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65話

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 先程の運転とはうってかわり、ローユンはゆったりと深夜の幹線道路を流していた。
 貴奈津に見覚えがあったのも道理で、グレーとシルバーのこのクーペはイーライが眞鳥邸に持ちこんでいる車だった。
 それをローユンが借り受けていたのだ。
 あまり目立たないタイプの車なのは、イーライの趣味ではなく職業的な選択だろう。 派手なスポーツカーで、尾行するわけにもいかない。
 ただし、大人しげな見た目を裏切る性能は隠し持っている。
 対向車のライトに照らし出されるローユンの横顔を見ながら、貴奈津はニタニタ笑いを浮かべていた。
「わたしのことを心配して、わざわざ迎えに来てくれたのね、ありがとう、ローユン」
「……いや、感謝してもらうほどのことでは」
 さきほどの異常現象は、一瞬の世界の揺らぎが引き起こしたものだ。
 したがって、ローユンとしては仲間の身の安全を確かに気にかけてはいたが、月葉でもイーライでもなく、貴奈津を迎えに出たのにはわけがある。
 一番手近なところにいたのが貴奈津だったのだ。
「あれだけで済んでよかったが、シールドが大きく揺らぐようなら、こちらも対処に向かわなければならない。そのために貴奈津一人だけでも、そばにいてもらいたかった」
「あっ、大丈夫だったの? 異世界宮殿のシールドは」
「問題ない。今回の物は直接シールドに影響するほど、強い圧力ではなかった」
「よかった、とりあえず」
 胸を撫で下ろし貴奈津がシートにもたれこむ。
 ローユンはウインカーを出して車線変更にかかっていた。
 中央分離帯によると、減速しながらハンドルを右に切る。
「そういえばローユンって、いつのまにあんな運転の仕方を憶えたの?」
 クーペは今は静かに、夜の田園調布を走っている。
「たいがいのことはね、貴奈津、睡眠学習ができる。レイの宇宙艇にカプラーがあっただろう、あれを使えば」
 カプラーと聞いて、貴奈津が顔をしかめる。
 仮想現実空間で、ひどい目にあったのを思い出したのだ。
 しかし、だからこそ肯ける。
「なるほどね」
「実地では、イーライに教わった」
「彼って面倒見がいいものね。……あっ!」
「どうした」
「イーライで思い出したけど、わたし、彼に月葉の足止めを頼んだのよね。月葉より先に家に帰ろうと思って。でも、もう間に合わないかもしれない」
 貴奈津の意図がなんなのか、ローユンにはまったくわからなかった。
 だが、目的は理解できる。
「気になるようなら、調べてみよう」
 カーナビに触れ、ローユンの指がキーをいくつか叩くのを、貴奈津はまばたきして見ていた。
 どうやって、なにを調べるのか
 カーナビの画面が広域に切り替わり、光点が表示される。
「月葉はそこにいる。だとすれば、到着はわたしたちのほうが早いと思うが」
「ここって、渋谷じゃない。でも、どうしてカーナビで、月葉の位置がわかるのよ」
 貴奈津がディスプレイを睨む。
「もしかしてこれ、ただのカーナビじゃないわね」
「わたしは使用法を教わっただけなので、くわしくは知らないが、イーライとレイが、共同開発したシステムを組みこんであるそうだ」
「イーライって変な人だとは思っていたけど、ほんとに変わっているわね。猫といっしょにシステムを開発するなんて、普通人には考えつかないことよ」
「柔軟性に富むという表現もできるな。このカーナビは、貴奈津やわたしの位置もとらえ
る」
「ええっ、それってすごく困るわ、わたし」
 スクールヘ行くふりをして、じつは違う、という手が使えないではないか。
 貴奈津の困惑は、今度はローユンにもわかった。
「大丈夫、イーライはそのあたりは検索しないし、わたしにしても、きみたちの位置さえ掴めればいい。レイが正常な状態であれば、このシステムを使う必要もないのだが」
「ちょっと待って。どういうこと、それ」
「先刻の世界の揺らぎ、あのときレイが倒れた」
「なんですって! どうしてそれを先に言わないのよ、誰にやられたのよっ」
 運転中のローユンの腕を掴み、貴奈津がわめく。
「頭痛だそうだ」
「……は?」
 貴奈津は身を乗り出したまま、ストップモーションした。
 ローユンの横顔をまじまじと見る。
 冗談を言っているわけではなさそうだった。
 ともあれ、頭痛くらいで大さわぎすることもあるまい。
 すでにクーペは、眞鳥邸にほど近い高級住宅街に入っていた。



 続く……
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