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あれから
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雀の鳴き声が窓の向こうからしつこく聞こえてくる。
もう朝だ。
私は目を覚まし、体を起こした。
「朝か…」
薄暗い部屋の中を重い足取りで歩いた。
カーテンの隙間から僅かな光が漏れている。
勢いよく開けると急な眩しさで、少しクラクラした。
「おはよう、私」
今日も東京は朝から喧騒に包まれている。
忙しなく人や車が行き来していた。
蛇口を捻り、水を一杯飲み干した。
眠気を覚ますために頬を勢いよく叩いた。
「痛っ…」
少ししてから痛みがやってきた。
「ふぅ…頑張ろ」
壁に掛けてあるスーツを眺め呟いた。
トーストが焼きあがった音が部屋中に響いた。
香ばしい匂いが私を包む。
「いただきます」
テレビを付けると女の人が喋っていた。
「今日も東京都は猛暑に見舞われ……」
「あ~やだやだ、暑いのやだなぁ…」
いつもの気温にうんざりしながらも朝の身支度を済ませた。
「それじゃあ行ってきます」
私は誰も居ない部屋に向けて言った。
でもいつもの事だし、もう慣れてる。
外に出ると思ったより暑くなくて良かったと安堵した。
駅は沢山の人で溢れていた。
改札を通り、ホームまで歩いて行く。
いつもと変わらない景色にうんざりしていた。
今日はラッキーかも。
席が空いていた。
規則的に揺れる電車に乗りながらぼーっと景色を眺めている。
代わり映えのない、いつもの景色。
私はスマホを取り出しネットニュースを眺めていた。
たまに胡散臭い広告が流れてくる。
「ふふっ…月下さん、まだこういう事してるんだ」
その胡散臭い広告は何処か懐かしさを感じさせる。
駅で停車し、沢山の人が入れ替わる。
私の後ろ側の窓には別方向の電車が停まっていた。
ふと、振り返るとやけに目立つ人が居たような気がした。
「あの人…」
しばらくして私は駅を後にした。
陽が私を強く照らしてくる。
今日もこの暑い中を歩いていく。
空は青く、清々しい程に晴れていた。
「おはようございまーす」
「おはよー」
社内の人達が挨拶を返してくれる。
「あ、先輩…ちょっといいですか」
「んー?どうしたの」
「ここなんですけど…どっちにしたらいいか悩んでて…」
「私はこっちだなぁ」
「参考になります!」
私の社内での地位はそこそこ高い。
お陰でそこそこ良い暮らしはできている。
でも…何か足りない。
そんな気がする。
「おはよー葵井ちゃん」
「編集長、おはようございまーす」
「葵井ちゃんこれ知ってる?」
編集長はスマホを私の前に見せてきた。
「あー…この桜…」
「知ってますよ」
「青森県にありますよね」
「さっすがうちのエースだねぇ」
「ていうか編集長も知ってますよね?」
「ははっ、どーだろね」
相も変わらず、やっぱり変な人だ…。
「そうだ、今日新しく異動してくる子がいるから、教育係よろしくなー」
「え、また私ですか…」
「私も忙しいんですけど…」
「期待してるよ、葵井ちゃん」
「了解です…」
今日は取材に行く日だ。
それから少しして、外に出た。
やっぱりこの暑さはどうも慣れない。
スマホがポケットの中で振動している。
私は少し躊躇いながら電話に出た。
「ごめんちょっと出るね」
「あ、はい」
画面の向こうからは聞き慣れた声が聞こえる。
女の子らしい可愛い声。
「もしもし?」
「あ、もしもし蘭?」
「どうしたの」
「来週さ、合コン開くんだけど、蘭も来る?」
「…行かないよ」
「そっか…ありがとう」
「じゃあまたね」
「うん、またね」
最近やたらと合コンに誘われる。
余計なお世話だっての…。
交差点は沢山の人で溢れ返っていた。
今日も東京は騒がしい。
信号が青になり、沢山の人が一斉に歩き始めた。
沢山の人とすれ違う。
いつもの事なのに、何かを私に思い出させようとしてきた。
「…今の人、どこかで…」
「先輩…?どうしたんですか」
「なんでもない、行くよっ」
新しく来た子は私の後を追うように着いてくる。
まるで雛みたい。
最近、思う事がある。
私は多分、何か忘れている。
いつも頭の中に大きな穴が空いている気がするから。
ああ、もどかしい。
今日もいつもの一日が終わろうとしていた。
「新人くんは、先に会社に戻ってて」
「あ、分かりました」
「先輩は?」
「私はちょっと休憩」
「うわっずるいです」
「ふふっ、ほら早く行きなー」
正直、このまま何処かへ消えて行ってしまいたい。
懐かしい匂いが私の前を通り過ぎる。
振り向けば、そこに誰かがいる気がした。
でもそんな事は無かった。
「…疲れてるのかな」
ポケットの中でスマホが揺れ動いた。
「もしもし」
「お父さん?どうしたの」
「どうだ最近順調か?」
「うん、順調だよ」
「新しい子も来たし」
「そうか」
「もうすぐお盆だろ、ほら…どうだたまには…」
「分かってる、帰って来いでしょ」
「全く…娘のこと好きすぎじゃない?」
「……とにかく、たまには顔見せに帰って来いよ」
「はーい」
「じゃあ切るぞ、蘭」
「うん、じゃあね」
何処かに消えて行ける訳無いじゃん…
馬鹿だなぁ…私
答えの無い日々。
大きな夢も無いし、私には大丈夫だよって言って貰える人もいない。
「なんだかなぁ…」
どうしようも無い無気力感に襲われ遠くを眺めてしまう。
「前…歩いてる人…」
「…見たことあるような」
私は気になり後を追うように歩いていく。
長く白い髪、スラッとした白い手足、高い身長、白いワンピース。
全てどこかで見た事がある様な人だった。
私はたまに不思議な夢を見る。
学生時代に月下さんと探しに行ったあの桜。
その下で知らない子と一緒にいる夢を。
どうしてその夢を見るのか意味は分からないけど、なぜだか胸の奥で揺らめき、焦がれる。
そんな感情が少しづつ小さくなって、全部置いたまま、忘れてしまうような…。
でもこの夢だけは、忘れたくないと思ってしまう。
前を歩いている人から何か落ちた。
私は急いで拾いに行く。
白いハンカチだ。
「あ、あの…!これ落としましたよ」
「…あら、どうもありがとう」
近くで見た女性は絶世の美女という言葉が凄く似合うくらい美しかった。
それにしてもどこか、見覚えのあるような…。
「お礼にこれを貴方にあげる」
そういった女性の手には一輪の白い彼岸花があった。
「綺麗な花ですね」
「貰っていいんですか?」
「ええ、いいのよ」
女性は優しく微笑んだ。
私はその仕草に心が揺れ動いた。
私は貰った花を胸ポケットに入れてみた。
「じゃあ失礼するわ…」
「あ、はい…では…」
何故か悲しそうな顔をしていた。
振り返る瞬間、何かが女性の頬を伝っていた。
私はまた思わず声を掛けてしまった。
「あの!…だ、大丈夫ですか?」
「何か…ありました?」
「力になりましょうか?」
「ううん、大丈夫よ…気にしないで」
「で、でも…なんで泣いて…」
「大丈夫って言ってるでしょ…!」
周囲の目線がこちらに向けられたのが分かった。
「お願い…もう、やめて…」
「辛いの…貴方の事を想うのが…」
私はさらに泣かせてしまった。
「貴方って、私の事ですか…?」
「…そうよ」
「で、でも私達…初めて会った気が…」
「貴方はそうなのよ…」
何が起きているのかさっぱり分からない。
女の人を泣かせるなんてあの日以来だ。
……あの日ってなんだ?
私が動揺している内に、女性は走り去ろうとしていた。
私は勝手に脚が動いていた。
女性の後を追うように私も走っていた。
「ま、待って…!」
「来ないで…!お願い…」
気がつけば人気の無い、橋の上まで来ていた。
都会にもこんな場所あったんだ…。
「どうして私に着いてくるのよ…」
互いに息を切らしながら目を見つめた。
「貴方が悲しい顔をしていたから…」
「…嘘よ」
「嘘じゃない」
「教えて、貴方のこと」
そう言うと女性は私の手を取り、歩き始めた。
「どこ行くの?」
「…いいから来て」
着いた先は普通のアパートだった。
なんの変哲も無い普通の家。
「ここって…」
「私の家」
「私のこと知りたいんでしょ…」
二人で階段を上がり、部屋へと入っていく。
中は普通の部屋だった。
なんの変哲の無い普通の部屋。
「そこに座ってて」
「あ…はい」
初めて会った人の家に来たのに何故か緊張はしなかった。
寧ろ安心する、というか…。
匂いが落ち着くというか…。
「あ、あの…私達、どこかで会ったことありませんか?」
「………」
女性は黙ったまま、お茶を用意してくれた。
「ありがとうございます…」
部屋を見てみるとあちこちに白い彼岸花が飾ってあった。
「あんまりジロジロと見ないで…」
「あ、ごめん…なさい」
前にもこんな会話した事あるような…。
ああ、もどかしい…。
「ねぇ…いや、何でもないわ…」
沈黙が酷く続いた。
それもそうだ。
だって互いの事は何も知らないんだから。
「あ、あの…私!もう…帰りますね」
「お邪魔しまし…」
立ち上がろうとした瞬間、女性に腕を掴まれてしまった。
その手には強い力が込められていた。
「お願い…もう少しだけ、貴方と居させて…」
「貴方はここに居るだけでいいの…」
女性は何やら必死な顔で伝えてきた。
どうして引き留められたのか分からない。
窓からは街灯の光が漏れ出ていた。
気づけば外は暗闇に包まれている。
「わ、分かりました…」
しばらくの沈黙が流れた後女性はテレビを見だした。
もちろん私は放置中。
ますますこの女性の事が気になる。
名前はなんて言うんだろう。
好きな物はなんだろう。
ああ、気になってしょうがない。
私はどうしてこの女性に惹かれていくのか考える事にした。
まず、第一に容姿だと思う。
本当に美しい顔立ちをしている。
何より呼吸を忘れる程に白く、美しい。
アルビノだっけ?初めて見た。
色々と考え事をしていると眠たくなってきた。
私はつい、大きなあくびをしてしまった。
「大きいあくびね」
「あ、あはは…」
「蘭…疲れているのね」
「こっち、いらっしゃい」
蘭?私の名前だ…。
まだ教えてないのに何で知っているんだろう。
…そんな事どうでもいいか。
私は女性に手招きされ、断らずにはいられなかった。
隣へ行き、座り込んだ。
いい匂いがする。
どこか懐かしく、とても落ち着く匂い。
凄く心地が良い。
「横になっていいのよ」
大人になって初めて膝枕をしてもらったかも。
少し恥ずかしい…。
「この世は流転していてね…」
「全てが移り変わっていくの」
「それでも私達は変わらずに出逢えた…」
なんだろうこの感じ。
前にも一度、同じような体験をした事がある気がする。
私は女性の雰囲気に、白く美しい瞳に全てが吸い込まれていく。
「さっきは酷いこと言ってごめんね…」
「でも全部、貴方のことを想って言ったのよ…」
「大丈夫です…気にして無いから」
「そう、良かった…」
よく分からないけど、きっとこの女性は何かに悩んでいたのかな。
「あ、まだ名前…聞いてない」
「なんて言うんですか?」
私がふと、聞いてみると女性の目が滲みだした。
貴方が泣いたせいで私は右往左往するしかなかった。
「あ、言うの…嫌でした?」
「ううん…違うの」
「また…貴方から歩んでくれるのが嬉しくて…」
貴方から…?よく分からないな。
さっきから分からない事だらけだ。
でも彼女の事を知れるのが嬉しい。
彼女は涙をぽろぽろと流しながら口を開いた。
口を開く一瞬は随分と時間が流れるのを遅く感じた。
「沙耶華…」
「私は沙耶華」
「貴方は…?」
「葵井蘭」
「ふふっ、知ってる…」
「知ってるよ…知ってるわ…」
彼女は優しく私を包み込むように笑った。
さんざめく夏。
うだるような熱はまだ終わらない。
カーテンの影が模様になって部屋を這う。
月明かりに照らされ、彼女の瞳が一瞬光る。
私は神様だった。
でも、もう終わり。
また貴方に逢えた。
見つけるまで私は、崖の淵をずっとずっと歩いているような、そんな気分だった。
出逢いはいつも突然だった。
昔からそう。
あの時だって貴方が居なければ、私はこうも美しい日々を過ごせなかった。
私だって神様を憎む事はある。
世界が止まる時は酷く憎む。
でも、今日だけはそんな神様に祈りを捧げられそう。
貴方が忘れていたって、私は覚えてる。
もうあの桜には囚われない。
私はあの檻を突き破ったんだ。
生まれ持った呪いに耐え切れるほど私は強くなった。
これも全部貴方のおかげ。
想うは貴方ひとり。
そのまま優しく抜き出る貴方の声をたくさん聴かせて。
あの花を抱えて待ってるから。
白藍のキャンバスに貴方と私の色を塗る。
そうして出来上がったのが今。
変わらないのは日常じゃなくて私の方だった。
だから、また私とあなた色で染め上げる。
ああ、好きよ蘭。
大好き。
もう貴方と離れたくない。
私のことを知らないなら、これから教えていく。
だからもう居なくならないわ。
無邪気に笑えるような気がする。
だから精一杯の気持ちを込めて貴方に言うの。
──見つけてくれてありがとう
貴方と逢えて本当に良かった──
そっと目を閉じ、貴方に近づく。
「……ん」
「………」
「……」
「……ふふっ」
たくさんの想いを込めてキスをした。
「その赤らめた顔…」
「懐かしいわ…」
今、考えるべき事は帰りに買う物くらいでいい。
貴方の頭の中を私でいっぱいにしたい。
ずっと無垢なままの貴方が好き。
ずっと無邪気な貴方が好き。
私を受け容れてくれる貴方が好き。
故に私は恋をする。
貴方に恋をする。
完璧じゃなくたっていい。
貴方が居ればそれでいい。
だからまた、私に手を差し伸べて。
「好きよ…蘭」
もう朝だ。
私は目を覚まし、体を起こした。
「朝か…」
薄暗い部屋の中を重い足取りで歩いた。
カーテンの隙間から僅かな光が漏れている。
勢いよく開けると急な眩しさで、少しクラクラした。
「おはよう、私」
今日も東京は朝から喧騒に包まれている。
忙しなく人や車が行き来していた。
蛇口を捻り、水を一杯飲み干した。
眠気を覚ますために頬を勢いよく叩いた。
「痛っ…」
少ししてから痛みがやってきた。
「ふぅ…頑張ろ」
壁に掛けてあるスーツを眺め呟いた。
トーストが焼きあがった音が部屋中に響いた。
香ばしい匂いが私を包む。
「いただきます」
テレビを付けると女の人が喋っていた。
「今日も東京都は猛暑に見舞われ……」
「あ~やだやだ、暑いのやだなぁ…」
いつもの気温にうんざりしながらも朝の身支度を済ませた。
「それじゃあ行ってきます」
私は誰も居ない部屋に向けて言った。
でもいつもの事だし、もう慣れてる。
外に出ると思ったより暑くなくて良かったと安堵した。
駅は沢山の人で溢れていた。
改札を通り、ホームまで歩いて行く。
いつもと変わらない景色にうんざりしていた。
今日はラッキーかも。
席が空いていた。
規則的に揺れる電車に乗りながらぼーっと景色を眺めている。
代わり映えのない、いつもの景色。
私はスマホを取り出しネットニュースを眺めていた。
たまに胡散臭い広告が流れてくる。
「ふふっ…月下さん、まだこういう事してるんだ」
その胡散臭い広告は何処か懐かしさを感じさせる。
駅で停車し、沢山の人が入れ替わる。
私の後ろ側の窓には別方向の電車が停まっていた。
ふと、振り返るとやけに目立つ人が居たような気がした。
「あの人…」
しばらくして私は駅を後にした。
陽が私を強く照らしてくる。
今日もこの暑い中を歩いていく。
空は青く、清々しい程に晴れていた。
「おはようございまーす」
「おはよー」
社内の人達が挨拶を返してくれる。
「あ、先輩…ちょっといいですか」
「んー?どうしたの」
「ここなんですけど…どっちにしたらいいか悩んでて…」
「私はこっちだなぁ」
「参考になります!」
私の社内での地位はそこそこ高い。
お陰でそこそこ良い暮らしはできている。
でも…何か足りない。
そんな気がする。
「おはよー葵井ちゃん」
「編集長、おはようございまーす」
「葵井ちゃんこれ知ってる?」
編集長はスマホを私の前に見せてきた。
「あー…この桜…」
「知ってますよ」
「青森県にありますよね」
「さっすがうちのエースだねぇ」
「ていうか編集長も知ってますよね?」
「ははっ、どーだろね」
相も変わらず、やっぱり変な人だ…。
「そうだ、今日新しく異動してくる子がいるから、教育係よろしくなー」
「え、また私ですか…」
「私も忙しいんですけど…」
「期待してるよ、葵井ちゃん」
「了解です…」
今日は取材に行く日だ。
それから少しして、外に出た。
やっぱりこの暑さはどうも慣れない。
スマホがポケットの中で振動している。
私は少し躊躇いながら電話に出た。
「ごめんちょっと出るね」
「あ、はい」
画面の向こうからは聞き慣れた声が聞こえる。
女の子らしい可愛い声。
「もしもし?」
「あ、もしもし蘭?」
「どうしたの」
「来週さ、合コン開くんだけど、蘭も来る?」
「…行かないよ」
「そっか…ありがとう」
「じゃあまたね」
「うん、またね」
最近やたらと合コンに誘われる。
余計なお世話だっての…。
交差点は沢山の人で溢れ返っていた。
今日も東京は騒がしい。
信号が青になり、沢山の人が一斉に歩き始めた。
沢山の人とすれ違う。
いつもの事なのに、何かを私に思い出させようとしてきた。
「…今の人、どこかで…」
「先輩…?どうしたんですか」
「なんでもない、行くよっ」
新しく来た子は私の後を追うように着いてくる。
まるで雛みたい。
最近、思う事がある。
私は多分、何か忘れている。
いつも頭の中に大きな穴が空いている気がするから。
ああ、もどかしい。
今日もいつもの一日が終わろうとしていた。
「新人くんは、先に会社に戻ってて」
「あ、分かりました」
「先輩は?」
「私はちょっと休憩」
「うわっずるいです」
「ふふっ、ほら早く行きなー」
正直、このまま何処かへ消えて行ってしまいたい。
懐かしい匂いが私の前を通り過ぎる。
振り向けば、そこに誰かがいる気がした。
でもそんな事は無かった。
「…疲れてるのかな」
ポケットの中でスマホが揺れ動いた。
「もしもし」
「お父さん?どうしたの」
「どうだ最近順調か?」
「うん、順調だよ」
「新しい子も来たし」
「そうか」
「もうすぐお盆だろ、ほら…どうだたまには…」
「分かってる、帰って来いでしょ」
「全く…娘のこと好きすぎじゃない?」
「……とにかく、たまには顔見せに帰って来いよ」
「はーい」
「じゃあ切るぞ、蘭」
「うん、じゃあね」
何処かに消えて行ける訳無いじゃん…
馬鹿だなぁ…私
答えの無い日々。
大きな夢も無いし、私には大丈夫だよって言って貰える人もいない。
「なんだかなぁ…」
どうしようも無い無気力感に襲われ遠くを眺めてしまう。
「前…歩いてる人…」
「…見たことあるような」
私は気になり後を追うように歩いていく。
長く白い髪、スラッとした白い手足、高い身長、白いワンピース。
全てどこかで見た事がある様な人だった。
私はたまに不思議な夢を見る。
学生時代に月下さんと探しに行ったあの桜。
その下で知らない子と一緒にいる夢を。
どうしてその夢を見るのか意味は分からないけど、なぜだか胸の奥で揺らめき、焦がれる。
そんな感情が少しづつ小さくなって、全部置いたまま、忘れてしまうような…。
でもこの夢だけは、忘れたくないと思ってしまう。
前を歩いている人から何か落ちた。
私は急いで拾いに行く。
白いハンカチだ。
「あ、あの…!これ落としましたよ」
「…あら、どうもありがとう」
近くで見た女性は絶世の美女という言葉が凄く似合うくらい美しかった。
それにしてもどこか、見覚えのあるような…。
「お礼にこれを貴方にあげる」
そういった女性の手には一輪の白い彼岸花があった。
「綺麗な花ですね」
「貰っていいんですか?」
「ええ、いいのよ」
女性は優しく微笑んだ。
私はその仕草に心が揺れ動いた。
私は貰った花を胸ポケットに入れてみた。
「じゃあ失礼するわ…」
「あ、はい…では…」
何故か悲しそうな顔をしていた。
振り返る瞬間、何かが女性の頬を伝っていた。
私はまた思わず声を掛けてしまった。
「あの!…だ、大丈夫ですか?」
「何か…ありました?」
「力になりましょうか?」
「ううん、大丈夫よ…気にしないで」
「で、でも…なんで泣いて…」
「大丈夫って言ってるでしょ…!」
周囲の目線がこちらに向けられたのが分かった。
「お願い…もう、やめて…」
「辛いの…貴方の事を想うのが…」
私はさらに泣かせてしまった。
「貴方って、私の事ですか…?」
「…そうよ」
「で、でも私達…初めて会った気が…」
「貴方はそうなのよ…」
何が起きているのかさっぱり分からない。
女の人を泣かせるなんてあの日以来だ。
……あの日ってなんだ?
私が動揺している内に、女性は走り去ろうとしていた。
私は勝手に脚が動いていた。
女性の後を追うように私も走っていた。
「ま、待って…!」
「来ないで…!お願い…」
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都会にもこんな場所あったんだ…。
「どうして私に着いてくるのよ…」
互いに息を切らしながら目を見つめた。
「貴方が悲しい顔をしていたから…」
「…嘘よ」
「嘘じゃない」
「教えて、貴方のこと」
そう言うと女性は私の手を取り、歩き始めた。
「どこ行くの?」
「…いいから来て」
着いた先は普通のアパートだった。
なんの変哲も無い普通の家。
「ここって…」
「私の家」
「私のこと知りたいんでしょ…」
二人で階段を上がり、部屋へと入っていく。
中は普通の部屋だった。
なんの変哲の無い普通の部屋。
「そこに座ってて」
「あ…はい」
初めて会った人の家に来たのに何故か緊張はしなかった。
寧ろ安心する、というか…。
匂いが落ち着くというか…。
「あ、あの…私達、どこかで会ったことありませんか?」
「………」
女性は黙ったまま、お茶を用意してくれた。
「ありがとうございます…」
部屋を見てみるとあちこちに白い彼岸花が飾ってあった。
「あんまりジロジロと見ないで…」
「あ、ごめん…なさい」
前にもこんな会話した事あるような…。
ああ、もどかしい…。
「ねぇ…いや、何でもないわ…」
沈黙が酷く続いた。
それもそうだ。
だって互いの事は何も知らないんだから。
「あ、あの…私!もう…帰りますね」
「お邪魔しまし…」
立ち上がろうとした瞬間、女性に腕を掴まれてしまった。
その手には強い力が込められていた。
「お願い…もう少しだけ、貴方と居させて…」
「貴方はここに居るだけでいいの…」
女性は何やら必死な顔で伝えてきた。
どうして引き留められたのか分からない。
窓からは街灯の光が漏れ出ていた。
気づけば外は暗闇に包まれている。
「わ、分かりました…」
しばらくの沈黙が流れた後女性はテレビを見だした。
もちろん私は放置中。
ますますこの女性の事が気になる。
名前はなんて言うんだろう。
好きな物はなんだろう。
ああ、気になってしょうがない。
私はどうしてこの女性に惹かれていくのか考える事にした。
まず、第一に容姿だと思う。
本当に美しい顔立ちをしている。
何より呼吸を忘れる程に白く、美しい。
アルビノだっけ?初めて見た。
色々と考え事をしていると眠たくなってきた。
私はつい、大きなあくびをしてしまった。
「大きいあくびね」
「あ、あはは…」
「蘭…疲れているのね」
「こっち、いらっしゃい」
蘭?私の名前だ…。
まだ教えてないのに何で知っているんだろう。
…そんな事どうでもいいか。
私は女性に手招きされ、断らずにはいられなかった。
隣へ行き、座り込んだ。
いい匂いがする。
どこか懐かしく、とても落ち着く匂い。
凄く心地が良い。
「横になっていいのよ」
大人になって初めて膝枕をしてもらったかも。
少し恥ずかしい…。
「この世は流転していてね…」
「全てが移り変わっていくの」
「それでも私達は変わらずに出逢えた…」
なんだろうこの感じ。
前にも一度、同じような体験をした事がある気がする。
私は女性の雰囲気に、白く美しい瞳に全てが吸い込まれていく。
「さっきは酷いこと言ってごめんね…」
「でも全部、貴方のことを想って言ったのよ…」
「大丈夫です…気にして無いから」
「そう、良かった…」
よく分からないけど、きっとこの女性は何かに悩んでいたのかな。
「あ、まだ名前…聞いてない」
「なんて言うんですか?」
私がふと、聞いてみると女性の目が滲みだした。
貴方が泣いたせいで私は右往左往するしかなかった。
「あ、言うの…嫌でした?」
「ううん…違うの」
「また…貴方から歩んでくれるのが嬉しくて…」
貴方から…?よく分からないな。
さっきから分からない事だらけだ。
でも彼女の事を知れるのが嬉しい。
彼女は涙をぽろぽろと流しながら口を開いた。
口を開く一瞬は随分と時間が流れるのを遅く感じた。
「沙耶華…」
「私は沙耶華」
「貴方は…?」
「葵井蘭」
「ふふっ、知ってる…」
「知ってるよ…知ってるわ…」
彼女は優しく私を包み込むように笑った。
さんざめく夏。
うだるような熱はまだ終わらない。
カーテンの影が模様になって部屋を這う。
月明かりに照らされ、彼女の瞳が一瞬光る。
私は神様だった。
でも、もう終わり。
また貴方に逢えた。
見つけるまで私は、崖の淵をずっとずっと歩いているような、そんな気分だった。
出逢いはいつも突然だった。
昔からそう。
あの時だって貴方が居なければ、私はこうも美しい日々を過ごせなかった。
私だって神様を憎む事はある。
世界が止まる時は酷く憎む。
でも、今日だけはそんな神様に祈りを捧げられそう。
貴方が忘れていたって、私は覚えてる。
もうあの桜には囚われない。
私はあの檻を突き破ったんだ。
生まれ持った呪いに耐え切れるほど私は強くなった。
これも全部貴方のおかげ。
想うは貴方ひとり。
そのまま優しく抜き出る貴方の声をたくさん聴かせて。
あの花を抱えて待ってるから。
白藍のキャンバスに貴方と私の色を塗る。
そうして出来上がったのが今。
変わらないのは日常じゃなくて私の方だった。
だから、また私とあなた色で染め上げる。
ああ、好きよ蘭。
大好き。
もう貴方と離れたくない。
私のことを知らないなら、これから教えていく。
だからもう居なくならないわ。
無邪気に笑えるような気がする。
だから精一杯の気持ちを込めて貴方に言うの。
──見つけてくれてありがとう
貴方と逢えて本当に良かった──
そっと目を閉じ、貴方に近づく。
「……ん」
「………」
「……」
「……ふふっ」
たくさんの想いを込めてキスをした。
「その赤らめた顔…」
「懐かしいわ…」
今、考えるべき事は帰りに買う物くらいでいい。
貴方の頭の中を私でいっぱいにしたい。
ずっと無垢なままの貴方が好き。
ずっと無邪気な貴方が好き。
私を受け容れてくれる貴方が好き。
故に私は恋をする。
貴方に恋をする。
完璧じゃなくたっていい。
貴方が居ればそれでいい。
だからまた、私に手を差し伸べて。
「好きよ…蘭」
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※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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