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19 若頭と小鳥の砂糖菓子の儀式
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呉葉の事務所から戻った夜、朔は自室で小さな箱を開いた。
それは桜色の和紙が花びらのように表面を彩る、朔の母のお手製の箱だった。子どもの頃の朔はお菓子をもらうと必ずその箱に入れて取っておいて、母と一緒に食べようと約束をしていた。
朔の楽しみは叶わないときがほとんどだった。母も朔も体が弱くて、母の体調が悪いときはお菓子のことなど言えなかったし、朔が体調の悪い間は、母は自分の食さえ細ってしまう人だった。
……でもほんの数回だけ、おいしいねと内緒話のように笑って、母と二人だけでお菓子を食べた。その時間は、朔にとって母とのかけがえのない思い出だ。
「落雁?」
義兄はひょいと横から顔をのぞかせて、朔の手元の箱を見下ろした。朔は淡く笑って、義兄に返す。
「くれはにもらったんだ。兄さんと一緒にどうぞって」
「さっちゃん、それ好きだもんね」
「うん。雪みたいに一瞬で溶けちゃうけど、甘くてだいすき」
朔は手のひらに乗せた落雁を見下ろしてうなずく。
義兄に面倒を見られて、守られて過ごした朔は、今では大学に通うこともできるくらいに元気になった。義兄と一緒にいろいろなところに出かけて、いろいろなお菓子を楽しむようにもなった。
朔はふと目をかげらせて、迷い子のような声音でつぶやく。
「……母さん、お菓子食べてるかな。独りじゃ、ないかな」
義兄はそれを聞いて、朔の隣の椅子に腰を下ろす。
朔は小さな砂糖菓子を桜色の箱に入れ直すと、ぽつぽつと言う。
「母さんは本邸に移って一年経つし、きっとだいぶ馴染んでる……よね。お義父さんも使用人もいっぱいついてるんだから、体だって……心配ないはず」
義兄が無言で朔の声に耳を傾けている気配を感じながら、朔は言葉を続ける。
「僕は今……幸せ。大好きな兄さんと毎日一緒でいられるもの。……でも、幸せでいいのかな。母さんは僕を守るために、いろんな犠牲を払ってきたのに」
「さっちゃん」
ふいに義兄は朔を抱き上げて、自分の膝に乗せる。朔の背を腕で包みながら、義兄は朔に問いかけた。
「会いたい? お母さんと」
朔はとっさに首を横に振った。自分の子どもじみた言葉が恥ずかしかった。
「ご、ごめん。僕はもう大人なのに。母さんのお義父さんとの生活を、邪魔しちゃだめだよね」
「父さんがさっちゃんを人質にして、ずっとお母さんの自由を奪ってきたのは本当のことだよ」
義兄は目を細めて思い出すように言う。
「さっちゃんがまだ小さい頃、お母さんは何度か屋敷から逃げようとしたんだ。でもさっちゃんを連れて遠くまでは逃げられなかった。父さんは言ったよ。「次逃げたら二度と朔と会わせないが、どうする?」と」
朔は飛来した哀しみにうつむく。朔にもその記憶があったからだった。
朔がまだ幼い頃、恐ろしい家業を持つ男に囲われた母の、唯一の心のよりどころは朔だった。たぶん母にとって朔は桜色の箱のように大切な宝物だっただろうし、朔にとっての母も、秘密を共有する友だちのような人だった。
義兄は気落ちした朔の背中をさすって、朔の顔をのぞきこみながら続ける。
「でもね、俺はさっちゃんがこの家に来てくれて、舞い上がるくらいにうれしかった。さっちゃんと会えた日は、俺の人生で最初の記念日だった」
「うん……。僕も、兄さんと会えたから、今こうして幸せでいるんだ」
「俺も今幸せだよ。だから、さっちゃんのために何でもしてあげたいんだ」
朔が顔を上げると、義兄の優しい目と目が合った。義兄は目を合わせた朔を喜ぶように、そっと朔の頬を撫でて言う。
「さっちゃんの心配事は、解消してあげたい。……父さんに、さっちゃんとお母さんを会わせるように頼んでみよう」
「で、でも」
朔は口ごもって、首を横に振る。義兄に迷惑をかけると思ったからだった。
「大学生にもなって母さんとお菓子を食べたいなんて、お義父さんも呆れるよ。兄さんも、お義父さんに怒られるかもしれないし」
「なに、俺は父さんに怒られるのは慣れてるよ。大丈夫、昔ほど父さんに嫌われてはいないから」
義兄は気安く笑って、目配せするように朔を見る。
「さっちゃんがお母さんを大事に思ってるのは、父さんもわかってるよ。お母さんが心穏やかでいるのに、自分と二人だけの関係じゃ駄目なことも。何より……俺はさっちゃんに、笑って過ごしてほしいんだ」
義兄は桜色の箱に目を移して、朔に問う。
「一つもらっていい? いつもみたいにさっちゃんの幸せ、俺と共有させて?」
「うん……」
朔ははにかんで、落雁の包みを一つ手に取った。包みをほどいて、義兄の口元に落雁を運ぶ。
義兄は朔の指先に軽く口づけて、落雁を口に入れた。
義兄はふふっと笑って言う。
「おいしい。さっちゃんがくれたものは、何でも」
それはいつからか始まった、幸せの二人占めの儀式だった。
それは桜色の和紙が花びらのように表面を彩る、朔の母のお手製の箱だった。子どもの頃の朔はお菓子をもらうと必ずその箱に入れて取っておいて、母と一緒に食べようと約束をしていた。
朔の楽しみは叶わないときがほとんどだった。母も朔も体が弱くて、母の体調が悪いときはお菓子のことなど言えなかったし、朔が体調の悪い間は、母は自分の食さえ細ってしまう人だった。
……でもほんの数回だけ、おいしいねと内緒話のように笑って、母と二人だけでお菓子を食べた。その時間は、朔にとって母とのかけがえのない思い出だ。
「落雁?」
義兄はひょいと横から顔をのぞかせて、朔の手元の箱を見下ろした。朔は淡く笑って、義兄に返す。
「くれはにもらったんだ。兄さんと一緒にどうぞって」
「さっちゃん、それ好きだもんね」
「うん。雪みたいに一瞬で溶けちゃうけど、甘くてだいすき」
朔は手のひらに乗せた落雁を見下ろしてうなずく。
義兄に面倒を見られて、守られて過ごした朔は、今では大学に通うこともできるくらいに元気になった。義兄と一緒にいろいろなところに出かけて、いろいろなお菓子を楽しむようにもなった。
朔はふと目をかげらせて、迷い子のような声音でつぶやく。
「……母さん、お菓子食べてるかな。独りじゃ、ないかな」
義兄はそれを聞いて、朔の隣の椅子に腰を下ろす。
朔は小さな砂糖菓子を桜色の箱に入れ直すと、ぽつぽつと言う。
「母さんは本邸に移って一年経つし、きっとだいぶ馴染んでる……よね。お義父さんも使用人もいっぱいついてるんだから、体だって……心配ないはず」
義兄が無言で朔の声に耳を傾けている気配を感じながら、朔は言葉を続ける。
「僕は今……幸せ。大好きな兄さんと毎日一緒でいられるもの。……でも、幸せでいいのかな。母さんは僕を守るために、いろんな犠牲を払ってきたのに」
「さっちゃん」
ふいに義兄は朔を抱き上げて、自分の膝に乗せる。朔の背を腕で包みながら、義兄は朔に問いかけた。
「会いたい? お母さんと」
朔はとっさに首を横に振った。自分の子どもじみた言葉が恥ずかしかった。
「ご、ごめん。僕はもう大人なのに。母さんのお義父さんとの生活を、邪魔しちゃだめだよね」
「父さんがさっちゃんを人質にして、ずっとお母さんの自由を奪ってきたのは本当のことだよ」
義兄は目を細めて思い出すように言う。
「さっちゃんがまだ小さい頃、お母さんは何度か屋敷から逃げようとしたんだ。でもさっちゃんを連れて遠くまでは逃げられなかった。父さんは言ったよ。「次逃げたら二度と朔と会わせないが、どうする?」と」
朔は飛来した哀しみにうつむく。朔にもその記憶があったからだった。
朔がまだ幼い頃、恐ろしい家業を持つ男に囲われた母の、唯一の心のよりどころは朔だった。たぶん母にとって朔は桜色の箱のように大切な宝物だっただろうし、朔にとっての母も、秘密を共有する友だちのような人だった。
義兄は気落ちした朔の背中をさすって、朔の顔をのぞきこみながら続ける。
「でもね、俺はさっちゃんがこの家に来てくれて、舞い上がるくらいにうれしかった。さっちゃんと会えた日は、俺の人生で最初の記念日だった」
「うん……。僕も、兄さんと会えたから、今こうして幸せでいるんだ」
「俺も今幸せだよ。だから、さっちゃんのために何でもしてあげたいんだ」
朔が顔を上げると、義兄の優しい目と目が合った。義兄は目を合わせた朔を喜ぶように、そっと朔の頬を撫でて言う。
「さっちゃんの心配事は、解消してあげたい。……父さんに、さっちゃんとお母さんを会わせるように頼んでみよう」
「で、でも」
朔は口ごもって、首を横に振る。義兄に迷惑をかけると思ったからだった。
「大学生にもなって母さんとお菓子を食べたいなんて、お義父さんも呆れるよ。兄さんも、お義父さんに怒られるかもしれないし」
「なに、俺は父さんに怒られるのは慣れてるよ。大丈夫、昔ほど父さんに嫌われてはいないから」
義兄は気安く笑って、目配せするように朔を見る。
「さっちゃんがお母さんを大事に思ってるのは、父さんもわかってるよ。お母さんが心穏やかでいるのに、自分と二人だけの関係じゃ駄目なことも。何より……俺はさっちゃんに、笑って過ごしてほしいんだ」
義兄は桜色の箱に目を移して、朔に問う。
「一つもらっていい? いつもみたいにさっちゃんの幸せ、俺と共有させて?」
「うん……」
朔ははにかんで、落雁の包みを一つ手に取った。包みをほどいて、義兄の口元に落雁を運ぶ。
義兄は朔の指先に軽く口づけて、落雁を口に入れた。
義兄はふふっと笑って言う。
「おいしい。さっちゃんがくれたものは、何でも」
それはいつからか始まった、幸せの二人占めの儀式だった。
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