【完結】契約結婚したワケあり騎士様が、溺愛モンスターでした。

ぽんぽこ@3/28新作発売!!

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第2話 静かに近づく距離

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 結婚初日、緊張と妙な空気が屋敷を包んでいた。

「……よろしく」

 自室の隅で小さく頭を下げる影の騎士——ノクス・アルヴァ。対して私は、何と返せばいいのか分からず、ワインを持った手が小刻みに揺れるばかりだった。華やかなドレスを着ていても、内心は不安と戸惑いでいっぱいだった。

「こちらこそ……た、頼りにしていますから」

 言葉はたどたどしく、視線は宙をさまよう。ふたりの間に流れる沈黙は重苦しいようで、どこか可笑しくもあり、不器用な私たちの関係を象徴していた。

「では……失礼する」

 影のように音もなく去っていく彼。その背中は冷たいはずなのに、どこか寂しさを滲ませていた。

 ——これから本当に、この“影”と共に歩んでいけるのかしら。


 翌日から、奇妙な日常が始まった。

 夜更け、屋敷に漂う甘い香り。かつては酒や香水の匂いで満たされていた空間が、優しいバターと焼き菓子の香りに変わっていくなんて。

「……信じられない」

 そっと廊下を進み、足音を殺してキッチンの扉をわずかに開く。そこにいたのは、誰よりも鋭く、そして孤高だった影の騎士——ノクス。真剣な表情でクッキーを成形し、繊細な模様を描くようにアイシングを施している。その手には戦いの傷跡が残っていたけれど、指先の動きはまるで芸術家のように優しかった。

「……ふふっ。ギャップがすごいわね」

 笑いを堪えながらそっと扉を閉めた。


 翌朝、食卓には可愛らしいリボンで結ばれた小箱が置かれていた。開けると、宝石のように美しいクッキーが整然と並んでいる。ひと口かじれば、口いっぱいに広がる優しい甘み。自然と頬が緩み、胸が温かくなった。

「この人……こんな一面を隠していたのね」


 その翌晩。

「劇場に行く……?」

 夜、ノクスが屋敷を抜け出す姿を見つけた私は、抑えきれない好奇心に突き動かされて尾行した。辿り着いたのは、王都で最も華やかな劇場。

 最上階の隅に腰掛けた彼は、誰にも気づかれないように身を潜めていた。そして、幕が上がると同時に、その冷たい顔が驚くほど柔らかくなり、少年のような瞳で舞台を見つめていた。

 煌めくドレスをまとった役者たち、華やかな音楽、そのすべてを全身で楽しむ彼。その姿は、孤独な影ではなく、ただ夢を見つめるひとりの人間だった。

「あなたは本当は……こんなに純粋な人なんだ」

 胸がじんわりと熱くなった。


 数日後、古びたレシピ帳を熱心に眺めている彼の姿を見かけた。

「……新しいレシピ?」

 問いかけると、視線をそらして頬を少し染めながら「次は……スフレを作ってみたい」と小声で答えた。その不器用な可愛さに、思わず笑みがこぼれた。

「なら、一緒に作ろう?」

 その日の午後、粉まみれになりながら奮闘する二人。膨らみすぎて焦げたスフレを眺めて「次こそ成功させよう」と笑い合った時間は、何よりの宝物になった。

 ある日、庭で花を植える彼を見つけた。土を優しくなでる指先、静かに並べていく苗たち。

「落ち着くから」と呟いたその声は、戦場で鋼の心を持つ男とは思えないほど柔らかかった。

 だが、その穏やかさは長くは続かなかった。


 王都は緊張に包まれ、通りの空気も重苦しくなっていた。盗賊団の暗躍、闇取引の噂、そして魔物の影——街角の人々が怯えながら目を伏せる光景が広がっていた。

 夜ごと帰宅するノクスの姿には、隠し切れない戦いの痕跡が刻まれていた。切り傷、血痕。それでも夜には変わらずキッチンに立ち、クッキーを焼く彼。

「どうして……そんなに無理をするの」

 その背中を見つめながら、涙がこぼれそうになった。

「私が支えなくて、誰があなたを守るの……」


 ある夜、月を見上げる彼の姿を見つけた。

「何を見ているの?」

 そっと問いかけると、しばらくの沈黙の後に、静かな声が返ってきた。

「……光の中で笑ってみたかった」

 その言葉に、胸が張り裂けそうになった。

 翌朝、机に置かれた包みには、私の好きな甘いお菓子と『愚痴に付き合ってくれてありがとう』と書かれた小さな紙片が添えられていた。その小さな優しさに触れた瞬間、涙があふれた。

「そんなあなたを、私は……絶対に守る」

 心からそう誓った。

 ——この影を、今度は私が光の中に導く番だ。
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