氷の男精は優しい灯りを夢見る

真木

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12 内なる激しさ

 夜更けの保養所は、にぎわいを作っている無性たちが眠りにつくと一変し、深い静寂が訪れる。
 ギルは巡回を終えて回廊を歩いていたとき、一室の扉の隙間からもれる灯りに気づいた。
 そこはこの保養所唯一の医師、シノンの部屋だった。
 ギルは日課となっている巡回の際、何度もシノンの部屋の前を通ったことがある。けれどシノンはとても規則正しい生活をしていて、夜明けと共に起き、日没と共に休んでいるようだった。
 とうに日は暮れて、しっとりとした夜気が漂う。だからシノンがまだ起きているとは珍しいと、思わず足を止めてしまった。
 覗くつもりはなかったが、室内の窓辺で立つシノンと目が合った。シノンは立ったまま額に手を当てて、どこか憂い顔だった。
 何となくそのまま通り過ぎることができず、ギルは控えめに声をかける。
「……まだお休みではなかったのですね」
 シノンは自分から扉を開いてギルを招き入れると、椅子を勧めながら言う。
「そういうあなたも、いつも遅くまで巡回されているようだ。……どうぞ、お出しするものもありませんが」
 シノンの声音に疲れの色はなかったが、どこか張り詰めていた。
 ギルはためらった末に、シノンの机の横に置かれた椅子に掛ける。
 少し二人の間に沈黙があった。ギルはシノンを正面から見返すのを避けながら問う。
「私の思い違いなら申し訳ない。……シノン様は、イリヤ様を以前からご存じなのではありませんか」
 シノンは少しだけ目を伏せ、炎の揺らめきに顔を染めた。
 ギルはその沈黙を肯定と取って、言葉を続ける。
「患者に対するには、情を感じるのです。同属意識なのかと思っていましたが、それにしては……」
 シノンはふいに息をつくと、さらりと答える。
「隠していたわけではありません。……私とイリヤは、精霊界から出るときに分かたれた兄弟なのです」
 目を見張ったギルに、シノンは湖面のように波の無い表情のままで言う。
「別れたときイリヤは幼く、私のことを覚えていない。無理に記憶を掘り返して、彼が体験したつらい過去まで呼び覚ますのは避けたいのです」
 シノンは銀色の瞳でギルを見据えて告げる。
「私もお尋ねしたい。……イリヤは殿下の元で、何があったのですか。医師としても、兄としても知る権利があると思っています」
 ギルはとっさにシノンと目を合わせるのを拒んだ。その仕草にシノンは微かに目を尖らせる。
「……それだけつらいことがあったと」
 淡々と告げる口調の奥に、抑えきれぬ情の色がにじんでいるのを、ギルは感じ取った。
 保護者としての冷静な言葉ではない。もっと切実で、焦燥に駆られた響きだった。
 ギルは思わず確認するように問う。
「あなたは……兄としてイリヤ様を守りたいと思っておいでなのですね」
 シノンはふっと影を帯びた微笑みを浮かべる。
「聞いたことはありませんか。精霊は血縁も、男女も関係ない。愛するか愛さないかだけだと」
 ギルがはっと息を呑むと、シノンは静かに続ける。
「精霊にとって愛は形を定めません。ただひとりを思うとき、それは慈しみであり、執着であり、時に性愛です。区切る必要などないのです」
 その言葉は穏やかだったが、銀の瞳には静かな炎が宿っていた。純粋であるがゆえに、危うさを孕む光だった。
「愛していれば、兄であり、友人であり……恋人にもなりうるのです」
 ギルは背筋に冷たいものを覚える。
 シノンは机の上で組んだ指を強く握りしめ、低く呟いた。
「ただ、精霊は見返りも求めない。私はただ彼を守る」
 一瞬、シノンは普段見せない自身の感情の激しさに、言葉に詰まったようだった。
 けれど次の瞬間、きっぱりと言い切る。
「……二度と彼を傷つけさせはしない」
 その声音には、庇護を超えた独占欲があった。
 ギルは答えず、ただ視線を落とした。
 ――イリヤ様を求めているのは殿下だけではない。この精霊もまた、強烈に彼を欲している。
 愛という名で覆いながら、その実、誰よりも強い鎖となり得る。
 ――けれど私は殿下の臣下だ。……シノン様と対立することが、ないと良いが。
 燃える蝋燭の音が小さく弾け、静かな部屋に響いた。
 ギルはその音に身を震わせながら、複雑な想いを胸に、灯りの部屋を後にした。
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