の屋敷じゃ。
待たされるのは苦痛だとは思うが、
くれぐれもあまり出歩かないようにしておくれ」

新罹はとにかく勝手気ままなミールに釘を打っておかねばと、考えた。

「ここにいろって、ことね?
はい、はい、わかったわよ」

ミールは部屋の中に戻り、仰向けに寝っ転がった。

その様子を確認して、
新罹は邪気祓いの準備をさっさとして終わらせようと、急ぎ足で自分の部屋に戻った。

パシャリ..

新罹は戸をしっかり閉めて出て行く。

ミールの心変わりは早いもので、
じっとしていられない性格もあり、
新罹の忠告もよそに勝手に部屋を出た。

..タ..タ..タ..タ..タ.....

朝早くあちこちで召し使い達が掃除をしている様子を見かけた。

「なんだか見つかったら、面倒なことになりそうだわ..」

門の入口に大広間、
広間に続く廊下に、
厨房、風呂場、便所。

人の集まりところを徹底的に掃除していた。

「....」

ミールは気付かれぬよう、
皆の目を盗んでたくさんの部屋を通り過ぎた。

シン...

人気のないところに来た。
人気のないといえば、召し使い達の部屋か、物置として使用されていない部屋など、そういった一角に違いない。

ミールは張り詰めていた気を抜いて、部屋を見渡し始めた。

「...んと..あの人の部屋は..」

ミールは亜紀の部屋を探した。
亜紀に会えなくても、亜紀の情報を何か得ないとクラーザに会わす顔がないと思ったからだ。


スゥ――..

とりあえず、ミールは部屋の戸を開けてみる。
しかし、誰もいない。


スゥ――...


皆、仕事に出ていて、部屋には誰ひとりいなかった。

スゥ――..

「なによ..誰もいないわけぇ?皆、働き蜂ねぇ..」


スゥ―――...


ミールが適当に部屋の戸を開いていくと...

「―――!」

ミールは声が出なかった。
一番、奥の部屋を開けると、そこには俯せに倒れている女の姿があった。
身体は布団からはみ出し、まるで苦しむような格好.....
右足には足枷がついていて身動きが取れない様子..

「.....」

ドクン..ドクン..ドクン..ドクン....

(なにこれ...!まさか..!)

ミールは女に駆け寄り、身体を支えた。

「...ぅぅ...」

女の口からは小さなうめき声。
目にはぐるぐると包帯が巻かれ、
顔は紫色に腫らし、
唇は血の気も引いて、カサカサにひび割れていた。

(嘘でしょ....!)

ミールは信じられなかった。
まさか、この衰弱した女が、
あの世にも美しい『月の女神』だと思えなかったからだ!

..ドクン..ドクン..ドクン......

心臓の嫌な音が鳴り響く。

(まさか..まさか..)

そんな思いでミールは女の身体を支え、
恐る恐る目の周りに無造作に巻かれた包帯を取り外した。


シュル...シュルル....

パサッ

包帯が取り払われた。

「あぁっ!!!!」

ミールは驚きと恐ろしさの余り、声を上げてしまった。
ミールが見たものとは...

「...ぁぁ.....ぅ...」

痛々しい声が!

「どっどうしてよっ...!!!」

ミールは悲鳴のような声を上げた。
その女は、紛れもなく亜紀だった。

しかし...
包帯が外された瞳は、
真っ白で色がなかった。
どこを見ているのかさえ、わからなかった。
眼球が全て真っ白だった。
美しかった漆黒の瞳でなくなっていた。

「....た..す...けて...」

ミールの身体は強張った。

「.....ク....ラーザ....」

「あぁぁぁぁ!!!」

ミールは目を固くつむり、亜紀の手を握りしめた。

「..も....やめ...て.....」

亜紀は意識を失いながらも苦しんでいた。
ミールには亜紀を一目見ただけで、それがよくわかった。

(どんなになっても、ベルカイヌンを信じて待っているの....)

ミールの心が動かされた瞬間だった。
ミールは亜紀の上半身を起こし、必死で亜紀に呼びかけた。

「しっかりして!ねぇ!」

「....ぁぁ...」

亜紀の苦痛の小さな叫びがもれた。

「ねぇ!しっかりしてよ!
ベルカイヌンのところに帰るわよ!」

亜紀のボヤァっとしていた空気が、一瞬変わった。

「...クラーザ...?」

「そうよ!ベルカイヌンがあなたを待ってるわ!」

ミールはこんな人助けのようなことをしたことが一度もない。
しかし、亜紀を初めて見た時から、何か違う特別な感情を持ち始めていた。
目を疑う程に美しかった亜紀が、見る影もないくらい変わり果てていても、なぜか美しいまんまだと、亜紀の心に触れて感じた。

「..クラーザ...あぁクラーザ..」

亜紀の白くなった眼からは涙は出てこなくなっていた。
代わりに、血の涙が...

ミールは初めて心を痛めた。
自分のことでなく、亜紀のことに。

(こんなに...人を想えるなんて....
恋い焦がれるって....こういうことなの?
私には到底ムリだわ..…でも、すごく素敵....)

ミールは亜紀の足枷を引っ張った。

「..こんなものっっ!!!!」

ガシャン

ミールは力づくで引きちぎった。

「ねぇ!立てる?
一刻も早く、ここから逃げるわよ!」

ミールは亜紀の肩を強く抱き、懸命に声をかけた。
しかし、どう見ても亜紀は歩ける様子ではなかった。
立ち上がることさえ、ままならない。

「だめ...一緒に行けない...行けない...
クラーザ...行って....クラーザ...私に...構わ..ないで..」

亜紀の命の火はもう消えかかっていた。
ミールは顔を歪ませる。

「...しっ...しっかりしてよ!
私はベルカイヌンじゃないわ!」

ミールはもどかしさに苛々などしなかった。
普段なら、少しでも思い通りにならないことがあれば、すぐに腹をたてて怒りだすのに。

亜紀の言葉を聞けば聞くほど、
亜紀の弱々しい姿を見れば見るほど、
ミールはこれまでに経験したことのない「切ない」気持ちになった。

「..なんで最初から、
ベルカイヌンについて行かなかったのよ..」

そんなに心は、彼を求めているのに..どうしてよ..
私には理解できない...


..キシ...キシ...キシ...キシ......

その時、すぐ側の廊下から足音が聞こえた。

(誰か来る!)

そう察し、ミールは息を潜めた。

..キシ...キシ...キシ...キシ......

「....ぁうっ..」

間が悪く、ミールの胸の激痛が再び走り、ミールはうずくまる。


...................


(足音が消えたっ!?)

ミールは額に一筋の汗を流して、耳を澄ませる。


スゥ――――...

その時、ミールと亜紀のいる部屋の戸が開かれた!

(やばいっ!!!!)

ミールは腹をくくり、開かれる戸の方を睨みつけた。

カタン..


現れたのは、
髪を一つに結って祈祷する姿になっている新罹であった!

「あんたっ...!」

ミールは新罹に向かって、威勢良く怒鳴る!

「嘘をついたわねっ!
この人をこんなにしたのは....あんたでしょっっ!!」

ミールは痛む胸を隠しながら、
亜紀の側にピッタリとくっついた。

「....」

新罹はニタァァと笑った!

「―――!」

ミールはその不気味な笑みに背筋を凍らせる。
新罹が部屋の中に足を踏み入れた。

..サッ...サッ...サッ...サッ...

「だったら..なんだと言うのだ?」

新罹の顔は怪しげで妖気を放っている。
まがまがしいオーラが漂う。

ミールは鳥肌が立った。
だが、ここで引くわけにはいかない。

「へぇ...随分、落ち着いた態度ね。
だけど、それも今日までよ。
ベルカイヌンにこれが伝われば、彼は何と言うかしら?」

新罹のただならぬ妖気に、身体は勝手に危険信号を鳴らすが、
ミールは自然を装い、むしろミールらしい偉そうな態度を繕う。

「妖瑪は薬草を取りに行き、
足を滑らせ崖から落ち、戻らぬ人となる」

新罹はゆっくりと二人に近付く。

「でたらめを言うんじゃないわよっ!」

ミールが叫ぶ!

「この人をこんな風にしたって、
ベルカイヌンはあんたのモノになんかなりはしないわっっ!!!!」

新罹はそれでも笑みを浮かべる。

「フフッ....黙れ、ネズミ」

「黙るのはあんたの方よっ!」

ミールは立ち上がり、亜紀の前に壁となる。

「残念ながら、こんなことしても余計にふたりは惹かれ合うだけよっ!あんた馬鹿ね!
自分で自分の首を絞めてるだけだわっ!」

「―――」

新罹は黙る。
しかし言葉を失った訳ではない。
未だ、不気味にニタニタと笑っている。

「....ミール....
そう、ミールが来た時にはもう邪気は身体中を蝕み、手遅れとなった。ミールは邪気に喰われ、死んだとさ...」

「なっ...!!!!」

ミールの意表を突かれたという顔に、今度は新罹は声を上げて笑った。

「あはははははっ…!!!!!
はははっ...ほぅら、逃げ出すなら、早く行け」

新罹が余裕の笑みで言う。

「そいつはもうじき死ぬ。
そなたも邪気に喰われるのは、もう時間の問題じゃ。
私が手を下す必要もない。はははっ..!
屍の後始末が邪魔だから、はよう出て行っておくれ」

ミールはガクンと膝を落とした。

「...うぅ...」

こんなところで苦しがっている場合ではないのに!

「ふははっ...」

新罹は狂ったように笑う。
ミールは亜紀をおんぶし、足元をふらつかせながら部屋を出ようとした。

「待て、ネズミ」

背後に新罹の声。
振り向くと、また嫌な笑み。

「これも処分しきれんから、持ってゆけ」

新罹が放り投げたのは、亜紀のトランクだった。
今のミールでは亜紀だけでも充分、荷物だが、
ミールには意地がありトランクも一緒に抱えた。

バサッ...!!!

何も言い返さず、ミールは慌ただしく屋敷を飛び去った。



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