12 / 25
12 内なる激しさ
夜更けの保養所は、にぎわいを作っている無性たちが眠りにつくと一変し、深い静寂が訪れる。
ギルは巡回を終えて回廊を歩いていたとき、一室の扉の隙間からもれる灯りに気づいた。
そこはこの保養所唯一の医師、シノンの部屋だった。
ギルは日課となっている巡回の際、何度もシノンの部屋の前を通ったことがある。けれどシノンはとても規則正しい生活をしていて、夜明けと共に起き、日没と共に休んでいるようだった。
とうに日は暮れて、しっとりとした夜気が漂う。だからシノンがまだ起きているとは珍しいと、思わず足を止めてしまった。
覗くつもりはなかったが、室内の窓辺で立つシノンと目が合った。シノンは立ったまま額に手を当てて、どこか憂い顔だった。
何となくそのまま通り過ぎることができず、ギルは控えめに声をかける。
「……まだお休みではなかったのですね」
シノンは自分から扉を開いてギルを招き入れると、椅子を勧めながら言う。
「そういうあなたも、いつも遅くまで巡回されているようだ。……どうぞ、お出しするものもありませんが」
シノンの声音に疲れの色はなかったが、どこか張り詰めていた。
ギルはためらった末に、シノンの机の横に置かれた椅子に掛ける。
少し二人の間に沈黙があった。ギルはシノンを正面から見返すのを避けながら問う。
「私の思い違いなら申し訳ない。……シノン様は、イリヤ様を以前からご存じなのではありませんか」
シノンは少しだけ目を伏せ、炎の揺らめきに顔を染めた。
ギルはその沈黙を肯定と取って、言葉を続ける。
「患者に対するには、情を感じるのです。同属意識なのかと思っていましたが、それにしては……」
シノンはふいに息をつくと、さらりと答える。
「隠していたわけではありません。……私とイリヤは、精霊界から出るときに分かたれた兄弟なのです」
目を見張ったギルに、シノンは湖面のように波の無い表情のままで言う。
「別れたときイリヤは幼く、私のことを覚えていない。無理に記憶を掘り返して、彼が体験したつらい過去まで呼び覚ますのは避けたいのです」
シノンは銀色の瞳でギルを見据えて告げる。
「私もお尋ねしたい。……イリヤは殿下の元で、何があったのですか。医師としても、兄としても知る権利があると思っています」
ギルはとっさにシノンと目を合わせるのを拒んだ。その仕草にシノンは微かに目を尖らせる。
「……それだけつらいことがあったと」
淡々と告げる口調の奥に、抑えきれぬ情の色がにじんでいるのを、ギルは感じ取った。
保護者としての冷静な言葉ではない。もっと切実で、焦燥に駆られた響きだった。
ギルは思わず確認するように問う。
「あなたは……兄としてイリヤ様を守りたいと思っておいでなのですね」
シノンはふっと影を帯びた微笑みを浮かべる。
「聞いたことはありませんか。精霊は血縁も、男女も関係ない。愛するか愛さないかだけだと」
ギルがはっと息を呑むと、シノンは静かに続ける。
「精霊にとって愛は形を定めません。ただひとりを思うとき、それは慈しみであり、執着であり、時に性愛です。区切る必要などないのです」
その言葉は穏やかだったが、銀の瞳には静かな炎が宿っていた。純粋であるがゆえに、危うさを孕む光だった。
「愛していれば、兄であり、友人であり……恋人にもなりうるのです」
ギルは背筋に冷たいものを覚える。
シノンは机の上で組んだ指を強く握りしめ、低く呟いた。
「ただ、精霊は見返りも求めない。私はただ彼を守る」
一瞬、シノンは普段見せない自身の感情の激しさに、言葉に詰まったようだった。
けれど次の瞬間、きっぱりと言い切る。
「……二度と彼を傷つけさせはしない」
その声音には、庇護を超えた独占欲があった。
ギルは答えず、ただ視線を落とした。
――イリヤ様を求めているのは殿下だけではない。この精霊もまた、強烈に彼を欲している。
愛という名で覆いながら、その実、誰よりも強い鎖となり得る。
――けれど私は殿下の臣下だ。……シノン様と対立することが、ないと良いが。
燃える蝋燭の音が小さく弾け、静かな部屋に響いた。
ギルはその音に身を震わせながら、複雑な想いを胸に、灯りの部屋を後にした。
ギルは巡回を終えて回廊を歩いていたとき、一室の扉の隙間からもれる灯りに気づいた。
そこはこの保養所唯一の医師、シノンの部屋だった。
ギルは日課となっている巡回の際、何度もシノンの部屋の前を通ったことがある。けれどシノンはとても規則正しい生活をしていて、夜明けと共に起き、日没と共に休んでいるようだった。
とうに日は暮れて、しっとりとした夜気が漂う。だからシノンがまだ起きているとは珍しいと、思わず足を止めてしまった。
覗くつもりはなかったが、室内の窓辺で立つシノンと目が合った。シノンは立ったまま額に手を当てて、どこか憂い顔だった。
何となくそのまま通り過ぎることができず、ギルは控えめに声をかける。
「……まだお休みではなかったのですね」
シノンは自分から扉を開いてギルを招き入れると、椅子を勧めながら言う。
「そういうあなたも、いつも遅くまで巡回されているようだ。……どうぞ、お出しするものもありませんが」
シノンの声音に疲れの色はなかったが、どこか張り詰めていた。
ギルはためらった末に、シノンの机の横に置かれた椅子に掛ける。
少し二人の間に沈黙があった。ギルはシノンを正面から見返すのを避けながら問う。
「私の思い違いなら申し訳ない。……シノン様は、イリヤ様を以前からご存じなのではありませんか」
シノンは少しだけ目を伏せ、炎の揺らめきに顔を染めた。
ギルはその沈黙を肯定と取って、言葉を続ける。
「患者に対するには、情を感じるのです。同属意識なのかと思っていましたが、それにしては……」
シノンはふいに息をつくと、さらりと答える。
「隠していたわけではありません。……私とイリヤは、精霊界から出るときに分かたれた兄弟なのです」
目を見張ったギルに、シノンは湖面のように波の無い表情のままで言う。
「別れたときイリヤは幼く、私のことを覚えていない。無理に記憶を掘り返して、彼が体験したつらい過去まで呼び覚ますのは避けたいのです」
シノンは銀色の瞳でギルを見据えて告げる。
「私もお尋ねしたい。……イリヤは殿下の元で、何があったのですか。医師としても、兄としても知る権利があると思っています」
ギルはとっさにシノンと目を合わせるのを拒んだ。その仕草にシノンは微かに目を尖らせる。
「……それだけつらいことがあったと」
淡々と告げる口調の奥に、抑えきれぬ情の色がにじんでいるのを、ギルは感じ取った。
保護者としての冷静な言葉ではない。もっと切実で、焦燥に駆られた響きだった。
ギルは思わず確認するように問う。
「あなたは……兄としてイリヤ様を守りたいと思っておいでなのですね」
シノンはふっと影を帯びた微笑みを浮かべる。
「聞いたことはありませんか。精霊は血縁も、男女も関係ない。愛するか愛さないかだけだと」
ギルがはっと息を呑むと、シノンは静かに続ける。
「精霊にとって愛は形を定めません。ただひとりを思うとき、それは慈しみであり、執着であり、時に性愛です。区切る必要などないのです」
その言葉は穏やかだったが、銀の瞳には静かな炎が宿っていた。純粋であるがゆえに、危うさを孕む光だった。
「愛していれば、兄であり、友人であり……恋人にもなりうるのです」
ギルは背筋に冷たいものを覚える。
シノンは机の上で組んだ指を強く握りしめ、低く呟いた。
「ただ、精霊は見返りも求めない。私はただ彼を守る」
一瞬、シノンは普段見せない自身の感情の激しさに、言葉に詰まったようだった。
けれど次の瞬間、きっぱりと言い切る。
「……二度と彼を傷つけさせはしない」
その声音には、庇護を超えた独占欲があった。
ギルは答えず、ただ視線を落とした。
――イリヤ様を求めているのは殿下だけではない。この精霊もまた、強烈に彼を欲している。
愛という名で覆いながら、その実、誰よりも強い鎖となり得る。
――けれど私は殿下の臣下だ。……シノン様と対立することが、ないと良いが。
燃える蝋燭の音が小さく弾け、静かな部屋に響いた。
ギルはその音に身を震わせながら、複雑な想いを胸に、灯りの部屋を後にした。
あなたにおすすめの小説
人気アイドルの俺、なぜかメンバー全員に好かれてます
七瀬
BL
デビュー4年目の人気アイドルグループ「ECLIPSE(エクリプス)」に所属する芹沢 美澄(せりざわみすみ)は、昔からどこか抜けていてマイペースな性格。
歌もダンスも決して一番ではないはずなのに、なぜかファンからもメンバーからも目を離されない存在だった。
世話焼きな幼なじみ、明るく距離の近い同い年、しっかり者で面倒見のいい年上、掴みどころのない自由人、そして無言で隣にいるリーダー——。
気づけば、美澄の周りにはいつも誰かがいて、当たり前のように甘やかされていく。
【完結】もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない
バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《根暗の根本君》である地味男である<根本 源(ねもと げん)>には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染<空野 翔(そらの かける)>がいる。
ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない??
イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。
【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』
バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。 そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。 最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m
あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!
キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!?
あらすじ
「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」
前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。
今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。
お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。
顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……?
「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」
「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」
スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!?
しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。
【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】
「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」
娼館で死んだΩですが、竜帝の溺愛皇妃やってます
めがねあざらし
BL
死に場所は、薄暗い娼館の片隅だった。奪われ、弄ばれ、捨てられた運命の果て。けれど目覚めたのは、まだ“すべてが起きる前”の過去だった。
王国の檻に囚われながらも、静かに抗い続けた日々。その中で出会った“彼”が、冷え切った運命に、初めて温もりを灯す。
運命を塗り替えるために歩み始めた、険しくも孤独な道の先。そこで待っていたのは、金の瞳を持つ竜帝——
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
溺愛、独占、そしてトラヴィスの宮廷に渦巻く陰謀と政敵たち。死に戻ったΩは、今度こそ自分自身を救うため、皇妃として“未来”を手繰り寄せる。
愛され、試され、それでも生き抜くために——第二章、ここに開幕。