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閑話「闇夜に光る怪しき眼光」
しおりを挟む夜の帳が下り、街全体が暗闇に包まれて幾ばくの時が経過した頃、それは音もなく忍び寄ってきた。
人々が寝静まり、起きている者はほぼ皆無といっていい夜の街を一筋の影が横切る。その正体を視認できた人間はおらず、まるで自分が夜の支配者とばかりに街を電光石火の如く疾走する。
その正体がモンスターなのか、それとも人間なのかはっきりしないが、その動きは何か目的があっての行動だということは理解できる。
背景を置き去りにするほどのスピードでそれが向かった先は、とある一軒の家であった。
「……」
先ほどまでの素早い動きが嘘のように鳴りを潜め、ただ家の様子を窺う様に暗闇に二つの眼光が光り輝く。しばらくそうしていたそれは、痺れを切らしたのかはたまたその家の住人に気付かれていないことを確認できたのかのどちらなのかは定かではないが、徐々に家に近づいていく。
そして、勝手知ったる場所なのかなんの躊躇もなく家へと侵入することに成功したそれは、ひとまず台所へと向かった。
木造の家だというにも関わらず軋む音一つ立てず移動する様子は、その行動が初めてではないということを如実に物語っている。
台所に到着すると、それは何かを物色し始める。そして、ここでようやくそれの正体が露見するような出来事が起こる。
「……あったニャ」
誰の耳にも届かない独り言を、それが発した。少なくとも獰猛なモンスターではないことは、今の言動で見て取れる。かといって、その家の住人にとってモンスターだろうが人間だろうが、自分のテリトリーを侵す不届き者であることに変わりはない。
目的のものを見つけると、その者はそれを手に取りしげしげと観察する。その時、偶然にも窓の隙間から月明かりが差し込み、その手元が照らされる。そこに照らされたものはというと、一つのパンだった。
台所を物色するということは、その者が空腹で何か食べるものを探しているということなのだが、どうやら目的のものを見つけ出すことに成功したらしい。
もはや我慢の限界とばかりに、さっそくパンに齧りつく。程よい抵抗感を歯に与えながら口の中でゆっくりと味わう。いつも口にしている黒パンとはまるで別物であるそれの存在をその者が知ったのはつい最近のことで、今ではこうして定期的にこの家にやってくるようになった。
もう何度目となるのかわからない白いパンの味はいくら食べても飽きることなく、寧ろその美味さが増しているような気さえするようだ。黒パンとはまったく異なる甘さと旨味のあるそれは、今までその者が味わったことがない初めてのご馳走であった。
まるで何か得体の知れないものに憑りつかれているのではないかと思わせるほどに、その者は白いパンに夢中だった。
そして、本日一つ目の白いパンを食べきると、間髪入れず二つ目を手に取り食事を再開する。そのあまりの美味さに、全てのパンに手を付けてしまいたくなる衝動を、その者はすんでのところで抑えることに成功する。
その者は、過去の経験から知っていた。今ここにあるパンを全て食べてしまえば、その者の腹は満たされるだろう。しかし、それを実行すれば家の住人に何者かが家に侵入していることが露見する可能性が高くなる。
だからこそ、住人が気付かない程度のぎりぎりの量を見極め、パンを食べる必要があるのだ。
(うーむ、今日はこれくらいにしておかないと……でも、もっと食べたいニャ)
食欲と自制の狭間で行ったり来たりを繰り返し、最終的に自制が僅かに軍配を上げた。とうに食べ終わったパンの余韻に浸りながら、お土産と称して三つ目パンを手に取る。
パンの入った容器に視線を向けながら後ろ髪を引かれる思いを抱きつつも、その者は家をあとにした。
夜が明けた翌日、朝の身支度の済んだ住人は昨日作っておいたパンの入った容器を手に取ったのだが、心なしか昨日見た時よりも数が少なくなっているような気がした。
「おかしいな。昨日はもっとあったような気がするんだけど。まさか、寝てる間に無意識に食べちゃったとか?」
などと独り言を口にしていたが、夜の侵入者の思惑通り減った数が少ないため、住人は自分の記憶違いということで結論付けてしまったのである。
( ̄д ̄)( ̄д ̄)( ̄д ̄)( ̄д ̄)( ̄д ̄)
二日後、その者は再び家へとやってきた。目的は言わずもがな、美味なるパンである。
いつものように手早く家の中に侵入し、台所へと直行する。もともと夜目の効くその者は、照明用の蝋燭一つない暗闇の中でも難なく動くことが可能だ。
台所に到着し、いつもパンが入った容器が置いてあるであろう場所を物色し始める。そして、念願のパンを見つけると今日もその美味なるパンを貪り食う。
一つ二つとソフトボール大ほどもあるパンをペロリと平らげたその者だったが、慢性的な空腹に悩まされているその者にとってはとてもではないが足りなかった。
だからといって、己の空腹を満たすためにそこにあるパンを全て食べてしまえば、家の住人に自分の存在を知らせるようなものだ。
(他に何かないかニャ)
パンがダメならばと、他の食べ物がないかさらに物色し始める。これほど美味なるものがある家ならば、他にも食べ物があるに違いないと踏んだからだ。
物音を立てないよう慎重に探していると、棚の中に瓶に入った何かを三本ほど発見する。瓶の中には果物らしきものが入っており、それが何かの液体に浸かっているという見たことのないものだった。
しかしながら、台所に置いてあるということもあり、その者はそれが食べ物であると判断してしまった。
その者がそれを食べ物と判断してしまった要因の一つに、甘い香りが漂っていたからという理由もあったことを付け加えておく。
(これは、ここでは開けられないからお土産にするかニャ)
それから、いつものお土産のパンを一つ掴み取り、片方の手に瓶を持ってその者は家をあとにしたのであった。
当然の話だが、その者が持ち帰った瓶というのはパンと作るために必要なパン種の元となる酵母菌の入った瓶のことである。
それを持ち帰り口にしたその者は、腹を壊して数日間寝込むことになるのだがそれはまた別の話である。
そして、その者にとっての失敗はその瓶を盗んだことにより腹を壊したことではなく、その家の住人に誰かが自分の家に出入りしているのを気付かれてしまったことだろう。
その者の体調が回復し、再び家に侵入しようとした頃には既に新たな住人がもう一人増えていた。そのことに気付いたその者は、その家に侵入することを諦めようかとも考えたが、あの美味なるパンを二度と味わうことができないということと捕まるリスクを天秤に掛けた時、どちらに傾くのかは火を見るよりも明らかである。
それほどまでに人の欲望、取り分け食欲というのはなかなか抑制できないものなのである。そして、人は一度贅沢を覚えてしまうと元の生活には戻ることはできない欲深い生き物だ。
(今は様子を見た方がいいかニャ)
こうして、家の住人が作ったパンを巡り、その者が再びその家に侵入するのはもう少し先の話である。
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