5 / 62
一章
05 偽りの平穏
しおりを挟む
高熱から回復した僕は、最悪の未来を回避するための対策を講じた。
まずはシグファリスと、その母エリアーヌの待遇について。
「どんな能力を持っていようが所詮は平民の血が混じった雑種。血族と認めることはできない。しかし愚父の不始末は公爵家当主として私が片をつけねばならぬ。かの母子は寄客として公爵家の庇護下に置く。オーベルティエの名に恥じぬよう、丁重に扱うように」
僕の言葉に、侍従は唖然と口を開いたまま硬直した。格式高い公爵家に仕える者として不適切な反応だが、無理もない。僕が抱いている父への憎悪と平民への蔑視は侍従もよく知るところ。「家畜小屋にでも放り込んでおけ」とわめき散らしたとしてもおかしくはない。そんな僕が寛大な判断を下したのだ。やや間をおいてから我に返った侍従は、恐々と言葉を紡いだ。
「お、恐れながら、小公爵閣下。それでよろしいのですか」
「はあ? 僕の決定に文句があるのか? 最初に彼らを客人と呼んだのは貴様なのだから貴様が責任を持って監督しろ」
「――は! お任せください!」
普段通りの傲慢さで命じると、侍従はなぜか満面に笑みを浮かべて深々と頭を下げた。僕の言葉に驚いたものの、当主の判断としては適切だと思われたらしい。「成長なさったのだなあ」と言わんばかりの生ぬるい眼差しが腹立たしいが、命令自体は違和感なく受け入れられたようでほっとする。これでシグファリスは悲惨な幼少期を過ごさずに済むはずだ。
小説でのシグファリスは父の死後、母と共にみすぼらしい荒屋に押し込められていた。
――魔術を使えない平民など家畜も同然。生かされているだけでありがたいと思え。
アリスティドは傲然とそう言い放ち、使用人に彼らを虐げさせた。二人は奴隷のように扱われ、用意される食事は残飯。理由があってもなくてもアリスティドの機嫌次第で鞭打たれた。
間違っても小説と同じ展開にならないよう、彼らには東の離れを与えることにした。多少古びてはいるが、かつては賓客を迎えるために使っていた邸だ。今でも申し分なく使うことができるし、親子三人で暮らすには充分な広さがある。もちろん必要なだけ使用人を手配させて、食事も客人に相応しいものを用意させる。あとは勝手な忖度を働かせて陰でシグファリスやエリアーヌをいじめる輩が出ないよう目を光らせておけばいい。
彼らの待遇について指示を出してからは、特別な事情がない限り僕が直接介入することはせず、侍従から報告を受けるにとどめた。
本当はシグファリスと顔を合わせて、話をしてみたかった。前世で大好きだった物語の主人公が、今は僕の弟なのだ。しかし公然とシグファリスを弟扱いすることはできないし、今まで平民を毛嫌いしていた僕が急に態度を変えたら周囲に怪しまれてしまう。
なによりも、シグファリスを前にして自分の感情を制御できる自信がなかった。
叔父が見舞いに来てくれた時、冷静に物事を考えているつもりのはずが、いつの間にか殺意に飲み込まれそうになっていた。
父への悪感情。平民への蔑視。選民意識。他罰的思考。これらの思想は自分で思うよりも根深く僕の人格に影響を与えている。このままではいけないとわかっていても、感情の濁流は易々と理性の堰を破壊してしまう。
この世界での僕はまだ八歳。わがまま放題、かなり甘やかされて育っている。いきなり完璧に感情を制御できるはずもない。
小説のアリスティドが悪魔の力を手に入れるのは、十五歳の成人を迎える時。幸いなことにまだ猶予がある。僕は焦らず、時間をかけて自分と向き合うことにした。
僕の心の歪みは、元を辿れば脆弱な魔術しか使えないという劣等感から発生している。生まれついての才能はどうすることもできないのだから嘆いていても仕方ないし、公爵として求められるのは魔術師としての才能だけではない。視野を広げ、他の分野で自信をつけていけばいいのだ。
僕はこれまで遠ざけていた家庭教師を呼び戻し、心を入れ替えて勉強に励んだ。前世の記憶を思い出す前もそれなりに勉強してはいたが、自分の能力不足を教師のせいにして八つ当たりばかりしていた。いざとなれば叔父が助けてくれるという甘えもあった。実際に族親の統制は叔父が手綱を握っているし、領地の管理も代理人に任せっきりだ。成人するまでにこれらの役割を引き継げるだけの能力を身につける必要がある。その他にも、高位貴族として求められる教養に磨きをかけなくてはならない。
才能の無さを言い訳にしない。他人のせいにしない。そうして自分の無力さに向き合うのは想像以上に辛かった。それでも自分のするべきことに集中していればコンプレックスに苛まれることもない。他人を羨んでいるだけ時間の無駄だ。
努力を重ねる合間に、シグファリスについての報告も欠かさず受けた。小説とは違う健全な生活を送っていることに安堵すると同時に、両親に愛されてのびのびと育つ様子に嫉妬を覚えた。父との間にある軋轢も解消できず、顔を合わせるたびに罵り合っている。それでも自分の感情を抑制できないほどではなかった。
どうしても残虐な感情に押し流されてしまいそうになる時は『緋閃のグランシャリオ』のことを思い出した。物語への愛着。主人公シグファリスへの憧憬。孤独を癒し、行先を照らしてくれるこの灯火を大切に守っていくこと。道を踏み外し、暗闇に落ちてしまわないように。これが僕の魔王化を阻止するためにもっとも大切なことなのだと思えた。
§
そうして瞬く間に時は過ぎ、僕は十五歳になろうとしていた。
この七年間、不測の事態は多々起きたが、おおむねうまく対処することができた。シグファリスは健やかに成長し、病弱だったエリアーヌもすっかり健康になった。
コンプレックスを克服した今の僕に悪魔の力を欲する理由はない。それに、悪魔の力を手に入れる方法を僕は知らない。小説には「生贄を捧げて悪魔召喚の儀式を行った」というような描写はあったけれど、具体的な方法までは書かれていなかった。
知らないことを実行することはできない。だから、僕が魔王になるという道は完全に潰えたということだ。
僕は安心していた。いや、慢心していたのだ。
まずはシグファリスと、その母エリアーヌの待遇について。
「どんな能力を持っていようが所詮は平民の血が混じった雑種。血族と認めることはできない。しかし愚父の不始末は公爵家当主として私が片をつけねばならぬ。かの母子は寄客として公爵家の庇護下に置く。オーベルティエの名に恥じぬよう、丁重に扱うように」
僕の言葉に、侍従は唖然と口を開いたまま硬直した。格式高い公爵家に仕える者として不適切な反応だが、無理もない。僕が抱いている父への憎悪と平民への蔑視は侍従もよく知るところ。「家畜小屋にでも放り込んでおけ」とわめき散らしたとしてもおかしくはない。そんな僕が寛大な判断を下したのだ。やや間をおいてから我に返った侍従は、恐々と言葉を紡いだ。
「お、恐れながら、小公爵閣下。それでよろしいのですか」
「はあ? 僕の決定に文句があるのか? 最初に彼らを客人と呼んだのは貴様なのだから貴様が責任を持って監督しろ」
「――は! お任せください!」
普段通りの傲慢さで命じると、侍従はなぜか満面に笑みを浮かべて深々と頭を下げた。僕の言葉に驚いたものの、当主の判断としては適切だと思われたらしい。「成長なさったのだなあ」と言わんばかりの生ぬるい眼差しが腹立たしいが、命令自体は違和感なく受け入れられたようでほっとする。これでシグファリスは悲惨な幼少期を過ごさずに済むはずだ。
小説でのシグファリスは父の死後、母と共にみすぼらしい荒屋に押し込められていた。
――魔術を使えない平民など家畜も同然。生かされているだけでありがたいと思え。
アリスティドは傲然とそう言い放ち、使用人に彼らを虐げさせた。二人は奴隷のように扱われ、用意される食事は残飯。理由があってもなくてもアリスティドの機嫌次第で鞭打たれた。
間違っても小説と同じ展開にならないよう、彼らには東の離れを与えることにした。多少古びてはいるが、かつては賓客を迎えるために使っていた邸だ。今でも申し分なく使うことができるし、親子三人で暮らすには充分な広さがある。もちろん必要なだけ使用人を手配させて、食事も客人に相応しいものを用意させる。あとは勝手な忖度を働かせて陰でシグファリスやエリアーヌをいじめる輩が出ないよう目を光らせておけばいい。
彼らの待遇について指示を出してからは、特別な事情がない限り僕が直接介入することはせず、侍従から報告を受けるにとどめた。
本当はシグファリスと顔を合わせて、話をしてみたかった。前世で大好きだった物語の主人公が、今は僕の弟なのだ。しかし公然とシグファリスを弟扱いすることはできないし、今まで平民を毛嫌いしていた僕が急に態度を変えたら周囲に怪しまれてしまう。
なによりも、シグファリスを前にして自分の感情を制御できる自信がなかった。
叔父が見舞いに来てくれた時、冷静に物事を考えているつもりのはずが、いつの間にか殺意に飲み込まれそうになっていた。
父への悪感情。平民への蔑視。選民意識。他罰的思考。これらの思想は自分で思うよりも根深く僕の人格に影響を与えている。このままではいけないとわかっていても、感情の濁流は易々と理性の堰を破壊してしまう。
この世界での僕はまだ八歳。わがまま放題、かなり甘やかされて育っている。いきなり完璧に感情を制御できるはずもない。
小説のアリスティドが悪魔の力を手に入れるのは、十五歳の成人を迎える時。幸いなことにまだ猶予がある。僕は焦らず、時間をかけて自分と向き合うことにした。
僕の心の歪みは、元を辿れば脆弱な魔術しか使えないという劣等感から発生している。生まれついての才能はどうすることもできないのだから嘆いていても仕方ないし、公爵として求められるのは魔術師としての才能だけではない。視野を広げ、他の分野で自信をつけていけばいいのだ。
僕はこれまで遠ざけていた家庭教師を呼び戻し、心を入れ替えて勉強に励んだ。前世の記憶を思い出す前もそれなりに勉強してはいたが、自分の能力不足を教師のせいにして八つ当たりばかりしていた。いざとなれば叔父が助けてくれるという甘えもあった。実際に族親の統制は叔父が手綱を握っているし、領地の管理も代理人に任せっきりだ。成人するまでにこれらの役割を引き継げるだけの能力を身につける必要がある。その他にも、高位貴族として求められる教養に磨きをかけなくてはならない。
才能の無さを言い訳にしない。他人のせいにしない。そうして自分の無力さに向き合うのは想像以上に辛かった。それでも自分のするべきことに集中していればコンプレックスに苛まれることもない。他人を羨んでいるだけ時間の無駄だ。
努力を重ねる合間に、シグファリスについての報告も欠かさず受けた。小説とは違う健全な生活を送っていることに安堵すると同時に、両親に愛されてのびのびと育つ様子に嫉妬を覚えた。父との間にある軋轢も解消できず、顔を合わせるたびに罵り合っている。それでも自分の感情を抑制できないほどではなかった。
どうしても残虐な感情に押し流されてしまいそうになる時は『緋閃のグランシャリオ』のことを思い出した。物語への愛着。主人公シグファリスへの憧憬。孤独を癒し、行先を照らしてくれるこの灯火を大切に守っていくこと。道を踏み外し、暗闇に落ちてしまわないように。これが僕の魔王化を阻止するためにもっとも大切なことなのだと思えた。
§
そうして瞬く間に時は過ぎ、僕は十五歳になろうとしていた。
この七年間、不測の事態は多々起きたが、おおむねうまく対処することができた。シグファリスは健やかに成長し、病弱だったエリアーヌもすっかり健康になった。
コンプレックスを克服した今の僕に悪魔の力を欲する理由はない。それに、悪魔の力を手に入れる方法を僕は知らない。小説には「生贄を捧げて悪魔召喚の儀式を行った」というような描写はあったけれど、具体的な方法までは書かれていなかった。
知らないことを実行することはできない。だから、僕が魔王になるという道は完全に潰えたということだ。
僕は安心していた。いや、慢心していたのだ。
131
あなたにおすすめの小説
弟がガチ勢すぎて愛が重い~魔王の座をささげられたんだけど、どうしたらいい?~
マツヲ。
BL
久しぶりに会った弟は、現魔王の長兄への謀反を企てた張本人だった。
王家を恨む弟の気持ちを知る主人公は死を覚悟するものの、なぜかその弟は王の座を捧げてきて……。
というヤンデレ弟×良識派の兄の話が読みたくて書いたものです。
この先はきっと弟にめっちゃ執着されて、おいしく食われるにちがいない。
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
【完結】弟を幸せにする唯一のルートを探すため、兄は何度も『やり直す』
バナナ男さん
BL
優秀な騎士の家系である伯爵家の【クレパス家】に生まれた<グレイ>は、容姿、実力、共に恵まれず、常に平均以上が取れない事から両親に冷たく扱われて育った。 そんなある日、父が気まぐれに手を出した娼婦が生んだ子供、腹違いの弟<ルーカス>が家にやってくる。 その生まれから弟は自分以上に両親にも使用人達にも冷たく扱われ、グレイは初めて『褒められる』という行為を知る。 それに恐怖を感じつつ、グレイはルーカスに接触を試みるも「金に困った事がないお坊ちゃんが!」と手酷く拒絶されてしまい……。 最初ツンツン、のちヤンデレ執着に変化する美形の弟✕平凡な兄です。兄弟、ヤンデレなので、地雷の方はご注意下さいm(__)m
イケメンダブルセンターとアンチ>ファンな平凡な俺
ユッキー
BL
アイドルグループ【オーバーウェルミング】は圧倒的な歌唱力の深山影月、圧倒的なパフォーマンス力の漣陽太、そして圧倒的な平凡力な俺間桐真緒の3人で結成されている。
大人気の二人と違いアンチしかいない俺だが、メンバーからもファンからも愛される日が果たしてくるのか!?
【完結済み】準ヒロインに転生したビッチだけど出番終わったから好きにします。
mamaマリナ
BL
【完結済み、番外編投稿予定】
別れ話の途中で転生したこと思い出した。でも、シナリオの最後のシーンだからこれから好きにしていいよね。ビッチの本領発揮します。
悪役令息に転生したので、死亡フラグから逃れます!
伊月乃鏡
BL
超覇権BLゲームに転生したのは──ゲーム本編のシナリオライター!?
その場のテンションで酷い死に方をさせていた悪役令息に転生したので、かつての自分を恨みつつ死亡フラグをへし折ることにした主人公。
創造者知識を総動員してどうにか人生を乗り切っていくが、なんだかこれ、ゲーム本編とはズレていってる……?
ヤンデレ攻略対象に成長する弟(兄のことがとても嫌い)を健全に、大切に育てることを目下の目標にして見るも、あれ? 様子がおかしいような……?
女好きの第二王子まで構ってくるようになって、どうしろっていうんだよただの悪役に!
──とにかく、死亡フラグを回避して脱・公爵求む追放! 家から出て自由に旅するんだ!
※
一日三話更新を目指して頑張ります
忙しい時は一話更新になります。ご容赦を……
当てつけで小説を書いてはいけません
雷尾
BL
ガチの兄弟もの(弟×兄)なので、苦手な方はご注意ください。
受け:間神戸 良太(まこうべりょうた)
主人公(兄)
攻め:間神戸 律(まこうべりつ)
主人公の一つ下の弟。傾国のイケメン
悲報、転生したらギャルゲーの主人公だったのに、悪友も一緒に転生してきたせいで開幕即終了のお知らせ
椿谷あずる
BL
平凡な高校生だった俺は、ある日事故で命を落としギャルゲーの世界に主人公としてに転生した――はずだった。薔薇色のハーレムライフを望んだ俺の前に、なぜか一緒に事故に巻き込まれた悪友・野里レンまで転生してきて!?「お前だけハーレムなんて、絶対ズルいだろ?」っておい、俺のハーレム計画はどうなるんだ?ヒロインじゃなく、男とばかりフラグが立ってしまうギャルゲー世界。俺のハーレム計画、開幕十分で即終了のお知らせ……!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる