死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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一章

05 偽りの平穏

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 高熱から回復した僕は、最悪の未来を回避するための対策を講じた。
 まずはシグファリスと、その母エリアーヌの待遇について。
「どんな能力を持っていようが所詮は平民の血が混じった雑種。血族と認めることはできない。しかし愚父の不始末は公爵家当主として私が片をつけねばならぬ。かの母子は寄客として公爵家の庇護下に置く。オーベルティエの名に恥じぬよう、丁重に扱うように」
 僕の言葉に、侍従は唖然と口を開いたまま硬直した。格式高い公爵家に仕える者として不適切な反応だが、無理もない。僕が抱いている父への憎悪と平民への蔑視は侍従もよく知るところ。「家畜小屋にでも放り込んでおけ」とわめき散らしたとしてもおかしくはない。そんな僕が寛大な判断を下したのだ。やや間をおいてから我に返った侍従は、恐々と言葉を紡いだ。
「お、恐れながら、小公爵閣下。それでよろしいのですか」
「はあ? 僕の決定に文句があるのか? 最初に彼らを客人と呼んだのは貴様なのだから貴様が責任を持って監督しろ」
「――は! お任せください!」
 普段通りの傲慢さで命じると、侍従はなぜか満面に笑みを浮かべて深々と頭を下げた。僕の言葉に驚いたものの、当主の判断としては適切だと思われたらしい。「成長なさったのだなあ」と言わんばかりの生ぬるい眼差しが腹立たしいが、命令自体は違和感なく受け入れられたようでほっとする。これでシグファリスは悲惨な幼少期を過ごさずに済むはずだ。
 小説でのシグファリスは父の死後、母と共にみすぼらしい荒屋に押し込められていた。
 ――魔術を使えない平民など家畜も同然。生かされているだけでありがたいと思え。
 アリスティドは傲然とそう言い放ち、使用人に彼らを虐げさせた。二人は奴隷のように扱われ、用意される食事は残飯。理由があってもなくてもアリスティドの機嫌次第で鞭打たれた。
 間違っても小説と同じ展開にならないよう、彼らには東の離れを与えることにした。多少古びてはいるが、かつては賓客を迎えるために使っていた邸だ。今でも申し分なく使うことができるし、親子三人で暮らすには充分な広さがある。もちろん必要なだけ使用人を手配させて、食事も客人に相応しいものを用意させる。あとは勝手な忖度を働かせて陰でシグファリスやエリアーヌをいじめる輩が出ないよう目を光らせておけばいい。

 彼らの待遇について指示を出してからは、特別な事情がない限り僕が直接介入することはせず、侍従から報告を受けるにとどめた。
 本当はシグファリスと顔を合わせて、話をしてみたかった。前世で大好きだった物語の主人公が、今は僕の弟なのだ。しかし公然とシグファリスを弟扱いすることはできないし、今まで平民を毛嫌いしていた僕が急に態度を変えたら周囲に怪しまれてしまう。
 なによりも、シグファリスを前にして自分の感情を制御できる自信がなかった。
 叔父が見舞いに来てくれた時、冷静に物事を考えているつもりのはずが、いつの間にか殺意に飲み込まれそうになっていた。
 父への悪感情。平民への蔑視。選民意識。他罰的思考。これらの思想は自分で思うよりも根深く僕の人格に影響を与えている。このままではいけないとわかっていても、感情の濁流は易々と理性の堰を破壊してしまう。
 この世界での僕はまだ八歳。わがまま放題、かなり甘やかされて育っている。いきなり完璧に感情を制御できるはずもない。
 小説のアリスティドが悪魔の力を手に入れるのは、十五歳の成人を迎える時。幸いなことにまだ猶予がある。僕は焦らず、時間をかけて自分と向き合うことにした。
 僕の心の歪みは、元を辿れば脆弱な魔術しか使えないという劣等感から発生している。生まれついての才能はどうすることもできないのだから嘆いていても仕方ないし、公爵として求められるのは魔術師としての才能だけではない。視野を広げ、他の分野で自信をつけていけばいいのだ。
 僕はこれまで遠ざけていた家庭教師を呼び戻し、心を入れ替えて勉強に励んだ。前世の記憶を思い出す前もそれなりに勉強してはいたが、自分の能力不足を教師のせいにして八つ当たりばかりしていた。いざとなれば叔父が助けてくれるという甘えもあった。実際に族親の統制は叔父が手綱を握っているし、領地の管理も代理人に任せっきりだ。成人するまでにこれらの役割を引き継げるだけの能力を身につける必要がある。その他にも、高位貴族として求められる教養に磨きをかけなくてはならない。
 才能の無さを言い訳にしない。他人のせいにしない。そうして自分の無力さに向き合うのは想像以上に辛かった。それでも自分のするべきことに集中していればコンプレックスに苛まれることもない。他人を羨んでいるだけ時間の無駄だ。
 努力を重ねる合間に、シグファリスについての報告も欠かさず受けた。小説とは違う健全な生活を送っていることに安堵すると同時に、両親に愛されてのびのびと育つ様子に嫉妬を覚えた。父との間にある軋轢も解消できず、顔を合わせるたびに罵り合っている。それでも自分の感情を抑制できないほどではなかった。
 どうしても残虐な感情に押し流されてしまいそうになる時は『緋閃のグランシャリオ』のことを思い出した。物語への愛着。主人公シグファリスへの憧憬。孤独を癒し、行先を照らしてくれるこの灯火を大切に守っていくこと。道を踏み外し、暗闇に落ちてしまわないように。これが僕の魔王化を阻止するためにもっとも大切なことなのだと思えた。

 §

 そうして瞬く間に時は過ぎ、僕は十五歳になろうとしていた。
 この七年間、不測の事態は多々起きたが、おおむねうまく対処することができた。シグファリスは健やかに成長し、病弱だったエリアーヌもすっかり健康になった。
 コンプレックスを克服した今の僕に悪魔の力を欲する理由はない。それに、悪魔の力を手に入れる方法を僕は知らない。小説には「生贄を捧げて悪魔召喚の儀式を行った」というような描写はあったけれど、具体的な方法までは書かれていなかった。
 知らないことを実行することはできない。だから、僕が魔王になるという道は完全に潰えたということだ。
 僕は安心していた。いや、慢心していたのだ。
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