3 / 5
第3話 誰も知らない真実
しおりを挟む「はぁ……なんだか気乗りしないわね」
没落した家柄であるにもかかわらず、私は今夜、王宮の煌びやかな舞踏会に立っていた。理由はひとつ——王家から直接届いた、影の騎士の妻として正式に顔を出すよう求められた招待状。
(でもこれを無視すれば、彼の立場を貶めてしまう。影である彼に代わり、公の場でその存在を示すのは私の務め。でも……)
宝石のようなシャンデリアがきらめく広間で、私は豪華なドレスに身を包みながらも、小さな孤独を感じていた。心臓は不安と緊張で早鐘を打ち、胸の奥がどうしようもなく締めつけられていた。
(それにしても、誰も彼もが浮かれているわね。王都じゃ嫌な事件ばかり起きているっていうのに)
王都全体が緊張に包まれ、通りの空気はひどく重く沈んでいた。街角の人々は怯えたように目を伏せ、屋台からはかつての笑い声が消えていた。
けれど、この宴会場の中だけは別世界のように華やかな笑い声が響き、シャンパンの泡が絶え間なくきらめいていた。その対比がかえって異様で、息苦しさを覚えるほどだった。その中で聞こえてくる声は耳を疑うものばかりだった。
「影の騎士? ああ、あの得体の知れない影法師かしら」
「王家に忠誠を尽くすだけの存在。結局は道具でしかないわ」
「顔も名前も知らぬ存在に、敬意を払う必要なんてないもの」
彼らの言葉は、煌びやかな装飾よりも鋭く冷たく、私の胸を突き刺した。グラスを持つ手は知らず知らずのうちに震え、指先が白くなるほど力を込めていた。
彼がどれだけ孤独に、どれだけ命を賭してこの国を守っているか——誰も知らない。知らないくせに、嘲り笑うなんて。
「……悔しい」
その夜、胸が痛くて眠れず、私はひとり涙を堪えながら決意した。
あの人の優しさを、誰も知らないままで終わらせたくない。
彼の手が作る温かな甘さを、知らぬままに笑う人たちに知らしめたい。
言葉ではなく、行動で示そう。それが、私にできる唯一の誇り。
翌朝、私は意を決して庶民の市場へと足を運んだ。いつもなら見過ごしてしまうような小さな屋台も、この日は妙に輝いて見えた。
頭の中では『影の騎士スイーツ計画』という無駄に仰々しい名前がついてしまっていたけれど、もう後戻りはできない。信頼できる商人に真剣な顔で相談すると、彼は最初こそポカンとしたものの、すぐにニヤリと笑った。
「奥様……本当に、よろしいので?」
「ええ、もう。やると決めたらやるのよ!」
こうして始まった『影の騎士スイーツ』は、思わぬ勢いで評判を呼び、あっという間に行列ができる名物屋台となった。
焼き菓子を頬張った子供たちは『なんか勇者になれそう!』と騒ぎ、女性客は『こんな優しい味……恋する味ね』と目をうるませていた。
「このクッキー、食べるとなんだか心がほわっとなるんだよ」
「優しい味がする……絶対にイケメンが作ってるに違いないわ!」
その声を聞くたび、私は胸の奥で『はい、イケメンです!でも寡黙で甘党なんです!』と叫んでいた。
しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。
数日後、彼がその屋台に姿を現したのだ。
「……これは?」
店頭に並ぶクッキーを、ノクスは無言でじっと見つめていた。その横顔は険しいというより困惑でいっぱいで、思わず笑いそうになるのを必死で堪えた。もちろん店主は彼の姿を認識していない。ただ楽しげに、隣の客に語りかけていたのだ。
「おお、奥様いらっしゃい! ご覧の通り、おかげさまで大人気ですよ!」
「旦那様のレシピのおかげだわ。あぁ、あとは店主さんの腕もね」
「いやぁ、いい奥さんをもって、旦那さんは幸せ者ですな!」
「ふふふっ。そうかしら?」
その瞬間、彼の目がかすかに揺れた。唇がきつく結ばれ、拳がゆっくりと握られていくのが見えた。小さな呼吸を整えた後、低く震える声が漏れた。
「……余計なことをするな」
短い言葉を残し、彼は足早に去っていった。その背中は、孤独と葛藤を背負い込む影そのものだった。
夜。重い足取りで帰宅した彼は、私をまっすぐに見据えた。目の奥に隠し切れない怒りと恐れ、そして寂しさが滲んでいた。
「勝手なことをするな……これは、俺の影としての役目ではない」
その声は冷たく響いたが、どこかかすかに震えていた。晒されることへの恐怖、自分の存在を他人に知られることの苦しみ——それが染み込んでいた。
「でも……あの人たちは、あなたのことを知らずに、平気で侮って——」
「関係ない!」
鋭く吐き捨てるような声が、部屋中に響いた。その声には、誰にも知られることなく生きてきた影の悲しみが、痛いほどに滲んでいた。
「私は……ただ、あなたのことを知ってほしかっただけなのに!」
言葉を絞り出した瞬間、涙が溢れた。ノクスは目を伏せ、唇をきつく噛み、拳を握ったままその場に立ち尽くした。彼の背中は、誰よりも強く、そして誰よりも脆かった。
静寂が重く流れ、息をすることさえ苦しい時間が過ぎた。その後、彼は一言も告げずに扉を閉めて去っていった。その音が、冷たく、遠くに響いて消えていった。
「こんなつもりじゃ……なかったのに……」
かすれた声でつぶやき、私は床に膝をついた。冷たい床の感触が頬に伝わり、涙がぽろぽろと溢れて止まらなかった。ひと粒ずつ、静かに落ちる涙の音が、広すぎる部屋の中で寂しく響き続けていた。
16
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
身代わり令嬢、恋した公爵に真実を伝えて去ろうとしたら、絡めとられる(ごめんなさぁぁぁぁい!あなたの本当の婚約者は、私の姉です)
柳葉うら
恋愛
(ごめんなさぁぁぁぁい!)
辺境伯令嬢のウィルマは心の中で土下座した。
結婚が嫌で家出した姉の身代わりをして、誰もが羨むような素敵な公爵様の婚約者として会ったのだが、公爵あまりにも良い人すぎて、申し訳なくて仕方がないのだ。
正直者で面食いな身代わり令嬢と、そんな令嬢のことが実は昔から好きだった策士なヒーローがドタバタとするお話です。
さくっと読んでいただけるかと思います。
悪役令嬢と氷の騎士兄弟
飴爽かに
恋愛
この国には国民の人気を2分する騎士兄弟がいる。
彼らはその美しい容姿から氷の騎士兄弟と呼ばれていた。
クォーツ帝国。水晶の名にちなんだ綺麗な国で織り成される物語。
悪役令嬢ココ・レイルウェイズとして転生したが美しい物語を守るために彼らと助け合って導いていく。
【完結】泉に落ちた婚約者が雑草役令嬢になりたいと言い出した件
雨宮羽那
恋愛
王太子ルーカスの婚約者・エリシェラは、容姿端麗・才色兼備で非の打ち所のない、女神のような公爵令嬢。……のはずだった。デート中に、エリシェラが泉に落ちてしまうまでは。
「殿下ってあのルーカス様……っ!? 推し……人生の推しが目の前にいる!」と奇妙な叫びを上げて気絶したかと思えば、後日には「婚約を破棄してくださいませ」と告げてくる始末。
突然別人のようになったエリシェラに振り回されるルーカスだが、エリシェラの変化はルーカスの気持ちも変えはじめて――。
転生に気づいちゃった暴走令嬢に振り回される王太子のラブコメディ!
※全6話
※一応完結にはしてますが、もしかしたらエリシェラ視点バージョンを書くかも。
婚約破棄ブームに乗ってみた結果、婚約者様が本性を現しました
ラム猫
恋愛
『最新のトレンドは、婚約破棄!
フィアンセに婚約破棄を提示して、相手の反応で本心を知ってみましょう。これにより、仲が深まったと答えたカップルは大勢います!
※結果がどうなろうと、我々は責任を負いません』
……という特設ページを親友から見せられたエレアノールは、なかなか距離の縮まらない婚約者が自分のことをどう思っているのかを知るためにも、この流行に乗ってみることにした。
彼が他の女性と仲良くしているところを目撃した今、彼と婚約破棄して身を引くのが正しいのかもしれないと、そう思いながら。
しかし実際に婚約破棄を提示してみると、彼は豹変して……!?
※『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも投稿しています
好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が
和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」
エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。
けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。
「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」
「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」
──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。
触れると魔力が暴走する王太子殿下が、なぜか私だけは大丈夫みたいです
ちよこ
恋愛
異性に触れれば、相手の魔力が暴走する。
そんな宿命を背負った王太子シルヴェスターと、
ただひとり、触れても何も起きない天然令嬢リュシア。
誰にも触れられなかった王子の手が、
初めて触れたやさしさに出会ったとき、
ふたりの物語が始まる。
これは、孤独な王子と、おっとり令嬢の、
触れることから始まる恋と癒やしの物語
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる