陛下の恋、僕が叶えてみせます!

真木

文字の大きさ
25 / 33

25 ビターチョコレートの儀式

しおりを挟む
 建国のときに精霊がまたやって来ると約束した日、それが降臨祭の最終日と決められている。
 初代国王は騒ぐことが大好きなヴァイスラントの国民性は当然知っていて、最終日から数えて十日間を降臨祭としたわけだが、公式見解では最終日以外はただの祝日だ。現在の国王ギュンターも、別段降臨祭に便乗して国民に何かの義務を課すつもりはないのだった。
 しかしそんな良心的な国王の下、ヴァイスラント国民はのびのびと降臨祭を満喫していて、いつの間にか国民の手によって公式行事を創設することに成功していた。
「ということですので、陛下。早速サロンへお出ましください」
 最終日の前日の朝、いつものように執務室で仕事を始めようとしたギュンターの下に、ある重臣が訪れて進言した。
 ギュンターはむっつりと顔を引き結んで言う。
「どういうことかわからない上に、私は忙しいのだが」
「お忙しくはないはずです。昨日、マリアンヌ様が大方片付けてくださったとのことですから」
 ギュンターが毎度心の中で舌打ちするこの重臣、ゲシヒト・バルガス総帥は、元が農夫であったとは思えないほど理詰めで動く男だった。
 ギュンターはじろりとゲシヒトを見て言う。
「何より私はその行事について聞かされていない」
「はっ……申し訳ございません! 失念しておりました」
 大いなる到達点に向けてあらゆる困難を乗り越えて進み、その過程で肝心なところをすっ飛ばすところなど、さすがカテリナの父親でもあった。
 ゲシヒトは熊のような体躯を小さく丸めて謝罪する。
「私の責任です。荷物をまとめて午後にでも辺境に帰ります」
「帰るな、卿よ。あなたにはやってほしい仕事がまだ山ほどあるんだ」
 その気概は大いに国を盛り立ててくれたのだが、未だに新米騎士並みの素直さで仕事に当たるので、ギュンターは彼の前でうっかり舌打ちもできないのだった。
「わかった。いや、何もわかってはいないがわかったことにして話を進める。私は何をすればいいんだ?」
 ギュンターが油断したのは、いつもヴァイスラント国民が創設する公式行事はそんなに手間がかからないためだった。大体何か食べるか踊るかのどちらかで、国王たるものその程度の余興はたやすくこなしてみせなければならない。
 ゲシヒトはすっきりと過去の苦難は忘れる性質で、陛下が同意してくださったと晴れやかにうなずいて言った。
「陛下には召し上がっていただきたいものがございます」
 ゲシヒトは満面の笑顔で、ギュンターを導いて歩き出した。
 彼が向かったのはローリー夫人のサロンで、衛兵が扉を開くとそこは一面ピンク色の世界だった。
 花もカーテンもピンク、天井からひらひら下がるリボンも実に少女趣味で、イベントならではだった。ヴァイスラントの国民はこういう形から入る盛り上がり方が好きなので、ギュンターも慣れていた。
「ローリー夫人があちこちにお声がけくださいましたので、朝から大変盛況しております」
 精霊が好きだったというピンク色の牛乳でも飲めばいいのだろうかと、気楽な気持ちで辺りを見回していると、普段とは違う濃密な香りがギュンターを包んだ。
 ギュンターは何の香りだろうとは思ったが、女性陣が集まるところにはよくあるような気がして、別段不審には思わなかった。
「こちらへどうぞ。ローリー夫人がお待ちです」
 それはそうと、ゲシヒトは熊のような見た目に反して繊細な心配りができる男で、流れるようにギュンターを席に導いて、ローリー夫人への代理のあいさつもこなしていた。
「カティ、今後の参考によく見ておけ。随行というのはああやって……」
 いつもの癖で斜め後ろに話しかけたがそこに少年騎士の姿はなく、ギュンターはそこに久方ぶりの令嬢の苦笑をみとめた。
「すっかりお側にいるのが当たり前になっているのね、カティさんは」
 鈍さは自覚があるギュンターでも、さすがにアリーシャのその言葉が皮肉だとは気づいた。
「お隣、よろしいかしら?」
「あ、ああ」
 優雅に隣の席に座るアリーシャに、振られて気まずいのは俺の方なんだがと思いつつ、アリーシャが怒っている気配をひしひしと感じて何とも言えないギュンターだった。
 思い返せば今日は、カティは用事があるとかで、遅れて出勤してくる予定だった。今はなぜかお守りのようにカティに側にいてほしかったと、ギュンターは訳もなく冷や汗をかく。
 ゲシヒトはローリー夫人の座る中央のテーブルの前で立ち上がって、列席者を目視で確認する。
「お揃いのようですね。では」
 いつの間にか司会も担当しているらしいゲシヒトは、そつなく出席確認をしてから口を開く。
「降臨祭の成功を祈念して、陛下にチョコレートを召し上がっていただきます」
 ここに来る間にゲシヒトから受けた説明によると、ギュンターはこの行事の最初にチョコレートを食べればいいらしい。
 これまでに数々の行事で種々の食べ物を口にしてきたギュンター、別にチョコレートくらい笑顔で食べきってみせる自信がある。
「国民を代表して、アリーシャ嬢。よろしくお願いします」
 問題は、この行事は「女性が初恋の男性にチョコレートを贈る」というもので、食べてもらえれば今の恋が成功するという、誰が決めたかわからないルールがあるのだそうだ。
 ギュンターの元に進み出て、アリーシャが箱を差し出す。
「陛下、ヴァイスラントの男性代表としてお受け取りください」
「……ありがとう」
 今の恋のためにチョコレートを食べさせられる過去の男の気持ちを考えてくれ。ギュンターはそんな素朴な疑問を世の男性たちにもっと持ってほしいと思いながら、お祭りに頭が春になっているヴァイスラント国民が聞くはずがないのもわかっていた。
 ギュンターはアリーシャから星型の箱を受け取って、そこからチョコレートを取り出す。
 口に入れて、一瞬そのあまりの苦さに噴きそうになった。目だけでアリーシャに訴えると、彼女は涼しげに微笑んで見せた。
 ちなみに苦ければ苦いほど新しい恋がうまくいくらしい。繰り返すが、それを食べさせられる過去の男の気持ちをもう少し汲んでほしい。
 カティ、何の用事かわからんが早く出勤しろ。ギュンターが心の中で叫んでいたのと同じ頃、カテリナは騎士団寮の一室でチョコレートを差し出していた。
 カテリナのその日の姿は普段とは違っていて、見る人が見たら驚いたに違いなかった。
「ウィラルドさま、受け取ってくださいますか」
 カテリナは騎士団寮の自室で着替えて髪も下ろし、地味ではあるが家でだけ着る女性の服装をまとっていた。
「こんなこと言ったら迷惑だってわかってます。私は女で、それで……騎士団に入ったときから、ウィラルドさまが好きだったってことも」
 向かい合って立つウィラルドは、驚くさまもなく、ただ少し目を伏せてカテリナの言葉を聞いていた。
「降臨祭がなければ、私は何も打ち明けずに騎士をやめていました。でも降臨祭は、私を囲む幸せにも気づかせてくれた。私は騎士でいたいんです」
 次第に声が小さくなって、カテリナは赤くなりながらぼそぼそと言う。
「ごめんなさい。黙ってて。……好きなんて言って」
 また彼の下に戻るのを考えるなら、性別も好意のことも、言わない方がいいのはわかっていた。それでも言ってしまったのは、たぶんウィラルドに甘えていた。
 そういうカテリナのことを理解した最初の他人も、きっとウィラルドに違いなかった。
「一応言っとくよ。カティはさ、真面目に仕事しようとするあまり、俺に好かれようってがんばってた気がする」
 ウィラルドは目を上げてカテリナを見やりながら、上司らしい諭すような声音で言った。
「それはたぶん恋じゃないよって言ったら、カティの今の恋を否定することになるか?」
「今の恋? 私が?」
 カテリナは目をまたたかせて、不思議そうに問い返す。
 ウィラルドは苦笑してうなずくと、カテリナはうつむいて思いを巡らせる。
「カティは恋をしてるよ。俺にはわかる」
 ウィラルドの目を見返して、カテリナはふいに息を呑む。
 彼の意図するところに気づいて、カテリナはわたわたと混乱した。
「え、でも、嫌いじゃないだけで、ずっと苦手なだけで……!」
 カテリナはさっきとは別の意味で赤くなって、首を横に振りながら否定する。
 ウィラルドは笑い声を立てて、腰に手を当てて言う。
「気づいたか。さて、俺はどうしよう。……邪魔したいな。意地悪したい。どうしよっかな」
 慌てるカテリナの前でウィラルドはうなって、カテリナの差し出したチョコレートの箱を見る。
「これを食べなかったら、まだ俺への初恋は継続って考えていい?」
 目をくるくる回しているカテリナを面白そうに見て、ウィラルドはぱっとカテリナの手からチョコレートの箱を取った。
 蓋を開けて一つ取り出すと、ウィラルドは悔しそうに言った。
「でもカティは俺よりあの人といる方が、楽しそうだしな」
 ウィラルドはチョコレートを口にして、独り言のようにつぶやく。
「……甘い。ちょっと苦い」
 それが幸いのように苦笑して、ウィラルドは初恋の味をかみしめたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子の寝た子を起こしたら、夢見る少女では居られなくなりました!

こさか りね
恋愛
私、フェアリエル・クリーヴランドは、ひょんな事から前世を思い出した。 そして、気付いたのだ。婚約者が私の事を良く思っていないという事に・・・。 婚約者の態度は前世を思い出した私には、とても耐え難いものだった。 ・・・だったら、婚約解消すれば良くない? それに、前世の私の夢は『のんびりと田舎暮らしがしたい!』と常々思っていたのだ。 結婚しないで済むのなら、それに越したことはない。 「ウィルフォード様、覚悟する事ね!婚約やめます。って言わせてみせるわ!!」 これは、婚約解消をする為に奮闘する少女と、本当は好きなのに、好きと気付いていない王子との攻防戦だ。 そして、覚醒した王子によって、嫌でも成長しなくてはいけなくなるヒロインのコメディ要素強めな恋愛サクセスストーリーが始まる。 ※序盤は恋愛要素が少なめです。王子が覚醒してからになりますので、気長にお読みいただければ嬉しいです。

身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)

柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!) 辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。 結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。 正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。 さくっと読んでいただけるかと思います。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

転落令嬢と辺境公爵の開墾スローライフ~愛と勇気と知恵で、不毛の地に楽園を築きます!

紅葉山参
恋愛
ミッドガル帝国で最も華麗と称されたわたくし、伯爵令嬢ミーシア。そして、私の夫となる公爵ラッシュ様は、類稀なる美貌と才覚を持つ帝国の至宝でした。誰もが羨む、才色兼備の私たち二人。その輝きは、いつしか反国王派閥の憎悪の的となってしまったの。 悪辣なマカリスタとモンローの陰謀により、私たちは帝国の果て、何もない不毛の地に追いやられてしまいました。 ですが、愛するあなたと一緒ならば、どんな困難も乗り越えられます。 公爵であるラッシュ様と、わたくしミーシアは、全てを失ったこの辺境の地で、愛と勇気、そしてこれまでの知識を活かし、ゼロから生活を立て直します。 これは、二人のワンダフルライフ! 貧しい土地を豊かな楽園へと変えていく、開拓と愛情に満ちた物語です。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

政略結婚した旦那様に「貴女を愛することはない」と言われたけど、猫がいるから全然平気

ハルイロ
恋愛
皇帝陛下の命令で、唐突に決まった私の結婚。しかし、それは、幸せとは程遠いものだった。 夫には顧みられず、使用人からも邪険に扱われた私は、与えられた粗末な家に引きこもって泣き暮らしていた。そんな時、出会ったのは、1匹の猫。その猫との出会いが私の運命を変えた。 猫達とより良い暮らしを送るために、夫なんて邪魔なだけ。それに気付いた私は、さっさと婚家を脱出。それから数年、私は、猫と好きなことをして幸せに過ごしていた。 それなのに、なぜか態度を急変させた夫が、私にグイグイ迫ってきた。 「イヤイヤ、私には猫がいればいいので、旦那様は今まで通り不要なんです!」 勘違いで妻を遠ざけていた夫と猫をこよなく愛する妻のちょっとずれた愛溢れるお話

処理中です...