救世の結界師マールちゃん~無能だと廃棄されましたが、敵国で傭兵のおっさん達に餌付けされてるので、今さら必要と言われても戻りません~

ぽんぽこ@3/28新作発売!!

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第37話 越えてはいけない線


 カルデサックの食事処には、しばらく沈黙が落ちていた。

 湯気の立つ料理は、すでに半分以上が手つかずのまま冷めかけている。マールもレティシアも、箸を止めたまま、ただブリュンヒルデを見ていた。

 彼女は杯に口をつけることもせず、しばらく視線を落としたまま動かなかった。


「レグルスとの仲を切り裂くことになったキッカケ……それはクラウスから出された“とある指令”だった」

 ようやく絞り出すように、ブリュンヒルデは続ける。

「魔の森に侵食された砦の奪還作戦でな」

 マールが、思わず小さく息を吸った。

「今ではカルデサックの街がそうだが、かつては砦が国境防衛の要だった。だが魔の森の拡張によって孤立し、最終的には巨大な鷹の魔獣――ベノムイーグルに占拠された、とされていた」

 ブリュンヒルデは、そのときの自分を思い出すように、わずかに眉を寄せる。

「……馬鹿な話だ」

 当時の声色をなぞるように、吐き捨てる。

「私たちは対人戦を主軸に編成された前線部隊だ。なぜ魔獣の討伐を――しかも砦奪還などという大仰な任務を、こちらに振る?」


 その疑問には、理由があった。

 各国で、魔の森による領土侵食が目に見えて進み始めていた時期だった。村が消え、街道が断たれ、国境線は静かに、だが確実に後退していく。

 民衆の不安と不満は、日に日に膨らんでいた。

『国は何をしている』
『軍は役に立っているのか』

 そうした声に対する、“分かりやすい成果”が求められていた。

「砦の奪還は、象徴としては十分すぎる」

 ブリュンヒルデは、淡々と語る。

「だからこそ、あの男――クラウスが、この作戦を強く推進した」

 功績。
 数字。
 昇進。

 そのための舞台として、前線が選ばれたのだ。


「だが、命令書を読み込めば読むほど……おかしな点が目についた」

 退路は薄い。
 援護部隊は最低限。
 事前情報は、すべてクラウス側がまとめたもののみ。

「嫌な予感しかしなかった」

 ブリュンヒルデは、そこでようやく視線を上げる。

「だから私は、その命令書を……そのまま、彼に見せた」


 ◇

 前線司令部の簡易テント。
 夜明け前の冷えた空気の中、ブリュンヒルデは机の上に命令書を置いた。

「これが、次の作戦だ」

 向かいに立つレグルスは、無言でそれを手に取る。
 目を走らせる速度は速かった。だが雑ではない。行間まで含めて、すべてを飲み込んでいく。

 やがて、彼は小さく息を吐いた。


「……なるほど」

 それだけだった。
 怒りも、驚きも、声には滲まない。

「お前は納得したのか?」

 ブリュンヒルデが問いかけると、レグルスは命令書から目を離さずに答えた。

「この作戦の意味が分からないほど、愚かじゃないさ」

 静かな声だった。

「砦奪還。魔獣討伐。象徴的成果。退路が細いのも、援護が薄いのも……全部、意図的だ」

 紙を畳み、机に戻す。

「だが、俺では反抗できない。命令だからな」

 ブリュンヒルデは、唇を噛んだ。

「……すまない」

 その一言に、レグルスはようやく彼女を見る。
 責める色はなかった。


「少尉」

 低く、落ち着いた声。

「アンタはそれが“最善”だと判断したんだろう?」

 確認するような口調。
 ブリュンヒルデの目が、わずかに見開かれる。

「その判断を、俺は信じる」

 それ以上、何も言わなかった。
 その背中を見送りながら、ブリュンヒルデは言葉を失っていた。


 ◆

 作戦当日、早朝。
 魔の森は、濃い霧に覆われていた。

 夜明けの気配はある。だが光は届かない。白く湿ったもやが視界を塞ぎ、十数歩先すら曖昧だ。吸い込む空気には、舌に残るような微かな苦味が混じっていた。

 砦の外縁を囲むように、部隊が静かに展開する。
 石壁はところどころ崩れ、苔と黒ずんだつるが絡みついている。かつて人の手で築かれた防衛拠点は、もはや森に呑み込まれかけていた。


 事前に共有されていた情報は、単純だった。

 ――ベノムイーグル。
 毒をまき散らす猛禽類。
 上空からの急襲と、毒液による範囲攻撃。

 ゆえに警戒は空に向けられていた。
 弓兵は仰角を取り、魔導士は対空障壁の詠唱準備に入る。索敵班も、自然と視線は霧の上へと向いていた。

 だが。

「……おかしいな」

 先行していた斥候の一人が、小さく呟いた。
 空に、影がない。
 羽ばたきの音も、気配も、何ひとつ。

 代わりに。
 足元で、靄の中から奇妙なものが浮かび上がってきた。

 地面を這う、細い白線。
 苔とは違う。蔓でもない。

 菌糸だ。

 不自然なほど規則的に、砦の周囲へ広がっている。
 その瞬間だった。


「――吸うな!」

 レグルスの声が、鋭く飛ぶ。
 だが、遅かった。

 霧の中で、何かが弾けた。
 ぱっと、視界が白く染まる。

 霧とは別の、細かな粒子。
 花粉のようで、灰のようで、しかし生き物めいた粘りを帯びている。

「ぐっ……!?」

 兵の一人が膝をついた。
 咳き込み、喉を押さえ、呼吸が乱れる。皮膚に露出した部分が、みるみるうちに赤黒く変色していく。

「毒だ!」
「治療班、前へ!」

 だが、治療資材は足りなかった。
 想定していたのは、毒液による局所汚染だ。吸引性の毒菌など、準備に含まれていない。

 そして、霧の奥から軋むような、湿った羽音が響いた。

 姿を現したそれは、もはや“猛禽”ではなかった。

 骨格は鳥に近い。だが翼は、羽毛ではなく菌膜で覆われている。身体の随所から、胞子嚢のような瘤が脈打ち、膨張と収縮を繰り返していた。

 ベノムイーグル。
 だが、それは猛禽類ではない。

 ――猛菌類。

 鷹ではなく、胞子に主導権を奪われた菌類へとと変質していた。

 胞子が舞うたび、兵が倒れていく。
 吸えば肺を侵され、触れれば皮膚が腐る。

 砦を中心に、すでに“死地”が形成されていた。


 レグルスは、歯を食いしばる。

(このままじゃ……隊が全滅する)

 即座に、配置図を引き寄せる。
 風向き。
 地形。
 菌糸の広がり。

 事前情報なぞ、すでにゴミと化した。
 空中戦を前提にした、あまりにも古い資料。

(……なぜ誤情報が、いや――)

 喉の奥に、冷たいものが落ちた。

(クラウスの仕業か)

 偶然では済まない。
 この魔獣の変質は、ここ数日の話ではない。少なくとも、事前に調査する者がいれば分かったはずだ。

 にもかかわらず、提出された情報は“猛禽類”のまま。レグルスは、はっきりと理解した。

(俺が邪魔だったから……だからってここまでするか?)

 これは失策ではない。あまりにも残忍な切り捨てだ。


 彼は顔を上げ、霧の向こうで指示を飛ばすブリュンヒルデの姿を捉えた。

 ここで判断を誤れば、全滅する。

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