橘若頭と怖がり姫

真木

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7 囲うということ

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 希乃が泣くとそのたび、司は小さな子どもにするように希乃を甘やかす。
 司の感覚では、希乃が泣くのは自分の愛情が足りていなかったからで、希乃が嫌がるくらいにべたべたに甘やかしてやれば、希乃は安心して元気になると信じているのだった。
 植物図鑑のことで希乃が泣いてしばらくの甘やかし方も、とても高校生の女の子にするものとは思えなかった。
「希乃、膝においで」
 その騒動から三週間が経つ頃になっても、まだ司の中では甘やかし方が足りない時期らしかった。
 土曜日の朝、二人で遅めの朝食を取った後、司はここのところ食後に必ずそう呼びかける。
「でも、わ、私、高校生で……あ」
「俺にはいつまでも希乃のままだ。……ん、体重は少し戻ったな。いい子だ」
 それに司さまは異性の若い男性で、そういうの……と希乃が困っていると、司は席を立って希乃を持ち上げると、自分の席まで連れて行ってしまう。
 小柄な希乃でも横座りで膝に乗せられると、息が触れるところに司の顔がある。作り物めいているほど涼しげで端正な面立ちは、今は機嫌よく目を細めて希乃を見下ろしていた。
「ほら、口を開けて。希乃の好きなレーズン入りのクリームチーズだ。果物も食べないとな。いっぱい食べて大きくなろうな……」
 司は会話しながらでも、希乃の朝食の様子を注意深く見ている。本来朝はほとんど食べられない希乃をなだめて、手ずから希乃の口にあれこれと食事を運んだ。
 希乃に食事を与える一方で、司は折につけて希乃に触れる。希乃の体を温めるようにすっぽりと胸につつんで、希乃の口を手で拭って、ちゃんと食べればよしよしと頭を撫でる。
 それは恥ずかしい食事風景のはずなのに、希乃にとっては日常だった。司にそうされることが、いつからか安心の時間に変わっていた。
 触れ合うことも……もう障りのある年だとわかっているのに、嫌じゃなかった。
「思い出すよ。希乃が小さい頃、しばらく家を空けていたら希乃が痩せて病気になっていた。それからだ。一日だって目を離せなくなった。……俺がいないと、この小さくて弱い生き物は死んじまうんだから」
 そんなことないと言いたくて、希乃はふるふると首を横に振る。でもはっきりと違うとは希乃も証明できなくて、口をきゅっと引き結んだ。
「ん、すねたか? 違うよ、かわいくてかわいくて……仕方ないって言いたかっただけだ」
 司の希乃に対する愛情は、小さな子どもやペットへ注ぐ感情なのだろう。その証拠に、司は決して希乃の女性的なところには触れない。性を感じさせる行為を希乃に向けたことがない。
(……私、そういうところに、触れてほしいの?)
 ふとそう考えて、希乃は自分の考えが空恐ろしくなった。
(女の子として、司さまに……?)
 希乃はこくんと息を呑んで、ぎゅっと目を閉じる。
(何てこと考えるの。……高校を卒業したらここを出て行くのに)
「希乃、どうした?」
 司が少しだけ体を離して希乃の顔を見る気配がした。希乃は慌てて目を開いて、もごもごと言葉を返す。
「か、かわいく……ないです。そんなの、だれにも、言われたこと……ない、から」
「そりゃそうだ。希乃を可愛がっていいのは俺だけだ」
 司は当然のことのように告げて、希乃の小さな手をそっと包む。
「希乃がいい子でも悪い子でも、俺だけのかわいい希乃だ。……だから安心して甘えればいい」
 司はそうやって希乃の世界の全部を作ってしまうから、希乃は今も外の世界を知らない。
「見せたいものがある。出かけるぞ」
 朝食後に、そう言って司は希乃を外に連れ出した。いつもの黒塗りの送迎車ではなく、司自身が助手席に希乃を乗せて運転した。
 到着したのは、屋敷から三十分ほどの高台だった。橘家は海の近くに本家を構えているが、元よりこの街のほとんどの敷地を所有していると聞いたことがあった。
 高台は海とは反対の方向にあって、丘の上に広大な屋敷と庭園が広がっていた。古い時代に豪商が住んでいたそこは、今は橘家の管理の元、庭園だけが解放されていると聞く。
「きれい……藤の花が、満開ですね」
 ちょうど今の時期は藤の花がたおやかにしだれていて、初夏の空の下を飾っていた。天からカーテンが下がるように、鮮やかに視界を覆う。
 紫の藤棚の下で、希乃は思わず頬を緩めていた。めったに笑うことのない希乃が喜色を見せたことに、司は満足そうに微笑む。
「希乃は、小さい頃からここが好きだったな」
「はい……大好きな桜も、藤も、紅葉も……みんな、あって」
 ちくりと胸が痛んだのは、それらが全部、父のくれたあの植物図鑑で繰り返し見たものだったからだ。
 でも父の思い出は、司には言えない。こくんと言葉を呑み込んだ希乃に、司は思いがけないことを告げた。
「……高校を卒業したら、ここに希乃の家を建ててやろうと思っている」
 希乃は喉元に刃が迫ったように、つっと喉を緊張させた。
「い、え?」
「屋敷は親父もいるし、仕事の人間も出入りして気が休まらないだろう? ここの家を建て替えて、希乃の好きな庭を整えさせれば、住み心地もよくなるだろうと思ってな」
 希乃は先ほどまでの浮き立つ気持ちを忘れて、青ざめながらつぶやく。
「高校を、卒業したら……」
 母を連れて屋敷を出て……外で働きたい。
 それが希乃の願いで、けれどずっと、どうやって司に伝えればいいのかわからなかっただけ。
「ああ。……卒業したら、希乃はもうどこにも行かなくていいんだ」
 まるで厄介な義務から解放されるように、司は弾んだ声で告げる。
 司は希乃を後ろから抱き寄せると、その頭の上に優しく口づける。
「待っていたよ、希乃。……俺とずっと一緒にいような」
 それは世界から隔絶させることと同義なのに、司の声はまるで愛をささやくように聞こえた。
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