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第十三章✬確信に変わる時

確信に変わる時

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高級な建物が立ち並ぶ『サイカの虹』には、すぐにたどり着いた。

この街では、良い思い出がない。
クラーザと喧嘩をし、アコスと夜な夜な街の路頭をさまよい歩いた、そんな記憶から消し去りたい街だ。


「今夜は、この街で休もうか」

ランレートが案を出すと、アコスは皮肉たっぷりに笑った。

「まさかまぁ~た、俺とあきを置き去りにするんじゃないよなぁー??」

「へっ?あっ..そっか!前にそんなことがあったね!」

ランレートは惚けた顔を見せた。
アコスはあまりの腑抜けたランレートに、少し白けた。

「...とにかく前の一騒動もあったし、
あんまり目立つとヤバイし、早く宿に入ろう」

アコスの意見に、ランレートは『うんうん』と軽く返事した。




五人は目立たぬよう、宿に入った。

「えーっ!!男と女は部屋は別々じゃなきゃ駄目よーっ!!」

みーちゃんの甲高い声が響き渡った。

「もぉー...
心配しなくても、絶っ対に手は出さないから安心してよー...」

ランレートはみーちゃんの可愛くないぶりっ子ぶりに呆れた顔だ。

「いやぁー!!何があるかわからないじゃなーい!!
全員同じ部屋だなんてぇー!!」

「いいじゃん、お金ないんだしさぁー」

「こーゆートコロで、ケチる男って最悪よー!!
贅沢させなさいよーっ!!!!」

「どうせ寝るだけなんだし、別にいいじゃん...
あぁーもう疲れるなぁ...」

「疲れるって何よー!!!!レディを前に失礼でしょ!!!!」

ランレートとみーちゃんの会話を横目に、アコスは溜息を吐いた。
そして、ベットに包まり眠りつく。



亜紀は窓から夜景を見ていた。
洋風な街『サイカの虹』高貴な街だ。

夜中でもタイルが張り巡らされている道を、馬車が良い音を立てて走っている。
この街を『見る』のは、初めてだ。
前に来た時は、新羅に瞳を潰され失明していたからだ。


(この街で....アタシ、前にいた世界に帰りたいって、すごく思っていたんだっけ...)

クラーザのことがわからなくなり、自分の居場所を見出だせず、
泣き腫らした毎日に嫌気がさし『帰りたい』と願ったのだ。


カタン...


亜紀は窓を閉めた。
そしてトランクを開け、ある物を出す。

「.....」

亜紀はソファの上で、黙々と作業を始めた。
ソファに腰掛けている亜紀の隣で、
クラーザは目をつむっていたが、ふと、眼を開けた。

「..何している」

クラーザは低い声で、亜紀に耳打ちしてきた。

「クラーザ...起きて..いたの」

「....」

クラーザは亜紀の手元を興味深そうに、まじまじと見つめてきた。 
長いソファにクラーザは横になり、
クラーザの頭の位置に、亜紀がちょこんと座っている。

クラーザは横になったまま上半身を起こし、亜紀の手元を見つめた。

「なんだ...これは」

サラッ...

亜紀はお裁縫をしていた。
クラーザはその物に触れる。

亜紀は動かしていた針を止め、美しい布を、クラーザの目の前に広げた。

サララ...

「クラーザに..『スカーフ』作るの。首元、寒くない。オシャレ!」

「スカーフ??」

この世界には、首に巻く物が存在しなかった。
ネックレスや、マフラーや、ストールやスカーフ。

亜紀は美しい布を生かして、大きなスカーフを縫おうとしている最中だった。

「この布、イルドナさんくれた。
クラーザと出かけた時のお土産くれたの。
だから、アタシ、クラーザに何か作るの」

亜紀は笑顔を作り、布を見せびらかした。

サララ...

「....」

クラーザは無言で布に触れた。

...ストン

そして、クラーザは少し身体をずらし、亜紀の脚に頭を乗せてきた。

「クラーザ...?」

亜紀はソファの上で、クラーザにひざ枕しながら、様子を伺った。
クラーザは仰向けに寝たまま、うっすらと眼を開いていた。
どこか遠くを見ている。

するとクラーザは小さな声で呟いた。

「...イルドナの....連絡が、途絶えた」

「―――」

亜紀は声が出なかった。
どういう意味なのか、問いたださなくとも伝わってきた。
クラーザはゆっくりと眼を閉じて、吐息まじりに言う。

「イルドナの消息が、わからなくなった...」

「....」

サララ...

クラーザはまだ縫いかけのスカーフを引っ張り、自分の顔の上に被せた。
顔を隠すクラーザの心情が、亜紀にじんわりと伝わってきた。

亜紀は何の言葉もかけず、
ただ手を止め、クラーザの手に両手を添えた。

「...」

クラーザは顔を隠したまま、
余った片手を亜紀の両手に重ねてきた。

『なんで!?どうして!?』
『やだっ!イルドナさんは、どうなっちゃうの!!!!』
『アタシのせいなのっ!!!!?』

いつもはすぐに出てくる言葉だが、今の亜紀は発することはなかった。
クラーザが亜紀だけに見せる落胆した姿が、とても悲しく映ったからだ。

落胆といっても、
いつもとあまり変わりないクールな姿だが、なんだか亜紀には、とても淋しそうに見えたのだ。

「このまま..少し眠らせてくれ..」

「うん...」

亜紀はぎゅっとクラーザの手を握った。


イルドナが死んでしまったなど信じれなかった。
嘘じゃないかと、追求したかった。
だが、クラーザの姿を見たら、騒ぎ立てることなどできなかった。

イルドナと1番行動を共にしてきていたクラーザが、1番苦しいのではないかと感じたからだ。

今は―――
クラーザの側で、クラーザを少しでも支えたい。

無力な泣き虫な亜紀に、
どうしてイルドナのことを話してくれたのか不思議だった。
きっとクラーザは少しでも気を紛らわせたいと思ったのだろう。
亜紀に話すことによって。

泣き虫な亜紀が泣かなかったのは、クラーザを支えたいと思ったというのもあるが、イルドナの死を全く信じていなかったというのもある。

実感がない。
そんな訳がない。...そう思っていた。







夜はゆっくりと明けていった。
そして、雲に隠れていたことも明らかになっていく。

夜が明けきってしまう前に、
五人は小さな船に乗り込んだ。
この海を渡れば、目的地の『朝凪の浜』に着く。

そこから、新羅のいる『滝の果て村』までは、
蒼史の足で二日程で行ける。

イルドナはそこにいる。



なんだろう...
胸騒ぎが、ずっと続いている..

イルドナさんのこと..
違う..それだけじゃない..

なにか、もっと...引っ掛かっているような..




五人はあまり会話もなく、目的地にたどり着いた。
色んな各地の船が『朝凪の浜』という大きな都に多く集まる。

一年中、賑やかな街だ。
博打や争いが常に絶えず、
力や金を持つ者がうじゃうじゃと転がっている。


街は人で溢れかえり、海風が吹くと鐘が鳴り、
建物は赤や黄色や緑と華やかで賑やかな街を彩っている。
常に、祭だ騒ぎだと、夜でも静まることはなかった。


「きゃー!お買い物しなくちゃあ!!!!
うわぁ!品揃え良すぎぃぃ!!!いやぁん!欲しいぃ!」

みーちゃんはあちこち屋台を見渡し、歓喜の声を上げた。

「――ほら、あきも欲しいモンがあったら、遠慮せずに言えよ?」

アコスが亜紀の肩に手を置き、自慢げに言う。

「アコスさん、ありがと..」

みーちゃんが色んな物に目移りしながら走り回り、
その後ろで、アコスと亜紀がじっくりと品定めをして回り、
すぐ後ろに、クラーザとランレートが屋台の品々ではなく、人を見渡しながら着いて歩いた。

「ちょーっと、いつの間にそんなに買ってるのー??
お金がなくなっちゃうよー」

あれこれと買い込んだみーちゃんに、ランレートが腹を立てる。

「もう!うるさいわねー!!
これは楓の分なのっ!私だけのじゃないわよ!!」

みーちゃんが言い訳をする。
そんな様子を見て、アコスは亜紀にも何か買うようにと指示をした。

「ん...アタシは、別に...いいの」

亜紀は笑顔でアコスに言った。
遠慮などではなく、あまり欲しい物が見付けられなかったからだ。

「なぁによー!いい子ぶっちゃって!!やな感じっ!」

「ふぅーんだっ!!」

みーちゃんはしゃくれた顎をもっと強調させて、そっぽを向き、ムキになって買い物を続けた。

「あーっ!これ楓が好きそうな上着だわ!!
あ゛―っ!!!!これも可愛い!!!!
楓とお揃いで、買っちゃお~っとぉー!!!!」





グッ..

賑わう屋台の中で、クラーザが亜紀の腕を引いた。

「クラーザ..どうしたの?」

クラーザが険しい顔をしている。
亜紀はクラーザに引っ張られるまま、屋台を離れた。
アコスも慌てて、二人に着いて行く。

「あまり、俺から離れるな」

クラーザは人気のないところまで亜紀を連れて行くと、やっと口を開いた。

「あ..うん..ごめんなさい...」

亜紀は口元を押さえおどおどとした。
クラーザの表情が、やけに怖い。

「...ベルカイヌン!俺が近くにいるから大丈夫だよ!
あきにだって買い物くらいさせてやってもいいじゃんか!」

アコスが不満げな顔で、二人の間に割り込んだ。

「何が欲しいんだ」

クラーザは亜紀に問う。
亜紀はクラーザの紅い眼を見て、首を振った。

「アタシ、何もいらない..」

「そんな..!欲しい物があるから買い物するのとはちょっと違うだろー!女の買い物ってのは、こう....ダラダラ見て、ベチャベチャしゃべりながら...」

アコスが女の買い物について話しだしたが、亜紀は首を振った。

「アコスさん。アタシ、本当に何もいらないの。いいの」

「えっ...でもさぁ..」

「本当、いいの。
アコスさん、ありがと。ごめんなさ...」

亜紀がアコスに話をしている途中で、クラーザは亜紀の腕を引っ張り、亜紀を連れ出した。

「あっ...!おい...!!」

アコスは呆気に取られて、その場に残された。

「なんだよ!ベルカイヌンの奴!!
あきを自分の物みたいにさぁー!!けっ!!」

アコスは腰に手を当てて唾を吐いた。
クラーザは亜紀の腕を引き、早足で宿に向かった。

タッ..タッ...タッ...タッ...

クラーザの早足は亜紀の小走りにあたる。
亜紀はもうほとんど走っているに違いなかった。

「クラーザ..ごめんなさい...」

亜紀は後ろから話しかけた。
クラーザの険しい顔を見るまで、
この街の陽気さに飲まれ、うっかりしていた。

ここは戦場だ。
そして、この街は挑戦的な欲が渦巻いた、欲望の街だ。
美貌を持っている妖魔女の亜紀を手に入れたがる野心家がウジャウジャ集まっている。

それに、紅い眼の覚醒者のクラーザに、無駄に絡んでこようとする狂者も少なくはない。

そんな二人が揃っていれば、
目を光らせている連中の的になるのは、当たり前のことといっていい。

...タッ..タッ..タッ...タッ....

亜紀は自分に自惚れている訳ではないが、少し自覚しなければならない。

「....」

クラーザは黙って歩き続けた。
すると、やはり邪魔者が現れた。

「おい、そこのデカブツ野郎!ちょっと顔貸しなっ!!」

ざわつく屋台の道から離れた静かな路地裏で、二人は引き止められた。

ザッ...

気が付くと、前方に二人、後方に三人と取り囲まれる形になる。

「やっ...」

亜紀は野蛮な連中のにやけた表情を見て、背筋が凍った。
立ち止まるクラーザの背に、隠れるようにしてしがみついた。

「....」

クラーザは亜紀を後ろに回したまま、前方の偉そうにしている男を無言で見据えた。

「はーははっ..よく見りゃ、色男じゃねーか。
どこで買ったか知らねーが、その女、ここに置いてけや」

「てめー覚醒者だな?
悪いがこの街で覚醒者だの何だのって、通用しないぜ!
ボッコボコにしてやらぁ!!!!」

野蛮な連中は、酒の臭いを充満させていた。
酔った勢いで暴れ回るつもりだ。

「やっ...クラーザッ...!」

亜紀は男達がジリジリと近付いてくるのに脅える。

「ぎゃははっ!!!!
『きゃん♪クラーザぁん!!』だってよっ!!」

連中は、刃物を振り回しながら笑い転げた。

「よっ!クラーザちゃん!」

「クラーザちゃんも、俺らにヤラれちまうかぁ!!??」

「ぎゃはははっ!
いくらなんでもクラーザちゃんは、ガタイが良すぎんだろっ!!」

いくら馬鹿にされても、クラーザは挑発に乗らず沈黙を守った。
冷たい凍りついた、クラーザの紅い眼が男達を凝視する。

ザッ―――ザッ..ザザ....

連中のリーダー格と思われる生意気な男が、千鳥足でクラーザに近付いた。

「よーよー、クラーザちゃんよー」

ヒュン..ヒュン..

刃物を振り回す男。

「―――」

クラーザはカッと眼を見開いた!

「うわぁっっっ!!!!!!!!」

ドォオ――――ン!!!!

男はクラーザに手も触れることもなく、あっさり吹き飛んだ!
眼力のみの、クラーザの力。

「なななんだぁ!!?」

慌ておののく輩たち。
そこへようやく、クラーザの一言。

「――おい、おまえら。ディアマは、知っているのか」

「なっ!!!!」

「まっまさか....!!!!
クラーザって…あの…あのベルカイヌン...クラーザぁぁぁ!!!?」

生意気な連中は目が覚めたかのように、
何度も瞬きをして、冷や汗をダラダラと流した。

「うっ..わぁぁ!やべぇ!!」

一人が逃げ出すと、
残りの者も一目散に散らばっていった。

シンと静まり返った路地裏。
ホッとした亜紀はクラーザの横に立ち、クラーザを見上げた。

「クラーザって――そんなに、有名な人なの?」

クラーザはやはり顔色を変えずに答えた。

「らしいな」

冗談を真面目な顔をして言うクラーザに、亜紀は何だかそれだけでキュンとなる。
意外な一面を見れると、つい嬉しくなる。重症だ。

「クラーザ..ごめんね..」

「もう聞き飽きた」

クラーザはそう言って、ふんわりと亜紀を抱きしめた。

「ありがとう..クラーザ....」

「構わない」



屋台の並ぶ路面店では、まだみーちゃんが買い物に明け暮れていた。
が、ふと我に変える。

「げっ...」

辺りを見渡すみーちゃんは、アコスを見つけるや否や、大荷物を抱えて走って近付いた。

「ちょっと!クラーザさんと紅乃亜紀はどこへ行ったのよっ!
ランレートさんはぁ??
ってか、なんで私とあんたしかいないのよっ!!!!」

珍しく不機嫌なアコスはしかめっ面をつくり、みーちゃんに拳を向けた。

「んなこと、俺が知るかよっ!!」

「なぁっ..なぁによー!!」

「ベルカイヌンなら、いつものように澄まーした顔して、あきを宿かどっかに連れ去ったよっ!!」

「早くそれを言いなさいよ!」

「言ってどうなるってんだよ!!」

「あの二人を引き裂くのがあんたの使命でしょ!!!!」

「なんだよそれっ!そんなの知らねーよ!!」

「パザナ婆ちゃんに言われたじゃないの!忘れたの!!?
んじゃ、あんた、ここへ一体なにしに来たのよ!!」

「うっせーな!ブス!!!!」

アコスは罵声を浴びせて、とっとと歩き出した。
みーちゃんは開いた口がふさがらない。

「あ――――私のどこが、ブスだっていうのよっ!!!!」

アコスとみーちゃんは互いに背を向けて歩き出した。

二人は旅立つ前に、パザナに使命を与えられている。
難しいことはない。
ただ、亜紀を元の世界に帰すことだ。
そして、亜紀の妊娠の有無を調べることだ。

妊娠をしていなければ、力づくでもアコスの精子を植え付けさせるように、強く念を押されている。

「……ってか、ベルカイヌンってばいつの間にあきと!!!?って感じだぜっ!『あきとは、そんな関係じゃない~』なんて言ってたくせによー!」

アコスは独り言を呟きながら、宿に向かった。

アコスはクラーザに憧れて、『ディアマ』に入りたい一心で、ここまで来ていたが、いつの間にか色んな雑念が混ざってきていた。

「ディアマにも入りたいし...ベルカイヌンみたくなりてーし...
―――あきも欲しい...」

アコスからはやはり盗賊の風習が消えない。
野心は消えない。
そんな自分に嫌気がさす時もあるが、
結局『心のままに』動いてしまうのだ。




クラーザと亜紀は、集合場所である宿に真っすぐに向かい、先に部屋に入っていた。

宿で一息つくのかと思えば、亜紀の知らぬクラーザの客人が現れ、
クラーザとその客人が部屋で難しい話を繰り広げ始めた。

「....つまり、南軍が東軍のパモダン指揮官に..」

「で、勝因は?」

「――ダガラジ川の麓にある..」

「それは、お前に委ねた」

「シンバ后のラダ魔境は....」

「そんな情報は偽物だ」

クラーザと客人が息もつかず話し込んでいる様子を見て、亜紀は遠慮がちに、その部屋を出た。

(..クラーザの隣で話を聞いてるのも変だし....
お茶でもいれよう..)

亜紀は宿の部屋についている小さな流し台に立った。

キュッ..キュッ.....

蛇口をひねっても、水は出てこなかった。

「古っ...」

錆びた蛇口に文句を言って、亜紀はその場から離れた。

「ベルカイヌン様..」

亜紀が部屋を出て行ったのを見計らって、客人は話題を変えた。

「...」

クラーザは情報屋である客人に耳を傾ける。

「...あの女子は『滝の果て村』の巫女・新羅殿ですな?
わたくしら情報屋の間では、ベルカイヌン様が世にも美しい巫女を連れていると、今もっとも有名な情報だ」

情報屋の客人は良いものを見たと言わんばかりに、目を輝かせていた。

「新羅?」

クラーザはその言葉を煩わしそうに顔を歪める。

「いやいや、ベルカイヌン様。
心配しなくても、わたくしは他言はせんよ。
...ベルカイヌン様の情報を欲しがる輩は腐る程いるが、
このタミンは、決して...」

「タミン、あいつは巫女でも新羅でもない」

「へっ??でも...」

タミンは驚き目を丸くした。
新羅でないなら、何者なのか。
クラーザの色恋沙汰などの浮いた話は、昔から情報屋にもなかなか集まらなかった。

唯一、あるといえば、
『滝の果て村』に住む巫女である新羅が、クラーザと親しげだということ。

――そしてついに、
そんな新羅とクラーザが共に旅をしている、との情報がいつの間にか飛び交い始めたのだった。

「新羅殿でなければ一体...?」

タミンの首を傾げる姿。
クラーザは新羅の名をうざったく感じた。





ガガッ...

亜紀は宿主を探して、宿を出た。
宿の中にはいなかったので、宿付近の玄関や庭先などを見て回った。
蛇口を使えるようにしてもらわなければ...

「すみませーん...」

小声で宿主を探し回る亜紀。
先程クラーザと共に宿に入る時には、宿主に会ったのだ。
どこか近くにいるはずだ。

..ガサ....ガサ.....

「すみませ....」

亜紀が庭先に入った、その時!



ゴォォ―――――ッッ!!


頭上から、風をぶった切る音が聞こえた!

「ひゃっ...」

亜紀は自然に身を構えた。

ドサッッッ!!!!

亜紀が身を固くしていると、
亜紀の目の前に、何者かが現れた!

――いや、現れたというより、
倒れ込んできた、に近い。

「うぐっ!!!!」

まるで亜紀にしがみつくように、空中から亜紀に降ってきた!

「きゃっ!」

バタ....!

亜紀は支えきれずにそのまま地面に倒れ込んだ。

「いっ....たぁ...」

尻餅をついた状態で、顔を上げる。
すると、そこには....!

「...あっ....あぁっ...!!!!」

亜紀はその人に触れた両手を見つめた。

ガタガタ...

亜紀の両手が、あからさまに震えている。
その手が、赤い血で染まっていたからだ!

「...うっ....ぐっ.........あ..き....!!!」

亜紀にしがみついているのは、
死んだかと思われた、血みどろのイルドナだった!

「あっ..!..あぁぁ!...」

亜紀は口元も震わせながら、イルドナの身体に手をやる。
何かを確かめるように、イルドナの身体に触れる。

でも―――
何かが足りない!
何!?

頭の中が回転しなくて、何も考えられない!
イルドナは亜紀の肩に手をやり、自らの身体を起き上がらせる。

バサッ...

そして懐から何かを取り出し、亜紀に真っすぐ差し出した。

「..あき..こ..れ....を...!」


あっ!
左脚がない!
膝から下の、左脚が....!!!!


「きゃぁあ!!……クラーザ―――!!!!」


亜紀はイルドナのその痛々しい姿を見ていることができず、差し出してきたイルドナの手と一緒に、イルドナを抱きしめて包み込んだ。

グッ..

「クラーザ―!!!!クラーザぁぁあ!!!!」

亜紀は宿の中のクラーザに届く声で叫んだ。
イルドナは精魂尽きたのか、ダラリと亜紀に覆いかぶさる。

わからない!
わからない!!!!
なんで!
どうしてこうなっちゃうの!!!

頭が..心が追いつかないよ!



「あき!」

思わぬ速さでクラーザは現れた。
亜紀は涙を浮かべ、地べたに尻餅をついたまま、震える顔を上げた。

「クラーザぁ...!!」

イルドナを抱きしめる亜紀の腕が、生暖かい赤い血に濡れる。

「イルドナ!」

クラーザは直ぐさま亜紀に駆け寄り、イルドナの顔を確認した。

ガバッ..!

乱暴にクラーザの腕に支えられたイルドナは、うっすらと目を開けた。

「クラーザ...こ..れを..あきに......解毒..剤..だ....」

血みどろなイルドナの手からは、
イルドナの命の重さ程、価値のありそうな解毒剤が。

「いやっ...!イルドナさっ..!!
しっかりして!やだっ..!!」

亜紀は血に濡れた両手で、自分の顔を覆った。

イルドナは亜紀の為に、亜紀の呪いを解く為に、
これだけ大きな傷を負ったのだ。

亜紀の為に。

「―――イルドナさん!!!!」

亜紀の悲鳴のような悲しみの泣き声が、小さな庭先に響き渡った。

ガッッ..!!!!

クラーザは大柄なイルドナを力強く持ち上げた。

「クッ...クラーザぁ...!
イルドナさん...イルドナさんは、どうなるの...?」

亜紀は激しく動揺したままだ。
クラーザは真っすぐな視線を亜紀に向ける。

「心配は無用だ」

「クラーザ...」

クラーザは信じている。
いや、クラーザは確信している。
イルドナの命が助かることを。

イルドナの消息を、一度は本気で諦めた様子だったクラーザ。

だが、しかし、
イルドナは身がちぎれても、クラーザの元に帰ってきたのだ。
何がなんでも救ってやると、そんな表情である。

イルドナは直ちに宿の部屋に運び込まれた。
客人のタミンも、ひどく驚いた顔をしている。

「うぅ....くっ...」

イルドナは座敷に横たわり苦しむ。
クラーザは構わず、乱暴にイルドナの左腕を引っ張った。

「イルドナ、ここをやられたな?」

新羅の毒針の跡。

「イルドナさんっ...」

亜紀はイルドナの右手を握っている。
これが亜紀流の見守り方だ。

「新..羅の....呪いは......やはり新..羅にしか..解けん..!
この...解毒..剤は...呪いは回避..できんが....
呪い....によって...起こる...発熱や...病...邪念から...守ることは..できる..!
だから..早くあきに..解毒剤を!」

イルドナはクラーザに訴えた。
クラーザはこくりと頷く。

そして、クラーザが亜紀に解毒剤を向けた。
亜紀は険しい表情をして、顔を横に振る。

「アタシ....いらない!
イルドナさん使う!アタシいらない!!」

「..あき...頼..む...」

亜紀にそう言ったのはイルドナだ。
亜紀の為の解毒剤を、亜紀の為に使いたいのだ。

「イルドナさん....」

亜紀はもう何も言わずに、解毒剤をクラーザから受け取った。
白い紙に包んである解毒剤を、大事に握りしめる。





ググッ...!

「ぅああっ!!!!」

クラーザがイルドナの左腕を持ち上げると、異常な程に苦しがった。

「イルドナ、いいな?」

クラーザが仰向けになっているイルドナの左胸を押さえつけた。
まるで、左腕を引っこ抜くような姿勢だ。

「ベルカイヌン様!呪いをかけられている腕を切り落とすのは、あまりに危険だ!!
本人には多大な苦痛を伴う他、
ベルカイヌン様もただではすまぬやもしれん!!
イルドナの身体は、耐え切れずに死ぬかもしれぬぞ!」

タミンはあたふたと焦り出す。
つまり、傍観者すら危険だということだ。


グググッ...!!

クラーザは赤い眼を大きく見開いたまま、
イルドナの左腕を強く引っ張った!

「うがぁぁあぁ!!!!」

「―――死ぬのなら、俺に殺されて死ぬがいい!」

クラーザの眼は、強く恐ろしく真剣だ!

グググッ―――!!!!

「ぐぁあぁあぁあああ!!!!!!!」

クラーザに身体を押さえつけられ、
左腕を引きちぎられそうなイルドナは、
額に血管を浮き上がらせて叫んだ!

「ぁっ!イルドナさん!!!!」

亜紀もイルドナにしがみついた。
血管が浮き上がる右腕を、強く強く握りしめた。

「うぅぅ―――!!!!..ぐぁぁあぁあ!!!!!!!!」

ギュゥゥゥ!!!!

イルドナの力は強く、亜紀の手を壊れそうな程、握り返してきた。

「あぁっ!!!!」

亜紀の手に爪が減り込み、血が溢れ出す。
が、亜紀はイルドナの手を離しはしなかった。

ブチブチブチ―――!!!!


「がぁあぁっっ――――!!!!」

イルドナの叫び声と共に、クラーザはイルドナの左腕を引きちぎった!

「いやぁっ!!!!」

亜紀は生々しい音に目をふさぎ、イルドナの右手を両手で包んだ。

「―――」

クラーザは引き裂いた左腕を、部屋の隅に放り投げる。


ガガァ―――!

すると、そこへランレートが飛び込んできた。

ランレートのその表情を見ると、状況を悟っている様子。
いつもの冗談を言う感じは少しもなく、急いで部屋の中に入ってきた。

「カラケンザダ..!バラガァガラニ!!」

呪文を唱え、イルドナに近付くランレート。

「――シダアガイム!デェラ!!!!」

パパァァァ――――――....

ランレートが呪文を唱え終わると、
イルドナの身体が薄明るい光を放ち始めた。

その術が終わると、
イルドナの身体中の傷はほとんど完璧に癒えていた。

「...すっ..すばらしい..」

タミンは安堵の声を漏らした。
だが、クラーザも亜紀も表情が凍りついたままだ。

イルドナの左腕がない。
イルドナの....左脚もない。

これでは、笑えない。
『素晴らしい』とは言えない。

イルドナは、気絶するように眠った。
とりあえず、今は命の心配はなくなったといえる。





みーちゃんとアコスは、この少し後に宿に到着した。

「イ...イルドナがぁ....!!!!....うっうそだろ...!!」

イルドナの姿にアコスは自分の目を疑った。
とても、見れる姿ではなかった。

みーちゃんはイルドナとは全く関わりのない存在だったが、それでもイルドナの痛々しい姿を見て、唇を噛み締めた。

「...っ」

いや、みーちゃんはアコス達とは全く別の思いでいる。
イルドナは、亜紀のせいで深手を負った。
それが気に食わなかった。

イルドナの苦痛と比例して、
亜紀も顔を青ざめ、貧血状態になった。
そんな亜紀を、クラーザは軽々と抱き上げ、隣の部屋へと連れて行った。

「なによ........!」

みーちゃんは唇が裂けるくらいに、強く唇を噛んだ。



「あき、無事か?」

クラーザが亜紀を別室に移し、顔色を伺った。
ここはミールが最期に眠ったあの部屋だ。

「..うん...ごめんなさい..」

亜紀は震える手を胸にあてた。
クラーザは亜紀のその手を取る。

「あきのせいじゃない」

「クラーザ....」

「さあ、解毒剤を飲め」

亜紀は先程、イルドナから託された小包を取り出す。
紙を開くと、白い粉が少し。

「うっ...ひっく.....」

亜紀の目からは、涙が溢れ出た。
このたった少しの白い粉と引き換えに、イルドナは左の手足を失ったのだ。

「泣くな」

クラーザは亜紀の身体を優しく包み、解毒剤が床に零れてしまわぬよう、亜紀の口元に近付ける。

サラララ...

白い粉の解毒剤は、亜紀の口に流れていった。

「うぅ..うわぁぁ..クラーザぁ..」

亜紀は解毒剤を喉に流し込んでから、声を上げてクラーザの腕に泣きついた。
クラーザは黙って亜紀を抱きしめる。




『あき』



「えっ...?」

ふいに名を呼ばれ、亜紀はクラーザの腕の中で顔を上げた。

「....」

ふいに、クラーザの紅いその眼と視線が合う。
...だが、クラーザは不思議そうな顔をしている。

「クラーザ..?」




『あき、早く』



亜紀は耳に手を当てた。
これは、クラーザの声ではない。
そして、耳から聞こえる声でもない。

頭に響く―――――誰の声?

「あき?どうした」

クラーザが亜紀に問い掛けた。
亜紀は耳に手を当てたまま、視線をあちこちに飛ばし、クラーザに答える。

「なにか―――聞こえるの」

「なにがだ」

「クラーザ、待って...」







『早く気付いて。あき、早く―――――』


気付く?―――――何を?

早く?――――どうして?





『あき、早く急いで!!』





トサッ

「.....」

頭の中の声が聞こえなくなった途端に、畳みの上に何かが落ちた。

「.....」

クラーザがそれを拾いあげる。

それは―――
グラベンから預かった小袋だった。
亜紀のポケットに入ってた物が、どこからか抜け落ちて、畳みの上に。

「どうして、これが..」

亜紀はクラーザから小袋を受け取り、小袋をじっと見つめた。




とても―――
嫌な予感が、胸騒ぎがする。



亜紀は、小袋の中を空けようとした。

ガッッ...

すると、ランレートとみーちゃんが部屋に入ってきた。

「クラーザ、あきちゃん、ちょっといいかなぁ?」

ランレートは不満げな表情をしている。
その後ろで、みーちゃんが偉そうな顔をしている様子を見ると、どうやら、みーちゃんがランレートに何かを言ったようだ。

「なんだ?」

クラーザがランレートに尋ねると、みーちゃんは今か今かと待ち受けていたかのように首を出す。

「ねぇ!クラーザさん!
私達がここに来た目的は一体何なの!?」

みーちゃんは偉そうに腕組みをし、話しを続ける。

「まさか、あの死にかけた病人の手当てをしに来た訳じゃないわよね!?
解毒剤を手に入れる旅でもないわよね!?
私達は新たな玉石の情報を手にするた.....」

パサッ..

みーちゃんの話も聞かずに、
亜紀はグラベンの小袋の中を開けた。


―――コロン...

中から出てきたのは...



そこに出てきたのは、
白っぽい、少々重みのある石がいくつも...

「ちょっ....っっ!!!!」

みーちゃんが顔を引き攣らせ、声を上げる。

「ちょっと!!!!
なんで、あんたが玉石なんか持ってんのよ―――っっ!!!!」

いつになく大きな声で、亜紀に怒鳴りつけた。
亜紀はビクリと身体を震わせる。

「..玉..石...?」

その価値が理解できず、恐る恐る聞き返した。

「もぉ..そうやって、いちいち奇声上げるのやめてよぉ。
あきちゃんが怖がるでしょー」

ランレートはまたもや呆れ顔をする。
そろそろ、みーちゃんに対して嫌気が怒りに変わりそうだ。

「だってそうじゃない!!!!
...グラベン君ったら、こんな大事な物をこんな奴に渡すなんて、本気でどうかしてるわよっ!!!!」

みーちゃんは亜紀から、小袋ごと玉石をしゃくり上げた。

「....」

亜紀は空きになった手を広げたまま、黙りこくる。

玉石?なにそれ??


亜紀の気持ちを悟って、ランレートが亜紀に説明を始める。

「あのね、あきちゃん。玉石っていうのはね...」

玉石とは、
『封印』の力を持つ宝石である。
ある範囲を守備する、多大な力を持った石だ。
決められた範囲とは、約6000メートルをさす。

玉石は、
どんな強力な能力者でさえも、
太刀打ち出来ない守備力を発揮する。

なので、本来の玉石を目覚めさせることが出来れば、たった一つで城を守ることもできる。


「封印...」

亜紀は口にしたことのない言葉を呟く。

「そうだよ、あきちゃん。
だから、私達は玉石を集めているんだ。
私達の最期の戦いの為にね」

「..最期の...戦い...」

それは、パザナが言っていた『得体の知れない者との戦い』のことだと亜紀は思い知る。

「私達が全身全霊を込めて戦う戦いは、
ありとあらゆるものを巻き込むことになる。
――――だから、玉石の力が必要なんだ。
この世界を守る...大事な人達を守る為にね」

「この世界を守る....」

亜紀は確認するようにそう言って、クラーザの顔を見た。

「....」

クラーザの紅い眼は、しっかりと亜紀を見据えてくる。
『お前を守る』そう言っているみたいに。

「....あきちゃん、そんなに心配しないで。
玉石はあきちゃん達を守るだけじゃなくて、戦うクラーザや私達も、しっかり守ってくれるんだからね」

ランレートは優しく微笑んだ。

つまり玉石は、完全無欠な訳だ。
玉石を操れる者は、何からもどんな攻撃からも守られる。

「そんっっっっな大事な物を、
だからなんで、あんたに渡さなきゃいけないのよっ!!!!」

みーちゃんは玉石を託したグラベンではなく、憎き亜紀を攻める。

「...わからない..。
..グラベンさんどうして、アタシに大事、玉石渡したの...」

すると、戸惑う亜紀にクラーザが口を開く。

「あきに預けた方が、安全だと考えたからだろう」

「え..」

無力な亜紀がなぜ?

深く考え始める亜紀の肩を、
笑顔でランレートが、ポンと叩く。

「そんな深い意味はないよ。
たぶん、クラーザが命をかけてもあきちゃんを守るから、それに便乗して、玉石も守らせようって魂胆じゃないかな?
ほら、グラベン君は蛇威丸との厄介な戦いがある訳だし」

「そうなの...?」

クラーザも納得している顔はしていないが、想定で頷く。

「旅立つ前に、腑に落ちないことがあると俺が言ってしまったから、念のためのグラベンの判断だろう」


そうだ。
亜紀もなぜか不安な予感があった。
あれは、なんだったのか。


「グラベン君ったら!!!!
それならそうと言ってくれればいいのにぃー!!
なにも、こんな奴に渡すことないじゃないっ!!!!」

みーちゃんの『こんな奴』呼ばわりには、イラッとするところがあるが、確かにみーちゃんの言う通りだ。

「だぁから、グラベン君だって確信がなかったから、こうやって、コッソリあきちゃんに託したんでしょー」

ランレートはため息をつく。
どこまで、亜紀を目の敵にしているのだ、と。

ガガァァ―――――...

そこへ、アコスがやって来て、この話は終盤となった。

「なぁー、イルドナがそろそろ目を覚ましそうだぞ」

手足を失ったイルドナは、眠りが浅くなり、うなされ始めた。

「うん、今行くよ」

ランレートは、また看病に入ろうとした。

「ったく!一体、何しにこの街に来たんだか、わかんないわよっ!」

またみーちゃんが不満をこぼした。
だが、もう誰もみーちゃんの相手をしない。

ジャラジャラ...

みーちゃんは、小袋を握りしめ玉石を鳴らす。





「あっ..そうそう..あきちゃん」

ランレートは部屋を出て行きそうになり、再び亜紀に振り向いた。

「はい..?」

「玉石の話の続きだけど..」

皆が、ランレートに注目する。

「この世には、玉石が24個存在するんだ。
私達はそれを全て集める。
最期の戦いには玉石24個を使って、最大限に守備をはるんだ。
現在、私達が集めた玉石は―――――」

ガサ...

みーちゃんは、小袋の中身を確認し「11個ある」と言う。
すると、またランレートが話し出す。

「じゃあ、グラベン君が残りの2個持っているね。
それから、蛇威丸の5個を彼らが奪ってくるから、
合計で18個になるんだ」


え.....


「あきちゃん、玉石の説明はこれでわかったかな?
残りは6個だよ」

ランレートが部屋を出て行きそうになった。

「あのっ...ランさん..」



亜紀は、キョトンとした顔でランレートを引き止めた。

だって...


「ん?」

ランレートは、亜紀の戸惑う顔を見つめた。
亜紀はランレートが言い忘れたのかとも思った。

だが、変に胸につかえるので尋ねてみる。

「あの....」

クラーザも亜紀の顔をジッと見つめた。


「あの――――アダさんも、持ってる...

..その..あの...首から、紐にかけて、玉石ひとつ...」






「―――――――――――」




亜紀の言葉に、その場が凍り付いた。



「アダさん...玉石持ってる..」





ドダドダ..!!!!

グイッッ!!!

みーちゃんが、猪のように亜紀に突進してきて、胸倉を力いっぱい掴んできた。

「きゃっ!」

「あんた、何ぬかしてんのよっ!!
アダさんが玉石を持ってる訳ないじゃないっっっ!!!!
いい加減なことばっか、言ってんじゃないわよっ!!!!!!!!」

みーちゃんの逆鱗に触れたようだ。

だが、事実だ!
『玉石』というものを、今はっきりと亜紀はこの目に見てわかった。

あの夜、
アダが一人で水を浴びていたのを、亜紀はたまたま見た。

あの時、
『玉石』と同じものを、アダは首から下げていたのだ。

不自然なネックレスだと思っていた、先端に付いていた石は紛れも無く『玉石』だ。


「嘘ちがう...!アタシ、見た..!」

亜紀は慌ててそう言った。

グイッッッ―――――!!!!

みーちゃんは亜紀の首元の服を引き伸ばしてしまうくらいに、上に突き上げた!

「じゃあ、あんた!!!!
アダさんが裏切り者だって言うのっっ!!!!?」


裏切り者―――――!!?


「―――――っ!!」


亜紀は目を丸くして驚いた。

アダさんが裏切り者!?




「離せ」

声を失う亜紀の横から、クラーザが出てきた。

ガバッ!

今度はクラーザが乱暴にみーちゃんの胸倉を掴み上げる。

「ぎゃあっ!」

みーちゃんはクラーザのいきなりの行動に悲鳴を上げた。
クラーザが女に手をあげることなど、今までになかった。
だから、余計に皆も驚く。

「みね、ふざけるな」

「いやっ!クラーザさぁん!!」

みーちゃんは半泣きで抵抗した。
そんなみーちゃんを、クラーザはすぐに引き離す。

ドサッ

みーちゃんは床に叩きつけられ、畳に崩れ落ちる。
畳に手をついたまま、縋り付くような目でクラーザに訴えた。

「だって...!だって..!!!!
アダさんが、玉石を持っているだなんて...!!!!
こいつが嘘を言っていなかったら、
アダさんが裏切り者になっちゃうじゃない!!!!」

クラーザは苛立っていた。
切れ長の紅い眼を、カッと見開く。

「アダは裏切り者だ」




「――――――」

「――――――」


しばらく沈黙が続いた。



「まさか...」

ランレートは信じがたい気持ちで、声を震わせた。

「じゃあ...どうなるってんだよ!??」

アコスは頭が回らない。

「クラーザ...」

亜紀はガタガタと身体を震わせる。
クラーザだって本当は信じたくはないはずだ。

アダの裏切りなんて。
ディアマの中に裏切り者がいただなんて。

「クラーザさんのバカ!!!!
どうして、そんな奴の言うこと信じるのよっ!!!!
そいつのせいで、何もかもめちゃくちゃにされてんのに!!!!
クラーザさん、頭おかしいわよっ!!騙されてんのよ!!!!」

グッ――――!

「なんだと?もう一度言え」

クラーザが再びみーちゃんを掴み上げた!

「ク...クラーザ..!やめてっ...」

亜紀は叫びながら、クラーザを止めようとした。
クラーザがこんな風に怒りをあらわにし、乱暴をするなど見たことがない!

グググッ...

力の強いクラーザは亜紀に腕を引っ張られてもビクともしない。
そのまま、みーちゃんを天井高く突き上げる!

「ううっ..!!!!」

みーちゃんは息苦しそうな顔をする。

「もう一度言え。アダの前にお前を殺す」

「やめて!クラーザ!!...クラーザ、もうやめてっ!!!!」

亜紀はクラーザの背中を何度も叩いた。

「クラーザぁぁ!!!!!!!!」

「うっ...ひぃぃ....!...やっ....やべ..てぇ...!!」

みーちゃんは首を締め上げられ、必死に悲願した。
亜紀以外の誰も、クラーザを止めようとしなかった。

ランレートは険しい顔付きで、その場を見守る。
アコスは周りの様子を伺いつつも、自分の居場所を確保しようと有利な立場を選んでいる。

「クラーザ、お願い...!やめて!!みーちゃん死んじゃう!!!」

「..ごめんなさぁ...いぃ...許し..てぇ..!!..クラーザさぁ..」

いとも簡単に、みーちゃんは自分の非を認めた。
亜紀はみーちゃんのその言葉に敏感に反応する。

「クラーザ、もう許す!みーちゃん、謝ってる!!」

「..ごめんなさぁ...もう...言いま..せぇん...!!」


ドサッッ..

すると、クラーザはみーちゃんを畳みの上に落下させた。

「...許した訳ではない」

「うっ...ひぃ..ひぃぃ...」

みーちゃんは喉元に手を当てて、一気に息を吸い込んだ。
話が一段落する前に、すぐにランレートが次のことを口にした。

「クラーザ、一体どうする?」

どんな時でもあのマイペースなランレートが、焦りを隠せずにいる。

「グラベン君達はアダの裏切りに、まだ気が付いていないんだ。
アダは....何か企んでいる!」

クラーザはランレートに真っすぐな視線を向けて、ゆっくりと頷いた。

「目的は―――玉石だけじゃないはずだ。パザナかもしれん」

「パザナ――――!」

ランレートは過去のことを、すぐに思い返す。
....アダは、あまりパザナに近付きたがらなかった。

アダのクールな性格上、それは口やかましいパザナが面倒だからかと思っていたが、パザナがアダの計画に気付いてしまうと考えていたからだったら、どうだろう。

パザナは多少の予知能力もある。
アダがパザナを避けるのは当然のことだ。

「皆が危ない!!!!」

ランレートは取り乱すように叫んだ。

「クラーザ、私は村に戻る!」

ランレートが蒼白な顔をしている。
ランレートにとって村には、パザナだけじゃなく黒柄もいるからだ。

「わかった」

クラーザは了解する。
すると、ランレートはアコスに振り返った。

「アコス君、君に頼みがある」

「うえっ??」

「イルドナを『草木の洞窟』に連れて行ってほしい。
そこに、私の古くからの知人がいる。
彼ならイルドナの傷を治せるはずだ」

「う...うん、わかったよ...」

この場で拒否権などなかった。
次にランレートはみーちゃんを見た。
みーちゃんは、脂汗を拭いながらランレートに言う。

「...私は、蛇威丸の元に..
グラベン君や楓達のところに行くわ。
もしかしたら、アダさんの裏切りをまだ止められるかもしれない...!!!!」

みーちゃんの言葉にランレートが頷いた。

「最悪な事態になる前に、アダを止めよう...!」

ランレートは直ぐさま、部屋を飛び出して行った。

みーちゃんも慌ただしく旅立つ支度を始める。

「..みーちゃん..気をつけて..」

荷物をまとめるみーちゃんの後方から、亜紀は話しかけた。
亜紀にはそれしかできない。

ガサ...パサッ...ガサガサ...

「....」

みーちゃんは黙って荷物の整理を急ぐ。

「....」

亜紀も俯いて黙った。

ガタン…!

荷物を肩に背負って、立ち上がながら振り向いた。

「..みーちゃん」

亜紀は不安そうな表情でみーちゃんを見つめた。

ドカッッ

「あっ―――...」

亜紀はみーちゃんにぶち当たられ、床に倒れた。

「――――――」

みーちゃんの痛々しい程の睨み付ける視線が、亜紀を突き刺す。

「....」

亜紀は床に倒れたままみーちゃんを見つめた。

まだ、アタシを恨んでいるの?
どうして、そんなにも、アタシを憎むの?

「紅乃亜紀」

みーちゃんは亜紀に指をさす。
ここには、クラーザもいない。

「あんたを国に帰すように、パザナ婆ちゃんに言われてたけど、あんたを国には帰さない。あんたは私が必ず殺す」




『あき、早く気付いて』


あれは、ミールの声だった。
ミールは、今も亜紀を見守っている。

亜紀を救っている。




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