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92話

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「なにを考えているんだ、バラバラになるぞ。そんな大型拳銃を人間に向けるな。殺す気か?」
 順序がそうとう乱れている。
「殺しても構わないと思うがね。どうせろくな死にかたはしないタイプだ」
「やめろって、イーライ。殺人だけはさすがにまずいよ」
 お互い、いつもと正反対のことを言っているのには気付かない。
 月葉の説得にも関わらず、いっこうにイーライは銃口をはずさない。
 失神寸前の男を、 月葉は振り向いた。
「じゃあ、こうしよう」
 いきなり男の首すじに手刀を叩き込む。
 悲鳴も上げずに男は昏倒した。
「これでいいだろう? こんなヤツ、殺すまでもないよ」
 見出した解決策がこれである。
 ついでかけより、イーライの右腕を抑える。
 いつ発砲するかと案じていたのだ。
「どうしたんだ、あなたらしくもない」
 その声に、ようやくイーライが表情を和らげる。
 安全装置をかけ、チャリオットをしまいこむ。
「逆上したらしい、わたしとしたことが」
「うそだろう?」
 かぶりをふって、イーライは月葉の手を取った。
 その手を持ちあげて、先程の傷痕を確かめる。
 あまり見つめられて気恥ずかしくなり、月葉は手を振り払った。
「かすり傷だよ」
「だが許せない。そう思ったら、抑えが効かなくなったんだよ」
「それでよく、超A級ボディガードがつとまるな」
「面目ない」
「抑えがきかないのは、ぼくと貴奈津だけでたくさんだよ。あなたまでそんなんじゃ、先が思いやられる」
「ローユンもだが」
「なんだよ、それ」
「目の前で貴奈津を叩かれて、反射的にきみに手が出たんだね」
 軽く月葉は眉をよせた。
 自分がここにいるわけを思い出す。
「……抑えのきかないヤツばっかり」
「わたしだけは違うと、信じていたのだけれどねえ」
 イーライがいつもの微笑みを取り戻していた。
 つられて笑いかけ、月葉はそれを飲み込んだ。
 その前に言うべきことがあった。
「ぼくは結局、ローユンに甘えていたんだと思う。あとでローユンにあやまるよ」
「あやまる必要などない」
 意外なイーライの言葉に、月葉が首を傾げる。
「なんで?」
「きみに手をあげるようなヤツは、誰であろうと許せない。悪いのはローユンだ。あとで、わたしが仕返ししてあげるよ」
「それ本気で言ってる?」
「わたしはいつも真剣だよ、月葉」
 重々しく肯くイーライに、ついに月葉が笑い出す。
 発作的な、だが幸せそうな笑いだった。
 ひとしきり笑い、ようやく月葉が顔を上げる。
「仕返しはやめときなよ、イーライ」
 月葉は明るい笑顔を見せていた。
「なんて可愛い」
 口には出さない、内心でイーライは思った。
 普段、にこやかに笑うことはあまりないし、イーライにはそれこそ一度も微笑みかけたことなどないのだが、なにしろ顔立ちがいい。
 月葉の笑顔は、天使の笑顔もかくや、とイーライには思えたのである。
 多少、ひいき目ではあったが。
 しかしここで「かわいい」などと本心を言えば、即座に月葉の平手か蹴りが飛んでくるであろう。
 そう思ったので、イーライは無難な科白を選ぶことにした
「ああ、きみがそう言うのなら」
 言葉を偽ったかわりに、イーライは手をのばした。
 月葉の肩を引きよせ抱いてやる。
 このときイーライに下心はなかった。
 月葉もそれを察したのかもしれない。
「でも、ありがとう。イーライ」
 素直に礼を言い、月葉はイーライの胸に額をつけた。
 めったにないことだが、月葉のなかの一番優しい部分が、表に出てきている状態である。
「なんという、お得な展開」
 イーライは幸福だった。
 片手は月葉の一肩を抱いている。
 さて、あまったもう片手をどうしようか。
 などと、ろくでもないことを考えはじめたとき、存在を忘れていたオジャマ虫があら われた。
「ケリはついたのかい、お兄さん」
 静かになってしばらくたつので、ヒロミを先頭に、ルビイが様子を見に来たのだ。
 イーライの呼び名は「あんた」から「お兄さん」に昇格している。
 貴奈津の身内らしい、ということで話がまとまったのだろう。
 ふってわいた女性の声に、我に返った月葉が、バッとイーライから身を離す。
 いくらか顔に赤みが差しているのだが、暗さが幸いして気付かれることはなかった。
「銃声みたいのが聞こえたんだけどね」
 ボンネットを撃ち抜かれた車に、ヒロミの視線が注がれている。
 小声で月葉になにやら説明しているイーライを、ヒロミは振り返った。
「……ま、あたしらには関係ないことさ」
 よけいな突っ込みをしないことが長生きの秘訣だ。
「ときに、そちらが月葉さんで? お初にお目にかかります。あたしたち……」
「聞いた。貴奈津の友人なんだってね。月葉です、よろしく」
 イーライの説明は大雑把だった。
「友人ってほどじゃないんですけどね。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 ルビイー同、深々と頭を下げて挨拶する。
 噂に聞く、月葉が恐ろしいのである。
 関わり合いになりたくはなかったが、なってしまったものはしかたがない。
 なるたけ怒りを買わないように、細心の注意を払うだけだ。
 それでも湧いてくる興味は抑えがたい。
 ルビイのメンバーはチラチラと月葉の顔を窺い見た。
「ほんと貴奈津姐さんと、よく似ている」
「予想以上の美少年」
 目と目で感想をかわしあう。
「きみがリーダーだね」
 悪意のまったく感じられない表情と声で、イーライはヒロミに近づいた。
「今後のこともあるのでね、自己紹介しておこう。わたしはイーライ。きみは?」
 手の届く距離で、イーライに微笑みかけられ、ヒロミが思わず半歩後退る。
 警戒したのではない、狼狽えたのである。
 イーライは基本的にフェミニストである。
 ヒロミの周辺にはあまりいないタイプなので、 平和的に意思疎通を図ろうとすると、とまどってしまうのだ。
「よく見れば、かなりのいい男じゃないか。背も高いし、着熟しもいい。ファッションモデルじゃないのか、この男」
 そんなことを考えてしまい、答えが遅れた。
「よかったら、きみの名前を教えてくれないか」
 再度、聞かれてしまう。
「あ、あたしはヒロミっていうんです」
「いい名だね。しかし、ルビイというのは……」
 イーライはメンバーにまんべんなく微笑んでみせた。
「きみを筆頭に美人ぞろいだね。お近付きになれて、うれしいよ」
 なにを考えて、この場でこのようなことを言い出すのかは、イーライにしかわからない。
 背後で月葉が眉をしかめた。この男は……と思うわけだ。
「みっともないぞ、イーライ」
「なんのことかな」
 澄ましてイーライがふりかえる。
「女の子と見れば、そうやって取り入ろうとする。よしなよ、見苦しい」
 声に含まれる不機嫌さを、ヒロミたちが敏感に察知する。
 なにしろ身の安全にかかわることだ。
 しかし、イーライは気にしない。
 何事もなかったように顔を戻して、不安げなヒロミに、この上なく優しく微笑んで見せた。
「心配はいらないよ。彼、ちょっと……」
 背後を指差して、イーライはさりげなく続けた。
「妬いているだけだから」
 とっさに意味が飲みこめず、ヒロミが瞬きをする。
 月葉は声も出せずに、凍結してしまっていた。
「そんなことはない、絶対にない!」
 とは思うのだが、果たしてどうか。
 最近、自分を信じ切れない月葉だった。
 月葉の葛藤など委細構わず、イーライはさらによけいなことまで言い出した。
「じつは彼、わたしの恋人で」
「ええっ!」
 ヒロミだけでなく、ルビイのメンバーたちがいっせいに声をあげる。
「お、驚いた」
「だけど、お似合いかも」
 耐えきれなくなり月葉が怒鳴る。
「違うだろう!」
 チラリと月葉に視線をふって、イーライは嬉しそうな笑みをこぼした。
 反省の色など、皆目ないときの笑みである。
「そうだね、月葉。今は違う、過去に恋人だったのだよね」
 ここまで話を端折っては、誰にも真意は理解できない。
 もともとイーライが、誤解を招くことを、意図しているのだからなおさらだ。
 当然のことながら、ヒロミたちはきっちり真に受けた。
 これ以後、ルビイの集会では「貴奈津姐さんのいい人」のことから、もっぱら月葉とイーライのことへと、話題は移ったのであった。



 続く……
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