上 下
1 / 6

不審な暗殺依頼

しおりを挟む
 
「はぁ? 無能で有名なニーナ姫を暗殺するように依頼が来た? それも依頼人はニーナ姫本人だと!?」

 王都にある、シードル侯爵家邸。
 夕暮れ色に染まる執務室で、執事から報告を受けたヴィクターは大声を上げた。

 ヴィクターは二十歳という若さでシードル侯爵家の当主となった、眉目秀麗な男だ。

 今日も彼は執務机に向かい、大量の書類の山と格闘していた。
 そろそろ仕事を切り上げ、独身貴族らしく一人で晩酌を楽しもうかと思った矢先、とんでもないトラブルが舞い込んできた。


「はい。第二王女のニーナ様から、我がシードル侯爵家の注文書を用いたオーダーがされております。……つまりは、正規の依頼ですな」
「そんな馬鹿な!!」

 ヴィクターは執事のセバスが遂にボケたのかと、胡乱な目を向けた。
 しかし老齢ながらも背筋のピンと伸びた彼の佇まいとハキハキとした言動を見る限り、そうではないようだ。


「どうして姫はそんな馬鹿げた依頼を……」
「さぁ。依頼の理由は聞かないのが当家のルールですので」

 隣で控えていたセバスは何食わぬ顔で、主の目の前にくだんの注文書を置いた。

 それはシードル家だけが製法を知る、林檎の香りのする特殊な用紙だった。

 注文の内容は、最高級の林檎を使用したアップルパイ。
 宛先はニーナ姫から、ニーナ姫へ。

 この国の限られた人間しか知らないはずの隠語で、ニーナ姫を殺すようにとオーダーがなされている。
 記載の不備はどこにも見当たらない。

 だが誤りがないからと言って、これでは何の解決にもなっていない。むしろ何かの間違いであってほしかったぐらいだ。

 ヴィクターは思わず頭を抱え、深い溜め息を吐いた。


「セバス、カルヴァドスを持ってこい。セラーにある一番上等の奴だ」
「……よろしいので?」
「かまわん。どのみちマトモな頭では対処しきれん。この件は飲みながら考える」

 カルヴァドスとは、林檎の蒸留酒だ。
 セバスからボトルを受け取ると、用意したグラスに濃い琥珀色の液体をトクトクと注ぐ。
 同時に芳醇な林檎の香りが部屋に広がる。
 ヴィクターはなみなみに注がれたそれを、ストレートで一気に呷った。


「なぁ、セバス。こういう場合、我らシードル家はどうするべきなんだ? 父上たちなら、これをどう処理していたと思う?」

 シードル侯爵家。
 このモンドール王国が生まれてから続く、由緒正しき名家である。
 領地には広大な農地を持ち、林檎の栽培が有名。
 長いこと政治にはかかわらず、中央の出世を狙う貴族たちからは、今の地位にあぐらをかく怠惰な貴族だと侮られている。

 だが実際のシードル家は、敢えて無欲だと演じているに過ぎない。
 国の行く末を案じる一部の優秀な貴族だけは、シードル家の本当の顔を知っていた。

 彼らは悪徳貴族の暗殺を生業とする裏の一族。
 当主の座は代々、凄腕の暗殺術を持つ者だけが受け継いでいる。もちろん、ヴィクターもその一人。

 国益を損なう悪事を働けば、注文書ひとつで殺しにやってくる。
 シードル家は決して敵に回してはいけない、モンドール王国最強の番犬なのである。

 そんな優秀な番犬も、今日は酒に溺れていた。
 今まで大物の貴族を何人も殺してきたが、まさかこの国の王女を殺す依頼が来るとは思いもしなかった。


「無能ゆえ社交界にも出せず、行き遅れているとの噂があったが……ついに気でも狂ったのか?」
「おや、無能で行き遅れの噂があるのは、旦那様とて同じなのでは?」
「それは……言うなセバス……」

 先代の頃からシードル家に仕え、さらには自身も暗殺の技能を持つセバス。
 主に対しても日頃から厳格な態度をとる有能な執事だが、珍しく弱音を吐くヴィクターの姿を見て今回ばかりは彼も眉を下げた。


「旦那様。私が知る限りでは、王家の者が自身を暗殺させたという事例は一度もございません。後世が喜ぶ、貴重な前例となるでしょうな」
「あのなぁ、そんな事を言われたって何の慰めにもならんぞ……」
「もちろん、皮肉でございます」
「お前……笑えない冗談はよせ」

 判断を誤れば、この一件でシードル家がお取り潰しになる可能性だってあるのだ。
 自分の代でそんなことになったら、この家を代々護ってきた先祖たちに申し訳が立たない。
 セバスも今回ばかりは頼りにならず、ガックリと項垂れるヴィクター。


「仕方ない。明日、俺が直々に王城へ行って姫の真意を聞いてくる」
「……依頼人との交渉は御法度ですぞ」
「そんなことも言ってはいられんだろう。間違いで姫を殺した方が大問題になるぞ」

 どう転ぶにせよ、ロクな展開にはならない予感がする。
 その日は結局、セバスがボトルを取り上げるまでヴィクターの深酒は続いた。
しおりを挟む

処理中です...