橘若頭と怖がり姫

真木

文字の大きさ
20 / 38

20 染み入る言の葉

 腹部の怪我が悪化して入院したのは、手術を行ったその日だけのことだった。翌日から、希乃は屋敷に医療機器ごと運ばれて、厳重な看護の元で療養生活を送ることになった。
 希乃のためだけに朝夕と医師が往診し、屋敷内には看護師が住み込む。兄などは仕事の合間をぬって、真昼でもたびたび様子を見に来てくれた。
 希乃は常に点滴につながれてはいるが、それを持って動くことならできる。けれど兄は希乃にほとんど身動きをさせなかった。希乃の口元に食事を運び、体を拭いて着替えをさせて、お手洗いに抱いて連れて行くこともした。
「大丈夫だよ……にいさま。はずかしい、し……ちょっとずつ歩いた方がいいって、先生も……」
 兄に服を脱がされるのに抵抗がある希乃は、兄の過剰な世話がうれしいと思いながらも困っていた。でもそんな希乃に、兄は甘く笑って答える。
「恥ずかしくなんてない。希乃は小さい頃から体が弱かったから、俺に世話をされるのは当たり前のことなんだぞ?」
「そうなの……かな。だって、高校生、なのに……」
「年なんて関係ない。希乃が八歳でも十八歳でも八十歳でも、俺が面倒を見る。今だって、必要ならおむつだって替えてやるんだが」
 希乃は一瞬その想像をしてしまって、かぁっと顔を赤くする。ただ兄の声色はまるで本気のもので、希乃の病状が悪化したら本当にそうしてしまいそうだった。
 どうにか元気になりたいと努力した希乃の願いが通じたのか、兄の外の風にも触れさせないような手厚い看病がよかったのか、希乃の病状は少しずつ快方に向かっているようだった。絶食状態だった食事も医師の監督の元で改善して、一週間の後には、自力でお手洗いに行ったり、着替えたりもできるようになった。
「希乃、少しいいか?」
 ただ兄は食事だけは自分の手でやりたがって、その日の夕食も匙で希乃の口に運んだ。食後に温かい飲み物を飲ませた後、兄は少し緊張した面持ちで切り出す。
「これから俺が言うのはな、希乃が嫌なら、もっと延期したっていいんだ。俺は希乃が本気で嫌がるようなことは絶対しない。だから安心して聞いてくれ」
「どうしたの、にいさま……?」
 希乃は不思議そうに目をまたたかせて、兄が言葉に迷う素振りに首をかしげる。
(私が弱ってるから、心配して、くれてるんだ……。にいさまはやっぱり、やさしい……)
 希乃はそう思って、あどけなく目を和らげて言う。
「うん、大丈夫……。だから、お話、して……?」
 兄はそれを聞いて、そっとその言葉を切り出す。
「……あのな、希乃。高校を退学して、俺と一緒に新しい屋敷で暮らさないか?」
 希乃は思いもよらない提案に、驚いて目を見張った。
 希乃はうつむいて考え込んだ。兄はその間、ずっと希乃が答えるのを待っていてくれた。
 やがて希乃は長い沈黙の後に答える。
「退学は、私も、そうした方がいいと思う……出席、全然できて、ないから」
「……よかった。希乃ががんばって入った高校だからな。就職するとまで言っていて……ああ、この話はいい。とにかく、嫌がると思ってたんだ」
 兄はほっとしたように息をもらしたが、ふと鋭い目で問いを重ねる。
「退学はいいんだな。でもこの屋敷は離れたくない……何か気がかりがある、と?」
「えっと、ね……」
 希乃はうつむいていて、兄の探るような目に気づかないままそうっと答える。
「にいさま……お付き合いしている人、いない……?」
「ん? いないよ、なんでだ?」
「にいさまは、跡取りで……じきに結婚も、すると、思うの。それで、私と、暮らしてたら……相手の人、誤解しちゃう……の」
「ははっ」
 兄は可笑しそうに喉を震わせて笑って、希乃の頭をぽんぽんと撫でる。
「希乃は本当にかわいいなぁ? 希乃は俺の一番大事な子で、宝物だ。希乃を邪険にするような女はこちらから願い下げだ」
「で、でも。いつまでも、一緒、には」
「それに、な。もし結婚したとしても、俺は希乃を絶対に手放したりしない」
 兄の手が止まって、希乃は思わず兄を見上げてしまった。
「……希乃が俺から離れでもしたら、足に鎖をつけてでも連れ戻す」
 そこには深淵のような瞳があって、希乃は一瞬怖いとまで思った。
 けれどそれはひとときのことで、兄は元通りの優しい微笑みに戻っていた。希乃の頭をよしよしと撫でて、甘い声音でささやく。
「なんだ、俺と一緒に新しい屋敷に住むのもいいんだな? そうだな。俺と希乃はきょうだいなんだ。ずっと一緒にいて当然だもんな?」
 希乃はそれを聞きながら、頭にじわっと「きょうだい」という言葉が浮かび上がってくるのを感じた。
ーー俺は希乃の唯一のきょうだい。だから俺だけはなんにも怖くない。ずっと変わらない。
 兄の呪文のような声が、頭の中から言葉を返してくる。まるで何かの暗示のようだった。
 考えに沈む希乃の耳に、兄の声が聞こえてくる。
「よしよし……退学の手続き、しておくな。家の手配も進める。……希乃、今日はまだ抱きしめてなかったな。毎日愛情を注ぐ約束だもんな」
 兄は希乃を腕に収めて、愛おしそうに髪を手で梳く。
(にいさま、すき……。だからこのままで、いい……?)
 希乃はどこか不安の欠片が胸の奥に残っている気がしながらも、おずおずと兄の背に腕を回した。
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。

翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。 和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。 政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。

(第一章完結)ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

「自分、俺の嫁にならへん?」~ハイスペ常連さんの甘い罠。美味しい契約婚の先に待っていた「溺愛」が想定外でした?!

紫倉 紫
恋愛
「これ、お母さんの借用書やで」 入院中の母に代わって喫茶店を一人で切り盛りする桜坂夢乃(ゆめの)の前に現れたのは、ガラの悪い取り立て屋。突きつけられたのは八百万円の借金というあまりに無慈悲な現実だった。 心臓を患っている志乃には決して相談できない。自分一人の稼ぎでは、逆立ちしても返せない。 絶望に震える夢乃に手を差し伸べたのは、店の常連客で、柔らかな関西弁を操る謎めいた男・桐生総司だった。 「自分、またそんな顔して。俺がどうにかしたるから、安心しい」 その言葉通り、彼はたった一日で、悪夢のような男たちを追い払ってみせる。 安堵し、涙する夢乃。しかし、彼が微笑みながら口にした「解決」の形は、夢乃の想像を遥かに超えるものだった。 「借り換え? いや、それはもっとちゃうかもしれんな」 全額返済の代償として、総司が求めるものとは。 救世主か、あるいは静かな支配者か。 香ばしいカレーの匂いと、冷めかけたコーヒーの香りが漂う店内で、二人の歪で濃密な「契約」が幕を開ける――。

ひとつ屋根の下

瑞原唯子
恋愛
橘財閥の御曹司である遥は、両親のせいで孤児となった少女を引き取った。 純粋に責任を感じてのことだったが、いつしか彼女に惹かれていき――。