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四章
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「ヴリュソール!」
咄嗟に名を呼んだが、ヴリュソールの視界を映していた画面は霧散して消えてしまった。
本体は魔界にいるので死んではいない。だが攻撃されて強制的に魔界に戻されたのだから、それなりにダメージを受けただろう。無事だといいけれど――問題は僕の方だ。
「…………どうしよう」
動揺のあまり、魔王らしからぬ情けない呟きを漏らしてしまう。僕は気を落ち着かせるために鎖をじゃらじゃらと引きずりながら牢獄の中を歩き回った。
城内の様子を伺っていたことをシグファリスに気づかれてしまった。いや、小さな魔物がたまたま忍び込んでいたと思っただけで、僕が覗き見していたとまでは察しがつかないはず。大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら牢獄内をうろうろしていたら、遠くから勢いよく駆けてくる靴音が聞こえてきた。全然大丈夫ではなさそうだった。
そこから鉄扉が開くまでは一瞬だった。怒りに顔を歪めたシグファリスが、駆けてきた勢いのまま僕に詰め寄ってくる。首輪を掴み上げ、つま先がつくぎりぎりまで持ち上げられてしまう。
「この野郎! どうやって召喚魔法を使いやがった!」
「うぐっ……な……なんのこと……」
「しらばっくれても無駄なんだよ、お前の魔素の気配に俺が気づかないわけねえだろ!」
「……っ」
曲がりなりにも僕とシグファリスは血が繋がっている。魔術師であれば身内の魔素を見分けることなど造作もない。特に勘のいいシグファリスには、ヴリュソールに与えたわずかな魔素の気配ですら判別できたのだろう。
シグファリスがあっさりと手を離す。蹴り飛ばされるかと思いきや、シグファリスは静かに囁いた。
『光輪よ、戒めろ』
「ひぎっ! や゛ぁッ! あ゛ああ――っ!」
首輪がバチバチと音を立てる。雷に打たれたような衝撃と共に、体をふたつに割かれているのではないかと思うほどの壮絶な苦痛に苛まれる。僕は強がることもできずにみっともなくばたばたともがいて、首輪を両手でひっかいた。
『光輪よ、止まれ』
「――っ、は……うぅ……」
シグファリスの囁きとともに苦痛が消える。それでも体の震えが収まらず、無様に倒れたまま起き上がることもできない。
「魔封じの首輪は壊れてねえな……」
苦痛の残滓に震えながらも思考を巡らせる。シグファリスが唱えたのは、魔封じの首輪を作動させるための詠唱に違いない。もちろん僕が魔術を使おうとしても同じように機能するだろう。虜囚の魔術を封じるだけでなく、拷問の道具にもなる。いっそ殺してくれ、と願ってしまうほどの痛みだった。
シグファリスは倒れたまま動けないでいる僕の傍に膝をつき、手首を掴んで引き寄せた。両手の爪が全部なくなっているのを確認して、次は足首を掴む。左足の爪も、親指以外の四本を剥がしている。右足にはまだ全ての爪が残っている。
「爪を触媒に……? 魔術を封じてんだから、召喚もできないはず……ってことは……」
シグファリスは独り言をもらしながら牢獄を見渡した。僕の足首を捕まえているのとは反対の手で、無造作に投げナイフを投擲する。標的になったのは、シグファリスが僕に餌として与えたまま放置していた小型の魔物たち。シグファリスが来た時点で隅っこに集まって気配を消していたが、無駄だった。彼らは「ギャッ」と小さな断末魔を上げ、黒い霧となって消えていった。
シグファリスは僕が小物たちに爪を与えて城内の様子を探らせていたと思ったらしい。流石にあのチビ竜がヴリュソールだとまではわからなかったようだ。
小物を始末し終えたシグファリスが僕に視線を戻す。
「何が目的で城内を探っていた。脱走しようとでも思っていたのか?」
「……っ」
足首を掴んだ手にギリギリと力が込められていく。痛みに悲鳴をあげそうになるのを堪えて、僕は口元に笑みを浮かべた。
覗き見に気づかれてしまったが、魔界召喚陣の解除に関わったことは悟られていない。それならばいくらでも誤魔化しようはある。
「ははっ、愚かだな。貴様がご丁寧に下僕どもを寄越してくれたおかげで退屈しないで済んだよ。しかし惜しかったな……マリーとかいったか? 後少しであの小娘の喉元を掻き切ってやれたというのに」
「なっ……! あいつは関係ねえだろうが!」
「貴様が想いを寄せている小娘なのだろう? 殺してやったなら、貴様がどれほど絶望に打ちひしがれるか――見たかったのだがな」
「てめえ……!」
魔王アリスティドならば、きっとしおらしく牢獄に閉じ込められたままではいない。この程度の暗躍を見せた方が自然であるはずだ。
それに僕が討たれてもまだ生き残りの魔物たちがいる。彼らのうち、魔王の後釜を狙ってシグファリスを倒そうとする者がいてもおかしくはない。彼らがシグファリスを狙うならば、身近にいる仲間たちも危ない。特に戦う力を持たないマリーは狙われやすいだろう。これを機に護衛をつけるなりなんなりした方がいい。
僕の拘束も強固になるだろうが、それで構わない。魔界召喚陣はいずれ解除される。シグファリスの傍には頼りになる仲間たちがいて、心を寄せる相手もいる。もはやなんの憂いもない。
――僕にできることは、最後まで魔王としての態度を貫くこと。
そんな僕の誓いは数秒後にあっさり崩れた。
「ひえっ!?」
不意に体を持ち上げられて、うつ伏せにひっくり返されたと思ったら。叩かれたのだ。尻を。
「は、はあ!? 貴様、何をして――ふえっ!?」
ばちん、と派手な音を立てて、まるで親が子供に折檻するような姿勢で再び尻を平手で叩かれる。
思いがけない行動に動揺している間に何度も叩かれ、つい魔王らしからぬ悲鳴をあげてしまう。殴る、蹴る、刺される、目を潰される、生きながらに腑を引きずり出される――そのぐらいの覚悟はしていた。だがなぜ尻を叩く。痛いが、耐え難い苦痛というほどではない。どちらかといえば十五年間公爵家の子息として育ってきた貴族としてのプライドがズタボロになって胸が痛い。
「貴様! よくもこの僕に、こんな辱めを!」
上半身を捻って、何度も執拗に尻を叩いてくるシグファリスを睨みつける。シグファリスは僕が睨むよりも何百倍も迫力のあるぎらりとした眼差しで僕を見下ろしていた。
「…………もっと辱めてやろうか」
「いっ――!」
叩かれすぎて腫れた尻を乱暴に掴まれる。探るように撫で回されたかと思えば、今度はつねり上げられて、予測不能な折檻に体がびくりと跳ねる。
「うっ……ぐ……」
あげそうになった悲鳴を飲み込む。そんな僕を嘲笑うかのようにシグファリスが息を漏らした。
「血には飽きた、とか言ってたよな……代わりに何がほしい。悪魔らしく俺を誘惑してねだってみろよ」
急に魔素供給の話になって困惑する。でも、シグファリスの怪我のことも気になってはいた。よい機会だ。
「……つ」
「つ?」
「……爪か、髪を寄越せ……」
また気持ち悪いと思われるだろうが仕方ない。思い切って言ってみると、シグファリスの手がぴたりと止まった。
「爪か、髪?」
「そうだ。爪は伸びた先の部分、髪なら数本でいい。切ってから時間がたってしまうと魔素も失せてしまうがな。……毎回貴様のこってりとした血ばかりでは胃もたれする」
実際には胃もたれなどしないけれど。我儘を言っているように聞こえるよう、尊大な態度で文句を垂れてみせたが、シグファリスは心ここに在らずといった様子だった。
「……血以外って……アレのことじゃなかったのか……」
「あれ? とはなんだ?」
血や髪、爪以外に魔素を含むものなどあっただろうか。涙か? まさか排泄物? それには魔素は含まれていないし、与える方も嫌だろう、などなど考えながらシグファリスの顔を見上げる。
視線がかち合う。見る間にシグファリスの顔が紅潮していく。なんだ? どういう反応だ? つい小首をかしげると、わなわなと体を震わせていたシグファリスは怒りを爆発させた。
「――なんだじゃねえよボケが! 人を弄びやがってこのクソ悪魔! 二度と勝手な真似ができないようにしてやる!」
「うわっ、ぷ!」
言い終わらないうちにシグファリスは自らが装備していたマントを脱ぎ捨た。黒く分厚い布地を頭から被せられ、簀巻きにされて視界が封じられる。さらにその上からベルトか何かで縛られて、僕は完全に身動きが取れなくなってしまった。
この状態で暴行されるのだろうか。そう思って身構えていたが、シグファリスは僕を放置したまま慌ただしく牢獄を去っていった。
視界を奪われたせいで、静寂がより一層深まったように思える。
「う……」
今の僕は真っ黒な芋虫のように見えるだろう。ちょっともがいてみたが、石床の上をもぞもぞと転がるだけで終わった。頭から布に包まれているのでなんとなく息苦しい感じはするものの、実際に呼吸しているわけではないので気分の問題だ。叩かれた尻が痛むが、それ以外は特に不具合はない。
もしかして魔界召喚陣が解除される日までこのままなのだろうか。――いや、それはない。これは仮の処置で、対策を練るために戻って行ったのだろう。今までろくに拘束されず、のんびり過ごせていたことがおかしかった。次こそは苦痛が伴う方法で、もっと厳重に拘束されるだろう。想像するだけで恐ろしいけれど、転がっている以外何もできない。
極力何も考えないように大人しくしている間、とりとめのないことが脳裏に浮かんでくる。ヴリュソールとはもう会えないと思うと、少し寂しい。小さな魔物たちは一瞬で殺されてしまったな。哀れな最後だった。髪を一本ぐらい喰わせてやればよかった……とは思わないな。僕のことを隙あらば喰おうとしていたし。そういえばシグファリスが言ってた「人を弄びやがって」というのはどういう意味だ?
今のシグファリスは情緒不安定のように思う。肉体的にも精神的にも疲労しているのに僕が覗き見していたことが発覚したのだから無理もないけれど。そういえば城内の噂でもシグファリスの評価は割れていたな。魔界召喚陣の解除は進んでいるだろうか――。
半ば微睡みながら、どのぐらいそうしていただろうか。時間経過の目安にしていた陽の光も見えないから見当もつかない。
シグファリスが再び牢獄にやってきた時も、鉄扉が開く音がするまで気がつかなかった。
咄嗟に名を呼んだが、ヴリュソールの視界を映していた画面は霧散して消えてしまった。
本体は魔界にいるので死んではいない。だが攻撃されて強制的に魔界に戻されたのだから、それなりにダメージを受けただろう。無事だといいけれど――問題は僕の方だ。
「…………どうしよう」
動揺のあまり、魔王らしからぬ情けない呟きを漏らしてしまう。僕は気を落ち着かせるために鎖をじゃらじゃらと引きずりながら牢獄の中を歩き回った。
城内の様子を伺っていたことをシグファリスに気づかれてしまった。いや、小さな魔物がたまたま忍び込んでいたと思っただけで、僕が覗き見していたとまでは察しがつかないはず。大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら牢獄内をうろうろしていたら、遠くから勢いよく駆けてくる靴音が聞こえてきた。全然大丈夫ではなさそうだった。
そこから鉄扉が開くまでは一瞬だった。怒りに顔を歪めたシグファリスが、駆けてきた勢いのまま僕に詰め寄ってくる。首輪を掴み上げ、つま先がつくぎりぎりまで持ち上げられてしまう。
「この野郎! どうやって召喚魔法を使いやがった!」
「うぐっ……な……なんのこと……」
「しらばっくれても無駄なんだよ、お前の魔素の気配に俺が気づかないわけねえだろ!」
「……っ」
曲がりなりにも僕とシグファリスは血が繋がっている。魔術師であれば身内の魔素を見分けることなど造作もない。特に勘のいいシグファリスには、ヴリュソールに与えたわずかな魔素の気配ですら判別できたのだろう。
シグファリスがあっさりと手を離す。蹴り飛ばされるかと思いきや、シグファリスは静かに囁いた。
『光輪よ、戒めろ』
「ひぎっ! や゛ぁッ! あ゛ああ――っ!」
首輪がバチバチと音を立てる。雷に打たれたような衝撃と共に、体をふたつに割かれているのではないかと思うほどの壮絶な苦痛に苛まれる。僕は強がることもできずにみっともなくばたばたともがいて、首輪を両手でひっかいた。
『光輪よ、止まれ』
「――っ、は……うぅ……」
シグファリスの囁きとともに苦痛が消える。それでも体の震えが収まらず、無様に倒れたまま起き上がることもできない。
「魔封じの首輪は壊れてねえな……」
苦痛の残滓に震えながらも思考を巡らせる。シグファリスが唱えたのは、魔封じの首輪を作動させるための詠唱に違いない。もちろん僕が魔術を使おうとしても同じように機能するだろう。虜囚の魔術を封じるだけでなく、拷問の道具にもなる。いっそ殺してくれ、と願ってしまうほどの痛みだった。
シグファリスは倒れたまま動けないでいる僕の傍に膝をつき、手首を掴んで引き寄せた。両手の爪が全部なくなっているのを確認して、次は足首を掴む。左足の爪も、親指以外の四本を剥がしている。右足にはまだ全ての爪が残っている。
「爪を触媒に……? 魔術を封じてんだから、召喚もできないはず……ってことは……」
シグファリスは独り言をもらしながら牢獄を見渡した。僕の足首を捕まえているのとは反対の手で、無造作に投げナイフを投擲する。標的になったのは、シグファリスが僕に餌として与えたまま放置していた小型の魔物たち。シグファリスが来た時点で隅っこに集まって気配を消していたが、無駄だった。彼らは「ギャッ」と小さな断末魔を上げ、黒い霧となって消えていった。
シグファリスは僕が小物たちに爪を与えて城内の様子を探らせていたと思ったらしい。流石にあのチビ竜がヴリュソールだとまではわからなかったようだ。
小物を始末し終えたシグファリスが僕に視線を戻す。
「何が目的で城内を探っていた。脱走しようとでも思っていたのか?」
「……っ」
足首を掴んだ手にギリギリと力が込められていく。痛みに悲鳴をあげそうになるのを堪えて、僕は口元に笑みを浮かべた。
覗き見に気づかれてしまったが、魔界召喚陣の解除に関わったことは悟られていない。それならばいくらでも誤魔化しようはある。
「ははっ、愚かだな。貴様がご丁寧に下僕どもを寄越してくれたおかげで退屈しないで済んだよ。しかし惜しかったな……マリーとかいったか? 後少しであの小娘の喉元を掻き切ってやれたというのに」
「なっ……! あいつは関係ねえだろうが!」
「貴様が想いを寄せている小娘なのだろう? 殺してやったなら、貴様がどれほど絶望に打ちひしがれるか――見たかったのだがな」
「てめえ……!」
魔王アリスティドならば、きっとしおらしく牢獄に閉じ込められたままではいない。この程度の暗躍を見せた方が自然であるはずだ。
それに僕が討たれてもまだ生き残りの魔物たちがいる。彼らのうち、魔王の後釜を狙ってシグファリスを倒そうとする者がいてもおかしくはない。彼らがシグファリスを狙うならば、身近にいる仲間たちも危ない。特に戦う力を持たないマリーは狙われやすいだろう。これを機に護衛をつけるなりなんなりした方がいい。
僕の拘束も強固になるだろうが、それで構わない。魔界召喚陣はいずれ解除される。シグファリスの傍には頼りになる仲間たちがいて、心を寄せる相手もいる。もはやなんの憂いもない。
――僕にできることは、最後まで魔王としての態度を貫くこと。
そんな僕の誓いは数秒後にあっさり崩れた。
「ひえっ!?」
不意に体を持ち上げられて、うつ伏せにひっくり返されたと思ったら。叩かれたのだ。尻を。
「は、はあ!? 貴様、何をして――ふえっ!?」
ばちん、と派手な音を立てて、まるで親が子供に折檻するような姿勢で再び尻を平手で叩かれる。
思いがけない行動に動揺している間に何度も叩かれ、つい魔王らしからぬ悲鳴をあげてしまう。殴る、蹴る、刺される、目を潰される、生きながらに腑を引きずり出される――そのぐらいの覚悟はしていた。だがなぜ尻を叩く。痛いが、耐え難い苦痛というほどではない。どちらかといえば十五年間公爵家の子息として育ってきた貴族としてのプライドがズタボロになって胸が痛い。
「貴様! よくもこの僕に、こんな辱めを!」
上半身を捻って、何度も執拗に尻を叩いてくるシグファリスを睨みつける。シグファリスは僕が睨むよりも何百倍も迫力のあるぎらりとした眼差しで僕を見下ろしていた。
「…………もっと辱めてやろうか」
「いっ――!」
叩かれすぎて腫れた尻を乱暴に掴まれる。探るように撫で回されたかと思えば、今度はつねり上げられて、予測不能な折檻に体がびくりと跳ねる。
「うっ……ぐ……」
あげそうになった悲鳴を飲み込む。そんな僕を嘲笑うかのようにシグファリスが息を漏らした。
「血には飽きた、とか言ってたよな……代わりに何がほしい。悪魔らしく俺を誘惑してねだってみろよ」
急に魔素供給の話になって困惑する。でも、シグファリスの怪我のことも気になってはいた。よい機会だ。
「……つ」
「つ?」
「……爪か、髪を寄越せ……」
また気持ち悪いと思われるだろうが仕方ない。思い切って言ってみると、シグファリスの手がぴたりと止まった。
「爪か、髪?」
「そうだ。爪は伸びた先の部分、髪なら数本でいい。切ってから時間がたってしまうと魔素も失せてしまうがな。……毎回貴様のこってりとした血ばかりでは胃もたれする」
実際には胃もたれなどしないけれど。我儘を言っているように聞こえるよう、尊大な態度で文句を垂れてみせたが、シグファリスは心ここに在らずといった様子だった。
「……血以外って……アレのことじゃなかったのか……」
「あれ? とはなんだ?」
血や髪、爪以外に魔素を含むものなどあっただろうか。涙か? まさか排泄物? それには魔素は含まれていないし、与える方も嫌だろう、などなど考えながらシグファリスの顔を見上げる。
視線がかち合う。見る間にシグファリスの顔が紅潮していく。なんだ? どういう反応だ? つい小首をかしげると、わなわなと体を震わせていたシグファリスは怒りを爆発させた。
「――なんだじゃねえよボケが! 人を弄びやがってこのクソ悪魔! 二度と勝手な真似ができないようにしてやる!」
「うわっ、ぷ!」
言い終わらないうちにシグファリスは自らが装備していたマントを脱ぎ捨た。黒く分厚い布地を頭から被せられ、簀巻きにされて視界が封じられる。さらにその上からベルトか何かで縛られて、僕は完全に身動きが取れなくなってしまった。
この状態で暴行されるのだろうか。そう思って身構えていたが、シグファリスは僕を放置したまま慌ただしく牢獄を去っていった。
視界を奪われたせいで、静寂がより一層深まったように思える。
「う……」
今の僕は真っ黒な芋虫のように見えるだろう。ちょっともがいてみたが、石床の上をもぞもぞと転がるだけで終わった。頭から布に包まれているのでなんとなく息苦しい感じはするものの、実際に呼吸しているわけではないので気分の問題だ。叩かれた尻が痛むが、それ以外は特に不具合はない。
もしかして魔界召喚陣が解除される日までこのままなのだろうか。――いや、それはない。これは仮の処置で、対策を練るために戻って行ったのだろう。今までろくに拘束されず、のんびり過ごせていたことがおかしかった。次こそは苦痛が伴う方法で、もっと厳重に拘束されるだろう。想像するだけで恐ろしいけれど、転がっている以外何もできない。
極力何も考えないように大人しくしている間、とりとめのないことが脳裏に浮かんでくる。ヴリュソールとはもう会えないと思うと、少し寂しい。小さな魔物たちは一瞬で殺されてしまったな。哀れな最後だった。髪を一本ぐらい喰わせてやればよかった……とは思わないな。僕のことを隙あらば喰おうとしていたし。そういえばシグファリスが言ってた「人を弄びやがって」というのはどういう意味だ?
今のシグファリスは情緒不安定のように思う。肉体的にも精神的にも疲労しているのに僕が覗き見していたことが発覚したのだから無理もないけれど。そういえば城内の噂でもシグファリスの評価は割れていたな。魔界召喚陣の解除は進んでいるだろうか――。
半ば微睡みながら、どのぐらいそうしていただろうか。時間経過の目安にしていた陽の光も見えないから見当もつかない。
シグファリスが再び牢獄にやってきた時も、鉄扉が開く音がするまで気がつかなかった。
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