死にぞこないの魔王は奇跡を待たない

ましろはるき

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五章

49 道標

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 遺跡の奥は神聖な気配で満ちていた。よほどのことがない限り、魔物がここまで入り込んでくることはないだろう。
 周囲は静かで、シグファリスの息遣いがはっきりと感じられる。それに、僕の呻き声も。
「あ……うっ、んぅ……」
 悪魔である僕はこの場では力が抜けてしまって、抵抗もできずシグファリスにされるがままになっていた。
 石床の上に毛布を敷いただけの簡易的な寝床に横たわり、体格の大きなシグファリスに背後から抱きすくめられて、魔素を惜しみなく注がれている。
「や、ぁ……もう、やめろ……これ以上、入らない、から……あぁ……っ!」
 魔素の供給方法として、血は嫌だ、もう飽きたと散々わがままを言った。だからと言って、この方法もこれはこれで苦しい。圧迫感に喘ぎ、もがいてみるが、シグファリスの逞しい腕の中から逃れられない。
「あんまり動くな、じっとしてろ」
「んっ、うぅ……!」
 ちゅっ、と音を立てて、折れた角に口づけされる。それだけで全身に鳥肌が立つ。断面を舐められると、どれだけ耐えようとしても体が勝手にびくりと跳ねた。
 魔素を補給する方法は、血以外の体液でもいい。だからといって、唾液を、魔素を収集する器官である角に直接塗り込める手段なんて、僕には思いつかなかった。
 これならシグファリスは傷を作らずに済む。だが、唾液には血液ほど魔素が含まれていない。血を与えられていたときのように意識が飛ぶことはないが、じっくりと時間をかけて少量ずつ与えられ、継続的に弱い刺激に晒され続けている。下手に意識がある分、浅ましく悶える姿を見られているのが恥ずかしい。
「んうぅ……」
「くっそ、甘えた声を出しやがって……めちゃくちゃにしてやりたくなる……」
 これ以上めちゃくちゃにされてはかなわない。体の中でシグファリスの魔素が暴れ回って甘苦しい。気持ち良すぎて辛い。口に手を当てていても、どうしても声を抑えきれない。
 じわじわと魔素を注がれ続け、体がはち切れそうだ。背中にシグファリスの熱を感じる。死体とそう変わらない僕の体が温まっていく。人間だった時のように。
「――……っ!」
 限界まで魔素を注がれて、声すら出せなくなる。ぐったりと横たわる僕からシグファリスが離れていく。
「…………水浴びをしてくる」
 動けなくなった僕に声をかけてから、シグファリスは遺跡の外へ出ていった。

 ひとりになっても、体の中にシグファリスを感じる。注がれた魔素が身体中を循環して、温かい。それでも徐々に体の熱は冷めていく。
 無駄なのだ。こんなことをしても人間には戻れない。
 魔術の理論を必死で学び、少ない魔素をいかに効率よく使うか研究し倒した僕とは違って、シグファリスはあふれんばかりの魔素を持て余している。理論を知らなくても魔術を使えるし、魔術の発動に魔法陣すら必要としない。感覚と力技でなんとかしてしまう。だからこそ「とにかく俺の魔素を大量に流し込めば悪魔の力を押し出せるのでは?」という荒唐無稽な案を思いつけるのだ。
 そんなことで悪魔が人間になれるはずがない。人間が大量の鶏肉を食べたところで鶏になれるわけではないのと同じだ。
 何度もそう説明しているのだが、シグファリスは納得がいかない様子でそっぽを向き、毎日せっせと僕に魔素を注ぎ込んでいる。
「……無駄、なのに」
 毛布を握りしめて顔をうずめる。
 僕の人間としての肉体はすでに死んでいる。この世界に蘇生魔法は存在しない。奇跡でも起きない限り、ありえない。
 ――もし仮に奇跡が起きて、僕が人間に戻れたとしたら。
 そこまで考えて、僕はふるふると首を振った。
 シグファリスがどういうつもりで僕を人間に戻そうとしているのかはわからないが、いまさら僕が人間に戻れたとして、僕が魔王になってしまったせいで死んだ人たちは生き返らない。
 このまま魔王として処刑されるべきなのだ。魔王アリスティドのせいで命を落とした人々のためにも、苦しみを与えられた人々のためにも。
 シグファリスの仲間たちは、今頃僕たちを追っているはずだ。
 彼らはそれぞれ魔王アリスティドに辛酸を舐めさせられている。愛する人を無惨に殺され、国を滅ぼされて。深く恨んでいる。
 この遺跡に辿り着くまでのシグファリスの様子からして、彼らに相談して出奔したとは思えない。きっと今頃、魔王アリスティドと共に消えたシグファリスを追っているに違いない。
 この遺跡にたどり着いて既に三日。彼らもすぐにここへやって来るだろう。
 旅路の途中、僕は定期的に魔術を行使してシグファリスを攻撃しようと試みていた。その度に間封じの首輪が発動し、苦痛と共に魔術の行使を阻害されていた。痛みで悶絶する僕に、シグファリスは「何度やっても無駄だ、いい加減に諦めろ」と呆れていた。魔王としてただシグファリスにされるがままでは不自然なのであえて抵抗を見せていたのだが、最大の理由は、シグファリスの仲間たちに道標を残すためだ。
 魔術が発動しなくても、魔封じの首輪が作動することで魔術痕――魔術を使った跡が残る。シグファリスは魔術痕に気づく気配はなかったが、この首輪を作ったジュリアンなら察しがつくはずだ。
「彼らは、どう思っているかな……」
 シグファリスが裏切って、魔王アリスティドを逃がそうとしている――状況的にそう思われても仕方がない。僕を人間に戻そうという試み自体が、すでに裏切りといえる。
 それに、今のシグファリスからはまったく殺意を感じられない。
 両親を殺され、恋人だった聖女エステルをあんなにも無惨に殺されて、あれほど執拗に追い詰められたというのに。
 何もかも奪った僕を、許そうとしている。
 ――根は優しい子だから。僕が魔王としての態度を貫き通せず、隙を見せてしまったせいで、同情を誘ってしまったのかもしれない。
 よくよく思い返せば、シグファリスが虜囚となった僕を甚振ったのは最初だけ。それ以降は過剰に暴力を振るわれることもなかった。
 もし、シグファリスが僕を許そうとしているのなら。その行為は必ず仲間たちとの不和を招くことになる。
 これまでの過酷な戦いで荒みきった精神を癒やし、平和を取り戻した世界で幸福に生きていくためには、仲間たちとの絆が必要不可欠だというのに。
 ――僕がシグファリスの手で死に、復讐を果たすこと。それがシグファリスのためになるのだと思っていた。
 だが、シグファリスにその意思がないのだとしたら。
 僕は覚悟を決めなければならない。
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